薄暗い廊下を私は音も立てずに走る。ポーチに入っているディスク、一刻も早くこのディスクを持ち帰り本部で解析しなければならない。  
幸いにもこれまで敵には一度も会っていない、管制室を制圧したおかげで警備側の連帯が途切れているのだ。1階に降り立つ、後は裏口から警備の隙を突いて逃げ出すだけだ。  
私は裏口に続く広く長い廊下をひた走った、特殊ブーツのおかげで足音は立たない。眼前に十字路が迫る、―とその時―。  
(殺気!)  
そう感じた時には遅かった、十字路の影から飛び出してきた男の体当たりを受け、私は勢い良く吹っ飛ばされたのだ。  
私は驚愕した。なぜなら、彼の気配を全く感じることが出来なかったからである。先ほどは意識を解析に集中させていたからこそ不覚をとってしまったが、今は走りながらも周囲への警戒は怠っていなかった。  
スパイになってから十分に警戒している私に全く気配を感じさせなかった相手はこの男が始めてなのだ。  
私は背筋に冷たいものが走るのを押さえることが出来なかった、私が対峙している相手は間違いなく今まで会ってきた中で最強の敵だ、それも桁外れの―。  
(逃げるか―?)  
一瞬そんな考えが脳裏をよぎる、しかし、それはすぐに否定する。もし逃げても応援を呼ばれれば脱出は非常に困難になる、しかも、背後から狙い撃ちされればいくら広いとはいえ逃げ場の無い廊下ではひとたまりもないだろう。  
戦うこと―それが唯一残された選択肢だった…。  
 
改めて男を見る。大きい、170pと女性としては大柄の私よりさらに頭2つ分以上はある、2mは軽く超えているはずだった。  
迷彩服のズボンとブーツ、上半身は軍用のベストを羽織っているだけで後は何も着ていない。腕にはやけに大きな手甲がはめられており、強烈な威圧感がある。  
鍛えられた身体は伝説のヘラクレスを連想させ、それだけでも十分威圧的だったが、真に畏怖すべきものは彼の顔だった。  
太い首の上にのった顔は人間というより獣―それも人食い狼や人食い虎を連想させるひたすら凶悪で獣じみた表情をしていた。凶悪な眼差しを向け、半開きにした口からは涎すら流れている狂犬を思わせる顔はしかし、私を見て確かに笑っていた。  
「グシュシュ〜、…小娘、お前があのダークネス・クィーンか?」  
私は内心飛び上がりそうなほど驚いた。―この男は私の事を知っている!―  
「さあ、知らないわねそんな人」  
内心の驚きを隠し、私は努めて平静に答えた。と次の瞬間。  
「ガアアーー!!」  
いきなり男が私に向かって突進してきたのだ。  
「馬鹿!」  
言いつつ私は2丁拳銃を取り出し発砲する。しかし男はなんと鋼鉄製とおぼしき手甲で弾丸をはじき返したのだ!次の瞬間男の掌底が襲い掛かる、それを何とかかわし、私はバク転で距離をとる。  
「グルル〜」  
獣じみた声で男が唸る、彼は私の銃撃を全く恐れていなかった、ハンドガンの限界を知っているのだ。  
(こうなれば接近戦しかない)  
私は意を決して目の前の魔獣に立ち向かっていった―。  
 
「ハァッ!」  
私は目の前の巨漢に強烈な蹴りの連打を浴びせる。格闘戦なら十分に勝機はあるはずであった、かつて私は2mを超える巨漢―もちろん戦闘のプロである―を倒したこともある、組織でも格闘で私に対抗できる人はいなかった。  
―所が―この男はその巨体に似合わず私の繰り出す蹴りをことごとく手甲で防いでいたのだ、なんという運動神経!私の蹴りに対応出来る人など今まで会ったことがなかった。  
だが、ここで負けるわけには行かない。遂に私は渾身の一撃を彼の側頭部に決めることに成功した。  
私は勝利を確信した、かつて戦った2mを超える巨漢もこの一撃で昏倒したのだ。―だが私は知らなかったのだ、今戦っている相手が全てにおいて規格外の存在であることに―。  
 
「グフフ〜、小娘、それがお前の全力か?」  
なんと男は私の渾身の一撃を喰らって薄笑いを浮かべていたのだ。次の瞬間、私の足がその巨大な手で掴まれてしまう。  
「くぅっ!しまった!」  
反撃する間もあらばこそ、男は私を思いっきり振り回す。  
「うわぁーーー!!」  
なすすべもなく私は振り回される。鍛え抜かれた私の身体は65kg近くある、それを木切れのように軽々と振り回す男の腕力は底知れないものがあった。  
ズダン!放り投げられた私は壁に勢い良く叩き付けられる。  
「ぐはっ!」  
一瞬、呼吸が止まった。壁に叩きつけられた私は力なくその場に崩れ落ちる。もう立ち上がる力は無い、男が私を見下ろす。  
「グシュシュ〜、お前、やはりダークネス・クィーンだな?」  
「何度も言わせないでね…、そんな人…、知らないわ…」  
息も絶え絶えになりながら、私はなお自分の正体を否定する。  
「グルルル…、まあいい、これよりお前は我らの玩具だ、せいぜい遊んでやる」  
男はそう言うと、無線で仲間を呼び集めた。程なく、私は武装した男達に囲まれてしまう。  
彼らは抵抗できない私を高手小手に縛める。なんとか男達の手から逃れようと身体をくねらせるが、後ろ手に縛られ捕らわれの身となってしまった私が彼らの手から逃れる事は不可能だった。  
私はこれから男達の手によって連行される。全ての所持品は彼らに没収されてしまった、武器も無く、彼らに抵抗すら出来なくなった私。  
だが、私は戦う。如何なる地獄に連れて行かれようとも、私は決してあきらめない。男達は目隠しをされた私を乱暴に連行する、私の戦いはこれから始まるのだ―。  
 
 

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