「会心っ!」  
朝食の準備中、味噌汁用に思いどおりのダシの取れたオレは思わず声を出し笑みがこぼれる。  
 
…が、  
「行ってきます」  
そんなオレの苦労を無にするように、妹の美迦はさっさと朝食完成間近だというのに、それを待たず学校に出かけようとする。  
「っと、待てっ!朝飯は?」  
 
オレはダシの香りを漂わせるお玉を持ったまま、美迦を呼び止める。  
ベジタリアンなベアトリスは、いりこや鰹などでダシをとった味噌汁を食べてくれない……  
「朝練あるから、先にパン食べた」  
オレの呼び止めに美迦は冷たく答えるとオレを一睨みする。  
「……あぅ」  
美しく整った妹の貌(銀次や正樹によるとオレもそうらしいけど)は、本気で睨むと特有の異様な迫力を帯びる。  
その迫力にオレが怯んだ間に、美迦はさっさと玄関から出ていってしまう。  
 
……ベアトリスとの関係バレて以来、  
優しかった父母を亡くしてから10年、ずっと肩寄せあって生きてきた妹が冷たい……  
いや、尊敬する(注:あくまで成の主観)兄が自宅で従姉妹(近親)と……  
ってなれば当然の反応かも知れないが……  
 
「…仕方ないか……」  
オレは肩を落とし、呟く。  
「いっそ、ベアトリスの正体言って説明したら?」  
「オリビア…ついに家宅侵入か……」  
突然、オレは二階からの階段を降りてくるオリビアに声を掛けられたが、もう驚きはしない。  
……飛べる奴らがどこから来たって驚く必要なんてないし……  
 
「ところで、いつもひっついてる天使様の姿が見えないけど」  
オレの肩に手を置き引き寄せながら、オリビアは廊下を見渡す。  
その手を払いながら、  
「庭の花壇に水やってるぜ」  
リビングの向こうにある花壇兼家庭菜園を指さしてやる。  
 
と、  
「じゃあ、すぐ戻って来るわね」  
オリビアはそう言い階段に座り込む。  
「……顔合わせる前に去って欲しいんだけど……」  
オレは何故かベアトリスを待つ様子を見せるオリビアに至極まっとうな要求をする。  
「浮気ばれると困る?」  
「浮気なんぞしてねえだろっ!!  
 また、家壊されたくないんだよっ!!」  
という、オレの要求は遅かった……  
もっとも、遅くなくても無視されてたと思うが……  
 
手荒く玄関の開く音と同時に、  
オレの視界の端を通り抜けて行く光の槍。  
それをオレはほとんど人間の反応速度ぎりぎりで柄を掴み、勢いのまま持って行かれそうになる体を踏ん張り止める。  
「頼むから冷静になってくれ!」  
オレは振り向き槍の主……ベアトリスに怒鳴る。  
「そうよ、階段壊れたら天使様の貴方は飛べるから良いけど、  
 彼が困るでしょ?」  
……頼むから挑発しないでくれ……  
願い空しく、  
遅刻ぎりぎりの登校までオリビアの言葉は続き、朝食を食べる時間もまで削られたオレは朝から運動させられた上、  
空腹を抱えて登校する事となった。  
 
 
「困ったわね」  
ベアトリスに追い出された私は一人、学校に行く道でつぶやく。  
……今の状況、居心地が良い……  
 
だが、このままじゃ私の目的は果たせない。  
彼自身のあの自由さ柔軟性は、元来は天使には無いどちらかと私たちに近いかも知れない。  
……でも、彼は天使であるベアトリスから離れる事がない。  
物質的な話としてでなく、存在的、属性的な話として……  
当然、このままベアトリスが居る状況では彼をこちらに堕とすことは困難だ。  
しかも、単純な排除をすれば逆に彼は遠のくだろう……  
それに、如何に深い人の闇を振るったとしても、それは武器として互角程度の物を得られただけ、  
攻撃を凌ぐだけならともかく、本気であのジーベンビュルグとまともに戦闘すれば、相手にならないだろう。  
 
第一、一番の問題は私も最近、あの単純な程の純粋性を気に入っているって所だ。  
あの頑固者も堕天させれば、私としては三人ででも良いんだけど……  
「……無理ね」  
私は諦め、しばらくはこのままで仕方ない……  
そう結論付け、考えを中断した瞬間、  
 
