朝。部屋をまわり、寝ぼけ眼の子供達を起こし、着替えを手伝い、朝食の席につかせる。
「ふえーーん!」
「ああっ、レノアがまたおもらししてるー!」
「おやおや、またかい?レノアはいつまでたってもおねしょばっかだねえ。」
こんな光景もあれば、
「サンディーがぼくのくつしたかくしたー!」
「ちがうよー、ジェオがやったんだって。」
「おやまあ。駄目じゃない、ジェオ。次やったら三日間おやつ抜きよ。」
こんな光景もある。
一方大人用の大きい椅子に混じり、子供用の小さい椅子の並ぶ食堂では、
「シャリーがピーマンのこしてるよ。」
「だってにがいんだもん。ハノンだってにんじんのこしてるよ。」
「好き嫌いはだめですよ。いっぱい食べて大きくならなきゃ。」
こんなやりとりが聞こえる。
リヴェスタール王家の血筋が絶え、建国以来初となる五公家出身の王の即位から数年。
正門にかかげられた錆びた表札はそのままなのに、
ここ、メイア修道院をその名で呼ぶものは今はもうほとんどいない。
メイア孤児院。それが現在の通称だ。
改革―
たった数年ながらも新王がもたらしたこの国の変化はそう呼ぶにふさわしい。
若く、凛々しい王に、古き体制に辟易してた民は大きな期待をよせ、王はそれに応えることとなる。
成人前の年若い王には摂政がつくのが通例。
だが王はそれを拒み、自らの手でこの国の腐った部分を切り落としはじめた。
税制も大きく変わり、力なき庶民の負担は軽減され、
この国の長き歴史の中で必要以上に力を持ち過ぎた貴族達は身をそがれることとなる。
古臭い形ばかりの元老院は廃止され、他国にならって選挙とかいうものも取り入れるらしい。
無駄に国の金を喰らう教会及び聖職者達の権力は大きく削られた。
中央教会もその例にもれず、そこに属するメイア修道院も存続の形を大きく変えられることとなる。
その結果が、『孤児院』である。
さて、新王の即位からほどなくして院長であったシスターヴァーナが体調を崩しがちとなり、今ではその職務の大半を私、シスターエイミが代行している。
修道院から孤児院へと名も役割も変えられた今、年老いた修道女達が祈りながら静かに暮らす日々は終わり、
下は赤ん坊から上は13まで、親を無くしながらも希望を失わず元気に駆け回る子供達に振り回され、
慣れぬ子育てに悪戦苦闘の日々が続いている。
修道女達は私を含め子育てなど全くの未経験のものが大半を占める。
皆はじめは手間取ることばかりだったが、無邪気な子供というにはこちらに活力を与えてくれるもので、今では皆すっかり子供達を生き甲斐にしているようだ。
もっとも、ここが孤児院となったのはある理由があるからなのだが、今は触れないでおこう。
バタバタバタ。大きな足音が廊下に響き渡る。
廊下を走っては駄目とあれだけ言い聞かせているはずのなのに。
ゴンゴンゴンと乱暴に太鼓を叩くかのような複数のノックの音が重なる。
「どうぞ。」
かちゃりとノブをまわし、姿を見せたのはわんぱく坊主たち。
「シスターエイミ、おきゃくさまだよー!」
「おきゃくさまおきゃくさまー!」
「あら、教えてくれたのね、ありがとう。ジェオにバート。でも廊下は走っちゃ駄目よ。」
「はーい。またねー。」
「ばいばーい。」
子供たちはまた元気に廊下を走っていく。まったくもう、また廊下に傷が増える。
扉の前に残されたのは一人の貴婦人。黄金色の巻き髪に瞳と同じ碧のリボンが良く似合う。
「こんにちわ、シスターエイミ。」
優し気に微笑む彼女はかつてここにいたことのあり、今ではここの有力な支援者の一人。
「あら、珍しいこと。テイウェンにはいつ戻って来たの?ケイティア様。」
「一昨日よ。主人と一緒に一月ほど滞在予定なの。」
かつては『預かり』として、他の修道女達とは異なる少し特殊な形でメイア修道院に身を置いていたシスターミムザ。
その正体が五公家が一つ、カインフォルタ家の遺児であったことは新王の即位と前後して知った。
唖の振りをして、特定の修道女以外との交流を避けていたミムザとは異なり、
本来のケイティア様はおしゃべり好きな人懐っこい朗らかな方だ。
