相変わらず、ぼくはアスミに叱られたり、笑われたり、惑わされている日々を過ごす。
何度かぼくらは、デートっぽいこともした。一緒にソフトクリームなんかも食べたりした。
しかし、ぼくは飼いイヌのように、アスミから引きずられっぱなし。
負けん気が強くて、オトナっぽいアスミは憎らしくもあり、愛らしくもある。
教室でもアスミと話している時間が、以前より長くなってきた。それもこれも、これまでのデートのお陰。
アスミとの関係もただの幼馴染みから、ちょっと歩み寄った感じだな。
ぼくは、初めてヒトを好きになったんだろうか。
そんなワクワクスクールライフをぶち壊そうと虎視眈々と狙っている、
不埒な人物がぼくに近づいてきた。その人物とは。
そう。石見先生。
ぼくとアスミが一緒にいるのを見て、明らかに不機嫌そうな顔をする石見先生。
ヒマさえあれば放課後、アスミとぼくとを近づけない為に、
そしてぼくと二人っきりになりたい為に、ぼくに面倒くさい仕事を押し付けるのだ。
一応、あのヒトもオトナなのでわめいたりはしないが、あまりにもあからさま過ぎる。
ぼくが夜空を飛んだ日以来、石見先生はなんだかおかしい。
「はいはい。今日も元気に授業を始めますよー」
昼間の石見先生の顔をして、教室に入ってきた。この姿だけ見ているクラスメイトたちは、
きっと優しいお姉さん先生にしか見えないんだろうな。
でも、石見先生のキスの味を知っているぼくは、騙されないぞ。うん。
昼間の石見はちょっと違う、夜中の石見はもっと違う。
「はーい。今日はみんなの大好きな、抜き打ちテストをします」
うっ…。これでヘンな点でも取ったら、また呼び出しとか…って思うと気が気でない。
「石見ちゃーん!聞いてないよー」
「うはー、こんなことだったらズル休みするんだったよ!」
パニくるクラスメイトたち。サル山のサルのようにぎゃあぎゃあうるさい。
ぼくも同じく落ち着かないが、ここは、少し気合を入れてテストに臨む事にしよう。
「それでは、プリントが届いた人から、よーいはじめーっ!」
兎に角、習った事ばかりなので全部解けるはず、と自分に言い聞かせながらペンを滑らす。
イヌの血も持つぼくは、意外と記憶力には自信がある。自慢じゃないぞ。
コツコツと石見先生が教室を見回る足音に、ペンが紙を滑る音が入り混じる。
問題に集中していると、横から花の香りがしてきた。右ミミのあたりが仄かに体温を感じる。
横目で暖かい方を確認すると、見回っていた石見先生が、上からぼくの答案を覗いるのが見えた。
「(がんばって!)」
小声でぼくにだけ声援を勝手に送る石見先生。
「(問1の答えは『A』だよ)」
どう見ても、答えは『B』なのになあ。テンポ狂うな。
頭の中がゴシャゴシャしてパニくっていると、石見先生は去っていった。
と、石見先生の小脇に抱えている出席簿の間から、ぼくの机の上に薄っぺらいものがポトリと落ちる。
それは…
『放課後、保健室でね 石見』
と、ペンで石見先生の筆跡で書かれている『ゴム』の袋。
ご丁寧に句点の代わりに、イヌの足跡が書かれている。
(バカー!!)