「っ!!」  
巨大な魔の気配が、私を包んでいる事に気づく。  
「信じられない……」  
いくら考え事をしていたからって、こんな気配に気づかないなんて。  
突然のことにやや狼狽しながらも、私は鞭を現し構える。  
 
「ジークムント…様……」  
鞭を構えた私の口かた目の前の男の名が洩れる。  
男は、明らかに威嚇的な圧倒的力を放ちながら、  
「それが、人の闇から作った力だね?  
 人の魂に触れられる元告死天使の君だからこそ、簡単な契約でたやすく得られた……」  
 
彼は私の鞭を指さしながら一歩一歩、私に近づいてくる。  
「それ…僕にくれないか?」  
天にあっては七番目の城と名付けられた内の一人で、第七天にある神の居城を護るために作られた事を表す名を頂いている、  
まさに城のごとき巨大な力も持った堕天使はそう言って、  
私に手を伸ばす。  
 
シュっ  
私は思わず、反射的にその手に向かい鞭を振るっていた。  
周囲の家屋数軒が巻き込まれ瓦礫となる……  
「……良いね…これでは、防ぎ切れないか」  
いつの間にか、奴の手にはぼろぼろになった黒い闇の槍……  
いや、私の鞭を防いでぼろぼろになったそれが握られていた。  
…だが、それは所詮武器の優劣でしかない。  
「これで…何をする…つもりですか?」  
声が恐怖で上擦る。  
今まで多少の戦闘をした時は、相手だったベアトリスは人間の体しか持たない彼を巻き込まないように力を抑えていた。  
……力の差により圧迫感がこれほどと思った事もなかった……  
 
「……決まっている」  
圧迫感に押し潰されそうな私に奴は、宣言した。  
「奴を……姉さんを奪った奴を殺す」  
 
 
「……」  
「どうかなさったんですか?」  
学校帰りに考え事をしてたオレはベアトリスに声を掛けられる。  
「いや…今朝、会ったばかりなのにオリビア、学校に来なかったな……って、思ってな」  
 
しまった……  
と言ってから、思った時は遅かった……  
つい考え事の延長のまま出たオレの言葉に、ベアトリスはピタりと足を止め、  
「成さんが心配する事じゃないでしょうっ!!」  
と、怒鳴る。  
確かに、今日は久しぶりに平穏だったし、ベアトリスの言う通りなんだが……  
天使まんまの彼女はそう割り切れるかも知れないが、さすがに今現在人間のオレとしてはそこまで割り切れない、  
せいぜい迷惑な先生程度なんだし、知り合いの心配の一つもする、  
……なにより  
 
「……嫌な予感がすんだよなあ?」  
嫌な予感というか、気配というか悪寒に近いものを今朝、  
登校中に感じた気がした事を、  
半ば探りを入れるつもりでベアトリスに問いかける。  
「……成さんも…感じたのですか?」  
どうやら、当たりだ。  
「悪寒が登校中に、ちょっとしたような気がした程度だけどね」  
元々、霊感系は嫌になる程強いオレにとってソレは充分、  
疑うにたる理由だ。  
「……有りえないはずなのに……」  
 
今度はベアトリスの方が考え込むように呟き、  
「でも、僕はここに居るよ」  
その呟きに即座に答える声が聞こえる。  
もちろん、オレの声じゃない……  
「ジークっ」  
その声に反応し、ベアトリスは光の槍を出し構える。  
そして、その穂先に居るのは、  
 
赤い瞳の……  
 
まったく信じられない物がオレの目に映った……  
ベアトリスの穂先に居たのは、服装こそ違えど……  
 
そこにはベアトリスが居た……  
 
いや…よく見ると……  
…似ているが違う……  
ベアトリスと同じ金髪に、同じ真っ白い肌……  
だが、彼女よりも背が高く……多分、187の銀次と同じか、もう少しある。  
なにより、目の前のそいつは線の細い女性的なシルエットだが……男だ……  
 
「だ…」  
誰だ。  
そう言葉が出かかった所で、奴の口の方から答が出る。  
「…姉さん……その神の武器庫から授かった槍をしまってくれないか?  
 姉さんは奴とは違って、血を分けた姉弟と……愛する者と、戦えやしないよ」  
……姉さん…  
ベアトリスの弟?  
って事は……最初に会った時、堕天したって言ってた……  
即座にかっての彼女の言葉が浮かんだ。  
 
