「だから、変な男が若い娘を狙っているらしいのよ。」  
ルーエラが都の噂をいちいち本気にして何か忠告しているようだ。  
若い『娘』を狙っているのなら自分は対象外なのだが、それを説明する手立てもなく、適当に聞き流す。  
「ねえ、ミムザってば!」  
ルーエラは話を聞かないのに腹をたてたのか、本をとりあげられてしまった。  
(まあ、その本は飽きていたところだし。)  
別の本に手を伸ばす。  
「せっかく心配してるのに。」  
帰ろうとするルーエラを見て無意識に手がのび、くいっと袖を引っ張る。  
「私はあなたと違って仕事があるのよ。また様子見に来るけど、ちゃんと戸締まりしてね。あなた何かあっても大声ひとつ出せないんだから。」  
僕の手を振払い、彼女はすたすたと部屋を後にする。  
袖を掴んでいた手をじっと見る。  
何故彼女を引き止めようとしたのか。  
シスターミムザの身分でいる限り、ルーエラときちんと向き合うことはない。  
偽りの関係のまま。  
彼女は『ミムザ』を妹のような、友達のような存在と捉えているだろう。  
だが自分はどうなのだろう。  
ことあれば利用するだけの存在。  
姉のように頼ったり、母屋との連絡役になってもらっていたり、  
あの時のように己の性欲を処理したり。  
もし彼が本来の身分に戻るのならば、これから先女など掃いて捨てるほどいるだろう。  
だが、今その対象はルーエラしかいない。  
この感情が彼女を欲しているということならば、それは若さ故のただの肉欲か?  
それとも、ルーエラ個人への執着か?  
 
いっそ恋という安易な一言ですましてしまえるならばよかった。  
だが、実際には彼の心の奥底に潜む闇が、幼い頃に植え付けられた闇が彼を走らせていた。  
神の花嫁を穢す事へと。  
 
灰色の塔に訪問者が現われたのはルーエラの忠告からしばらくたってからのことだった。  
いつものように母屋に食事をとりに行こうと階段を降り、貯蔵庫部分を通り抜けようとした時、樽の間から人影が飛び出す。  
薄暗い部屋の中、急に襲い掛かってきたその人物に無理矢理ヴェールを剥がれ、普段は表に出る事の無かった黄金色の髪が外気に触れる。  
振り返った彼の目に映るのは町人らしき格好をした一人の男。  
神父でも商人でもない、全く外部の者のようだ。  
(一般人が何故ここに?まさかばれたのか?)  
黒衣の中に隠しもった護身用のナイフに手をのばす。  
だが男は襲い掛かるようなこともなく、じっと見ているだけ。  
判別するかのように。  
「やっぱり!」  
男が感銘の声をあげた。  
「嬢ちゃま!捜しましたぞ。」  
帽子をとり、白髪まじりの髪を見せた初老の男は目を潤ませていた。  
その顔は、しばらく見ぬうちに老け込んだとはいえ見覚えのあるものだった。  
「ジーン、ジーンか?」  
そして、僕の声を聞いた初老の男は予期せぬ声に潤んだ目を今度はぱちくりと開いた。  
「やや、坊ちゃま??」  
 
ベッドに腰掛けた僕と向かい合うように男が木の椅子に腰掛ける。  
「坊ちゃまは東へ行かれたとばかり…まさかこのような場所でお会いするとは。」  
かつて執事として仕えていた初老の男、ジーンはしげしげと修道女にしか見えない『ミムザ』を見つめる。  
「ああ、その方がカモフラージュになるって。姉上が強行的に。」  
「嬢ちゃまらしい…しかし坊ちゃま、いくら身の安全の為とはいえ、このような修道院にしかも女装して身を潜めるなど、このジーン、亡くなった旦那様にあわす顔がございません。  
都では今エンシェンとバズ優勢と言われてますが、カインフォルタの支持者も残っております。このジーンめも坊ちゃまの安全は命をかけてお護りします故、どうかここからお移りくださいませ。」  
「お前に言われなくてもいづれはそうするつもりだ。それよりどうやってここを知った?」  
「旦那様の死後坊ちゃまは東に行かれと聞き、行方知れずの嬢ちゃまを保護するために私どもは都のあちこちを捜しまわりました。  
はじめはカインフォルタと縁が深い貴族に保護されているとばかり思っていたのですが、都の貴族は皆日和見主義の情けないものばかり。カインフォルタの名を聞くだけで厄病神扱いの者まで…途方に暮れてたところ、我々の一人がここの情報を聞き付けたのです。」  
姉が貴族に匿われていないのなら市井に混じっている、そう考えて手当たり次第若い娘を調べていたようだ。  
黄金色の髪を持ち、右の手のひらに二つ並んだ黒子を持つカインフォルタの遺児を捜すために。  
その結果が都の怪事件だったのだろう。  
 
