私が5歳の時、一つ違いの弟ができた。  
うちに来たばかりの頃の彼は、自分を捨てた実の母を恋しがっては泣いていた。  
誰に対しても人見知りをする子なのに、私には何故かはじめから懐いてくれた。  
髪の色も瞳の色も同じ。目の形も鼻の形も同じ。  
自分と良く似た容姿の私に安心感を抱いたのだろうか。  
当主としては有能でも、あまり家庭におさまるタイプではない父。  
夫と妹の不貞を知ってしまって以来心もからだも壊してしまった母。  
姉上、姉上、と無邪気に後ろをついてまわる弟。  
 
愛情の薄れかけた家族の中で私は本能的に可哀想な弟に愛情を注ぐことを覚えた。  
 
私が9歳の時、母が死んだ。  
一時は良くなったものの、母は病状は再び悪化し、遊び好きの父はその頃どこぞの夫人との浮気に情熱をそそいでいた。  
生みの母は私の叔母。育ての母は私の母。  
そんな事情から、弟は私の母を母と呼ぶことができいままだった。  
私の発案で、母の誕生祝いのため二人でに庭の花を摘み、絵を描いた。  
そして二人で手をつなぎ、母の部屋に見舞いに行った。  
大切な母と大切な弟。互いが歩み寄るきっかけになることを願って。  
私達のプレゼントを受け取るためにベッドから身を起こし、  
良く似た私達の顔を生気の乏しい目でぼんやりと見つめる寝巻き姿の母。  
弟はぎゅっと私の手を握り、顔を真っ赤にし、長いこと言うことのできなかった一言を口にした。  
 
その日の晩、母はどこから手に入れたのか隠し持っていた毒を煽った。  
私達姉弟が母の死の真相を知ったのはもっと後のこと。  
幼い私達は母の死を病死と伝えられ、それを信じた。  
 
父なりに母の死はこたえたのだろう。  
父は前よりも私達姉弟と家族として過ごす時間が増えた。  
とはいえ女遊びは減っただけですっぱりやめたわけではなく、遊び好きもあまり変わらなかったが。  
親戚がいくらすすめても父は再婚を拒んだため、  
後ろ指を指される存在だった弟は時期当主として一族に認識されるようになっていった。  
 
可哀想な弟が心に闇を秘めはじめたのはいつからなのか。  
私は知らない。  
 
私が14歳の時、父が死んだ。  
幼い頃は遊び人だとばかり思っていた父だが、他からの評価は高かった。  
父はとにかく、顔が広かった。  
富豪であれ、貧民であれ、神父であれ、異教徒であれ、父には至る所に知人がいた。  
その人脈を活かし、他国との商談を積極的に押し進め、古くからの家業の一つでありながら低迷気味だった貿易業を盛りかえしたという実績は大きい。  
音楽、絵画、文学、様々なものを愛する父は、新鋭の芸術家の援助にも積極的だった。  
貴族制度や王政そのものを批判するような思想家達とも交友があったと聞く。  
空席のままの王座に父が最有力と言われたのもこういった理由があったからだ。  
その父が持った最後の愛人。ミス・ワーフ。  
彼女は私達姉弟の家庭教師だった。  
とびきり器量のいい女性とは思えなかった。地味な女だと思った。  
それなのに、弟に微笑みかける彼女をみて何故か嫌悪感を感じた。  
でも私の直感ははずれてなかった。  
地味な外見をカモフラージュに、彼女は全身武装していたから。  
女の性をいっぱいに匂わせて。  
父も、弟も、私が気付いてないと思っていただろう。  
でもあの女は隠しもしなかった。父との情事をわざと私に見せつけように、聞かせるように隙を作っていた。  
そして平然と言い放った。  
「私はこの家の使用人。ならばこの家の主人をお慰めするのも命令あれば仕事のうち。一体誰が咎めましょう?」  
 
父の部屋に充満し、隣の書斎にまで流れてくる蜜の匂い。  
鼻につきまとう甘ったるい嫌な香り。  
あの女はそれをそそり立つ陰茎に塗りたくり、それを美味しそうに咥えていた。菓子を喜ぶ子供のように。  
己の乳房に垂らし、それを舐め取らせていた。腹を空かせた赤児のように。  
あの日見てしまった光景。  
彼女の手管に恍惚の表情を見せていたのは父ではなかった。  
自分同様性への目覚めなど無縁とばかり思っていた弟の姿がそこにあった。  
 
悲劇のはじまりは突然。  
私達家族は皆彼女の魔性に気付きながら、誰もとめる事ができなかった。  
 
「ユージェ……?」  
立ちすくむ弟。その目は一点を見つめたまま。私が声をかけても振り返りもしなかった。  
足下には赤黒い染み。蜜の匂いなんかじゃない。錆びた鉄の匂い。  
血まみれになって倒れる父がそこにいた。  
 