子供達がトランポリンのようにジャンプして遊ぶから、バネは飛び出し、布にもほころびの目立つソファ。
ドレスを傷つけない様に場所を選びながら腰掛ける彼女。
私が対面して座ると、朗らかな表情は曇り、重い口を開く。
「あの、彼女の様子は…?」
「ええ、最近は落ち着いてるわ。本を読んだり、刺繍をしたり。」
「そうですか。塔の外には?」
「まだ難しいかと。修道女以外が近寄るのを拒みますから……。そういえばシャリーには?」
「さっき、庭で遊んでいるところを。あの子は、まだ知らないんですよね。」
「真実を教えようにも、多分まだ理解できないでしょう。あの子はまだ幼い。」
窓の外を眺める。
地面にいくつもの輪を描いて、飛び跳ねて遊ぶ子供達。
その中の一人、黒髪に碧の瞳の女の子。ピーマンの嫌いなシャリー。
ここ、メイア孤児院の子供達の最古参である。
孤児院に来る子供は、皆なんらかの不幸や事情があってここに来た。
だが、シャリーに関しては少々事情が違う。
シャリーは孤児としてここに「来た」のではない。
シャリーはここで産声をあげ、ここで名を与えられ、ここで育った。
一度も彼女を抱いたことのない母が、同じ敷地内に生きて暮らしていることも知らずに。
灰色の塔にいつも彼女はいる。
月がのぼりはじめたばかりの夜のひととき。
普通の家庭なら暖かい暖炉の前、家族が集まって談笑する時間。
でもここでは子供達は早々とベッドに寝かし付けられる。
「ねえ、知ってる?灰色のとうのこと。」
「しってるよ、シスタースウにきいたもん。あそこにはびょおきの人がいるから入っちゃだめだって。」
「こわいびょーきなのかな?」
大人用の大きなベッドから三つ並んで顔をのぞかせこそこそと話あう子供たち。
「ほんとうにびょうきの人がいるのかな?」
「スウははちみつが大好きだからあそこにいっぱいかくしてるのかも。いつもちょっとしかくれないし。」
「ええーシスタースウずるーい。わたしもはちみつすきなのに。」
子供達は皆甘いものが大好き。
でも、シスタースウは虫歯になると言って咳のある時以外は滅多に蜂蜜を舐めさせてくれない。
「ねえ、とうにたんけんしにいこうよ。」
「だめだよ。みつかったらおこられるよ。」
「だいじょうぶだよ、びょおきの人のおみまいにきたっていえばいいいじゃない。」
ベッドの中で練られた灰色の塔探険計画。
それがある事件を引き起こすことになる事を子供達は知る由もない。
診察を終え、険しい顔をして医師が部屋を出てきた。
「先生、シスターヴァーナの容態は?」
「できる限りのことはしましたが……今夜あたりが山かもしれません。」
「そんな!」
医師の言葉に私はがっくりと肩を落としてしまう。
ここ数年寝こむ事が多くなったヴァーナ。
今回も数日前はただの風邪だったのが、こじらせて肺炎となってしまった。
その熱が一向にひかず、ここニ、三日は意識も朦朧としているようだ。
「シスターヴァーナの御親族は?」
「詳しいことは知らないのですが、御両親も、御兄弟もほとんど他界されてるとしか。」
医師も私もやりきれないため息をつく。
「薬は言った通りの分量で。なにかあったら知らせを。」
医師に礼を言い、院長室に戻る私にどたばたといつもの子供達の足音が近付いて来る。
(ヴァーナが危険な状態だというのに、全く…)
小言を言うつもりで口を開きかけたが、ジェオの一言がそれを遮る。
「シスターエイミ、たいへんだよ!」
「灰色の塔には決して近付いては行けない。」
「塔には重い病気の人がいる。」
あれだけ口を酸っぱくして言ったはずなのに、また子供達は悪戯心で塔に入ってしまう。
ベルもやらかしたし、レノアもだ。
その度にきつく言ってきたのに、今回は三人、ハノンにシャリーにアンナ。
(彼女に見つかる前に三人を連れ戻さないと。)
レノアは彼女の姿を見はしなかったが、幽霊の泣き声を聞いたと言って怯えていた。思えば治りかけてたレノアのおねしょ癖はあれ以来悪化した。
一方彼女に遭ってしまったベルは、しばらく庭に出るのすら怖がり、今でも塔の傍には近寄らない。
