久しぶりに入った幼馴染の家のお風呂場は、記憶にあるものと全く変わっていないように見えた。
ここに入るのは、下手をすると十年ぶりくらいになるんだろうか。
あの頃は、まさかその十年後にここでこんなことをする羽目になるなんて、思ってもみなかったものだけれど。
「はぁ……」
小さくため息をついて、視線を落とす。
今の私は何も身に着けていなかった。
まあ、これはお風呂場なんだから当然といえば当然のことだ。
でも湯船にはお湯を張っていないし、手には奇妙なものを持っている。
ちょうど手の中に収まるくらいのゴム製の道具。
楕円形のパーツの左右両側に、細いチューブがそれぞれ1本ずつ付いているもの。
こんなもの、普通の入浴では絶対使わない。
まして、床に置いた鏡の上で、まるで用を足す時みたいにしゃがみこんでいる状態なんて、今更言うまでもないことだけどあまりにも普通とかけ離れていた。
どうして幼馴染の家で、よりにもよって自分の一番恥ずかしい部分をまじまじと観察しないといけないのか。
「……バカ智樹」
恥ずかしさをごまかすように口の中で呟いたのはひとつの名前。
今は一応私の彼氏ということになっている幼馴染の名前だった。
「……よし」
想像の中で、あのバカの顔に一発キツいのをお見舞いしてみたら覚悟が決まった。
まずチューブの片方を、目の前に置いた洗面器の中へと差し入れる。
そしてもう一方を鏡を頼りにして自分のそこへと近づけていく。
「……ん」
先端が軽く触れる。
そのくすぐったさに自然と全身がぶるりと震えて、思わずそこから離してしまった。
決めたはずの覚悟がぐらりと揺れる。
「もう一度……」
それでも、くじけそうになった心を叱咤して、再び先端を押し付けてみる。
やっぱりくすぐったいことに変わりはないけど、それでも一度経験していただけに今度は何とか我慢ができた。
そのまま少し力を入れて、ぐにぐにとチューブを押し込もうとする。
押し込もうとする、んだけど――。
「……ん、んん」
意思に反して私のそこはきっちりと口を閉じ、異物の進入を頑なに拒み続ける。
って、よく考えたら意思に反してっていうのは違う気がする。
少なくとも、私はこんなの入れたくない。
よりにもよってお尻の穴になんて。
「……は、入った。
本当に入っちゃった」
息を吐いてみたり空いている方の手でそこを開こうとしてみたり、とにかく数分の悪戦苦闘の末なんとか挿入に成功した。
お尻にものが挟まっている奇妙な感覚。
お尻の穴で感じるそれは、指で摘んだ時より何倍も太い気がした。
「あとは、これを……」
その異物感を極力意識しないようにして、今度は楕円形の部分を手のひらに乗せる。
一度握って、すぐに開く。
そうすると、手の中のそれがほんのりと熱を帯びるのが感じ取れた。
それはつまり、ちゃんとそれが洗面器のお湯を吸い上げたということ。
「これで、もう一度握ると……」
誰に聞かせるわけでもないのに、いちいち手順を口にするのは恐怖を紛らわすためなのかもしれない。
心臓がどきどきする。
緊張で喉がからからに乾く。
足を踏み入れちゃいけない場所に踏み込もうとしている。
こんなの絶対間違ってる。
そう、思うけど――。
あいつの顔が脳裏を過ぎる。
私が首を縦に振ってやった時の嬉しそうな顔。
「ああ、もうこの……!」
それが、私に踏ん切りをつけさせた。
※
「俺達は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない――」
「……な、何よ、いきなり」
彼の部屋に入るなり、智樹がそんな台詞を口にする。
その表情は真剣そのもので、いつもがお調子者を絵に描いたような奴なだけに、私は不覚にもちょっと圧倒されてしまった。
「なあ美幸、俺達は付き合いだしてからどれくらいになる?」
