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唯奈さんの話をしようと思う。
時間が無いからちょっと駆け足かもしれないけれど。
岡田唯奈さんはすごく背が高い。
175cm位ある。女の子としては相当背が高い。
因みに僕は168Cmだから男子の平均より小さいし、
勿論唯奈さんよりもだいぶ背が低い。
唯奈さん曰くこれは遺伝で、お母さんも凄く背が高くてバレーボールの選手だったとか。
まあとにかく、唯奈さんは背が高くてすらりとしていて髪の毛が長くて、 目つきは鋭いけれど、結構正統派の美人なのだ。
唯奈さんと僕は中学校の時に知り合った。
唯奈さんが隣町から引っ越してきて僕の通っていた中学校に転入してきたのだ。
唯奈さんが転入してきたのは中学1年生の時だけれど
中学生時代、僕と唯奈さんが初めて話したのはそれよりずっと後で、
しかも中学時代はその一回だけだった。
何故か。
僕達はクラスがずっと違ったからというのもある。
中学生の男の子はクラスが違う女の子とそんなに喋らないものだからだ。
放課後も接点が無かったというのもある。
僕は文芸部で彼女は帰宅部だったからだ。
でも合同授業で近くの席に座ったり、文化祭や体育祭で何度か話す機会はあったのだ。
それでも一度も話をしなかった一番の原因は僕が唯奈さんの事を怖がっていたからだった。
唯奈さんは不良だったのだ。
いや、不良グループに属していたといった方が良いかも知れない。
唯奈さんは転校してきて以来、黒崎とか本田とかああいう本当の不良といつも一緒にいて、
しかも周りの普通の生徒達からはその女の子達の中でもリーダーなのだと噂されていた。
つまり、女の子達の中の番長だったのだ。
これは怖い。
そもそも背も高いし、喧嘩なんてしようものなら僕なんかきっとけちょんけちょんに負けるに違いない。
それに何せあの黒崎とか本田とかを手下にしているのだ。
きっと凶暴な女の子に違いない。
と、そう思っていた僕は出来るだけ唯奈さんに近づかないようにしていた。
正確に言えば合同授業で近くの席に座った時は出来るだけ唯奈さんの方を向かないようにしたし、
廊下ですれ違うような時は目を逸らして歩くようにしたのだ。
僕は友達が不良に関してアドバイスしてくれた事を守ったにすぎない。
「不良は目を合わせると絡んでくるからな。
すれ違ったりするような時は目を合わせずに歩き去ってしまえば大丈夫なんだ。」
っていうアドバイスを。
これは未だに真を突いているアドバイスだと思っている。
ちなみに親戚の警察官をやっているおじさんは僕が中学校に入る前、
「不良やチンピラなんてのは弱い奴らなんだ。 胸を張ってまっすぐ目を見つめてやれば奴らなんて大人しいもんさ。」
なんて、がははははと笑いながら友達と全く逆の事を僕にアドバイスしてくれたものだった。
おじさんっていうのは20年以上も警察官をやっていて地域住民にも慕われている人で
それに何度も悪い人を逮捕した事もある立派な警察官で僕も叔父さんの事が大好きだけれど、
身長190Cm、柔道黒帯で真四角の顔に角刈りという風貌のおじさんの言う事よりも
同じくらいの身長と体重と性格を持っている同年代の友達の言う事の方が信用でき、
しかもその内容は概ね正しいという事柄も残念ながら世の中には沢山ある。
そんな訳で僕は出来るだけ不良には近づかないようにしていたし、
その不良のリストの中には唯奈さんもいたのだ。しかもかなり上位に。
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そんな風に避けていたにも拘らずなのか、もしかしたら避けていたからなのか
僕が唯奈さんと初めて話したのは中学校2年生の最後らへん、
場所は僕の憩いの場所の図書室でだった。
高校生になってからもそうだが文芸部とはいったい何をやっている部活なのか。
と良く聞かれる。
良く聞かれるのだが僕はそう聞いてくる人の言っている意味が今一つわからない。
なんで何やっているかわからないのだ。
野球部はグラウンドで野球をやってるだろう?
