「卒業式、終わっちゃったね」
「あぁ」
人がいなくなった教室。残っているのは二人だけ。
「この教室を使うことも、もうないね」
「そうだな」
ある者は学友と語らって笑い、ある者は別れを惜しんで泣き、ある者は変化を想って遠くを見つめ。
「みんなとも、しばらく会わなくなるんだね」
「だろうな」
その喧騒も今はなく。静けさの中、二人の声だけが教室に響く。
「……拓哉とも、しばらく会えなくなるんだよね」
少女の声音が少し沈んだ調子になる。
今までの、寂しくも温かな気持ちを感じさせる物とは少しちがった。
「……あぁ」
言葉を返す少年の声は、やはり少しだけ寂しそうだった。
彼は春から地方の大学に進学することが決まっていた。
大学の場所はここからは遠すぎる。自然、向こうに下宿することになった。
「引っ越しの準備はできてるの?荷物まとめたりとか」
「まぁそこそこ。だいたい、まだ一週間はあるんだけどな」
彼にとって、その地は全く未知の世界である。
そのため、早く慣れるようにとすぐに向こうに行くことになっていた。
「早いこと向こうに馴染めるといいね」
「同じ日本だし、さして問題はないだろうよ」
「視点が広すぎだよ、それは」
他愛ない会話。今までと同じ、とるに足らない、そんな時間。
だがそれも、もうすぐ終わる。
「それにしても、とうとうこの日が来ちゃったんだなぁ」
「何が?」
「ほら、私たちって今までずっと学校一緒だったじゃない」
「おまけにクラスまで一緒だったな」
他人に話せば冗談と思われるかもしれないが、本人たちにとっても信じられない話であった。
同じ学校に通っていた友人たちも、最後はなまあたたかい視線を向けるようになっていた。
「それでさ、長い休みとかでもずっと一緒に過ごしたでしょ?」
「正確には宿題を手伝わされたんだけどな」
彼女は宿題などはあとから一気にするタイプで、長期休暇の終盤ともなれば、
提出物を堅実に一つずつこなし、ほぼ全てを終わらせた彼にすがることがいつもだった。
「けど、さ」
少年の抗議は右から左に流し、少女は、どこか遠くを見るような目で。
「そういうのも、これからはなくなっちゃうんだなぁってさ」
寂しそうに、つぶやいた。
ずっと一緒だと思っていた。今までがそうだったのだからと、何の根拠もなく。
でも、それは勘違い。本当は、歩いてきた道がたまたま隣り合っていただけだ。
これからは、二人の道は別々の方角を向くことになる。隣り合う道はなくなるのだ。
教室を静寂が支配する。何とも言えない空気があたりを包む。
「まぁ、今生の別れってわけじゃないけどさ。ちょっと違和感があるよね」
打って変わって、少女は明るい声で話を続けようとする。
いつもの空気じゃなかったから。二人の間に、こんな雰囲気は似合わない。
「でも、これがきっと『卒業する』ってことなのかもね」
今まで続いた習慣、当たり前と思った出来事との別れ。
新しい一歩を踏み出すための、一つの終わり。
「……そう、かもな」
短く返し、少年はしばらく考える素振りを見せる。
「どうかしたの?」
「……ん、あぁ、いや。もう一つ、個人的に卒業したいことがあってな」
「……何、それ?」
「お前との、この関係、かな?」
「?どういう……」
少女の疑問に対し、少年は真面目な顔で彼女を見る。
「茜。俺は、お前が好きだ」
突然の告白。少女の思考が一瞬止まった。
「……へ?」
「正直、いつか言おうと思ってた。けど、お前の隣はいつも俺がいたから、
今さら別にいいかとも思ってたんだ」
思考の追い付かない少女に構わず、少年は一気にまくし立てる。
「けど、これからは俺はそばにいられなくなる。
俺がいない間に、誰かがお前の隣に立つかもしれない。
そんなの俺は、嫌だから」
二人の道が隣り合っていたのは、単なる偶然かもしれない。
しかし、いやだからこそ。これからも隣に立っていたかった。
偶然ではなく、確固とした繋がりを持って。
「だから、幼馴染みの関係は卒業しようと思ってな」
そうして、新たな一歩を踏み出そう。いつまでも、同じ場所には止まれないから。
「……私もね」
少女はうつむき、ぽつりと言葉をもらす。
「私も、本当は拓哉と同じことを考えてた。
でも、怖くて。それを言ったら今までの何もかもが崩れる気がして、言えなかった」
「茜……」
「でも、それじゃダメだよね。何もかもが変わっていくのに。
終わらせたくないと思っていても、いつかは終わっちゃうんだから」
学校生活などはその最たる例だろう。
皆、名残を惜しみつつ、それでも先に進むのだ。自分たちだけ残ることなどできない。
「やっぱり拓哉はすごいね、私が怖くてできなかったこともやって見せちゃうんだから」
「じゃあ、茜……」
彼女は顔を上げた。その顔に浮かぶのは、とびきりの笑顔。
「うん、私も卒業する。私も、拓哉が大好きだから!」
その表情に、少年は思わず見惚れてしまったことは、いうまでもない。
「ね、拓哉。ちょっと思いついたんだけど」
「ん、何だ?」
隣り合ってた二人の道は、これからは分かれていくことになる。
「二人の卒業記念と、新しい門出を祝って、ちょっとやりたいことがあるの」
「やりたいこと?別にいいけど」
それでも今までよりも強い絆が、二人の間にできたから。
「うん、それじゃ目、つぶって」「こうか?」
分かれた道は、いずれ再び近づいて。
「うん、それじゃ……」
「……ん、んむっ!?」
「……ん、終わり」
「……お前なぁ」
「いいでしょ、せっかく恋人同士になったんだし」
「恥ずかしいわ、ったく……」
やがて一つに、寄りそうのだろう。