「……地獄の最も深き深淵に封じられたはずなのに……」  
信じられないという様子で呟くベアトリスは、以前として槍を構えてはいるが、その腕に力が入ってない事は一目で解る。  
「所詮、神の力もその程度なんだよ……  
 神の用意した出られないはずの監獄を、僕は抜け出てここに来た。  
 さあ…姉さんそんな力無い神は見限って、僕と一緒に堕ちよう…」  
奴は、そんなベアトリスに優しく手を差し伸べる。  
 
嫌だっ!!  
奴の手がベアトリスに向けられることに耐え難い嫌悪感がオレの内から涌き出る……  
その激情のまま、横を通り過ぎベアトリスに向かう奴の手をオレの手が振り向きざまに払う……  
瞬間、  
奴と目があった……  
「その手で姉さんを汚したのか……」  
奴の静かな言葉とは裏腹に、憎悪に満ち真っ赤に燃えた目がオレに向けられる。  
 
バシュッ  
 
奴の目に気をとられ、そこに視界を奪われた瞬間、軽い音を立て、奴の手を払ったオレの左腕が視界の横で赤く包まれる。  
……  
一瞬、何が起こったのか解らなかった……  
 
…弾けた……  
 
オレに払われた奴の腕がまるで振り子のように戻り、  
それに触れたオレの左腕の肘から下が、赤く弾け、  
ぼとりと残った手首から下が、血で真っ赤な水たまりの出来たアスファルトの上に落ち、  
更にその上にぽたりぽたりと血の滴が落ち、落ちて転がるオレの左手を赤く染めていく……  
「成さんっ!!成さんっ!!」  
反射的に血の流れ出る腕を押さえ、うずくまるオレの肩をベアトリスがオレの名前を叫びながら抱いてくれる。  
 
そして、一時、遅れで事態を理解したオレの腕から全身に痛みが駆け抜ける。  
「うゎぁぁぁああああああっ!!」  
無くなった腕の先と吹き出す血の視覚的恐怖、利き腕を失った喪失感が痛みと混ざりオレの口から止める事の出来ない声となって吹き出す。  
 
「ジークっ、貴方何をっ」  
痛みと失血により震えるオレを抱き締めたまま、  
ベアトリスが奴に声を荒だてる。  
 
「姉さん……なぜ…怒るの?」  
奴は、激昂するベアトリスに睨まれ、それが信じられないといった表情を一瞬、浮かべ……  
「こいつは姉さんを汚したんだよっ!!」  
一転、その動揺をオレへの憎悪と怒りに変え、オレを睨みながら、一歩こちらに近づき……  
 
ぐしゃり…  
 
と、そこに落ちたままのオレの左手を踏み潰す……  
「うっ…」  
目の前で潰される、見慣れた自分の手に胃から酸っぱい物がこみ上げてくる……  
オレは、それを飲み込み、耐え、  
奴を見上げる。  
 
いつの間にか、奴の手には黒い槍が握られていた……  
「…貴様は実に不愉快だ……」  
黒い穂先は、ベアトリスを避けオレを狙って的確に間にある空間を穿ち、迫ってくる。  
吐き気からの涙で歪む視界の縁に、ベアトリスの槍がその軌跡目指しているのが見えるが間に合わないだろう事は即座に解る。  
 
これだけはっきり見えても、避けようにも全てがねっとりと重く、痛みも手伝い思うように動かない。  
 
ずぶり……  
 
ようやくに体をひねったオレの衣服を破り、脇の肌に穂先の触れた感触が続き、めきりと嫌な音が鳴り……  
そのまま、穂先がオレの脇から背中に抜ける。  
 
「ぅぅ……ぐ…」  
刺さった槍が横隔膜の動きを妨げているのか……  
痛み云々より…呼吸が出来ない………  
「さすがに…たかが人の体も使っている魂が貴様だと、しぶといものだな……  
 近くに居る姉さんを巻き込みたくないから、力を使わなかったにしても…」  
 
確かに……家をたやすく半壊させ、鉄で出来た穿つ事が出来るはずなのに、普通に刺しただけだ……  
それにしても……痛みに霞みかける頭でオレは奴の目的を考える。  
要するにコイツはオリビアと同じ天使を堕天させるのが目的ってわけだ。  
ただ、ターゲットが違う。  
 
