ぱらり、とページをめくる音が聞こえてくる。  
他の音といえばたまに体を動かした時の衣擦れだけで、それ以外に二人きりの部屋を乱すものはない。  
何となく、畳に座って読書する幼馴染に視線を向けてみる。  
ちょっと癖のある黒髪とやや鋭すぎる両目。鼻は低くもなく高くもなく、唇は薄め。  
読書に集中している姿はそう悪くはないと思う。尤も、読書に限らず、何かに集中している彼は私の鼓動を早くするのだけれど。  
ぱらり、と彼がページをめくる。  
今読んでいるのは第二次世界大戦の架空戦記だったか。文庫にカバーをかけているので表紙からは判明できない。  
私と彼はともに読書家であるとは自負しているが、読むジャンルは殆ど違う。私は恋愛物が殆どなのに対し、彼は面白そうなのは手当たり次第に読む。  
乱読とも言えるが、その好奇心は正直羨ましい。恋愛という枠に捕われている私からすれば、特に。  
ああ、でもミステリだけは苦手だと前にこぼしていたっけ。何でも推理という行為が絶対的に苦手だとか何とか。  
物語を読む時は没入したいのであって、客観的に物語を読んで推理するという行為が苦手らしい。  
そんな、妙に子供っぽい彼が唐突に可愛くなって、寝転びながら指先で彼の髪を弄る。  
和室の癖に床で寝ると体が痛いという彼の為に、この部屋にはベッドがある。そのお陰で寝転びながらも彼の頭にちょっかいが出せた。  
「……何だ?」  
本から顔を上げ、やや物憂げにこちらを見てくる。  
無口な彼ではあるが、私や家族に対しては何くれと口を開く事は多い。  
今の行為も、もしも友人程度の人間がやったならば、視線だけで問い返していただろう。  
それが嬉しくなって何となく笑う。  
「んー」  
答えにならない返事を返す私をどう思ったのか、彼が逆隣にある机の上から品川巻を一つ取り出して私の唇に押し当てた。  
醤油と海苔の香ばしい匂いに口を開けて受け入れ、カリコリと噛み砕く。  
 
高校二年生にして薄味が好みという彼は、菓子もこういった和菓子等を好む。  
一時は爺むさいなどと揶揄されて幾らか考えたようだったが、結局は変らずに食べていた。  
因みに好きなおかずは鶏肉のあんかけ、八宝菜、ナスと豚肉とシソの炒め物。どれも私が作るものだ。  
苦手なものは主に魚介類で、味ではなく食感が苦手。特にタラコやイクラ、ウニなどが苦手である。  
けれど客先で出された場合は礼儀としてそれをおくびにも出さずに食べる事は出来る。  
ただ、寿司自体はは好物の一つ。  
そこまで思い至ってから、ふと聞いてみる。  
「奏(かなで)ってさあ、私の好きなおかず知ってる?」  
またも本から視線を上げてこちらを見てくる。  
細く鋭い目に反して、その瞳の色は意外なほどに優しい。  
唐突な質問の真意を図りかねているのか、幾らか瞳が揺れた後に口を開いた。  
「豆腐料理、主に湯豆腐と焼豆腐。その他であればカレーやシチューなどの煮物。肉じゃがも好物に入る。苦手なものは脂っこいもの、豚カツやから揚げ等。ただし、俺が作る同じ物は含まれない」  
僅かに首を傾げて答えの是非を問うてくる。  
うん、正解。  
くしゃくしゃと頭を撫でると、くすぐったそうに目を細めた。  
「で……何の試験なんだ?」  
「別にー。奏が私の事理解してくれてて嬉しいだけ」  
撫でるのをやめてごろりと寝転ぶ。  
その頬に、彼の指の感触が伝わってくる。  
赤ちゃんをあやすように、指の腹でくすぐってくる。  
お互いに幼児をあやすような行動は、だけど二人の間ではいつもの事だった。  
 
それが、御堂奏(みどうかなで)と立花閨(たちばなけい)の在り方なのだ。  
義姉の鈴歌(すずか)さん等は、どうにも生温い目で見てきたりはするのだけど。  
そういえば、家族にでも彼はあまりこうやってじゃれあったりしない。  
これは私だけにする事と自惚れていいのだろうか。それとも――  
「ねえ、他の人にもこういう事するの?」  
声が震えなかったかどうかは分からない。手の震えは、彼の指をきつく握り締める事で誤魔化した。  
質問にか、或いは指の締め付けにか、彼が嫌そうな顔をして私の目を覗き込んで来た。  
「分かってて言っているのなら、お前には悪女の素養があると思う」  
彼の表情の意味を理解して、私は指の締め付けを緩くした。  
彼は質問でも締め付けでもなく、その事を私が理解していないという事実に嫌な顔をしたのだ。  
相手が自分を理解していないという、ともすれば傲慢な感情は、しかし私には嬉しさだけを呼び起こさせた。  
「んふふ、だって奏は実は内気だものねえ。奏のペースに付き合えるのって私ぐらいだもんねえ。ふふふ」  
笑いながら、彼の指と自分の指を絡ませて弄ぶ。  
彼は相変わらずむくれたように唇を噤んでいる。  
そんな拗ねた顔の彼に、なおも笑いながら頬をつつく。  
つぐんだ唇はそのままに、けれど嫌がりもせずにその好意を受け入れる彼。  
こういう時に思う。  
私は彼が好きなのだ、と。  
 
 
 

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