顔が真っ赤になったぼくは、急いで『ゴム』を机の中に隠す。
ただでさえ、石見先生の顔を見ると、あの夜の事を思い出して集中できない上に、
こんな余計な事をされると、ぼくの椅子は針の筵になってしまうじゃないか。ヘンな汗が止まらない。
もうダメ。答えが全く分からない。ちくしょう。
いっその事、隣の席の板橋さんの答えをカンニングしてやろうか。
カチカチ動く漆黒の時計の針は、焦るぼくを冷酷無情に斬り付けていく。
「はーい。おっしまーい!後ろから集めてくださいね」
あーあ。ぼくの半分だけ真っ白の小テストは、取り上げられてしまった。
昼休み、ぼく一人で惰眠を貪っていた。
うつらうつらと舟をこいでいると、石見先生が珍しく先生らしいお小言を言っているのが
廊下から聞こえてきた。どうやら、アスミが叱られているらしい。ふーん。
「神岡さん。学校に関係のないものを、持ってこないでください!」
「石見ちゃん!ひどい!授業中に使っただけじゃない!」
「そ・れ・が・だめなんです!」
アスミが石見先生から、ケータイを没収されている。
石見先生だって、学校に関係ないもの持ってきてるくせに。ぼくは、机に突っ伏しながら毒づく。
アスミのケータイはさておき、ぼくは放課後に先生から保健室に来るように命令されていた。
いくらぼくがイヌだからって、石見先生がご主人様になろうって野望は、いささか無謀すぎるぞ。
行くと、絶対…わかってるんだ。でも…でも…、行かなかったら、後が怖いし。
一人で悶々としていても、スッキリしない。石見先生の声まで脳内再生されてきた。
周りのみんなは、楽しそうにはしゃいでいる。ぼくの悩みなんか解らないくせに。
プリプリしながら教室に戻ってきたアスミに声をかける。
「アスミ!」「ハル!」
ほぼ同時にアスミもぼくに声をかけてきた。
「ハル、なによ」
とりあえず先に、ぼくはアスミに悩みを打ち明ける。解決しなくても、話を聞いてもらえるだけマシ。
もちろん、『ゴム』の事は話していない。いくらなんでも、うら若き乙女にそんな事言えるもんか。
しかしお腹が痛くなるくらい、ぼくが悩んでいる悩みをアスミはあっさりと答える。
「トンズラしちゃえよ」
「…でも…」
「でも?」
「先生が…」
「ハルったら、ホント優柔不断!」
「……うん」
また、アスミに叱られた。本当に、アスミはぼくのことが好きなんだろうか。
「アスミこそ、何か話があるんじゃないの?」
「うん…放課後、ひま?」
「うん」
「じゃあ、話に付き合ってよ。放課後ねっ」
「何の用だよお」
「うるさいっ!黙って残ればいいの!」
なんだろう。昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「それでは、みなさんさよーなら」
石見先生は、能天気な声で帰りのホームルームを締める。
一緒に帰ろうとアスミの側に行くと、顔をしかめているアスミが、口を鯉の様にパクパクしていた。
(早くここから消えろよ。ノロマ)
「う、うん」
多分、こんな事を言ってるんだろう。
ぼくは、石見先生に見つからないように、教室の後ろから失敬する。
「神岡さん。ちょっといらっしゃい」
石見先生の声だけで、ドキっとするのは末期症状だろうか。アスミが石見先生に呼び出しされている。
「ふぁーい。わかりましたぁ!」
アスミの不満たらたらの声が、ぼくの後ろから聞こえてくる。
きっと、お昼に没収されたケータイを石見先生から返してもらったんだろうな。
とにかくぼくは玄関に向かう。
学校からの脱出に成功したぼく。このまま、ひょこひょこ保健室に行っていたら
石見先生のぬいぐるみにされていたんだろう。全くもって、アスミ様様だな。
その日の夕方、どうしても石見先生のことが気になり、こっそり学校へ行ってみる。
