「悪いところはない。」  
医師に返されるのはお決まりの台詞。  
きっかけがあるのかないのかなどわかるはずもない。  
でも、その痛みは突然やって来る。  
忌わしき過去を、罪を忘れるなと、戒めを与えるために。  
神に仕える身となっても清められない。このからだは―  
 
「おや、エミリア。目が覚めたかい。気分は?お医者様を呼んだ方がいい?」  
額に手をやるシスタースウ。その横にはシスターセナが立っている。  
「……。大丈夫、です。」  
「スウが詫びてたわ。エミリアをからかいすぎたって。」  
「すまなかったね。エミ…っと、シスターヴァーナ。」  
私は枕の上で首を軽く横に振る。  
「シスタースウのせいじゃありません。お医者様にも原因がつかめないと。」  
「発作みたいなものかい?」  
「……。」  
こもった空気を交換しようとシスターセナが窓に手をかける。  
外から流れ込むひんやりとした空気。  
空は暗く、とうに閉門時間を過ぎた修道院の中は異様に静かだ。  
ふと思い出す昔の暮らし。  
美しい音楽の調べも、人々の談笑する声も、まばゆい照明も、ここの暮らしには無縁だ。  
「シスターセナ、取って来てほしいものがあるんです。」  
「それなら私が…」  
「いえ、シスターセナにお願いしたいんです。」  
スウの申し出を遮り、私はセナの目を見つめる。  
「何を?」  
「小さな包みがあるんです。私の部屋の引き出し、上から二段目に。青い布に包んであります。」  
セナはうなずくと部屋をあとにする。  
「薬かい?」  
私はベッドから上半身を起こし、小さく息を吐く。  
「シスタースウ、あなたは何故私がここにいるのかと尋ねた。私はオーグスにとって価値が無い、駒になり得ない人間なんです。」  
「へっ?なんであんたが。都一の美女と謳われたあんたが。」  
「オーグスからリヴェスタールに嫁いだのは過去に二人。一人は男児を生めず、もう一人は子を生むことなく早逝した。」  
「そういや数代前までは王には側室がいたね。でもそれが?」  
私は腹をそっと撫でる。  
先程までの身を割かれるかのような痛みは目が覚めた時には嘘のように消えていた。  
「石女とわかっている娘を嫁がせてもオーグスに繁栄は来ないんです。」  
 
喪に服しているとは言っても、形だけのこと。  
貴族から遊びをとったら後に何が残る?  
五公家の多くの若者は名を偽り、姿を偽り、夜な夜な遊び歩く。  
両親は慣習を疎かにする彼等を詰り、軽蔑していたが、その一方で兄も兄嫁も、そして私も彼等の教えに反した行動をとっていた。  
私と彼の逢瀬も細々と続いていた。  
 
だが、終焉は確実に迫っていた。  
 
「弟が生まれて、ばあさんは大喜びした。母に似すぎてている僕に比べてあいつは父によく似てたからね。」  
「そのせいで貴方はお祖母様に疎まれていたの?」  
「あの女は自分の長男を殺した。夫の母親に良く似ている。それだけの理由で。」  
「……。」  
ふいに後ろから抱き締められ、肩を甘噛みされる。  
振り返るとそのまま唇を重ね、口付けを繰り返す。  
袖を通しかけていたドレスの隙間から彼の手が侵入し、既に敏感になっている肌に冷たい指が伝う。  
「僕はどこも悪く無かった、確実に。なのにある日突然生死を彷徨った。三日は意識がなかった。一週間たってやっと身を起こせるようになった。」  
うなじから背筋へと場所を変えていく唇の温もりを感じながら、私は彼の次の言葉を待つ。  
「以前と同じ様に歩き、走り、笑う僕を見て両親は回復を喜んだ。けれどあの女は違った。」  
「痛っ!」  
円を描く様に優しく与えられていた愛撫が突如痛みに変わり、私は顔をしかめる。  
「一度失敗した次は違う手段に出た。」  
捻られた乳首がじんじん痛む。  
だが、下腹部から滑り込み、茂みをかき分け濡れはじめた恥肉を一撫でされればたちまち官能の方が勝ってしまう。  
「知ってるかい。僕の食事には毒見がつかない。無駄だからさ。」  
乱暴に突っ込まれた指から快感は生まれない。それでも本能か、防御反応なのか、膣壁を荒くこすりつける指にはいつしか蜜が絡みだす。  
「ばあさんは死んだ。でも僕の運命はもう変わらない。あれには味などない。そう知っているのに近頃一段と食事が苦くなった。そういう気がする。」  
「アレド様……」  
濡れた秘部に沿えられた彼の分身。その猛りは情欲ゆえか、それとも怒りか。  
 