そして私達姉弟の別離があり、再会があった。  
 
私が17の時、弟は王となった。  
そしてほどなくして、弟の潜伏生活において最も親しくしていたという女性が新しい命を産み落とした。  
「僕の子供だろうね。」  
事実関係を訪ねる私に弟はそう言ったが、引き取る気はないらしかった。  
もっとも今の彼がそんな事できるわけないのだが。  
一方事の重大さに女性は心を病んでしまった。私の母のように。  
彼女は赤児の存在を認めなかった。認められなかった。  
彼女は神の花嫁たる修道女だったから。  
赤ん坊は元気な女の子で、私がシャリティアと名付けた。  
カインフォルタ家の娘は皆ティアの名を持つから。  
シャリティアのため、かつて修道院だったそこは孤児院となった。  
皆にシャリーと呼ばれる黒髪に碧の瞳の女の子は他の孤児同様に親のいない子供として育つこととなる。  
 
可哀想な弟は二人の女性の運命を変えたのが彼の心の闇であることをわかろうとしない。  
 
 
いくら厳重な警備であろうとも、私には通用しない。  
なにしろ私はこの宮殿の主と同じ顔なのだから。  
衛兵は猛進して来る私の姿に首をかしげはするものの、すんなり目的地まで通してしまう。  
「……ひゃん……うふふ……」  
ギシギシ言っているにはベッドのきしむ音だろう。  
扉を通してかすかに女の喘ぎ声が漏れてきているが、彼のベッドに誰がいようが今は問題ではない。  
バーン!乱暴に扉を開け放つ。  
 
「……?きゃー!」  
真っ暗な部屋のなか、突然の来客に全裸の女性が声をあげる。  
馬乗りになって腰を振っていた反動で大ぶりな乳房をぷるんと揺らし、女がぽすっと腰を落とす。  
身内の情事など想像したくはないが、騎乗位で交わっていたのだろう。  
女は恥ずかしそうにシーツ端で体を隠すも、ほとんどかくしきれてない。  
だが、私の顔を見ると、ベッドに横たわる主と見比べて首をきょろきょろ動かす。  
「あれ、陛下?でも、あれ?」  
私の顔を認め、女の尻に手を這わせていた部屋の主がゆっくりとからだを起こす。  
「やあ、姉上。こんな時間に一体何ですか?」  
 
人払いした寝室に、蝋燭の火が灯る。  
「お愉しみ中のところだったのに、悪いわね。」  
皮肉たっぷりに言うも、弟はとくに恥じらう様子もない。  
はだけたガウンからのぞく胸元には先程の女がつけたであろう赤いしるしが散る。  
「それで、御用件は?」  
赤いしるしにとらわれていた思考を切り替え、私は一通の手紙を取り出す。  
「さっき届いたの。メイア修道院からよ。」  
「ああ、そういえばシスターヴァーナがこのところ寝込んでいるそうだか……」  
書面に目を通していた弟の声が止まる。  
私はまっすぐに弟を見る。  
「シャリーがいなくなった。あの子の素性を知っているのは数える程の人間しかいないはずなのに。」  
紙の上で止まっていた彼の目線が私とぶつかる。  
「誰かが口を割れば、洩れる可能性はある。最近西の奴らのよからぬ企みの噂もあるし。」  
弟はため息をつき、テーブルに肘をつき手を交差させその上に顎をのせる。  
あくまで冷静に、腰掛けたままだ。  
私はわなわなと込み上げてくる怒りにまかせて勢いよく立ち上がる。  
「まさか何もしない気なの?」  
私を見上げる眼差しは冷静なまま。  
「ここで僕が動けば敵の思惑を肯定することになる。あの子は僕の子供だと。」  
「でも、ほっといたら何をされるか?あなたはお父様や自分がされた事を覚えてないの?」  
 
家庭教師を名乗る刺客に殺された父。  
毒を盛られて死にかけた弟。  
火を放たれ失われた屋敷。  
古い記憶の傷跡が蘇る。  
「そもそもいなくなっただけで誘拐と決まったわけじゃない。仮にそうだったとしても、僕が認めなければいいだけのこと。今は西に弱味を…」  
言葉を遮りバシッと渇いた音が鳴り響く。  
弟の左の頬がみるみる赤く染まっていく。  
弟はあっけにとられたまま、しばらく言葉を失っていた。  
「弱味?シャリーはあなたの駒じゃないわ。生きた人間なのよ。血を分けた娘によくもそんなことを!」  
もう一度殴ってやろうと右手をふりかざした瞬間に手を掴まれた。  
痛そうに頬をさすりながら弟が言う。  
「久しぶりだね、姉上にビンタされるのは。あの時以来だ…」  
あの時。そう、あの時。  
父の亡骸を前にほうけてる弟を正気に戻すために思いっきり叩いた。  
「いつまでたってもあなたがわかろうとしないなら、何回でもぶつわよ!」  
手を振りほどこうと抵抗しながら私は叫ぶ。  
暴れる私を必死で押さえながら、あきらめたように弟は言った。  
「わかった、姉上。落ち着いて。」  
「わかったって、どうするつもりなの?」  
じたばた暴れる私のせいで、弟のガウンははだけて今にもずり落ちそうだ。  
股間では先程の情事を中断されて達することのできなかった一物がぷらぷらと揺れている。  
「行くよ、メイア修道院へ。いや今は孤児院か。」  
やっと抵抗をやめた私に弟がささやく。  
「ただし……」  
「えっ?」  
今度は私があっけにとられる番。  
そんな私の了承を待たずに、弟はさっさと着替えを始めてしまった。  
 
月はまだ高い。  
 
 

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