……そして、これは嫉妬か……  
姉をオレに取られて怒っているってわけか……  
 
オレがそこまで考えた時、槍を握る奴の腕に力が入ったのだろう……筋肉の筋が浮かぶのが見てとれる、  
同時に痛みと呼吸困難で霞のかかりかけたオレの頭に、今までのベアトリスの破壊活動の記憶が走馬灯のように巡る。  
 
……まずい…  
と、思うが、出血覚悟で槍を抜くために残った右手を辛うじて槍にかけるが、血で滑る上に握った手には力が入らず抜く事も出来ない……  
頼みはベアトリスなんだけど、奴を攻撃しようと構えてはいるが、明らかにためらっている……  
……よくよく考えると、彼女的には別にオレって死んでも問題ないんだよな……  
そもそも、彼女はオレを殺して天使に戻すために最初は来たわけだし、  
その上、相手は堕天したとはいえ、弟……  
 
「…困ったものです……」  
さすがに諦め、オレが呟いた瞬間、  
「ぐぅっ」  
ずぶりと、槍がオレの体から引き抜かれる。  
…止めの為に勢いでもつける為の距離でも欲しいから抜いたのか?  
とも考えたが、違った。  
抜かれた穂先から、明らかにタイミングのずれた……  
抜く前にオレを砕くつもりなら遅すぎ、  
助走をつけて突き殺すつもりならば、早すぎる力の奔流が起こりオレを吹き飛ばす。  
 
起き上がった、オレの目に何故助かったのかが見える。  
「……オリビア…」  
奴の腕に鞭を巻き付けオリビアが、その腕を引っ張って槍を抜いてくれたらしい……  
 
そのために、あくまでベアトリスを巻き込んで傷つけないように最小限に手加減された力は、  
刺さったままなら充分にオレを肉片にしただろうが、抜けて距離が開いた状態では爆弾が中心から四方八方の外に向かい、威力も四散してしまうように、弱まり吹き飛ばすに留まったわけか。  
 
「くそっ…貴様も僕と姉さんの邪魔をするのかっ!!  
 見逃がしてやるべきじゃなかったな……」  
奴はそう吐き捨てると同時に、鞭を引きちぎるとほとんど死体同然のオレを放ってオリビアの方を向く。  
「……何が見逃したよ…単に逃げられただけじゃない。  
 貴方の欲しがってた物だって、ちゃんとこっちの手にまだあるのよ」  
そう言って、オリビアは引きちぎられた鞭に変わり、新しい鞭をその手に作り出す。  
会話から察するに、先にあの鞭を奴が欲しがったって理由でオリビアが襲われていたらしい、  
そう気付くと、それまで気付かなかったのが不思議なほどオリビアはボロボロだ……  
 
「そんな物、元々ただの保険だよ。  
 姉さんが抵抗したら少々、手荒く連れて行かないといけなかったから、姉さんの槍に対抗出来るそれが要ると思ったんだけどね……」  
奴はそこで言葉を切り、ベアトリスを振り返り言葉を続ける。  
「でも、姉さんは昔通り、僕に手を出せない……  
 神が反旗を翻した、あの方に従った僕を討つ命と共に姉さんに授けたあの槍は、やはり今度も僕には向かない。  
 そう…姉さんが昔と変わらずに僕を愛してくれている以上、そんな物は必要ないんだよ」  
 
オレはこのやたらと愛を強調する奴の言葉を聞いて、そうかと理解した……  
奴は姉としてじゃなく……ベアトリスを女性として見てしまっている気がする。  
……それがオレに対する異状な憎悪の原因なわけか……  
 
それに…この話…  
そうか……  
奴の話を聞き、オレは思い出した。  
天使長だった天使の反乱の時、神はよりにもよって彼の双子の弟に自ら剣を与え、それを打つように命じ、弟は見事に兄を天から討ち堕とした。  
そして、弟はその功で、新たな天使長となった。  
話から察するにベアトリスは、その弟と違い、双子の兄弟に刃を向けられなかったのだろう……  
そして、その報いとして瞳の色って事か……  
……綺麗なわけだ、ベアトリスの優しさの証拠じゃないか……  
 