「どれくらいって、まあもうすぐ丸々5年ってとこでしょ?」
幼馴染から恋人同士に2人の関係が変化したのは、ちょうど5年前のこの季節だった。
一応告白してきたのは向こうから。
で、私もちょっとそんな風に思っていた部分はあったから、新しい関係が始まったというわけなんだけど。
まあ、よくあるといえばよくある展開。
ただ1つ、その際私が彼に出した条件を除けば。
「5年、そう、5年だ……」
噛み締めるように5年という言葉を口にする智樹。
「ちょっと、智樹……」
明らかに異常な智樹の様子に、さすがにそろそろ心配になってくる。
その、直後だった。
「なのになんで俺達キス止まりなんだよ!」
いきなり智樹のテンションがMAX近くまで跳ね上がり、私は呆気にとられてしまう。
「ちょ、今更何言ってんのよ。
だってそれはそういう……」
そう、それが付き合うにあたって私が智樹に出した条件だった。
結婚するまでキスより先には進まない。
まあ智樹には悪いかなとは思ったけれど、これには私の家の事情が関わっている。
その事情というのは、まあ一言で言えば、うちが神社をやっているということだ。
「そんなの先に言っておいたし、智樹だってそれでいいって言ってくれたじゃん」
「ああ、受け入れたさ! だから我慢してきた! 5年間ずっとだ!」
よほど溜まっていたのか、どんどん興奮していく智樹の姿に、思わず私は身を引いてしまう。
まさかこの場で襲い掛かってきたりはしないと思うけど、今の鬼気迫る雰囲気は、わずかではあってもそんなことを危惧してしまうには十分だったのだ。
「ちょっと落ち着きなさいよ。
おばさんに聞こえるでしょ?」
「これが落ち着いていられるか!」
とりあえず宥めようとしてはみるけど効果なし。
これは一発決めないといけないかと、私は軽く拳を握りこんだ。
――と。
「俺達は、間違っていたんだ……」
いきなりへたり込む智樹。
一瞬で沸騰したかと思えば、一瞬で消沈する。
とてもじゃないけどその落差には付いていけない。
それでも――、
「……達って、何よ? それじゃ私まで……」
とりあえずそこだけは突っ込んでみた。
いや、正確には突っ込もうとした。
だけどそれを遮るようにして、智樹はベッドの下からある物を取り出し差し出してくる。
「まあ、黙ってこれを読んでみろ。
それでお前にもわかるはずだ。
俺達が、どれだけ時間を無駄にしてきてしまたのかが……」
なんとなく流れで受け取ってしまったそれは、1冊の本だった。
カバーがかかっているから表紙は見えない。
「なんなのよ、いったい……ぶっ!?」
とりあえず開いてみた瞬間目に飛び込んできた光景に、私は思わず噴き出してしまった。
それは、漫画だった。
だけど普通の漫画じゃなくて、いわゆる、その……。
「な、なんてもの見せんのよ!?」
男と女が裸で絡み合っているコマが並んだ、エッチな漫画だ。
顔が一瞬で熱くなる。
反射的にそれを閉じて床に叩きつけようとすると――、
「あぶねぇっ!?」
ヘッドスライディングでキャッチする智樹。
「何すんだお前! これは俺達にとって言わば福音の書だぞ!」
よりにもよって神社の娘にそんなことを言う。
いや、この際神社の娘とかそういうことはあんまり関係ないか。
「いいから、ここを見てみろ!」
さっきまで沈んでいたのが嘘のように、またしてもテンション上げきって詰め寄ってくるバカから、私は反射的に視線を逸らした。
何度も何度もあんなもの見せられたらたまらない。
なのに、逸らした視線の先を先回りするようにバカの持った本が回りこんでくる。
「だから――」
「いいから!」
さらに視線を逸らそうとする私と、そこへ回り込んでくるバカ。
そんな不毛なやりとりがしばらく続いて――、