ホント、ぼくは人がいい。いや、イヌがいい。ぼくが呆れるくらいだから、これは本物だ。
アスミだったら、きっと野良犬を10匹ぐらい、保健室にけしかけて来るんだろう。
『きゃはは!石見ちゃん、ざまあみろ!』ってね。
夕暮れに浮かぶ学校に入り、保健室のある棟へ向かう。保健室の窓だけが明々と灯火が付いている。
中にいる石見先生に気付かれないように、こっそりと外から保健室に近づく。
こっそりと保健室の窓に近づくと、石見先生がポツンと居るのが見えた。
ベッドは、石見先生が持ってきたイヌのぬいぐるみでいっぱいに埋め尽くされている。
そのベッドに腰掛けた石見先生、わんこの中でしっかりと子犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きながら泣いていた。
「ハルくん…わたしのハルくん…。どうして来てくれないの。わたし、悲しいよお」
イヌのミミは素晴らしい。ガラス一枚隔てていても、そんな嗚咽が窓を伝わって
ぼくのイヌミミに聞こえてくる。
「石見さん!なにやってるんですか!」
中年女性の声が聞こえる。保健の先生の声だ。
あはは、石見先生が叱られている。実に面白いワンシーン。イヌだけに。
しかし運悪ければ、ぼくと石見先生がワンワンしている所に、保健の先生が入ってくる可能性があったのだ。
そんな悲劇を考えるとゾッとする。剣呑剣呑。
先生の泣き顔が見ることが出来て、少し浮かれモードのぼく。
学校からの帰り道、ちょっといい事を思いついた。
たいしたことではないが、それは『アスミをデートに誘う事』だ。
この間は、アスミの方から誘われた。じゃあ、ぼくから誘ってもええじゃないか、と。
早速メールを送ろうかな。
宛先:神岡アスミ
題名:こんばんはー
本文:今度の日曜日、遊びに行こうよ。午前11時にパチ公前でどう?
こんなに短い文章なのに、打つのに間違えたりして結構手間取った。
では、送信…いや、ちょっと待て。大丈夫かな…、こんな文で。
今度こそ…いや、待てよ…。『遊びに』は『デート』がいいかな。いやいや、『遊びに』がいいな。
送信ボタンを押すのに、こんなに時間がかかるヤツは、ぼくだけだろうな。
うん。清水の舞台から飛び降りるつもりで、送信ボタンを押す。
あー!押しちゃった。まだ、自分の中で『ちょっと待て』と自分の声がこだまする。
ディスプレイの中でハトが手紙を咥えて飛んでいる。待ってくれえ!
そのハトを捕まえられるのなら、弓矢で射ころしたいよ。
今頃、アスミは何してるんだろうな。お風呂かな、ご飯かな、それとも…。
兎に角、返事が来るのが少し怖い。お日様も、そろそろ沈みかけてくる。
OKだったら、どこに行こうかな。水族館に行こうかな。
結構、楽しめるんだよな、あそこは。
『ほら、アスミ。水槽のガラスにペッタンコて顔を近づけてみて!』
『すごーい。海の中に居るみたい!あっ、横から魚が!』
だなんて会話をするんだ。へへへ。
と、妄想をしていると、ぼくのケータイがメールの着信を騒ぎ立てる。送り主はアスミ。
すごい!尻尾がちぎれそうなくらいブンブン動く。早速、内容を見てみよう。
いや…少し深呼吸するか。
送信主:神岡アスミ
題名:Reこんばんはー
本文:うん。OKだよ。わたし、楽しみにして待ってるね。
何度も、ケータイのディスプレイを見直す。うん、間違いない。
やったあ。ぼくは勝ち組。初めて、女の子をデートに誘ってしまったぞ。
今度の日曜日が楽しみだ。遠くでカラスがカアカアとぼくを祝福している。
その日の夜は、興奮してなかなか寝付けなかった。
日曜日は、2日後。体は持つだろうか?居間の時計が午前1時の鐘を鳴らす。
しかしそれ以前にぼくの頭は、アスミで一杯。すこしぼくのわんこが固くなっている。
それから、30分後。ぼくは、うとうととようやく眠りに付き始めた。
