「ルーエラ、シスターヴァーナが呼んでるよ。」
腰の曲がった修道女に声をかけられ、
ルーエラは一向にはかどらない刺繍から顔をあげる。
ルーエラの刺繍は決して下手というわけではないのだが、
売り物として見映えが良いといえる程のものではない。
先輩の修道女の刺繍は、からだを纏う黒一色の服とはうらはらに、
見てて惚れ惚れするような華やかさがある。
さすが熟練の腕前と言ったところか。
「今行きます。」
仕事を中断できることを内心喜びながらルーエラはテを休め席を立つ。
シスターヴァーナはルーエラに灰色の塔へのお使いを頼む事が多い。
塔に一人住むミムザが寂しい思いをせぬよう彼女なりに気を配っているのだろう。
ルーエラの去ったあとの部屋。
慣れた手付きで美しい刺繍をしていく熟年の修道女達が雑談を始める。
「ルーエラとミムザは今でも仲良しなのかしら?」
小太りの40前後の修道女が器用に刺繍しながら尋ねる。
「どうだか。私の若い頃いた預かりの娘はつんけんしててとても近付く気にならなかったがね。」
目のぎょろり大きい修道女が答える。
「私だってそうですよ。嫁入り前の箔付けのためにここに預けられたような娘と仲良くしているなんて、ルーエラが気の毒で…かといってはっきり教えてあげるのも酷でしょう?」
「そうそうミムザを預かりと決めちゃならんよ。」
小太りの修道女の言葉をさえぎるように口をはさんだのは腰の曲がった老修道女、シスタースウ。
「預かりだとばかり皆に思われていて、預かりじゃなくなった修道女もいるさ。」
スウの言葉に二人の修道女は目を丸くする。
「そんなこともあるんですか?」
「預けられてる間に家が没落するもの、縁談が破談になるもの、親の意志をはねつけて修道女の道を選ぶもの、いろいろさ。」
小太りの修道女はわかったようにうなずき、
目の大きい修道女はまだ納得できないような顔をしている。
「じゃあ、いつになったら預かりかどうかわかるのですか、シスターミムザは?」
その問いにスウは、自信たっぷりそうに答える。
「王が決まればわかる。あの子は王に近しい者の血縁なんだと私は睨んでるんだよ。」
ルーエラは吹き付ける風に身を縮ませながら、塔に走る。
ミムザの悪戯に怒ってしまったことと、
ミムザの自分とは違う未来を知ってしまったことと、
二つが重なってルーエラはミムザと気まずくなってしまった。
だがその一方でヴァーナは塔へのお使いを度々言い付けてくる。
結局ミムザと顔をあわせないわけがなく、
その関係は元通りとはいかないが、割合良くなった。
塔への用事はミムザへの配達以外のこともある。
塔が貯蔵庫も兼ねているからだ。
やたら重い芋の袋やら布の束やら手伝い無しに運ぶのは、
下流とはいえ貴族育ちのルーエラには結構大変な作業だ。
ある日小麦粉の袋と悪戦苦闘して真っ白になったルーエラのところに
通りすがったミムザが見かねて作業を手伝ってくれたことがあった。
ミムザはみかけによらず力持ちで、
ルーエラひとりなら30分はゆうに越す作業を
嫌な顔一つせずひょいひょい片付け、
ほんの数分で終わらせてしまった。
今では力仕事になりそうな時はまず二階にあがり、
ミムザを呼んでから二人で作業を始めることが多い。
だが、前のように自ら進んでミムザの部屋に入り浸ることはない。
軽く話はするが、愚痴や本音は吐かなくなった。
自分は浅ましい人間なのだとルーエラは思う。
ミムザに待つ未来を妬んでいることを隠すのが精一杯なのだ。
もっと神に祈れば、その尊い教えに近付ければ、
またミムザと笑いあえるのだろうか?
それはミムザがシスターミムザであるうちに叶うことなのだろうか?
今日の用事は一階の貯蔵庫ではなく、二階のミムザへの荷の配達。
中身はわからないが、差出人の名はいつも同じ。
ミセス・カーターというのはミムザの血縁者なのだろうか?
