修道院の中は扉の外から見ていた時には暗いように感じていたが、いざ入ってみると  
クローディスが思っていたよりずっと明るい場所だった。  
採光が考えられているのか、やわらかな光が入って廊下を照らしている。  
 
要所には絵画や、花瓶に活けられた薔薇が飾られており、どこか品のいい  
お屋敷のようにも見えた。だが、クローディスはその優美さがなんだか落ち着かなかった。  
けれど、その困惑を吹き飛ばすようにキャスリンが笑った。  
 
「そんなに緊張なさらないで、クローディスさん。みな、あなたが来るのを楽しみにまってましたのよ」  
彼女の笑みには親しみがにじんでいた。そのために、クローディスも我知らず笑みを返していた。  
「今は皆、談話室を兼ねた食堂におりますわ。すぐそこです」  
すると、キャスリンが指差した先に部屋があった。耳をすませばそこから人の声が聞こえてくる。  
そこが食堂であった。キャスリンはクローディスの手を取ると、彼女を伴って部屋の中へと足を踏み入れた。  
「みなさーん、お姉さま方。お静かになさって。今日からここの一員になる  
クローディスさんがいらっしゃいましたのよ」  
そう、キャスリンが声をはりあげると、食堂の中で雑談に興じていた修道女たちが  
一斉にクローディスの方に顔を向けた。  
その視線を受けてたじろぎながらも、クローディスは思わず目を見張ってしまった。  
 
なぜならば、この部屋にいる修道女たちは皆一様に若く、美しい女性だったからだ。  
クローディスとそう変わらない歳の少女から、少しばかり年上の女性たち。  
皆、当然の事ながら修道衣を身につけている。全くと言っていいほど飾り気のない服だが、  
それがかえって彼女たちの生来の美しさを際立たせていた。  
 
クローディスにとって教会は身近なものだった、そもそも孤児院で自分や他の孤児達の  
面倒を見てくれたのは修道女たちだ。  
彼女たちは既に初老の域に達した婦人であり、そのためかクローディスは修道女というと  
そういった、年を重ねた婦人というのを想像していた。  
だが、この修道院の中では自分やキャスリンを含め十代の修道女もおり、  
一番年上の修道女でも、どう見ても二十代かそこらにしか見えないくらいであった。  
 
(こういう修道院もあるのね……)  
女学校の生徒たちのような顔ぶれに、クローディスは面食らいながらもどうにか  
自己紹介をし、挨拶の礼を取った。  
「至らぬ所も多いでしょうが、ご指導のほど宜しくお願いします」  
すると、クローディスの前に長身の修道女がすすみでて何か黒っぽい布のような物を手渡してきた。  
「よろしく、クローディス。私はシスター・リティシア。皆はリタって呼んでる。  
……はいこれ、君の修道衣だよ。何着かあるから洗濯しながら着回してね」  
「あ、ありがとうございます」  
リタは赤毛の修道女であった。多分この中で一番背が高く、一番胸が大きい。  
張り出た胸はクローディスの倍はありそうで、その迫力にクローディスは息をのんだ。  
リタは肉感的な唇の端をあげて笑うと、クローディスの肩に親しげに手を置いて言った。  
 
「良かったら先に着替えておいで、もう少ししたら夕食だしね。  
みんな君の事は、来る前から楽しみでよく知ってるし。こっちの自己紹介は後でもできる。  
荷物を置いて落ち着いてからでもね」  
「あ、はい……」  
「部屋はキャスリンと同じだよ。……キャシー、連れていってあげな」  
リタに声をかけられたキャスリンはなぜかぷぅっと頬を膨らませていた。  
 
「もうっ、お姉さま達がクローディスさんに早く会いたいとおっしゃるから  
先にこっちに来ましたのに。そうでなかったら先にお部屋に案内しましたわよ。  
その方が落ち着けますもの、ねえクローディスさん?」  
「あ、わたしは別に……」  
突然話を振られてクローディスは言葉をにごした。  
だがキャスリンはそれに構わぬ様子で笑顔を作ると、クローディスの鞄をひょいと持ち上げた。  
「荷物、よければ私が持ちますわ。修道衣と、鞄一緒に持つの大変でしょう?  
……じゃあ改めて着替えてから来ましょうか。案内しますから付いてきて下さいね」  
そう言ってキャスリンは片目をつぶってみせた。その気遣いがクローディスは嬉しかった。  
「どうもありがとう、キャスリンさん」  
 
食堂を出る時クローディスは、同僚となる修道女たちに軽く会釈をした。  
すると、他の修道女たちは競うように「また後でね」、「あとでお話しましょうね」  
などと笑顔でクローディスに声をかけてきた。  
クローディスはほっと息をなでおろし、新しい生活が順調に始まりそうな予感に安堵していた。  
 
*******  
 
案内されながら部屋へと向かう間、クローディスとキャスリンは何くれとなく話していた。  
好きなもの、嫌いなもの、そしてここに来るまでのこと。  
「じゃあ、私達同い年なんですね」  
クローディスがそう喜ぶと、キャスリンはふざけてクローディスの肩に自分の肩をくっつけると、  
冗談めかして言葉を返した。。  
「クローディスさん、大人っぽいから私よりお姉さまなのかと思ってましたわ」  
「いやだ、大人っぽいだなんて。そんな事ないわよ」  
 
話をしてみればキャスリンもまた、クローディスと同じ孤児であった。  
なんでもない風にその事実を語るキャスリンだったが、それを知った瞬間  
クローディスは、この、まだ会って一日とも経たない少女との間に  
何か見えない絆のようなものが生まれたことを、意識しないままに感じていた。  
 