となると、仕方ないな……ベアトリスが死んでも問題無いオレを死なせない為に、神の為にも振るえなかった槍を振るうとは思えない。  
 
その結果、オレは天へ彼女は奴に連れ去られ二度と会えないとしても……  
そう、オレが半ば諦めかけた時、  
 
「ベアトリスっ!貴方はそれで良いのっ!!  
 今、戦わないと二度と彼と会えないって解ってるのっ!!」  
変な話だが、オリビアは天使としてのベアトリスを助けるために叫ぶ。  
その声にベアトリスは一瞬、きょとんと理解出来ない風を見せたが、すぐに槍を構え直し、奴を見据え、  
「ジーク…私は、決して主に背を向けない……  
 それに貴方は大切な弟だった……でも、愛しているのは彼なの……  
 私を彼と引き離すなら、貴方とでも戦います」  
と、静かにだが、強い意志を込め、奴を諭すように話す。  
 
「……姉さん?」  
槍を構え直したベアトリスに奴は信じられないといった驚きの表情を表し、  
「貴様が姉さんを縛り付けるからっ」  
……なんで?  
今、怒りが向かうべき相手は炊きつけたオリビアだと思うが……  
何故か怒りを露にオレに槍を向けてくる。  
 
「くっ」  
オレはその攻撃に対して、反射的に半分も残っていない左腕が、奴の向かってくる方に突き出すように動いたが、  
怪我の痛みだろか?  
それとも失血のせいだろうか?  
突然にまるで全身から力を奪い取ったように、立ち上がることは愚か目さえ開けられない程にオレは消耗した。  
 
もっとも、体温も下がって寒くなってきたしどうせこの怪我じゃ、半ば以上、死んでいるようなもんだ……  
オレを攻撃してくれれば、その分隙も出来る。  
と、オレは身を守るように左手が突き出されたまま、まるで他人事のように、冷静に儲け物だとさえ思ってしまう。  
 
……どうしたんだ?  
一瞬の思考の後、来るはずの奴の一撃が全く来ないことに倦怠感を振り切り何とかオレが目を開けると、  
奴の槍がオレの目の前で消えて行く……  
 
いや……それより……  
「なに…これ……」  
失ったはずの左腕が生えていた……  
 
……奴に向け突き出された腕から白銀に輝く光で出来た腕が……  
 
失血のためだろうか……  
そもそも命そのものの限界なのか……  
その腕が何なのか解らぬまま、オレの意識は途切れる事になる。  
 
 
私は信じられない物を見た……  
そこに居る全員が予想も出来なかった事が起こった。  
 
彼が、槍に対して無いはずの左腕で動かした。  
それが引き金となり、  
塵から作れた人間としての体の欠損部分を補う形で人間の彼の左腕に、天使としての光より作られた白銀に輝く天使の腕が左腕に再生した。  
 
つまり、無いはずだった物を動かそうとした結果、その意志に無くなった人間の腕でなく天使の腕が答えた……んだと思う……  
 
それも、受肉せず純粋な波動存在のまま……  
言うなれば、物質でなく情報としての存在としてみ現れたそれは、力の行使の為に物質的な存在でなく、  
同じ闇の波長存在であるジークムントの槍を、ただそこにあるだけで相反する光の波長により(マイナス)+(プラス)で打ち消していく。  
 
「…ば…馬鹿な……」  
ジークムントは呆然と消えていく自分の槍を見て呟く。  
さすがに同感……  
人間の体から天使の腕……  
それも、物質化してない天使の体が物質世界に存在するのは反則だと思う。  
 
更に、その光の波動はそれだけで治まらず、  
物質として存在しているはずのジークムントそのものにも影響を与えている。  
光に照らされたジークムントの体、が序々に希薄になっていく。  
先の槍と同じように消えていくように見えるが、これは  
「繋がれるべき…深淵の獄に押し戻されている」  
私の考えをベアトリスが呟く、  
つまり、次元移動を強制的に行われている。  
 
ジークムントはあまりにも深淵深くに封じられた為に、物質世界に来ても、  
存在の根幹では繋がれていたまま、強い闇の力で抵抗して辛うじて、こちらに居ただけだったのだろう。  
その危ういバランスを、彼の光が崩壊させてしまった。  
例えるなら、足場をジークムントは壊された、  
だから、落ちるという事だ。  
 
この世界より消えゆくジークムントは、  
「……姉さん…一緒に来てよ……」  
最後にベアトリスの方に手を伸ばす。  
…が、ベアトリスは小さく頭を振りそれを拒否する。  
 
……その時、私はジークムントの消える刹那、その目に涙を見た気がした……  
 
「…ジーク……」  
涙こそ見せないが、ジークムントの消えた虚空を見つめたベアトリスの口から奴の名が呟かれる。  
……姉妹の愛の形の違いによる行き違いが、彼の罪の根幹にあったのだろうか……  
 
