その電話は、唐突にかかってきた。
「……あん?」
携帯電話のディスプレイにあるのは昔馴染みの番号。
深夜、日付も変わる、という時間になっての電話だ。
メールのやり取りこそあったが、電話とは――。
……珍しい。
急ぎの用事だろうか、と思いつつ、通話を開始する。
『――私だ。』
「……はァ? もしもし?」
『私だ。と言えば、そっちも用件から話し出しなさいってば。洋モノ映画だとそうでしょうがー』
けらけらと何やら変に軽い声が聞こえてくる。
酔っているらしい、と頷き、
「どうしたんだ。何かあったのか」
『んー。フラれたぁ』
「……そうか」
はぁ、と電話口の向こうからため息が聞こえてくる。
『いやー、結構辛いねー、コレ。勝手に玉砕しただけなんだけどさー』
「……彼女がいたとか?」
『んー、そんなもん。分かってたからなんて言うか諦め悪くて最悪だけど。
サークル同じだから、これからちょっとサークルに行きづらいかも』
「そうか」
『ん』
小さな、気の抜ける音が聞こえてくる。
ビールか何かのプルタブを開ける音だろうか、と思った瞬間には、嚥下の音が聞こえてきていた。
「……あまり飲みすぎるなよ。二十になって堂々と飲めるとは言え」
『へぇーきへぇき。どーせ明日は休むつもりだし』
「そういう問題でも無いだろ」
『んー、まあ、そうかもね。でもまあいいじゃん。フラれちゃったんだし』
「…………」
互いのため息がシンクロする。
「不景気なため息だな」
『辛気臭いため息ね』
「お互い様だ」
『その言葉丁重にお返しいたすー』
向こうは盛大に酒を飲んでいるらしい。
こちらだけ飲まないのもシャクだ、と冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出した。
『んー? アンタも飲むのー?』
「そんなには飲まん。弱いし、明日もある」
『んー。……いやまあなんかゴメンねぇホント。同情するわ』
「どの口が言うんだ馬鹿。今更謝るくらいなら電話するな」
『ヒドいなぁ、全くもう』
けらけらという笑いは、明るい響きなどでは無かった。
……無理をしているのか。
酒の力に縋って、家族よりは遠い、しかし、友人よりも近い立場の者に縋って――
一口酒を飲むと、一気に胃が熱くなった。
口から出るのは、抉る、とも言えるような質問だ。
「……なあ。その男、そんないいヤツだったのか」
『そーね。
……いっつもスーツ着てる変人で、スゴいてきぱきしたひとだったけど、どっかでミスるのね。
で、それをフォローする人が隣にいてね、……俺の隣は、彼女しかいないって、はっきり言われたさ』
「玉砕だな」
『うん。ホントばかみたい。……負けるのが見えてて突っ込むんだものなぁ』
「誰かに惚れてるヤツばっかり好きになる、お前の一直線ばかっぷりにカンパイ」
『んー。かんぱーい』
あはは、と笑う声は、涙混じりだ。
『……ちょっとゴメン』
「ああ」
鼻を乱暴にかむ音が聞こえて、十秒ほど後、何か小太鼓を叩いたような音がした。
『……あー、うん。もしもし。ゴメン』
「いや、いい。……ワインか?」
『ブランデー。安物だけど』
「飲みすぎるなよ」
『んー。これ飲みきってももうちょい行けるから大丈夫』
そのまま、しばらく沈黙がある。
酒量限界は、缶ビールにしておおよそ三本。一本を大事にするように、ちびちびと消費していく。
……この量を知ったのは、一年半前か、とふと思う。
地元から離れ、大学に来た。サークルに入って、その歓迎会の席だった。
彼女も似たような経緯で知ったのだろうか、と思っていると、向こうから声が来た。
『……アンタの方はどうなのさ。そう言えば、結構久しぶりだけど』
「変わらない。工学部なんて野郎ばっかりだ」
『まーそうでしょうねー。入試より倍率高いんでしょ、そっちの美人は』
「確かにその通りだが嫌なこと思い出させるな馬鹿」
『彼女いない暦=年齢?』
「お前こそ毎回玉砕してるだろうが」
『うるさいなぁ』
はぁ、と吐くため息の質量は、最初のそれよりも軽くなっているのだろうか。
……そうであればいい。
思い、酒をもう一口あおる。
「お互い、結婚は出来そうにないな」
『希望が全くない理系ど真ん中に言われたくはないなぁー』
「最近は女性も増えてるらしいぞ。……本当だからな」
『……はいはい。でも、ホントに売れ残りそうだよね、あたしたち』
「お互い運が悪いからな」
『そーね』
「三十路まで売れ残るかもな」
『そこまで行ったらキッツいなー』
「……賭けるか?」
『どっちが先に結婚するか?』
「ああ。負けた方は何でもする、とかそんな大胆ルールでどうだ」
……自覚する。今日は少し、酔いの回りが早い、と。だからこんなコトも言えてしまうのだ、と。
それが何のためかは、よく分からない。だが、分からないなりに、思うところはある。
『オーケー。いいよ、これから十年。――これまでで一番長い勝負だね』
「ああ」
頷き、口を噤む。
……前を向いてくれればいい。そう思っての沈黙だ。
すぐに前を向くほど、彼女は強いだろうか、――そう自問し、
『ところで、どっちも三十まで売れ残ったらどうする?』
その声に、その考えが一瞬飛んだ。
酒のせいだろうか、出かけた結論が出てこない。
とにかく、返答をする。
「あ、ああ。……そういうコトもありえるか。ドローじゃつまらないな」
『んー。じゃ、お互い買い取るってコトにしとく?』
「……そりゃあいい。売れ残り同士に相応しい、最高のルールだな」
『んー、あたし天才?』
「そりゃあもう、……天災すぎるな」
『うははははは』
遠慮ない笑い声が響いてくる。
最初から比べれば大した進歩だ、と思い、彼は酒を一気に飲み干す。
「それじゃ、俺はもう寝る。お前もほどほどにしておけよ」
『んー。ありがとねー』
「別にいいさ。もう四度目だ」
『……そうだっけ。
キッツいコトとか恥ずかしいコトはすぐ忘れるようにしてるから、あんまり覚えてないなー』
「……全く。最悪だな」
『最高と言ってよ。過去にこだわらない女っていいでしょ?』
「そうかもな」
……強がりでも、それだけできれば上出来だ。
思い、それじゃあ、と別れの挨拶をする。
『――うん、それじゃあ。十年後、覚えてなさいね』
「お前こそ」
ツ、と電波の途切れる音。
缶をビニール袋に入れて、電気を消す。
「…………は、ぁ」
俺は、と思う。
……俺は、どうして喜んでいるのだろうか、と。
ため息を吐き、布団に転がった。
アルコールが思考にもやをかける。
その中で思うのは、彼女のコトのみだ。
……彼女が悲しんだなら、共に悲しみ、彼女が喜ぶのなら、共に喜ぶ。
昔からそうだったように思う。
だが、こと恋愛に関してはそうではなかった。
今だって、表面上は元気付けようとしているくせに、内心では喜んでいる。
「……最悪だな」
自嘲するように笑い、携帯を開く。
キー操作の結果表示されるのは、とある掲示板だ。
打ち込んでいく。