コンコン。  
ノックの音に返事をすると、安田です、と声がした。  
「はーい。入って」  
答えながら時計を見ると午後四時五十五分。  
面接時間の五分前に到着とは、さすが我がクラスのクラス委員。  
彼の進路ファイルを開きながら、私は満足感を覚えていた。  
「失礼しまーす」  
軽く会釈をする彼に同じような会釈を返し、進路ファイルに目を落とすと、彼は扉を閉めて私の前に来た。  
「座って」  
「……はい」  
彼は素直に椅子に腰を下ろしたけど、何故だか緊張している雰囲気が伝わってきて私は顔を上げた。  
普段はもっと砕けた感じなのに。  
「安田君?」  
「はい」  
「緊張してる?」  
「……少し」  
気のせいか顔が少し赤い。  
もしかして、二人っきりだから照れてるのかな。  
少し自意識過剰な考えが浮かんで、私は慌ててそれを振り払った。  
教師たるもの、冗談でも生徒がそんな事を考えてるなんて思ってはいけない。  
「大丈夫よ。安田君の成績なら、志望校には十分合格できる。  
ただ、もう少し英語を頑張った方がさらに安心できるけどね」  
 
気持ちを切り替え、A判定とB判定が並ぶ模試の結果を見ながら私は油断は禁物、と付け加えた。  
「……はい」  
どうも、ぎこちない。  
いつもはもっとはきはきしてるのに。  
友達と何かトラブルでもあったのかと不安になって、私は両肘を机について少し乗り出し、彼の顔を覗き込んだ。  
「安田君……」  
「は、はいっ」  
目が合うと彼はすぐに私から逃げるようにして視線を外した。  
「……なんていうか、月並みな質問なんだけど、何かあった?」  
数秒待ったけれど無言。  
「言いたくないなら、それはそれで構わないけど」  
「ち、違います!別に何にもないです」  
彼はとっさにこっちを向くと、赤い顔で力いっぱい否定した。  
それから困惑した表情になって、また視線を逸らして、  
「あ、違う……何にもない訳じゃないんですけど、でも、なんていうか、そういうんじゃなくって」  
彼は自分の口を片手で隠しながら、口ごもって必死に言葉を探している。  
普段の彼からじゃ想像もできない。  
「佐倉君たちとトラブルがあったとか、そういうのではないのね?」  
親しくしている友達の名前を挙げて尋ねてみると、彼は赤い顔のまま頷いた。  
言葉を選んでいるようにも、出て来そうになる言葉を必死で押さえ込んでいるようにも見える彼に  
退室許可を告げるのもなんだか出来なくて、私は無意味にファイルを捲った。  
 
進路相談なんてしていると、生徒が黙ってしまうなんていうケースは結構ある。  
だけど、今回はそういうのとは違う気がして、私の方が沈黙に耐えられなくなってきて、  
強引に話を勉学に引き戻そうとした。  
「ええと……丸穂大学は受けてみる気ない?あそこは数学の」  
「先生」  
また言葉を遮られた。  
やっと話す気になってくれたのだろうか。  
私が自分でも分かるほどぎこちない笑顔を彼に向けて、なあに?と首を傾げると、  
彼は真剣な目で私の目を覗き込んできて言った。  
「先生、ごめん。オレ、先生が好きなんです」  
 
 
 
 
はい?なんと仰いました?  
彼の言葉を理解するのにかなり時間がかかったと思う。  
私は頭に浮かんだ言葉を口に出さずに、ただ傾けていた首を更に曲げた。  
「困る……すよね、こんなこと言ったら。ホントは卒業まで言うつもりなかったんだけど、  
進路相談で二人っきりって思ったら、オレ、パニクっちゃって。  
抑えようと思ったんだけど、やっぱり二人になったら、どうしても我慢できなくって……」  
ちょっと待ちなさい、安田君。  
頭の整理をさせて欲しい。  
こういう時こそ動揺せずにびしりとキメたいのに、私は、実は人生初となる  
男の子からのしかも生徒からの告白に相当混乱して、まだ続けようとする彼に  
手のひらを向け、言葉を制するのが精一杯だった。  
 
