食堂では既に食事の用意がなされており、長方形の長机に食器が乗せられていた。
パンにスープ、それから数種の果物が晩餐のメニューとして出されていた。
「すみません、新参ですのにお手伝いもせずに……」
クローディスがおずおずとそう声をかけると先程挨拶を交わしたリタが、鷹揚に
笑って首を振った。
「いいんだよ、君は今日来たばかりなんだし。おいおい手伝ってもらうから」
他の修道女たちもそれぞれクローディスに声をかけては笑みを作り、そして椅子に
自分の座る席へと腰掛けていった。クローディスもそれにならい、示された席へと腰掛ける。
目の前の席についた薄墨色の髪をした修道女がクローディスと目があい、かすかに微笑んだ。
その修道女はシスター・ヘイラと名乗った。
リタと同い年くらいの年齢で、ややたれ目がちの茶色い瞳が穏やかそうな修道女であった。
そのヘイラが、皆が席につくやいなや立ち上がると、声も高らかに言った。
「皆さん、聞いてください。今日は喜ばしいことに我らの心の師、我らが姉妹、
シスター・ジュスティーヌがファレナにお戻りになります」
その言葉に、周りの修道女たちの顔がぱっと花が咲いたように明るくなる。
―― シスター・ジュスティーヌ!
クローディスもまた、はっと顔を上げた。
ジュスティーヌ・エリザベス・デュリトリー。
それは聖ファレナ修道院の修道院長であり、高貴なる血を継ぐ貴婦人の名であった。
(私をファレナへと招いてくれた大恩あるお方の名前を忘れるなんて私ったらどうかしているわ。
いくらキャスリンさんたちと仲良くできて安心したからといって。
……神よ、どうかこの思い上がった娘を戒めください)
祈りを終えたクローディスはふとジュスティーヌの事を考えた。
どんな人物なのか、思考を巡らしながらも感謝の気持ちはかの人への期待へとすぐに結び付いた。
すると、想像をめぐらしているクローディスの耳に、高く響く靴の音が届いた。
靴音は、カツーン、と石造りの建物の中で反響している。
その音は、一歩一歩確実に食堂の方へと近づいていた。
「ジュスティーヌさまだわ」
熱にうかされたような声音で、修道女の一人がその名を呟いた。
「静かになさい。ジュスティーヌさまをお迎えするのに失礼でしょう」
ヘイラが困ったように眉をよせて、その修道女をたしなめる。
彼女たちが期待にさざめいている中、遂にジュスティーヌは食堂へと姿を現した。
「皆様、ごきげんよう」
ジュスティーヌが現れると、ただそれだけで場の雰囲気ががらりと変わったのだ
クローディスは、はっきりと感じた。
馥郁たる香りがあたりにたちこめ、華やかな空気が満ちていく。
(なんて美しい方……)
キャスリンや、他の修道女達を見たクローディスは、美人や美少女を見慣れたつもりで
あったが、それでもなおジュスティーヌの美貌は群を抜いていた。
雪花石膏の肌、高い鼻梁に優雅な弧を描く眉の線。
そして完璧な形の瞳は蒼氷色で、ともすれば冷たく見える色合いだったが、
ジュスティーヌはその瞳に聖母のような優しげな光をたたえており、冷徹さは微塵も
感じられず、瞳はただただ美しい輝きを見せるだけであった。
(そうだわ……、ジュスティーヌさまはあの聖母像に似ておられる)
ジュスティーヌの美しさに感じ入りながらも、クローディスは以前にどこかで
彼女に出会った事があるような錯覚を抱いており、そして彼女の優しげな微笑で
探していた答えを引き当てた。
修道院の入り口の飾られていたあの聖母像と、目の前のジュスティーヌは雰囲気が
良く似通っていた。
細かい顔の造作に多少の違いはあれど、石膏の肌も、人に畏怖を抱かせる美しさも同じだ。
―― そして、黒い修道衣の下に隠された豊満な肉体も。
「……あなたがクローディスね」
他の修道達と同じようにテーブルについたジュスティーヌは、席へと落ち着くと
そうクローディスに声をかけた。
「は、はい。その……私をこのような立派な修道院の修道女としてお迎え下さり
ありがとうございました。この度の配属は院長さまのお口添えあっての事と聞き及んでおります……」
「まあ、口添えだなんて。わたくしは大したことはしていませんよ。
あなたがここに来たのも大いなる主の御心によるものでしょう」
ころころと笑うとジュスティーヌは可愛らしく見えた。
彼女の、その美しさからくる一種の威圧感は影をひそめ、少女めいた雰囲気が彼女を纏う。
少女めいた雰囲気は清らかさにも似ている。クローディスはジュスティーヌを
ますます聖母らしい方だと、そう感じた。
「……では皆さん、神の与えたもうた糧に感謝致しましょう」
ジュスティーヌの呼びかけにより修道女たちは声を合わせて祈りを捧げた。
食事を作る当番が決まっており、自分たちで作ったというスープはとてもまろやかで美味であり、
その晩餐は見た目よりもずっと素晴らしいものだった。
通常は、晩餐の席では沈黙の行をつらぬくものだが、ファレナでは院長の意向
――『与えられた糧を心安らかに得るのは神の御心に背くものではない』――から
修道女たちは気楽に雑談を交わしていた。
全員の名を教えてもらい、クローディスはそれぞれの特徴と名前とを併せて頭に叩き込んでいた。
ジュスティーヌは院長という名を持つ割りに気難しくなく、修道女たちの話しによく頷き、
時には会話にも加わっていた。
楽しい時間は過ぎていく。ある思惑を修道女達の笑みの影に隠しながら。
クローディスはここに来てようやく緊張も解け始め、同僚である修道女たちになじもうと
その場の会話に加わろうとして口を開き、ある事に気がつき狼狽した。
(――声が、でない)
そして、クローディスの手はしびれたように動かなくなり、力無く下へと落ちる。
彼女の手でなぎはらわれたフォークが金属的な音をたてて床に落ちた。
「あら……ようやく薬が聞いてきましたのね」
ヘイラがたれ目をなごませながら言った。
(な……に、薬……?)
クローディスがかすみゆく目を必死にしばたかせて声のした方向をみると、今度はリタの声がした。
「心配しないでいいよ。毒ではないし、体に残るものでもないから」
その声が、がんがんと頭に響く。
遂にはクローディスは自身の体を支えきれなくなり椅子からずり落ちた。
何がなんだか分からず、クローディスは激しく困惑していた。
軽やかな笑い声が聞こえ、クローディスは動かぬ体を必死に動かそうと身をよじった。
耐え切れぬような眠気が彼女を誘う。
だが、クローディスは精一杯の力を振り絞り声の主の姿を見た。
それは、ジュスティーヌだった。赤い唇の両端をつりあげて笑っている。
その瞬間クローディスは、ジュスティーヌをを聖母のようだと感じたのは、
大きな間違いであったと感じ、クローディスは戦慄した。
美しい悪魔が、ここにいる――!!
そのジュスティーヌはクローディスの視線を受け流し、被衣を取って
黄金色の髪を振り広げると穏やかといっていい口調でクローディスに語りかけた。
「今はただおやすみなさい、クローディス。……次にあなたが目を覚ますとき、
あなたはわたくしたちの真の姉妹として新たな生を受ける。
……さあ姉妹達、クローディスの新たな生に乾杯を」
ヘイラが、リタが、キャスリンが、そしてその他の修道女たちがグラスを持ち、
それを高く掲げた。
「「乾杯!!」」
その言葉を最後にクローディスは瞼を閉じ、心地よい睡魔(ヒュプノス)の誘惑に屈服した。