一応貴族のはしくれであったルーエラだが、
カーターという名は少なくとも力のある貴族には聞いた事のない名だ。
そう思いながら扉をノックする。
「ミムザ、荷物よ。」
ミムザは机でかなり真剣に書き物をしてる途中らしく、
ルーエラに軽く視線を送るだけでそのまま作業を続ける。
床には書き損じたのかぐちゃぐちゃに丸められた紙屑がいくつか転がっている。
「お邪魔みたいね。これ、ここに置いておくから。」
ルーエラが棚に荷を置くとミムザは軽く感謝の笑みを浮かべる。
背筋を伝うような冷気に鳥肌をたて、
ルーエラはこの部屋は母屋に比べて冷え込んでいることに気付く。
こんな小さな塔の小さな部屋に暖炉など存在しないのだ。
ミムザがこほこほと咳き込んだ。
「この部屋寒いからもっと温かい格好をしないと。風邪ひくわよ。」
ルーエラの忠告を聞いてもミムザはこくこく頷くだけで、
あまり気にする様子は見られない。
今は書き物に必死なようだ。
最近は一方的にミムザとの距離をはかっていたルーエラだが、
ミムザの反応が薄すぎるというのも寂しいものね、
そう思いながら部屋をあとにした。
閉めた扉の向こうではこほこほと咳が続いていた。
元の部屋に戻ると雑談が盛り上がっていたらしく、
戻ってきたルーエラを見て
暖炉の前にたむろしてた修道女たちがあわてて自分の椅子へ戻る。
「おかえり、ごくろうだったね。外は寒かっただろ。」
スウがルーエラにねぎらいの声をかけた。
「いえ、私はシスターエイミみたいに刺繍が得意じゃないから。さぼれて丁度よかったです。」
エイミと呼ばれた小太りの修道女が照れくさそうにはにかむ。
「今度教えてあげるわね。ルーエラ。あら、シスタースウ、戻るんですか?」
腰の曲がったスウがのろのろと扉へ向かう。
「ついおしゃべりし過ぎで用事を忘れとったわ。同室のシスターに一人咳がひどいやつがいての、とっておきの生姜湯を作ってやろうと思っとたんじゃ。」
咳、生姜湯、と聞いてルーエラはスウを呼び止めようとする。
だが、別の声が先にあがった。
「ねえ、シスタースウ。さっきの話の修道女って今でもここにいるのかしら?それとももうお亡くなりの方?」
スウはノブに手をかけたまま振り返ると、
「この私がそうさ。」
そう言い残し、部屋をあとにした。
ルーエラは話の流れがつかめずにいたが、
他の二人は目をぱちくりさせたまま。
「そんな、シスタースウがそうだったなんて。あの人並の修道女よりけちくさいから全然そんな風に思わなかったわ。」
「私達、古傷をえぐるようなことしちゃったかしら。でも知らなかったんだもの。」
ルーエラは二人の修道女の驚愕と困惑の理由がつかめぬまま、
いまいちぱっとしない自分の刺繍に目を落とし、ため息をついた。
「あら、シスタースウ自慢の生姜湯じゃない。」
皺の多い顔にずり落ちそうな大きな眼鏡をかけた老修道女が
湯気のたつ温かいコップを受け取る。
「これを飲めば風邪なんて一発よ。」
スウが誇らし気に胸を叩く。
「ありがとう、シスタースウ。」
感謝の言葉に御満悦の笑みを見せながら、スウはふと気付く。
「そういえば…」
「え、そういえば?何?」
スウのつぶやきに、そばかすの修道女が反応する。
「何でもないわ。くだらないことさ。」
(そういえばもう一人おったな、預かりだとばかり思われておって、今もいる修道女が。)
スウは思う。
でもそれはくだらないこと。
わざわざ若い(といっても世間からすれば中年だが)修道女達に教えるほどのことではない。
世間から隔絶されたはずの修道女達ですら
彼女の名を知らぬものはいなかった。
誰しも彼女が修道女の格好をしてるのを
一時の気紛れだとばかり思ってた。
かつては会う事の叶わぬその名の主を訪ねてくる男はわんさかいた。
だが今はいない。
それだけの時が流れてしまったのだ。
自分にも、彼女にも。
(そうだろう?エミリア―)