冷静に考えてみよう。  
私は自分に言い聞かせた。  
教師としてはマシな方だと思う。  
嫌ってる生徒も居るみたいだけど、そこそこ生徒と距離を保ちつつも仲良くしてるつもりだし、  
ひいきは自覚している限り一切していない。  
授業だって、予習はちゃんとした上で望んでるし、生徒から分かりにくいという苦情を貰った事もない。  
だけど。  
だけど、女としてはどうなんだろう?  
化粧はしているけど、紫外線対策とまあ、社会人としての身だしなみ程度。  
髪質は嫌いじゃないけど、ふわふわさせるのは嫌いだから、いつでも一つにまとめてる。  
学校での服装は……  
ジャージだ。  
身長は人並み。体重も人並み。  
でも、お世辞にもいいスタイルとは言えない。  
男子生徒に人気の美術の先生と並んだら、月とせいぜいカエル。  
体質のせいでコンタクトが出来ないから、牛乳瓶までは行かないけどそれなりに分厚い眼鏡。  
大体、年が離れすぎてる。  
私はこないだの誕生日で三十になった。  
よし。  
私は一つ深呼吸すると、手を下げて極力冷静を装って彼を見た。  
「安田君。あのね、気持ちは嬉しいけど」  
「嘘とかじゃないよ。勘違いでもないです。オレ、ちゃんと考えたんです。  
でも、考えれば考えるほど、先生のことが好きってしか考えられなくって。  
先生、前に言ったでしょ。自分の気持ちを相手にきちんと伝えられる誠実な人が好きだって」  
そりゃ言ったけど、恋愛感情に限ったことじゃないし、  
そもそも生徒からこんなこと言われて、誠実に伝えてくれた安田君が私も好きです、  
と応じる訳にもいかない。  
 
「あのね、安田君、待って」  
彼を落ち着かせるために言った言葉だったけど、むしろそれは私自身を落ち着かせるための言葉のような気もした。  
それでも彼は、上がりかけていた腰を椅子に戻して、すんません、と俯いて、とりあえず、私の言葉を待つことにしてくれた様だった。  
「あのね、安田君の気持ちを嘘だとか言いたいんじゃないの」  
勘違いだとは言いそうになったけど。  
自分の動揺を可能な限り抑えて、ゆっくりと言葉を選びながら私は続けた。  
「気持ちは嬉しいよ。そんな風に言ってくれた男の……人は安田君が初めてだから」  
「うそ!」  
驚いたように顔を上げる彼。  
恋は盲目とはよく言ったもの。  
彼の中で、私は他の人からも愛の告白を受けたことがある事になっているらしい。  
冷静に考えたら、もてなさそうな女の上位に食い込みそうでしょうが。  
「ホント。……だけどね、安田君が知ってる私は教師としての私だけでしょう?」  
「……です。だから、先生と付き合って、先生じゃない先生を見たいな、とか思うんじゃないすか」  
ストレートな言葉に不謹慎ながらも、鼓動が早くなる。  
落ち着け、私。  
「だけど、……だからって、付き合ったりする訳にはいかないでしょう?」  
微妙に間違った答えを返している気がするけど、焦りを悟られないようにするのに精一杯で、  
そこまで頭が回ってくれない。  
 