皮肉にも彼は全てを知っていた。  
王も王妃も、もちろんフレド王子も知り得なかったことまで。  
彼が幼い頃王太后、祖母に盛られた猛毒。その時彼の命は尽きるはずだった。  
だが、幼い命の必死の抵抗で息を吹き返した彼に対し祖母が下した決断は残酷なものだった。  
日々微量ながらも盛られ続ける毒。それはゆっくりと確実に彼を蝕み続けた。  
成人前に死んでいてもおかしくない。それでも彼は彼の意志に関係なく生きていた。  
『死に損ない。』  
王太后とその妄信的な側近達が陰でささやく言葉。  
彼はいつからか自分のことをそう揶揄するようになっていた。  
 
ついに蓄積し続けた毒が、彼の命の生きようとする抵抗をもついに征服した。  
元々生に執着がなかっただけに、彼の病状の変化はあっという間だった。  
私が自分のからだに迎えた変化を伝えた時、起き上がることが困難になりはじめていた彼は横になったまま天に手を伸ばし、拳を握りしめくっくっと笑いはじめた。  
「それじゃあ早くフレドとも寝ないとだな。」  
声だけ笑いながら私を見る彼の目は決して笑っていなかった。  
 
 
「これでいいのかしら?」  
息をきらして帰ってきたセナは青い包みを差し出す。  
「ありがとうございますシスターセナ。それはシスタースウに渡して頂けますか?」  
セナもスウも私の意図が掴めぬまま、ひとまず私の言葉に従う。  
「シスターヴァーナ、開けても?」  
私が頷き、スウはそっと包みを広げる。出てきたのは黄ばんだカード。  
「私がある方から頂いたものです。」  
〜我が愛しのエミリア嬢  
 残念ながらこれはいつもの火遊びの誘いではない。  
 これは最初で最後の贈り物だ。  
 頭のいい君なら既に察しがついてることだろう。  
 僕が思い付いた最良の方法だ。  
 やはり連れていくのがいいだろう。君の家の為にも。  
 君の納得がいくのなら実行すればいい。効果は確かなはずだ。  
 地獄より愛を込めて〜  
布にひっかかっていた塊が床に転がりおちる。  
拾い上げたスウはその正体を見極めようと目を細くする。  
「指……輪?」  
「飾り石が、はずれるんです。そこに入ってました。異国から取り寄せないと手に入らない。珍しい、とても高価な薬が。」  
スウは手にした飾り石に刻まれた紋章に度胆を抜かれたようで目を白黒させている。  
一方、一部ながら事情を知っているスウは私の言葉に顔を蒼白にする。  
「まさか貴女そのせいで?!」  
私は灰色の天井を見上げる。  
彼は逝った。  
私を置いて。  
この世に生まれる事の無かった小さな命を道連れにして。  
 
私は結果として彼の選んだ方法を選択した。その真の意図を知らずに。  
目が覚めた私は天国でも地獄でもなく、自室のベッドに寝ていた。  
ばあやに呼ばれてかけつけた医師は、既に父に報告済みの二つの残酷な事実を私に伝えた。  
「何という恥知らずな!」  
「恐ろしい、どうして貴女はそんな愚かなことを…」  
「おまえは一族の名を汚したんだ。」  
「貴女にはみんなが期待してたのに、よくもまあ…」  
「貴女の行いはお父様の顔に泥を塗ったのよ!」  
やっと起きれるようになったばかりの私を取り囲む皆の顔には憐憫の情などかけらもなく、  
鬼の形相で非難の言葉をぶつけるばかり。  
いまだ癒えることのない私のからだを気づかう者など皆無だった。  
父は事実抜きでリヴェスタールにどう伝えたのだろうか?  
フレド様からの便りはぷつりと切れた。  
私の処遇については家族の中でも意見が分かれた。  
石女であっても嫁のもらい手はつく。言わなければばれぬ事だ。  
そう言う兄や叔母の主張は家長である父の決定をくつがえせるわけもなく、  
涙で懇願する母の願いも通じる事は無く、  
勘当となった私を引き受けてくれたのはパメラことシスターセナだった。  
 