サッカー部もそうだ。バスケ部は体育館でバスケットをしてるし
吹奏楽部は音楽室で合奏している。
文芸部は図書室で本を読んでいるに決まっているじゃないか。
だから文芸部にとっての図書室というのは云わば吹奏楽部でいう音楽室であり、
野球部で言うグラウンドみたいなものだ。
だからその日も僕は野球部の人間がグラウンドに立つように、
吹奏楽部の人間が音楽室に向かうように厳かな気分で図書室にいたのだ。
お気に入りのスティーブンキングの小説(その時は図書館警察という短編集を手にしていた。)を書棚から取り出し、
片手にぶら下げながらいつも放課後に自分専用にしている図書室の奥にある少し小さめの4人掛け用の机に僕は向かった。
窓際の席が僕のお気に入りで、少しがたつく椅子をギコギコ言わせながらお気に入りの本を読むのが僕のスタンスだった。
放課後の図書室というのはとにかく人がいない。
中学生なんていうものは放課後に図書室へは来ないのだ。
おまけに文芸部は万年部員不足という事もあって
僕はその日も図書室には自分しかいないと思い込んでいた。
人はその空間に自分ひとりしかいないと思い込むととても気の緩んだ行動をするものだ。
例えば自分の部屋に自分一人しかいなければ遠慮なくおならをするように。
その時僕は図書室に自分一人しかいないと思い込んでおり、
これからお気に入りのスティーブンキングをじっくりと読む予定であり、
従って気の緩んだ行動をしても良い気分になっていた。
僕は腰をくねらせながらお気に入りのガンズアンドローゼスを歌い、
---ジャングルへようこそ、ここはお楽しみとゲームで溢れてるんだぜ!
いつもの机のいつもの椅子を引き、どっかりと腰を下ろして1ページ目を捲ろうとして--
机の対面側でフクロウのように目を丸くしてこちらを見ている唯奈さんに気がついた。
まさにばったりであったという表現が似合う位の出会いだった。
唯奈さんは椅子に座り本から顔を上げて僕の方を向いており、
僕は唯奈さんの対面に思いっきり座り、
しかも二人とも顔を上げているからお互いの視線ががっきりと噛み合っていた。
さっと視線を逸らせばよかったのかもしれないが、
僕は混乱していたのとあまりに唯奈さんが近くにいたものだから完全に固まってしまい
暫く僕と唯奈さんは互いに見つめあうような格好になった。
最早何か喋らないと大変な事になる位の沈黙の時間が過ぎた後、
僕はようやく覚悟を決めて口を開いた。
「こんにちは。」
僕の言葉を聞いた後、唯奈さんは僕の目を見つめながら慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「こ、こんにちは。」
あああああああああ
思い出す度に顔が赤くなる。
僕はその時、ガンズアンドローゼスをそこそこでかい声でご機嫌に歌っており、
その上歌を歌いながら椅子に座り、恐らく普段絶対に他人には見せないくらい幸せそうな顔をして
舌なめずりをするようにページを捲った瞬間を他人に見られたのだ。
もし図書室が1階ではなく、3階にあったなら僕は何も考えず力いっぱい走って窓ガラスに飛び込んだに違いない。
もしくは前に座っていたのが全然見た事無い人だったら僕は一目散に走って逃げただろう。
そしてその後一生、図書室には一切近寄らなかったに違いない。
しかし残念ながら図書室は1階にあり、目の前にいたのは話した事こそないものの
学年でこの人ありと言われている唯奈さんだった。
退路は絶たれていた。
唯奈さんは僕の手元に目をやり、そして顔を歪めた。
僕は覚悟を決めた。
「キモいんだよお前」
その位は言われると。
そして次の日から廊下を歩くたびに顔を歪められ、もしくはくすくすと笑われるのだ。
あいつ、図書室で歌歌ってたらしいぜ。友達いないからな、あいつ。
きもーい。
しかし実際は違った。
唯奈さんは僕の手元を指差して、こう言ったのだ。
「き、岸本君はす、スティーブンキング、読んでるんだ。怖くない?」
わ、私、キングって凄く怖いって聞いたから、読んだ事ないんだ。と。
想像していたよりも高い、うん、言ってしまっても構わないだろう。
綺麗な声だと僕は思った。
緊張しているかのように声は震えていて、
しかもそれはこの日だけでなく、随分、本当に随分後まで彼女はずっと僕に対してそうだった。
きもいでもうざいでも殴られるでもなく、
ごく普通に話題を振られるとは思わなかったので僕は慌てた。
「岡田さんは何読んでるの?」