夢と言う妄想の中では、ぼくはアスミを思い通りにできる。真夜中の王様だ。
「アスミ…。かわいいよ…アスミ」
ぼくの妄想なのが残念だが、ぼくの部屋に今はアスミと二人っきり。
恥じらいながら俯いたり、指を咥える仕草は、いつも以上に乙女らしい。
だめだ!ガマンできない!ぼくは、少女にぎゅううっと抱きつく。少女は、ぼくを受け入れてくれる。
妄想の中のアスミは大人しい。いつもの様なやんちゃっぷりは微塵も見えない。
それに対して活発そうなツインテールが、いつものアスミを思い起こさせている。
夏を感じさせる白いシャツの制服に身を包んだアスミ。シャツ越しに、小さな胸があたる。
「ハル、ずっと一緒に…ね」
「う、うん」
ぼくは、アスミの唇にぼくのケモノっぽい口を近づける。
むにゅうっと舌をアスミの小さな口に滑り込ませ、甘酸っぱいアスミを味わう。
ざらつくぼくの舌は、アスミには気持ちいいんだろうか。そんな心配をよそに、
ぼくのわんこは向こう見ずな行動を取ろうとしていた。
そのままベッドにアスミを押し倒したぼくは、優しくアスミのシャツのボタンを外す。
やはり、下着は白いのかな…と、思いつつぎこちない手つきでボタンを外すと、ぼくの期待は裏切られなかった。
白地にわんこの足跡の刺繍が付いたかわいい下着。アスミは白い下着と対照的に顔がほんのり紅い。
「えっと…えっとお」
「ハル。わたし、だんだん熱くなっちゃった」
「う、うん。えっと」
「どうしたの?」
ぼくは、ブラジャーの外し方が分からない。アスミの胸と一緒にブラを上へ持ち上げたり、ひっぱったりしていると
アスミの甘い声が激しくなった。こんな声を聞いてしまったら、ぼくは焦ってしまうよ。
しびれを切らしたアスミ、あるのかないのか分からないアスミの胸の谷間に両手を当て
「ほら、前で止めてるのよ」
と、自分で前のホックを外してしまった。ぼくの泣きそうな瞳に、アスミの小さな胸が映る。
「あ…ごめん」
「もう、ハルったら。わたしがしてあげる!」
ぼくを抱いたまま、アスミはごろりと上下逆転。今度は、ぼくがアスミから攻められるのかな。
「別にハルの為に、脱がしてあげてるんじゃないんだからねっ!」
遠慮なく、アスミはぼくのベルトを緩め、ぼくの下半身をパンツだけにする。
気が付くと、アスミは短いスカートを巻くり上げ、ぼくの上にまたがって立っていた。
片足を上げうんうんと一本指でアスミは、パンツをずらしながら片方づつ脱いでゆく。
すこしえっちなフラミンゴに見下ろされながら、涙目のぼくは黙ってその光景を見つめていた。
ぎこちない動きにあわせて、アスミの元気そうなツインテールが無邪気に揺れる。
「なかなかパンツを脱がしてくれないから、わたしが脱いであげたんだよ。ハルのせいだからね!」
右手に白いパンツを持ったアスミ。バスガイドさんの旗ようにパタパタと翻させながら、
ぼくの顔の上にアスミのパンツを落っことした。かなりマヌケな姿のぼく。目の前がパンツしか見えない。
アスミの香りって、こんな香りだったんだ。と、お花畑に居る気分でいると、アスミがぼくのイヌミミを咥えはじめた。
アスミの髪がパンツの隙間から覗いたぼくの鼻にかかり、柔らかいシャンプーの香りがぼくを玩ぶ。
ほとんど目隠し状態のぼく。抵抗したら、もっとひどい目に遭いそうだな。
「ふーん。ニンゲンの耳たぶと違うんだね。ふむふむ」
「くううん。くぅん!」
「ホント、ハルっていじめ甲斐があるよね」
やめて!もう、ニンゲンに縛られたくないよ!しかし、非情にもアスミはぼくを支配する。
この子はアスミ女王だ。そしてぼくは、白いミルクを献上する名もなき民。女王は民を縛る為に、首輪をつけた。
「ほーら、わんわんわん!」