「祈りなさい。そうすればいつか必ず主は貴女を御許しになりますよ。」  
セナは決まり事のようにそう言う。  
だが、時折襲うこの痛みは私に罪を思い出させる。  
そして、夜な夜な襲うからだの疼きは神の花嫁であるはずの私に新たな罪を重ねさせる。  
この身は穢れたままでいい。  
むしろもっと穢れたほうがいい。  
赦されぬために。  
からだは忘れない。あの快感を。  
 
「ふふ、まさか貴女が本当に引き受けてくれるとは思わなかったわ。」  
豊満な胸の谷間を強調したデザインのドレス。  
昨夜の客のつけたのだろうか、良く見れば粉をはたいた首筋にも胸元にも赤いしるし。  
いつかは童女のようだと思ったシシーの笑顔。  
濃い化粧の下に皺が見え隠れ今となっては滑稽に思える。  
「報酬は約束通り。そこから先いくら釣り上げられるかはあんたの腕次第ね。」  
質の悪い染め粉でもつかているのか、赤毛だったはずのミランダは緑かかった奇妙な黒髪をしていた。  
「でもねえ、ほんとにここで大丈夫なの?ここじゃなくても、私達の用意した宿にでも来てもらえれば……」  
「塔の使用許可はもらってあるわ。それに修道女姿の私がいい。そういう御要望なんでしょ?あちらは。」  
「まあ、それはそうだけど…でも本当に大丈夫なのかしら?修道院の中で客をとるなんて。」  
シシーは心配そうに背後を振り返る。今この懺悔室を使っているのは私達だけ。  
誰も咎める者などいない。  
「言ったでしょう。へクター卿が亡くなり、コルド司教が失脚した今、メイア修道院には庇護者が必要なのよ。形はどうであれ、ね。」  
かつてと同じ、攻撃的な目で、ミランダが私を睨み付けていたミランダだが、ふいに背を向け歩き出した。  
「シシー、そろそろ帰るよ。この女はあんたと違って馬鹿じゃない。やるって言ったんだから後は任せればいい。」  
「えっ?あっ、もう。それじゃエミリア。水曜日、灰色の塔で……」  
 
本物の楽園は遥か高く、この愚かな手をいくら伸ばそうとも届きそうにない。  
だが、私の楽園はここに始まる。  
信心深い者達の愚かなる願いを叶え、その罪を穢れた我が身に焼きつけていこう。  
 
失ったものは山程ある。  
後悔する気はない。  
たとえあの情熱は長らえないものだったとしても。  
色とりどりのドレス、豪華な食事、尊敬すべき家族。  
何不自由のない生活を捨てたのは私。  
黒一色の一張羅、貧しい食事に感謝し、頼れるのは自身だけ。  
当たり前のものさえ容易には手に入らない現在。  
そしてきっとこのまま代わり映えのないであろう未来。  
祝福を受けるための資格はとうに手放した。  
死してこの身が地獄へ堕ちようとも恐くはない。  
きっとあなたが待っているのだから。  
 
近頃夢に見る、死した後の自分を。  
大勢の罪人達が呻き苦しむ。  
私はその中ただ一人、彼を探す。  
燃え盛る業火に巻かれながら、それでもどこか冷めた無感情な目で、彼は私にこう言う。  
「やあ、また会ったね。」  
そして私はこう返す。  
「つまらない男たちとはもう遊び飽きたわ。」  
 
 切れた糸は戻らない  
 それでも思いは紡がれ続ける  
 貴方に逢うまで  
 
 

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