慌ててそう聞くとその時唯奈さんはばっと慌てたように手に持っていた本を背中の方に隠した。
唯奈さんは制服のブラウスの第2ボタンまで空けて(ちょっと不良っぽくだ)
リボンを結んでいない上にそうやって急に両手を背中に回したものだから
いきなり胸を突きしたように見えた上に、
勢いあまってぴょんと跳ねた瞬間に白い下着が第2ボタンの上からちらりと覗けてしまった。
唯奈さんはスレンダーな体系だからあんまり胸は大きくなさそうだけど、
僕は見ちゃいけないような気がして(半分くらい殴られるような気もしていた)
そっと見ないふりをして目線を逸らした。
「な、な、なんでもないの。授業で夏目漱石のがあったから図書室にあるかなって思って、
でも探してる途中にこ、この本見つけちゃって読み出したら止まらなくなっちゃったから。」
「そ、そうなんだ。」
言い訳をしているようにまくし立てている唯奈さんを見ながらそう言うと、
唯奈さんはあっと言いながらガタリと椅子を揺らせて立ち上がった。
「あ、あ、あの、あの岸本君は私の事し、し、知ってたの?」
上から見下ろすようにして聞いてくる。
「知ってた?」
彼女が何を言っているか判らずに聞き返すと唯奈さんは顔を真っ赤にしながらこっちをじっと睨んだ。
「い、今岸本君、岡田さんって言った。」
不満そうにそう言ってくる。
「ああ」
なんだ、名前を知ってたって事か。そりゃ知ってるに決まっている。
君は女番長で有名じゃないか。と口にはださないものの頷く。
「し、知ってたんだ。」
「うん。」
と頷く。
その瞬間、唯奈さんはそうなんだ。と言って、にへら。と笑った。
その一瞬、鋭い目つきがにい、と下がってなんていうか、とても魅力的な笑顔になった。
今なら唯奈さんが喜んだのが判るし、唯奈さんはあまり笑わないけれど笑顔が魅力的だし、
この当時もそういう所は全く同じだったのだろうと思う。
けれど残念ながらその時の僕は正直怖い、と思った。
よくわからないけどこの話を続けていくとカツアゲとかされそう。と思った。
「す、スティーブンキングは怖くないのもあるよ。」
慌てて話題を変えた僕に唯奈さんは暫く考えてから言った。
「そうなの?」
「うん。勿論怖いのはすっごく怖いけど。ペットセメタリーなんか途中で挫折しちゃったしね。
でもスタンドバイミーとか、結構感動するよ。」
「スタンドバイミーって映画の?スティーブンキングなの?」
びっくりした。という感じに聞き返してきた唯奈さんに僕は頷いた。
「読んでみる?」
そう言うと僕は小説の棚に行って、そこからスタンドバイミーを探し出して手に取った。
机に戻って手渡すと、唯奈さんは素直に受け取ってきた。
「よ、読んでみたいな。」
そう言ってぱらぱらと捲りながら僕の方を見てくる唯奈さんを見て僕は思わず言っていた。
「貸してあげるよ。」
「か、か、貸すって・・・」
「ああ、僕図書委員じゃないけど、やり方知ってるから。」
本当はばれると怒られる。という事は黙って僕がカウンターの前まで歩いていくと、
唯奈さんはとてとてと僕の後ろを着いてきた。
不良の唯奈さんが素直に本を持って僕の後ろをついてくる。
どことなく変な感じがして、その時初めて僕は唯奈さんって不良じゃないんじゃないかって、そう僕は思った。
「や、やっぱりこ、これも借りていい?」
カウンターにつくと、唯奈さんは背中に隠していた本を渡してきた。
それは山田太一の【君を見上げて】で、
僕はいいよ。と言いながら2冊の本から裏面のカードを取り出した。
そして僕は唯奈さんの見ている前でそのカードに「岡田唯奈」、と唯奈さんの名前を書いて
図書室の判子をカードにぽんと押してから唯奈さんに2冊の本を渡した。
唯奈さんは暫く手渡された本をじっと見つめた後、
「あ、ありがとう」と言って慌てたように図書室を出て行ったのだ。
うん。
これが僕が唯奈さんと中学生の時に話をした全てだ。
その次に唯奈さんと話したのは随分間が開いて高校1年生の最後くらいになった時だ。
つまり、2年程間が空いた事になる。
何故か。
唯奈さんが僕と同じ高校に来ている事は知っていたけれど、
クラスが一緒にならなかったという事もある。
高校生の男の子はクラスが違う女の子とそんなに喋らないものだ。
放課後も接点が無かったというのもある。
僕は文芸部で彼女は帰宅部だったからだ。
彼女が不良でない事はあの図書館で話をした時に僕にはもう、判っていた。
まあ、その時の話はまた今度、という事にしよう。
了