いや……  
今は、そんな事を考えている場合ではない。  
彼を助けないとっ!!  
それは、今、彼が死に瀕している今なら私は……元は告死天使である私になら、契約など制限なくそれが出来る……  
 
彼を救うために、私は横たわる彼に駆け寄る。  
しかし、その私の前にベアトリスが槍を構え立ちふさがる。  
彼女にとっては、彼が死んでも天使に戻るだけ……  
「どきなさいっ」  
…でも、私には違う。  
二度と会えなくなる。  
その思いが、私の語調が強くなる。  
 
「……今回だけですから…  
 今回は…弟の事で貴方に負う所がありますから……」  
あの私の必死さが空回りするほど、あっけなく彼女は私に道を譲る。  
 
……彼を救うために、私が行う方法は彼女に取っては辛い事なはずなのに……  
「有難う…なるべく、彼には黙っておくから」  
私は堕天したはずなのに、彼女とは出来るだけ正々堂々と勝負したい、  
こんな方法で、彼に負い目も与えたくない。  
 
そんな、らしくない考えを含めた言葉を私は彼女に一言、  
礼を言うついでに付け加えると場所を変える為に彼を抱え、  
翼を広げた。  
 
自宅に戻った私は、ベッドに彼を横たえ、呼吸を確認する。  
「……良かった、まだ息はある」  
彼の息を確認した私は彼の服を脱がせ傷口を確認する。  
私は深淵に封じられた程の罪を背負った堕天使ではないが、念のために服を脱がせる時、彼に左腕に注意は払う。  
 
そして、すでにベッドのシーツ血は染まってはいるが、そのままシーツを彼の体に巻きつけ、気休めの圧迫による止血を施し、  
彼を救うため、私の中で自らの力を解放していく……  
 
……私の力…  
死した人の魂を導く為に、それに触れることの出来る力、  
直接、彼の魂に触れれば本来は、必要に応じて預言者として揺るぎない信仰でのみ揮われる彼の力の一端を引き出せる。  
具体的には、癒しの力だ。  
直接、会ったことはないけど、かって新約を結んだ神の子は、これを使って他人を癒していた。  
それを無理やり、私が引き出して彼を癒そうというのだ。  
 
……だが、いくら死にかけているとはいえ、未だ肉体に捕らわれる彼の魂に触れるには深く繋がる必要がある。  
しかし、天使の腕が出れた事を考えれば、すでに死にかけた彼の肉体は半ば魂を繋ぎ止める力を失っている。  
「……出来るはず」  
 
まず私は、彼の物……  
「さすがに…小さいわね……」  
その上、まだ白く皮を被ったままである。  
本来ならば、発情などと縁のない人だから当たり前なのかも知れない……  
これはこれで可愛いから良いけど……  
私は彼の物を軽く摩る……  
ぴくっっと小さく、彼の物は反応するが、さすがにこれだけ失血していると立ちはしない。  
 
「天使様なら、お手上げでしょうけど……」  
私は、自信から不敵に微笑むと、  
彼の物に舌をゆっくりとくまなく這わせてゆく……  
彼の物と血の味と香りが私の下の上に広がる。  
「…おいしい……」  
私はその恍惚感に震えながら、少々激しく彼の物を嘗めあげる。  
ぴくりぴくりと、私の舌が彼の物の上を往復する度にそれが反応し、多少堅くなっていく達成感が更にその快感を増す。  
 
「もう一息ね」  
苦味を舌に感じた私は、一度、彼の物から舌を離し確認する。  
少々大きくなっているが、未だ力なく垂れ下がったその先から透明な先走りの滴が染み出ている。  
私はその滴を舌先で嘗めすくい、自らの唾液で混ぜ、飲み下す。  
「……ふう」  
…美味しい…  
飲み込んだそれを惜しむように、ため息が自然と漏れる。  
 
今度は指でその滴をすくい、私はそれを口に運び、  
舌で嘗め、甘噛みし、吸う。  
「……うっ…うん…」  
その味と、指を嘗めることによる焦らすような感覚がじわりと私の中から熱くしていく。  
 
