初恋の人の名を聞かれたらまっ先に彼女、小百合さんの名前をあげたいところだが実際には違う。
多分幼稚園のくるみ組で一緒だったれなちゃん、それをままごとの延長だから無効と言われたら、
小二の担任だったゆうこ先生といったところだ。
恥ずかしながら、どちらも写真に文集にと消せない記録が残っている。
だから僕が彼女に抱いた淡い気持ちが初恋だったというわけではない。
小学校も高学年となると、いっちょまえに声変わりしたり、毛が生えてきたりするやつらが出始める。
あまりに早くに性徴が現れてしまうと格好のネタとなるが、遅すぎてもやばい。男女なんて言われるはめになる。
「三田みえり最高だよな〜あの胸に挟まれてえ」
「おれ胸より尻派だから四葉だな」
「やっぱ足だろ。五島さやにぶっかけてぇ」
実際には経験も無い癖にやたら下ネタを連発しはじめる男子に対し、
「やあね、戸田たちきたな〜い」
「ああいいうのってまじきもいよね。学校をなんだと思ってるのよ」
女子は冷たい態度をとる。
けど女子だって裏ではセックス描写ばんばんのどぎつい少女漫画とか読んでたりするからあなどれない。
そんな変化の時期だった。
彼女にはじめてあったのはいつだったのだろう。
通学途中にあるバス停。
僕は当然徒歩で学校に行くのだけれど、そこでバス待ちをしているサラリーマンや学生の列の中にいつも彼女はいた。
このあたりの公立校とは違う、赤いリボンに金ボタンのグレーのブレザーの制服。
市民体育館の近くにある中高一貫の女子校のものだった。
右手には単語帳。左手には茶色い革のカバン。
丁度胸の膨らみくらいまである真直ぐな黒髪は、寝癖など無縁そうでいつもきちんと整えられていて時折風に揺られていた。
膝ぎりぎり丈のチェックのスカートからすらりとのびる足。
身長が伸びはじめで肉付きの追い付いていない同級生達に比べ、紺のハイソックスが柔らかなラインを描くふくらはぎ。
彼女があの時中学生だったのか、高校生だったなのかすら僕は知らない。
僕は彼女と目をあわすこともなく、当然声をかけることもなく、ただその前を素通りするだけだったのだから。
あのバス停の利用者はうちの町内と、道路を挟んだ隣町の住人が占める。
ある日図書館とか映画館とかショッピングセンターとかで偶然出会って、
「いつもバス停のところで見かけるよね」とか、「中学受験悩んでるの?今度勉強みてあげようか」とか、
都合のいい会話がかわされたらいい。
そんな淡い思いを抱いていた。
一つ断っておくと、当時の僕は彼女でやましい想像など微塵もしてなかった。それこそ神に誓って。
しかしその頃の僕のまわりは男も女も色めきはじめたやつらばかりで、僕も影響を受けないわけがない。
いっちょまえに不純な思いも抱いていた。
ただしその相手は小百合さんではない。
だって彼女は小学生の僕が勝手に思い描く幻想の中の崇高なマドンナのようなもので、制服の下に秘められた彼女の裸体を想像することすら下卑たことのような気がしてたから。
僕は一つの困った事体に局面していた。
身長を戸田に抜かれたとか、浅間はK校受験確定とか、そういう問題ではない。
事件は家の中で、いや、正確には隣の家の中で起きていた。
僕の頭をおおいに悩ませる犯人。その容疑者の名は朝美ちゃん。
僕の家族の引っ越してきた当初からのお隣さんの一人娘、朝美ちゃんは僕よりひとまわり年上で、二年程前にいわゆるできちゃった結婚をして栗津を離れていた。
妊娠発覚当時、朝美ちゃんの両親は相当結婚に反対してて、うちの母はしょっちゅう泣き言を聞かされていた。
両親をどうにか説得し、花嫁となった朝美ちゃんだが結局一年とちょっとでまた僕のお隣さんとなる。
生まれた子供は男の子と聞いていたが、栗津に戻ってきたときの朝美ちゃんは赤ん坊はおろか手荷物すらろくに持っていない状態だったらしい。
とまあ朝美ちゃんの背景はこんな感じにしておこう。
二階にある彼女の部屋は、同じく二階にある僕の部屋の真向かいに位置する。
昔は窓越しに目があったりすると笑って幼い僕に手を振ってくれたものだ。
彼女は僕の母と同じくらい僕のおねしょ回数を知っている。
端的に言おう。その朝美ちゃんが小学生の僕を誘惑するのだ。
きっかけは僕がたまたま見てしまったことからだ。
朝美ちゃんのオナニーの現場を。
梶野と一緒に安藤の家でゲームをする予定だった僕は、家に帰るなり階段をダッシュする。
ランドセルをベッドに放り投げた際に、窓越しに朝美ちゃんを見つけた僕は昔の様に手を振った。
だがソファに座る朝美ちゃんは僕に気付かないだけではなく、なんだか様子もおかしい。
気になった僕は目をこらす。
着るのでも抜くのでもなく中途半端に上げられたスウェット。
本来なら授乳期であろう。張った乳房が肩紐の下げられたブラジャーからはみだしている。
そのたわわな乳房を朝美ちゃんはパン生地をこねるかの様に揉みしだき、
パフェの上に乗るチェリーのような乳首を細い指先でしごいていた。
