誤りは正さなければならない。  
だが時にはどうしようもないこともある。  
もし時間を戻せるのなら、一体いつならば止めることができたんだろうか?  
私は知らず知らずのうちに真実をかろうじてくるんでいたはずの薄皮を一枚一枚剥いでしまっていたのだ。  
 
暗殺とも事故とも言われた謎の死。  
前王と王妃の喪があけてからかなりの時間が過ぎたというのに、新しい王は一向に決まらぬまま。  
ここ数十年王家には男児が生まれず、リヴェスタール家最後の王は子を遺さなかったため、350年に渡るリヴェスタール家の歴史は幕閉じ、王位継承権は五公家へと移った。  
五公家、古の王と祖を同じとする一族。  
エンシェン、オーグス、カインフォルタ、バズ、フィングリード。  
一時はカインフォルタの当主に決まりかけていたというが、  
彼もまた暗殺された。  
都の貴族達は王となるものを見極めるためにあちこちに媚びへつらいながら今日も派閥争いを続けている。  
 
その争いからはじき出された下流貴族の娘など、彼等にはどうでもいいことなのだ。  
 
「バズが中央教会の式典に参加するらしいよ。教会への御機嫌とりだろうけどよ。エンシェンは西領に娘を嫁がせたらしいし、やっぱりあの二人の一騎討ちかねえ?」  
出入りの商人が教えてくれる都の情勢はいつも聞くものとさほど変わらない。  
どこかの当主がどこかの有力者にごまをすって自分への票集めをしている。要はそれだけのこと。  
目新しい情報と言えば、最近都で若い娘ばかり狙ったおかしな事件が続いているらしい。  
なんでも、暴行を加えたり、金品を強奪したりというようなものではなく、髪を引っ張られたり、手を握られたり、名を問われたり、という程度のことなのだが、急にそんなことされても気持ちのいい行為ではないだろう。  
滅多に修道院の外にでることのない私には無縁の事件のように思えた。  
だが、その噂を聞いた数日後、門の掃除をしていたシスターエイミが、  
「メイア修道院に最近若いシスターが入りませんでしたか?」  
と若い町人風情の男に尋ねられ、私とミムザのことを話してしまったそうなのだ。  
都の事件の話をあとから知ったシスターエイミが真っ青になって私に報告にきた。  
「ごめんなさい、ルーエラ。私ってば都の噂を全然知らなくて、若い娘が危ないって。ここに怪しいやつらが入ってくることなんてないと思うけど…」  
まだ何も起きていないというのにエイミはおろおろするばかり。  
「大丈夫ですよ、シスターエイミ。ここに怪しい男が入り込んだら一発でわかります。だってここは修道女ばかりですもの。」  
「でも、塔にいるミムザは危ないわ。あそこは母屋から離れているし、第一ミムザは口がきけないから助けも呼べないし。」  
 
そういう経緯があって、私はミムザの部屋を訪れていた。  
先日の風邪が長引いていたミムザだが、今はすっかり元気で、また読書に夢中のようだ。  
「だからね、物騒な噂もあるし、あなたもここじゃなくて母屋にみんなといた方が安全だと思うの。」  
ベッドに寝そべり、本から顔をあげずこくこくと頷くだけのミムザ。  
「じゃあ早速引っ越しましょうよ?」  
私の提案にもこくこくと頷くだけ。ちゃんと話を聞いているのか?  
「ねえ、ミムザってば!」  
本を取り上げるとミムザは渋々ながらもやっとベッドから身を起こす。  
だが、部屋に散らばる本を見渡し、別の本を開くとまたごろりと寝そべる。  
「人がせっかく心配してるのに。」  
どうやら塔を動く気のなさそうなミムザに背を向け、部屋を去ろうとすると、くいっと袖を掴まれた。  
ミムザは袖を掴んだまま、本から目線をちらりとこちらに向ける。  
もう帰るの?と、引き止めるように。  
「私はあなたと違って仕事があるのよ。また様子見に来るけど、ちゃんと戸締まりしてね。あなた何かあっても大声ひとつ出せないんだから。」  
私はそれだけ告げると、ミムザの手を振払い、部屋をでた。  
『あなたと違って』、自分で言った言葉なのにミムザじゃなく自分が傷付いたような気がした。  
 
怪しい男の噂はそれ以降もちらほら耳にした。  
噂をまとめると、怪しい男は若い娘を不特定多数に狙う変質者というよりはどうやら一人の娘を捜しているらしい。  
黄金色の髪で、右だか左の手に黒子がある娘を。  
それならば、似顔絵を街中に貼り出すなり、役人に頼むなり、もっとましな方法があるだろう。  
そうしないのは、何か隠したい理由があるのだろう。  
もちろん、よからぬ理由で。  
そして修道院の中は普段通り。  
たまに見かける男と言えば、院長のシスターヴァーナと古くから交流のある要人や、神父様や、いつもの商人など見知っている者ばかり。  
結局シスターエイミや私の心配は取越し苦労だったようだ。  
 