ちゅぱ……  
 
それを堪能した私は、たっぷりと唾液の絡んだ指を取り出し、  
そのまま、その指で自分の割れ目をなぞり、  
序々に深く指を沈めゆく……  
「あっ…うっん」  
すでに濡れている肉の感触は、たやすく指を受け入れ、その刺激は私の口から喘ぎとなって漏れる。  
彼の体温を感じながらの、それは信じられない程の快楽だ。  
……しかし、私はそれに酔うために裂け目に指を滑り込ませたわけじゃない。  
私は名残惜しい気持ちを抑え、指に潤いをたっぷりと絡みつけ引き抜く。  
 
「あふぅ…」  
指を引き抜いた瞬間、それと共に口から自然と熱い息が漏れる。  
私は、その指が乾かない内に手早く残った片手で彼の両足の股を持ち上げ肩に膝をかけ、  
両手を自由に使える形で、彼のすぼまり露にし、  
そのまま指についた潤いをそのまわりに擦り付けながら滑り込ませる。  
 
「……くぅ」  
初めて彼の声が洩れる。  
それは快感による物でなく、初めての経験に対する苦悶に近いものだったろうが、  
「……そう…初めてよね……」  
それだけで嬉しい、自分が可笑しいが、私はその満足感を噛みしめ内側から彼を刺激し、  
更に彼の物を空いている方の手で皮の先端を上下させるようにしごていく。  
「ぅぅう……くぅ」  
彼の物は主の呻き声を裏切るようにゆっくりと序々にだが、確実に冷えた体の中にあって暖かさを持ちはじめ、  
指にまとわりつく温かく柔らかい締め付けに、私の方が夢中になる頃には、私と一つになることも可能な状態になんとかなる。  
 
私は手を彼のすぼまりから抜き、彼の足を肩から降ろすと彼に跨り、片手で彼の物を支えを兼ねて刺激しながら、  
それに狙いをつけてゆっくりと腰を下ろしていく。  
 
「うっ…ぐぁあああ…くっぅ」  
彼の物を胎内に収めきった私を、  
体の感覚以外の所で激しい熱さが襲い、  
体だけでなく、同時に行った魂の接触で、私の魂が彼の魂との圧倒的な存在としての差に悲鳴を上げる。  
 
それは本来、波長のプラスマイナスが、打ち消しあうように双方に影響が出る物のはずが、  
その差が大き過ぎ、ただ掻き消されるのみの私に全ての負担がのしかかってくる。  
「……くぅう…っ」  
苦痛に噛みしめた奥歯がミシミシと砕けるんじゃないかという程に、きしみ音を立てが、  
まだ、私は彼に近づいただけだ……  
体の繋がりと魂の繋がりは比例する。  
私は更に深く繋がる為に、腰を動かし出した。  
 
「うぅ……くっ…」  
彼の物が私の中で反応し痙攣のような動きをする度、苦痛の中にあっても感じられる程の快感が私の中に広まる。  
 
それだけを支えに、燃え尽きそうな熱さの中、彼の魂の中にある力の破片が見えるほどに、  
「もう……もう…少しで…」  
……届く、  
 
それ程までに近づいた……  
それは苦痛に比例して増える、彼との繋がりが何とか私を支えてくれる。  
「あうっ…あぅうんっ」  
それによる快ち良さが絶頂に達する頃、  
ようやく彼の…奇跡の欠けらの幾つかを見つけ、その中の一つ…癒しの力に届く……  
 
私は必死に彼にしがみつくように腰を持ち上げ、  
私の最も奥に彼を押し入れる。  
「うっ…あああああああ」  
彼の力を掴むと同時に、達した私は叫び声を上げ、  
反射的に翼を広げる。  
 
物質的な身体よりも、力そのものに近い黒い翼は現れた瞬間に彼の魂に耐え切れず、今の私の魂の状況を表し燃え尽きて逝く……  
 
 
ー・ー・ー・エピローグ・ー・ー・ー  
 
窓から見える日は、すでに高く登っている。  
朝と言い難い時間である事は間違いだろう。  
 
「で……ワタクシは何故(なにゆえ)に此処で寝てたのでしょうか?」  
……オレは目が覚めると見知らぬベッドの上だった……  
しかも…裸……  
……トドメにオリビアの家だし……  
当然、オレが話しかけている相手はオリビアだ。  
「男女が一つ屋根の下で一晩……決まっているじゃないね?」  
 
きゃいんっ!!  
言い訳にもならないと思うけど記憶にないっ!!  
つーか、オレ、ベアトリスに殺されるのでは有りますまいか?  
「……マジですか……」  
全身を流れる冷や汗を感じながら、オレは上擦った声でオリビアに確認する。  
……が、  
「…嫌ねえ、本気にした?」  
いきなり手のひら返してくる。  
「寝起きでそういう質の悪い冗談は心臓に悪いから勘弁してくれ……」  
 