机の上にあった、石見先生の首輪をぼくに付けようとしているアスミ。かすかに石見先生の匂いがした。
「きゃはは!やっぱりわんこはこうでなくっちゃ!」
女王の高笑いが響く中、彼女の右足はぼくに献身を求める。
紺の靴下を履いた女王の足でツンツンとぼくの顎を突付き、主従関係を明確化する。
「だんだん、なんだか濡れちゃったみたい…。わたしって変?」
「くぅん」
「濡れた所はちゃんと拭かなきゃね」
アスミは愛でる様にポンとぼくを足で転がし、うつ伏せになったぼくに馬乗りになる。
尻尾をむんずと掴んだアスミは、愛馬にまたがり初陣に臨むやんちゃな女王さま。
柔らかい尻尾を太ももではさんでいる。ぼくの尻尾は、アスミのラブラブジュースで湿っている。
「ああん、こんなの初めてだよ…ハル」
そりゃそうだろうな。こんな『ケモノ系』、滅多にお会いできやしないもんね。
「ふかふかして、気持ちいい」
やんちゃな女王は、時折幼い少女の顔を取り戻す。しかし少女は、剣を相手に突きつける勇敢な女王の顔にキリっと戻る。
「さ、ハル。食べちゃうよ。わたしの言う事しか、もう聞けないんだからね」
ぼくの尻尾を十分玩んだアスミは、ぼくを元の仰向けに戻す。もう、アスミのやりたい放題。
「幼馴染みが初めてのヒトって、なんだか素敵ね。ハル」
そんなもんかなあ。少女漫画の主人公のように、目をキラキラさせるアスミをぼくは冷静に見ていた。
と、ぼくが油断をしていると、アスミがスカートを捲り、若草の萌えるナイショの草原をぼくに当ててきた。
えっ?今、入った?
制服を着たまま、アスミはぼくの上にまたがっている。
「いたたた…。ハル!痛いよお!」
こんなのアスミじゃない!って冷静なもう一人のぼくがささやく。アスミの甘い声がイヌミミに響く。
「どうしてハルは痛くないの!」
そんなこと言われても…と思っている矢先。ぼくのわんこの先から、抜けるものを感じた。
それと同時に、物凄い罪悪感がぼくに襲ってくるのがわかる。この間の石見先生の時のように。
アスミが腰を上げて、ぼくから外れようとすると白ーい何かがタラリと…
…と、ぼくは夢から覚めた。
折角夢の中なのに、リアル世界とちっとも変わらない。ちぇっ。
「ハル!学校行こう!」
居間の時計が午前8時を告げると同時に、アスミの声が玄関からする。
当たり前だが、夢の中のアスミと全然違う。声だけでも恥ずかしくなってきた。
仕方なくぼくは起きようとしたが、布団を跳ね飛ばす事が出来なかった。
「わん!わん!」
毛むくじゃらのぼくの体は、学校へ行くのを拒否させる。
パジャマの下の方が、ぼくの白いおもらしでべとつく。やっちまったよ、夢精だ。
四本足のぼくは『わん!』としか言えなくなってしまった。
「ごめんね。ハルは、午前中お休みしますって先生に伝えてくれます?」
「そうなんですか。お任せください」
お母さんが、ぼくを迎えに来たアスミに申し訳なさそうに、石見先生への伝言を頼む。
昨夜の事を思い出すと、アスミに会うのが少し恥ずかしくなってきた。
アスミはおそらく、ぼくが動けない理由について、既にカンづいてるんだろうな。
お日様がてっぺんに上がった頃。やっと二歩足で歩けるようになった。
『ケモノ系』に戻ったぼくは、のそのそと登校する。
学校は、ちょうど昼休み。他のクラスのヤツがぼくを指差して笑っている。ちくしょう。
「あっ。ハル、大丈夫?」
ぼくのクラスの前の廊下を歩いていると、アスミが横からひょいと顔を出す。
昨晩の夢のせいで、アスミの顔を直視できない。なんせ『女王』なので、直視する事は不敬なのだ。
「うん。ぼくは平気」
「そう、よかったあ。ハルさあ、聞いてよ!昨日の放課後、人が足りないからって
図書委員のお手伝いさせられたんだよ!石見ちゃんも人使い悪いよ!」
えっ?昨日、石見先生に呼ばれていたのは、もしかして?
