「お兄ちゃーん。ねえ、お兄ちゃんってば!」  
―気温が低く肌寒い夜だというのに、静かにしなければいけない時間帯なのに、それを無視してドタバタとうるさくする人間がここにいた。  
俺がリビングでもしゃもしゃと芋ようかんを貪って至福の時に浸っていると、俺の妹が騒々しく部屋にはいってきた。  
俺は、今日起こった切ない出来事によって発生した心の穴を栗色のお菓子で埋めている最中だというのに、邪魔をしようとしているのだろうか。  
さて、なぜ俺の心にクレーターが発生したかをお教えしよう。嫌だといっても記憶に刻んでもらうことにする。  
今現在の日付は、2008年2月14日午後9時32分51秒。  
こんな秒単位まで数えて、俺は何をしているんだろうね。  
2月14日―俗に世間ではバレンタインデー、なんて形容されている日―に義理チョコの一つさえもらえなかった、俺という高校一年男子は絶望の境地にまで追い込まれてしまい、  
その結果、自宅にあった芋ようかんを食べることによって空いてしまった心の穴を埋め立てているのである。  
いや、そんな人生終了と思うほど絶望感は味わっていなかったぞ。  
もらえないのは毎年のことだから、別に気にしてなんかいないぞ。本当のことだからな。  
さて、俺がこんな説明を誰にしているのか、という疑問が頭をかすめ始めたときに、  
「お兄ちゃん!またわたしの芋ようかん食べたでしょう!」  
と、俺の妹が叫んで意識を現実世界へと戻してくれた。  
えっと……芋ようかんってこれのこと?  
俺はたまたま冷蔵庫に入っていた芋ようかんを食べているのだが……もしかして、これはお前のものだったのか?  
「そうだよ!私のだよ!勝手に食べてひどいよ!」  
 などと妹に言われてしまい、少しばかり失態を起こした気分になった俺は  
「悪かった。代わりの芋ようかん買ってくるよ。どこの店のだ?」  
と、謝罪兼ご機嫌取りの発言をした。  
すると、何が嬉しかったのかニンマリとこいつは笑った。いったいどうしたんだろうね?  
俺がその理由を聞くと、待ってましたと言わんばかりに輝いた瞳で俺に訳を話し始めた。  
「あのね……」  
 
話を聞いてまとめたところ、次のようであることが判明した。  
1、 その芋ようかんは自分で作ったということ  
2、 何回も試行錯誤を繰り返したのちに、成功した力作だということ  
3、 俺が店で売っているものだと勘違いしたことが嬉しかったということ  
4、 実はそれは俺の為に作られた、義理チョコならぬ義理芋ようかんだったということ   
他にもいろいろとわかったことはあるがここでは割愛させていただくことにする。  
まず、1,2,3についてだが、自分が本気で努力したものが認められれば、誰だって喜びたくなる。それは俺にだってわかるさ。  
たまりにたまった夏休みの宿題を最後の一日で片付け、それが無事に提出された瞬間、というかそんな感じだ。  
……例え方を間違えた気もするが気にしてはいけない。  
それはおいといて、問題は4である。本来渡そうとした義理チョコ(ここでは芋ようかんなのだが)を自分が渡す前に食べられたのだから、怒ってもいいと思う。  
いや、俺は怒られるべきだと思う。 だが、それよりも気になるのは……なぜ、芋ようかんなんだ?  
わかるかたがいたら今すぐご教示願いたい。  
俺の妹は童顔で、肩までかかる程度の髪の長さである。そりゃ少し、年齢と比べたら顔立ちは幼すぎるかもしれないが、よく見ればそれなりにかわいく、彼氏の一人や二人いてもおかしくはない。  
いや、二人はまずいな。とにかく、かっこいい男と登下校を共にしてもおかしくはないのだが、そのような姿を見かけたことはない。  
妹に恋愛事情で先を越されるのはすこし癪であるが、それくらい美しいということである。  
つまり、バレンタインに芋ようかんを送るほど、頭のネジはとんでいない、と言いたいのだ。  
だが、こいつの笑顔を見ていたら、そんな考えはどこか地平線の彼方にとんでいってしまい、俺が先ほど感じていたダウナーな気分も霧のように消え去っていた。  
ほんと、感謝しなければな。そう思い俺は  
「ありがとな」  
そう言って妹の髪をなでてやった。  
 
 
 