そんなある日、私は食堂にミムザの膳がまだ残っているのに気付いた。  
普段ミムザは食事を自室で取ることが多い。  
皆に会うのが煩わしいのか、たいていは食堂に皆が揃う前に自分の食事を取りにきているが、日によっては違う時間に取りにくることもある。  
本を読みふけっていてかなり遅くに取りに来る事もあるし、前に風邪をひいた時などは私が運んだ。  
(どうせまた本でも読んでて忘れているんだろう。)  
そう思った私はおせっかいかと思いながらも食事を運んであげることにしたのだ。  
灰色の塔は西日を受けてオレンジ色で、二階のミムザの部屋の窓ガラスも眩しく光りを反射していた。  
だから気付かなかったのだ。  
その日の異変に。  
部屋にミムザ以外の人影があったことなど。  
塔の扉がわずかに開いたままになっていたのも。  
盆で両手のふさがっていた私には扉の隙間は喜ばしいことだった。  
ミムザが誤ってちらかしてしまったのか、一階の床には昨日運んだはずのもろこしが数本転がっていた。  
あとで片そうと思いながら階段をあがる。  
「ミムザ、ごはん運んできたわよ。」  
返事がないのはいつものこと。木の扉のノブに手をかける。  
いつもは壊れた螺子のせいで開けにくい扉が、その日はやけに素直に開いた。  
「また本でも読んで…」  
小言をいうつもりで声をかけた人物を見て言葉が途切れる。  
「えっ…」  
思い掛けない事態に思考が止まる。  
部屋にいた人物はミムザではなかった。  
このメイア修道院に属する修道女ですらなかった。  
私と同じように驚愕で目を見開いたままの人物は、紛れも無い『男』だった。  
怪しい男、人を捜す、忘れかけていた不穏な噂が頭の中に蘇る。  
この男が捜していたのはミムザ?  
硬直した私を見て、先に口を開いたのは男の方だった。  
「お願いです、話を聞いて下さい。私は決して…」  
あわてふためきながら男が近寄ってくる。  
「嫌、近寄らないで。」  
私は扉の方へ後ずさりする。がくがくと震える足は黒衣に隠れて見えないだろう。  
だが、盆を持つ両手はがたがたと食器を揺らして震えていた。  
「私はカイ…」  
「やめてーっ!」  
男が必死で何かを言おうとするが、私は盆を男に投げ付け、部屋を飛び出す。  
だが、やっとの思いで廊下に出た私を黒い影が襲う。  
バンっと背中から乱暴にからだを壁に押し付けられ、  
声をあげようとするもすぐに口を覆われる。  
「…やめっ…」  
自分を押さえ付けているのが誰なのかもわからぬまま、先程の男が私を追って廊下に飛び出した姿を  
見たのを最後に私の視界は真っ暗になる。  
 
誰かの鼻歌が聞こえる。  
〜もりのいずみで  
時々歌詞を口ずさんでいる…  
〜ちいさなうさぎが  
ああ、知っている。父様が昔歌ってくれた子守り歌だ。  
〜はるをむかえに  
この声は父様じゃない。だって父様の声はもっと低かった。  
誰の為に歌っているの?  
私のため?  
 
 
うっすらと目を開く。  
灰色の天井をバックにして視界に飛び込んできたのはよく知る顔の人物。  
そう、シスターミムザ。  
私と目が合うと、口ずさんでいた歌を止める。  
そしてにっこりと微笑んでこう言った。  
「起きた?ルーエラ。」  
聞こえるはずのない声で。  
「ミム…ザ?」  
私に声をかけたのは目の前で口を動かしたミムザに違いないのに、尋ねてしまう。  
だってミムザは口がきけないはずだから。  
目の前のミムザがゆっくりと口を開く。  
「そうだよ。ルーエラ。」  
その声は聞こえないはずの声。  
だってミムザがこんな『男』のような声をしているわけないのだから。  
「ミムザ、あなた誰なの?」  
だんだんはっきりとしてくる意識の中で、からだの不自由さに気付く。  
頭が重いだけではない。手足が動かせない。  
だが目はミムザを捉えたまま。  
「そんなことどうだっていいんじゃない?」  
ミムザの顔がじりじりと私に近付く。  
そして、私の額に軽く口付けた。  
「せっかくだし、お目覚めの時に楽しもうと思ってね。」  
ミムザの指が私の唇を伝う。  
「逃げられないよ、ルーエラ。」  
 
 

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