「普通は、ですよね?」  
「まあ、そうだけど……」  
私のおバカ!  
なんで、ここで、普通でも何でも、って言い切れないの!  
そんな私には気づいていないんだろうけど、彼はその隙を狙ったように立ち上がって、両手を机について頭を下げた。  
「先生には迷惑かけないようにします!勉強もちゃんとやるし、浪人も絶対しない。  
みんなの前では今まで通りにするし、どっかに遊びに行ったりとかもしなくていい。  
だけど、先生が今フリーなら、オレのこと好きじゃなくてもいいから、オレの彼女になって下さい」  
パニクっている割には、私の逃げ道を九割がた塞いでる。  
私はお断りの文句をひねり出そうと、頭をフル回転させた。  
けれど、結局出てきたのは、  
「教師と生徒は無理よ」  
という、短絡的な言葉だけだった。  
彼には酷かもしれないと思いながらも、今度はこっちが彼の道を塞ぐように言葉を並べる。  
「学校でも普通にしてて、デートもなし。  
付き合ったとして、どこで会うの?どうやって、教師じゃない私と会ってくれるの?  
それに、自分のことを好きだと思っていない人と付き合って楽しいのは最初だけ。  
生徒としてはあなたのことを信頼もしてるし、いい生徒だと思ってるけど、  
やっぱり私にとって安田君は生徒でしかないの」  
自分で言っていて、胸が痛くなってくる。  
振っているのはこっちなのに、なんだか泣きたくなってきた。  
 
「だからね」  
「分かってるよ。そんなの」  
いつもは人の話を最後まで聞く子なのに、彼はまた私の言葉を遮った。  
「分かってるけど……、そんなこと言われるの分かってたけど、それでも我慢できないから  
言ってるんじゃ……ないですか」  
泣きそうなのと怒っているのが混ざったように眉を顰めた顔を上げた。  
苦痛以外の何かが胸をぐっと掴んだ。  
「それにね、先生、オレ、みんなの前では、って言ったけど、学校では、って言ってないすよ」  
「……どういう意味?」  
「こういうところなら二人っきりになれるでしょ」  
彼は真顔だったけど、さすがになるほど、と言う訳にもいかない。  
「安田君。冗談でも言っていいことと悪いことがあるでしょう」  
「冗談じゃないよ。進路相談なんてまたあるでしょ。  
オレ、クラス委員だから、頑張れば先生と二人の時間作れますよ」  
「ちょっと……まさか、その為にクラス委員を?」  
「違う。それはたまたま。だけど、それを利用しない手はない」  
本格的に逃げ道がなくなってきた。  
彼氏が居ますなんて今更言えないし、自分を好きと言ってくれる人にそんな嘘はつきたくない。  
 
いい返答が思いつかずに黙ったまま考え込んでいると、不意に目の前が暗くなった。  
何かと思って顔を上げると、目の前には彼の顔。  
一瞬、鼻の頭が触れた。  
思わず顔を引くと、彼はどこか痛みを孕んだ笑顔を作って口を開いた。  
「キスし損ねちゃった」  
キスなんて初めてじゃないのに、火がついたみたいに顔が熱くなる。  
「先生、今、ドキドキしてくれてる?……顔、赤いよ」  
「そ、そう?」  
頬に手を当てて、誤魔化してはみるけれど、誤魔化しきれないのは自分でもよく分かる。  
どうしよう。  
どうやってもこれ以上、彼に諦めてもらうための言葉が見つからない。  
口で言えないなら、椅子から立って逃げてしまえばいいのに、椅子とお尻がくっついたみたいに椅子から立ち上がれない。  
「先生……マジで好き」  
私を愛しむみたいにして見つめる彼の目から逃げられないまま、私は彼の唇を受け止めてしまった。  
ぎゅっと目を瞑ると、なんだか分からないものが触れて、前歯に小さな痛みが走って、彼が顔を少し離した。  
「っ……ごめんね、痛くなかった?」  
ただ首を左右に振る私。  
「そう?良かった。……今の、返事がオーケーだって思っていい、ですか?」  
全然オーケーなんかじゃない。  
じゃないのに、考えるより早く私はこくんと頷いていた。  
「よっし!じゃ、オレ、先生がオレのこと、好きになってくれるように頑張るね」  
頑張らなくても大丈夫そうよ。  
ようやくいつものような笑顔を作った彼に、私はこの期に及んで教師面をしそうになった。  
 
(終)  
 

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