「図書室の本棚の整理をするって、図書委員の顧問の先生から石見ちゃんに頼まれたんだって。
仕切る人が居ないって言って、わたしに白羽の矢を立てるなんて、わたしは石見ちゃんの飼い犬じゃありません!」
「ひどい飼い主で悪かったですね」
絶妙のタイミングで、石見先生が横から口を挟む。
「ご、ごめんなさい!」
アスミは非常にばつが悪そうだ。しかし石見先生、そんなアスミには全く興味がない。
「橘くん。おはようさん」
「ご、ごめんなさい。ちょっと、気分が悪くなって…」
「いいのいいの。橘くんが来てくれるだけで、先生うれしいです」
昼間の笑顔の石見先生は、アスミに思い出したように話しかける。
「そうだ。神岡さん、ハイ。もう授業中にいじっちゃいけません!」
「わっかりましたあ」
アスミは石見先生から自分のケータイを渡され、すこしふてくされた顔をしていた。
「じゃあ、ハル。わたし図書室に急ぐからまたね。もー!まだ片付けが終わんないんだからあ!」
アスミは、ケータイを握り締めひょいと立ち去る。
えっ?昨日は、アスミからメールの返事が返ってきたと思ったのに。
ということは、あの返信主はもしかして…そう、もしかしてなのだ。
返信主だと確実に思われる人物が、ニコニコしながらぼくの目をじっと見る。
「今度の日曜日、午前11時にパチ公前だっけ?」
石見先生はくるりと踵を返し、花の香りを振りまきながら廊下を歩いていった。
アスミだったら『実はウソでしたー!アハハ』って言う。そして、石見先生から脳天パンチを食らうんだろう。
ぼくには、そんなこと…できるわけがない。はあ。
「ふう、やっと終わったあ」
初夏に似合う長袖の制服を腕まくりをしたアスミが一仕事終えて、教室に帰ってきた。
ガラス窓にアスミは自分を映しながら、ちょっと傾いた胸元のリボンを直している。
ぼくは黙ってアスミを迎え、ちらっと横目でその光景を見ていた。
「しかし、どうしてメールの送信着信履歴、全部消えてたんだろう…。ね!ハル!」
急に呼びかけられたぼくはびくっとした。ぼくは、明らかに挙動不審なヤツ。
いつもよりぼくが縮こまっているのは、それもこれもアスミのせいだ。違うか。
「そうだ、ハルさあ。放課後、話があるんだけど…」
そういえば、昨日もそんな事を言ってたが、石見先生のせいで図書室に消えていたっけ。
「今じゃ…」
「ダメ!」
何時にない強気のアスミだったので、もうこれ以上は口を挟まない。はい、挟みません。
これ以上しゃしゃり出ると、アスミのびんたが待っているからなあ。我が身がかわいいしね。
放課後は、あっという間に訪れた。お昼から登校したぼくには、当たり前っちゃ当たり前か。
「アスミ!」
当の本人は、すこし『空気読め。バカ』って顔をしてのほほんとしている。
何の用事かぼくには、さっぱり見当が付かない。
「ハル!こっちに来て!」
ぼくは、腕を引っ張られながら教室を出る。
屋上への階段の踊り場。滅多にヒトは通らない。
アスミはぼくより3段ほど高い段に立ち、ぼくを見下ろしている。
「あのさ…。話、聞いてくれる?」
ぼくは、黙ってうなずく。アスミは両手で手すりを掴み、くいっと天井を見上げた。
なんだろう。なんだか、昨晩の夢のようになりそうでちょっと怖い。
トントンとアスミはつま先で階段の床を叩く音が聞こえたかと思うと、
アスミは不意を突く様に、ぼくの方にくるっと回わす。
「わたしと、付き合ってください!」
アスミのセリフにぼくの尻尾が反応した。
「すぐに返事が出来なくていいのよ。だって、ハルって優柔不断だから。
もし、OKなら今度の日曜日の午前11時、パチ公前に来て!約束ねっ!」