「ここにも噂が届いてたよ。都で若い娘が襲われるって。」  
僕がそういうと、ジーンも気まずそうな顔をする。  
「下のものが無茶をしまして。全く裏目に出なかったからよかったものの。」  
「ああ、バズにも牽制になっただろう。お前達が都で姉上を捜しまわっていたおかげで僕が東に行っていることも強調された。まさか逆だとは思うまい。」  
僕は黒衣の袖を振り、自嘲気味にくすくすと笑う。  
「ですが坊ちゃま、年寄りの私でもここには容易に侵入できました。院長の客の振りをして。」  
ジーンは言いにくそうに告白する。  
「ここの古い噂は知っていましたが本当に灰色の塔にいようとは…とにかくここでは心配です。坊ちゃま、どうか!」  
ジーンの眼差しは真剣だ。  
だが、僕と姉が導きだした答えは変わらない。  
「ここは動かない。今下手にカインフォルタがでばっても潰されるだけだ。東の援助を得る。そうでなければ勝ち目は無い。」  
「…では、嬢ちゃまの働き次第ということなのですね?」  
ジーンががっくりと肩を落とす。  
まだ15の少女が東候の心を動かすなど到底無理だと思っているのだろう。  
「まあ、正確には僕の器もはかられている。」  
ベッドに散らばる本の山。床に散らばる書き損ねた書面や図面。  
姉からの密書を通して僕に突き付けられる無理難題。  
東にしてみても父親を暗殺された可哀想な遺児というだけでカインフォルタを支持するのは危険な賭だ。  
僕が東にとって利用価値のある人間か見極めたいのだろう。  
「なあ、ジーン。お前は僕に王になって欲しいのか?」  
僕の問いにジーンは何をいまさらと言わんばかりの勢いで、  
「当たり前です。このジーン、カインフォルタに仕えて早40年。亡くなられた旦那様も、坊ちゃまも王に相応しいことを誰よりも存じ上げているつもりです。」  
「本当にそう思うか?」  
僕はベッドから立ち上がる。  
「教会に認められなかったこの僕が。」  
ジーンは反論できず、口をつぐむ。  
この事を知っているのはジーンを含むごく一部の者だけ。  
カインフォルタの汚点を―  
 
僕と姉は双児と思われることが多い。  
顔もよく似ているし、年もほとんどかわらない。  
僕がカインフォルタの家に迎えられたのは4つの頃。  
生まれて数日で洗礼を受けた姉を違い、  
それまで僕は洗礼を受けることができなかった。  
中央教会は私生児の洗礼を認めていないから。  
 
腹違いの姉弟なのに似ているのにも理由がある。  
母親同士が姉妹だからだ。  
姉弟であり、従兄弟である。  
それが今となってはお互いが唯一の肉親である僕と姉との関係。  
 
「まあいい。お前にもこれからは協力してもらいたい。」  
沈んでいたジーンの顔に明るさが戻る。  
「もちろんです、坊ちゃま。」  
ジーンの部下には今回の騒ぎを起こしてしまうような無鉄砲な者もいるようだが、僕がここで動けない以上協力者は多い方がいい。  
「ここで待ってろ、おまえに預けておきたいものがある。」  
ジーンを待たせ、部屋を出る。  
迂闊だったと思う。  
ルーエラが部屋に来る時はもっと早い時間のことが多かった。  
西日のさしかかるこの時間に塔に来る事はなかったのだ。  
埃をかぶった箱を取り出し積もった埃をはらっていると、壁の向こうからかすかに聞こえる女の声に気付く。  
「嫌、近寄らないで。」  
それはルーエラの声。  
ジーンとはち合わせしてしまったのか?  
とっさに埃のかぶってない小箱から青い小瓶を取り出し、部屋を出る。  
真っ青になって部屋から飛び出したルーエラを押さえ込み、口を塞ぐ。  
「…やめっ…」  
彼女を壁に押さえ込んだまま、部屋を出てきたジーンに目配せし、  
薬が効いて崩れ落ちる彼女を両手で支えながら僕は告げる。  
「彼女は僕がどうにかする。お前は今日はもう引け。ミセスカーターの名でシスターヴァーナ宛に手紙を出すように。当座はそれで十分だ。」  
 
 
ベッドに横たわるのはとらわれの修道女。シスタールーエラ。  
両手首に幾重にも巻かれた紐はベッドの柱と繋がり、  
大きく開かれた足も、一本ずつ紐で繋がれている。  
あわれ彼女は十字架の代わりにベッドの上で張り付けにされている。  
神に誓ったはずの純潔をこの僕に穢されるために。  
 
彼女の目覚めを待ちながら口ずさんでいたのは子守唄。  
けれど蓄積されたこの欲求はもう眠らせておくことはできない。  
 
花が咲く時がきた。  
 
 

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