「……ここのシスターは、皆さんお若いかたたちばかりなんですね」  
さりげなく気になっていたことを尋ねるとキャスリンは一瞬驚いたように眉をあげた。  
「ええ、そうだけれど。なぜ?」  
「……普通は、もっとご年配の方が修道院には多いように思っていたから」  
「あら、だってここは特別ですもの」  
そう言ってキャスリンは朗らかに笑う。  
「特別?」  
思いもかけない言葉にクローディスは聞き返した。するとキャスリンは思わせぶりに微笑んで見せた。  
苺色の唇が笑みの形に艶めく。  
 
「ええ、ここは特別なんですわ。……だってこのファレナは神聖なる愛を知る場所。  
ジュスティーヌさまに選ばれた姉妹達が集う聖堂なんですもの……」  
「ジュスティーヌ、さま……?」  
クローディスは必死に記憶の糸を辿った。その名前はどこかで聞いた覚えのある名前だ。  
だが、その思考は突然の声に途切れることとなる。  
キャスリンが握った手を頬に当て、可愛らしい声をあげたからだ。  
 
「あ、ここですわ! ここが私と、クローディスさんの部屋です」  
 
*******  
 
与えられた部屋はそれほど広いものではなかった。  
だが、それでもクローディスが想像していたよりずっと過ごしやすそうな充分な空間があり、  
そして窓からは修道院の中庭の明るい風景を見ることができた。  
中には寝台と、そして机がある。必要最低限の家具だ。  
けれどそれを見たクローディスは、確かな喜びが自分の体を満たしていくのを感じていた。  
 
孤児院では自分の部屋を持つことなどありえない。そして自分だけのものを持つこともまた然り。  
大部屋で雑魚寝のようにして日々を過ごしていた。  
だが今は自分の部屋をもち、自分の寝台と机をもらったのだ。嬉しくないわけがなかった。  
 
「どうなさったの?」  
キャスリンが急に黙り込んだクローディスをいぶかしく思い、後ろから声をかけてきた。  
クローディスは首を振って答える。  
「何でもないんです。ちょっと……昔のことを思い出して。着替えますね。  
皆さん待っていらっしゃるかもしれませんもの、早くしなくては」  
女同士の気安さでクローディスは着ていた服のボタンをためらいもなく外していく。  
それを見つめるキャスリンの、その視線の強さに気がつくこともなく。  
下着姿になってクローディスは手渡された黒の修道衣を頭から被った。  
 
「……後ろのボタン、留めるの手伝いますわね」  
キャスリンの細い指がクローディスの髪をすき、うなじに触れた。  
黒の襟を白い首元にまわし、キャスリンはボタンを一つ一つ留めていく。  
「ありがとう、キャスリンさん」  
スカートを直し、襟元を正す。そして被衣(ウィンブル)を頭にかぶせて  
最後に髪を整えれば、クローディスはすっかり修道女らしい姿になっていた。  
「よく似合っているわ、クローディスさん」  
そう言ってキャスリンはにこっと笑った。陽だまりのような笑顔だ。  
クローディスの胸の内にふと、ある言葉が浮かんだ。  
その言葉を、クローディスはためらいながらも口にした。  
 
「……その、本当にありがとう。キャスリンさん」  
「あら、何ですの改まって」  
「私、ここに来るまで正直不安だったんです。上手くやっていけるかとか、その色々……。  
でもキャスリンさんに会って、ここの皆さんに会って、きっと大丈夫って思えました。  
皆、とても優しそうな方たちで」  
ためらいがちに話すクローディスの頬は少し紅潮していた。  
「それに私、最初にあなたに会った時、なんて笑顔の素敵な人なのかしらと思ったんです。  
……その、上手く言えないんですけど……」  
 
クローディスはそこで一度言葉を切った。そしてはにかむように微笑む。  
「これから仲良くしていきましょうね、キャスリンさん。私、あなたとお友達になりたいの」  
それだけ口にするとクローディスは自分の言葉に照れたのか、顔を林檎のように赤くした。  
キャスリンは、それを微笑ましげに瞳を細めるとおかしそうに言った。  
 
「お友達だなんて……、私達もうそれ以上のものになってますのに」  
「それ以上のもの?」  
クローディスがそう問うと、キャスリンは表情を改めた。  
その瞳は真摯で、強い光を宿している。  
「聖ファレナ修道院に来た以上、あなたはもう私の……私達みんなの姉妹ですわ。  
喜びも悲しみも、痛みも、全てを分かち合う存在ですのよ」  
 
――喜びも悲しみも、痛みも分かち合う存在。  
 
それはどこか、クローディスが焦がれ続けた『家族』というものに似ていた。  
姉妹という呼び名も、父も母も失い、孤独に慣れていたクローディスの心に優しく染み渡っていく。  
そしてキャスリンはクローディスに言った。  
 
「それに……私はここに来たから、という理由だけではなく、あなたが好きよ。  
私も初めてあなたを見たときに思ったの。頑なで真面目で、野の花みたいに清廉な人だって  
……好きよ、クローディス。仲良くしましょうね……」  
好き、という言葉がクローディス自身が思うより強く彼女の中に響いた。  
クローディスの目頭がじわりと急に熱くなる。  
(泣いたりしては駄目よクローディス、キャスリンさんに変に思われる……)  
 
それに気がついているのかいないのか、キャスリンは真剣な表情から  
またぱっと笑顔に戻ると、クローディスの手を引いた。  
 
「さぁ、修道衣に着替えたことですし。食堂に戻りましょう」  
 
*******  
『扉の中』終  
 

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