 
……ない。私のようかんがない。お兄ちゃんにあげる為に何日もかけて作った最高傑作の芋ようかんが、冷蔵庫内に存在しないの。  
バレンタインに義理チョコの一つももらえない―本当は、お兄ちゃんは義理チョコだけでなく、本命チョコまで貰えるはずの人気な男性なんだけど、  
私がそれを跡形もなく消し、他の女を妨害するので (これは結構苦労するんだけど)―のでお兄ちゃんにチョコをあげるのは私だけ。  
毎年カカオがふんだんに使われた菓子を贈るのは芸がないと私は思い、今年は雑誌に特集されていた  
『個性的!特別な想いを彼へと届けよう!芋ようかんの甘さに全てを託そう!流行間違いなし!』  
というキャッチフレーズにのせられて、今回は栗色の和菓子を作ってみた。  
流行するのに特別な想いなのか、甘ければなんだってよさそうな言い草ではないか、  
個性的なのにみんなが真似をしたら凡庸になるではないか、とか突っ込めてしまうけれど、ここは他に考えが思いつかなかったので騙されることにしたの。  
ほ、本当に騙されてあげただけなんだからね! べ、別にこの紙切れには『芋ようかんならどんな人でも一撃で貴女にメロメロ!』なんて書かれてないんだからね!  
わ、わ私はただ……これをやってくれる人がいないと出版者の人も困るかなって思っただけ。せっかく本にしたのに実行してくれる人がいないと悲しいもの。そう、それだけよ。  
これだと、私が誰かに釈明をしているみたいじゃない……なんなのかしら、一体。  
まあ、いいわ。何がいいのか知らないけど。  
とりあえず、芋ようかんを食べちゃったのはお兄ちゃんで決定ね、文句はないわ。  
仮にお兄ちゃんが犯人ではなかったとしても、前科もちなんだから疑われて当然よ。私は悪いことなんかしてないわ。  
そうと決まったら、早速お兄ちゃんを問い詰めにいかなきゃ。  
鉄は熱い内に打てってお兄ちゃんも言ってたし……。たしか、さっきリビングにいたからまだあそこにいるはず。よし、いかなきゃ!  
 
 
いた。思ったとおりお兄ちゃんは家庭における憩いの場にいた。こちらに背を向けて椅子に座っており、少し丸まっている感じがする。  
後ろからなので、確実とは言えないけれど、口がモグモグと動いているようにみえる。やっぱり、お兄ちゃんだったのね!  
「お兄ちゃーん。ねえ、お兄ちゃんってば!」  
お兄ちゃんに呼びかけ、念のために何を食べているのかをさり気なく確認してみる。確認した。  
これは、私が作った芋ようかんに間違いない。犯人が割れた以上、行動を起こさないのは時間の無駄である。なので、私は  
「お兄ちゃん!またわたしの芋ようかん食べたでしょう!」  
と、少しばかり怒ったような声色でお兄ちゃんに言葉を投げかける。  
もちろん、最初からお兄ちゃんに食べてもらうつもりだったから、腸が煮え繰り返るほどに怒っているわけではないんだけれど、それでも気分がいいものではないのは確かだよ。  
あ、またっていうのは、お兄ちゃんが過去に一度、私が作った芋ようかん試作品『芋チョコ』(題名私)を勝手に食べたってこと。  
しかも、お兄ちゃんは私が作ったってことに気付かなかったの。だから、お兄ちゃんは前科もちなの。  
 そうしたら……  
「えっと……芋ようかんってこれのこと?  
俺はたまたま冷蔵庫に入っていた芋ようかんを食べているのだが……もしかして、これはお前のものだったのか?」  
とお兄ちゃん。……ねえ、いくら私でも怒っていいよね? 普通気付くもんじゃないの? ま、まあそういうところも………きなんだけど。  
けど、私が不機嫌になるのも仕方ないよね? だから、つい刺々しい口調で話してしまった。  
「そうだよ!私のだよ!勝手に食べてひどいよ!」  
自分でも喋り終わったあと少しすねた、わがままな感じがでていたのに気がついた。……いやだ、お兄ちゃんに嫌われたくないよ。  
だけど、お兄ちゃんは申し訳なさそうに  
「悪かった。代わりの芋ようかん買ってくるよ。どこの店のだ?」  
なんて言ってくれた。よかった、嫌われてなかったんだ。でも、お兄ちゃん、それは私が作ってきたものだよ。  
そういうと、お兄ちゃんはとてもびっくりしていた。  
ついでだから、それがバレンタイン用のお菓子だってことも暴露しちゃった。もちろん、あの雑誌のことは教えなかったけど。  
 
 
 
私のお兄ちゃんは、身長は180cmくらいで、スポーツは万能。だけど、ちょっぴりお勉強が苦手で、でもすっごく優しい自慢のお兄ちゃんなの。  
誰にでも優しいから、勘違いした害虫が寄ってくるけど、今まできちんと駆除をしてきたの。けど、いい加減にそんないたちごっこにも嫌気がさしてきたの。  
だから、少し距離があるけど、毎日登下校を一緒にしよう。  
そういった取決めを心の中でしていたら、突然お兄ちゃんが  
「ありがとな」  
そう言って私の髪をなでてきた。  
 どういたしまして、お兄ちゃん――  
 
 

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