「怪我の治療の為に私が引き取っただけよ」  
あっ…そうかっ  
 「……怪我っ?」  
そう言えば脇の怪我が直っている。  
って、左腕が何か…光っているままなんですけど……  
と言いかけたオレの言葉の前にオリビアは勝手に言葉を続ける。  
 
「それに、貴方に抱かれるんならしっかり、私の方があの  
天使なんかより良いって覚えていて貰わないと意味ないでしょ。  
 それとも、死にかけの血塗れのまま家に帰って妹さんにまた心配掛けたかった?」  
「確かに、それは困る……」  
そうなったら、いい加減、隠し通しのも辛い……  
さりとて、信じて貰える保証はない。  
というか、あっさり信じるようなら、それはそれで人としてヤヴァい気もする……  
……考えたらブルーになってきた……  
 
それに聞かないといけない事もある。  
オレは頭を妹の事から離して、質問しようと口を開く…  
……が、  
今度は飛んできた布がオレの顔面を覆い言葉が出なかった。  
 
「じゃあ、目が覚めたならそれ貸してあげるから帰って、  
 私は疲れたから寝るし……」  
怠け者としては、睡眠の誘惑の強さはよく解る、寝るというのも無理に引き留めるのも気がひける。  
「ベアトリスに聞けば良いか……」  
仕方なく、オレはオリビアに説明させる事を諦め、  
オレは、このまま、外に出るわけにはいかないので、服着るために広げ……  
 
「女物……しかもスーツかよっ」  
……突っ込みを入れる。  
「大丈夫、それ着てる貴方を誰も男だなんって気づかないから。  
 それからそこのボロ布が、元貴方の服だから巻いて腕、隠していった方が良いと思うわよ」  
言われてベッドの脇のボロボロのオレの制服に気づいたけど、  
確かにこれはもうボロ布以外の何物でもない……  
 
「これ…着るしかないのか?」  
女物のスーツを眺め、オレは、正直泣きたくなってきた……  
 
「隣かよっ!!」  
オリビアの家を出たオレは思わず突っ込みを入れる。  
もちろん、女装だ。  
しかも、哀しいことにかなり綺麗だ。  
……癖になったらどうしよう……  
今まで気づかなかったが、いつの間にか隣の家にオリビアは住んでたらしい。  
……お隣に住んでた山口さん、どこに行ったんだろ……  
叔父貴が海外行ってからは面倒をよく見てもらったんけど、  
……あんまり考えない方が良い気もするな……  
 
家に着いたオレは、迎えに出てきたベアトリスに思いっきり抱きつかれた……  
一晩、不安だったのだろうか?  
……理由は判らない、  
しかし、オレはそれを離してはいけない気がして、  
そのまま、彼女を抱き締め返したまま、話を聞く事にした。  
 
「弟さんの話は片付いた…ってのは解ったんけど、この腕は結局、このまま蛍光灯のままなのか?」  
オレたちは抱き合ったまま、今までの経緯を簡単に説明してもらい、オリビアに聞きそびれたことは聞く。  
いくら何でもこのままは不便だ。  
「その内に物質世界に影響されて受肉して見かけは普通の腕になってしまう……とは思うんですけど」  
「……なんだ…その自信無さ気な返事は……」  
しかも、見かけはって何だ……  
妙な副作用とか無いだろな……  
……不安になってきたぞ……  
 
「私の体と同じだから、時間が立てば大丈夫だとは思うのですが……」  
「少なくとも、しばらくは蛍人間のまま?」  
……腕無しよりはマシと諦めよう……  
オレの諦めた問いかけに、ベアトリスは黙って頷き、  
「……あと、これ」  
ようやく、落ち着いたのか、彼女はオレから離れると新聞を差し出す。  
オレは、そこに目を通す……  
……道路に大量の血痕と肉片、人の指数本も発見され警察では血液量から被害者は即死、殺人事件と断定、捜査本部を……  
 
……やっぱり、また大事になったか……  
「…あの…どう致しましょう?」  
「予想はしてたから良いんだけどさ…  
 取り敢えず、着替えて来るから腕隠す包帯持って来てくれ」  
オレはなんだか、慣れていく自分が哀しくなりため息を一つつくと自室を目指し階段を上がった。  
 
 

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