桃色の乳首から滲む白い液体。苺にかける練乳の甘さが僕の脳裏をよぎる。
そしてもう片方の手はスウェットのズボンの中に隠れていた。
だが、彼女の股間でもぞもぞと動く奇妙な膨らみを見れば、彼女の手がどこにあるのかは容易に想像がつく。
彼女の手が股間でもぞもぞと動くのにあわせて彼女のからだはびくびくと痙攣し、彼女はうっとりと天を仰ぐ。
尖った乳首はあいかわらず白い乳汁を滲ませ続け、行き場のない液体が白い乳房をつうっと伝う。
僕は手をおろすのも忘れ、その光景をただただ見ていた。
しかし一段落ついた朝美ちゃんはついにお向かいさんに、つまり僕に気付いた。
だが、彼女ははしたない格好をしている自分をあわてて隠すわけでもなく僕を小馬鹿にするように小さく笑う。
そしてズボンに隠れていた手をゆっくりと引き抜いた。
窓越しに見てるのに、彼女の指先がてらてらと光っているのがわかった。
指と指をあわせれば透明な粘液が糸をひく。
縁日の水飴もあんなだっただろうか。
そして朝美ちゃんはその指をなんのためらいもなく唇によせ、舌をのばしてゆっくりと粘液を舐め取る。
その顔は自分の体液を舐めているとは思えないくらい恍惚としていて、見ている僕も一緒に恍惚の世界に旅立ってしまいそうだった。
そして朝美ちゃんは立ち上がって衣服の乱れを直すと、涼しい顔をしてカーテンを一気にしめた。
僕はその日安藤の家に行く予定だったことも忘れ、さっきの朝美ちゃんのことばかり頭で反芻していた。
たまたま見てしまった朝美ちゃんのオナニー現場。
それはあの日一回きりではなかった。
朝美ちゃんは僕の帰って来る時間帯を狙って僕に自分を見せつけるようになったのだ。
ある時は一枚一枚服を脱ぎ、ストリップダンサーのようにじらしながら裸になったり、
またある時は上半身裸で、バナナのようなおもちゃ(今思えばあれはバイブだったのかもしれない)を口に含み、出し入れしたり、唾液に濡れたままのそれをたわわな乳房に挟んで先をちろちろ舐めていた。
またある時は僕に見える様に大きく足を広げ、ぱっくりと開いたそこからだらしなく愛液をしたたらせながら愛撫を与える。
はっきりいって僕は女の人のおまんこなんてモザイク無しで見たのは初めてで、性教育の授業で見た毛も色素も簡略化された僕の知るそれと朝美ちゃんの実物とのギャップにしばらく悩んだものだ。
朝美ちゃんによって大人の世界を見せつけられた僕。
このまま大人への階段を突っ走り同級生より一歩もニ歩も先を行ってしまうのかと思われたが、
なんだかんだ彼女は自分が満足すると途端にカーテンを閉め切ってしまい、僕に直接的に何かすることはなかった。
朝美ちゃんの誘惑はある日を境にぱったりと止まる。
「新しい彼の家に入り浸ってるみたいで帰って来ない」
おばさんは嘆いていた。この辺の事情は省こう。
そして僕はまだまだ半人前のムスコ相手に悶々とする日々を送るのだった。
紆余曲折を経て僕は気になるお姉さんに声すらかけれないませガキ以下の純情少年に戻る。
小坊の僕には刺激の強すぎる爆弾みたいな朝美ちゃんのことを考えるより、
毒の無さそうな彼女のことを考える方が心臓に悪く無いのが実情だ。
それでもある日彼女が手にしていたナイロンバッグに彼女と思しき名前の刺繍を見つけた時はさすがに胸が踊った。
『生駒小百合』
まず名字の読み方がわからなかった僕は家の電話帳を必死でめくり、「いこま」と理解するにいたった。
僕の同級生にはいなかったが、栗津にはそこそこ多い名字らしい。
だが、小百合の方は「こゆり」だと勘違いして、彼女に相応しい可愛い名前だな、と悦に浸っていた。
漢字が苦手な僕が百合をゆりと読めただけでも奇跡なのだが。
間違いに気付いたのは当時はやっていた漫画に、小百合という新キャラが出てからだ。
「こゆり」だとばかり思っていた僕は、「さゆり」と書かれた振りがなを見て驚愕し、
作者か出版者の間違いだと思いこみ、アイロンがけ中の母に漫画の一ページを見せる。
「母さん、これふりがな間違ってるよね。さゆりって書いてあるけどこゆりじゃないの?」
「違うわよ慶太。それはさゆりって読むのよ」
母は笑って僕のミスを正し、アイロンを切ると母もファンであったその漫画に目を走らせた。
『いこまさゆり』
ようやく彼女の名前を知った。
それなのに、あのバス停から彼女がいなくなった。
一日見なかった時は風邪でもひいたのかな?と思った。
一週間立ち、バスの時間を変えたのかも、と思った。
そして一ヶ月が過ぎ、彼女は引っ越しをした可能性もあるかもしれないと思い、
一年立つ頃には僕の頭から彼女への思慕はきれいに消え去っていた。
そして今、小百合さんは栗津から遠く離れたここ天咲で、あの可憐なグレーのブレザーの制服姿からは思いもしなかった黒尽くめの格好で僕の目の前に立っている。
単語帳を見ながら穏やかにバス停に立っていた彼女からは想像もつかない、諦めと憂いを放ちながら。