院で一番の悪戯っ子のジェオが塔には手を出さないのは仲良しのベルから話を聞いているからだろう。
三人が塔に忍び込むのをたまたま見たジェオは、急いで私に知らせにきてくれた。
(最近はせっかく落ち着いてたのに。)
彼女が症状を悪化させる原因となるものは二つある。
男と、子供。
診察に来る医師すらも恐怖の対象とし物を投げ、無邪気な子供を悪魔とののしる。
(彼女にはち合わせしないといいのだけど…)
灰色の塔、その入り口の扉は半開きになったまま。
芋の転がる一階の貯蔵庫には何かを探して荒らしたあと。
「ハノン、シャリー、アンナ、いるの?」
三人の名を呼ぶと、樽の傍でがさっと蠢く音がする。
目をこらせば樽の影に頭を抱えて座り込むアンナの姿。
「アンナ、見つけたわよ。」
後ろから声をかけるとアンナはおそるおそる振り返る。
「ごめんなさい…シスターエイミ。」
怒られると思ったのだろう、アンナは目にいっぱいに涙をためていた。
「ここには入ってはだめと言ったでしょう?シャリーとハノンは?」
しゃくりあげるアンナが指差す方向には積み上げられた麻袋の山。
その山の後ろにはハノンが身を小さく縮めて潜んでいた。
「ハノン、かくれんぼは終わりよ。」
声をかけると、ハノンも立ち上がり、アンナと同じく詫びを請うような目で私を見上げる。
「おこってる?エイミ。」
「ええ。怒ってるわ。今日は三人ともおやつ抜きよ。あとはシャリーね。どこに隠れてるのかしら?」
ハノンもアンナも知らないと言う。シャリーが鬼の番だから、と。
はじめ三人は蜂蜜があると思って忍び込んだらしい。
だが目的の物は見つからず(そもそもスウはここに蜂蜜を置いていない)、途中からかくれんぼをして遊んでいたようだ。
あちこち捜しまわったが、一階にはシャリーの姿はなかった。
先に二人を母屋に帰し、私は一人で二階へ向かう。
コンコン、と形だけノックをして木の扉を開く。
部屋の主は揺りいすに腰掛けすやすやとうたたねをしていた。
どうやら侵入してきた三人は遭遇せずにすんだようだ。
灰色の塔、その二階の一室。ここだけ、彼女だけは時間を止めたまま。
彼女はここが修道院から孤児院へと名を変えたことすらわかっていないのだ。
私は寝ている彼女を起こさぬよう、静かに扉を閉めた。
困ったことに他のどの部屋にも隠れているシャリーを見つけられず、
母屋に戻った可能性を考え私は一度塔を出た。
仮にシャリーが塔に潜んだままだとしても飽きれば戻ってくるだろう。
それにヴァーナの容態も心配だった。
だが、おやつの時間になっても夕食の時間になってもシャリーは一向に戻らず、
確認のため塔に向かったシスターレムもシャリーを見つけられなかった。
私はヴァーナに付き添い、それ以外の修道女が総出でシャリーを探す。
修道院から孤児院と名を変えてから、ここへの人の出入りは前より確実に多くなっている。
サンディーはここに来たての頃、出入りの業者の馬車に忍び込んで家出をしかけた。
レノアも牛乳屋の後ろについて院を勝手に出てしまい、迷子になっていたところを肉屋に送り届けられたこともある。
子供達の行動範囲は狭そうに見えて、大人の想像以上に広いものなのだ。
丁度経営難に陥っていた一修道女だった時代から、教会同士の派閥争いの時代を経て、院長へ。
長年メイア修道院を支えてきたシスターヴァーナ。
そのヴァーナの熱は薬が効かないのか、なかなか下がらない。
ベッドの横には病状を心配した子供達が摘んできた小さな花が飾られている。
「……レド…」
時折うわ言で誰かの名を呼んでいる。
だが、私はその名の主を知らないし、その人物にヴァーナの危篤を教える手立てもなかった。
月が天高く上りきってもシャリーは見つからなかった。
孤児院の孤児が一人行方不明。
おそらくこの街の、都の、国中の人々にとってさほど問題ではない小さな事件。
真実を知らぬ人々にとっては。
シスターヴァーナとシスタースウ、そして私。
院内で真実を知るものはこの三人しかいない。
私は悩んだ末、ケイティア様の元へ早馬を出した。
〜シャリティアが行方不明。
そう手紙を添えて。