「ああ、もう見ればいいんでしょ、見れば!」
先に折れたのは私の方だった。
恐る恐る突き出された本の中へと視線を落とす。
幸いにもそのページには直接的な描写は含まれていなくて、その事にとりあえずほっとした。
その中で、真っ先に目に付いたのは少し大きめのコマで笑顔を浮かべている巫女装束の少女。
彼女の口元から出たふきだしの中には――。
『わたし巫女だから前は駄目だけど、後ろだったらオッケーだよ』
そんな、台詞。
一瞬何が書かれているのかわからなかった。
もちろん書かれているのは日本語なんだから、文章自体は一瞬で頭に入ってはくる。
だけど、前とか後ろとか、それが具体的に何を指しているかに思い至るまでには数秒の時間が必要だったというわけだ。
それでも、まあそれが全くわからないほど私も無知ではないというのも真実だった。
「な? な? 俺達バカだっただろ?」
本の向こう側から聞こえてくるあいつの声。
めちゃくちゃ嬉しそうな、弾んだ声。
私の中で何かがぷつんと音を立てて切れた。
次の瞬間――、
「バカはあんただけよ!」
私の渾身の回し蹴りが、正真正銘のバカのわき腹に炸裂した。
「バカだバカだとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった! 私帰るから!」
「ま、待ってくれぇ……」
部屋を出ようとする私にすがり付いてくるバカ。
「触んないでよ、この変態!」
それを力づくで振りほどき、止めとばかりにスタンピングをお見舞いする。
このバカにはこれくらいやらないと駄目なんだ。
恥ずかしさと憤りの両方に急き立てられるように、繰り返し繰り返し足を振り落とす。
床の上で車に轢かれたカエルのようなうめき声をあげ続ける智樹。
それは、おばさんが飲み物を持ってきてくれるまで続いたのだった。
目の前には麦茶の入ったコップ。
それの置かれたテーブルの向こうには智樹のお母さん。
その状況で、今私はこれ以上ないくらいの気まずさを味わっていた。
智樹を足蹴にしていたのを見られたのはこの際結構どうでもいい。
いつものことだし。
ただ、頭に血が上りすぎていて、おばさんに智樹のバカな発言を喋ってしまったのは本当に大失敗だった。
「それにしても、この子ったらアナルセックスだなんて……」
まだ床で伸びている智樹にちらりと視線を送りながら、おばさんがそんな台詞を口にする。
ちなみに智樹のお母さんは、おばさんなんて呼び方がためらわれるほど外見が若い……というよりはっきり言ってしまうと幼い。
正直、智樹と並んで立つと兄と妹にしか見えないくらいだ。
そのおばさんの口からアナルセックスなんて単語が飛び出すと、むしろこっちの方が恥ずかしくなってしまう。
当のおばさんの方は、若く見えてもさすがにその辺は年の功というべきか平然としているけど。
ていうか、なんだか少し嬉しそうにすら見えるのは気のせいなんだろうか。
なんて思っていたら――、
「何も言わなくても、子は親に似るものなのねぇ……」
おばさんは、感慨深げにそんな台詞を口にしたのだった。
「……は?」
聞き間違いだと思った。
思ったけど、続く言葉に聞き間違いなんかじゃなかったことを思い知らされる。
「大樹さんとわたしもね、結婚するまではずっとそっちでしてたのよ」
ぽっと頬を染めるおばさん。
ちなみに大樹さんというのは智樹のお父さん。
って、今はそれどころじゃなくて――。
「わたしが昔、美幸ちゃんの家でお手伝いしていたのは知ってるわよね」
「は、はい、それは……」
智樹の家、つまりここはうちの境内に上がる石段の、ちょうどその正面に位置している。
でもって、智樹の家はお父さんが婿養子に来た家庭だから、ここはおばさんの生家ということだ。
うちのお父さんには姉妹がいなかったから、以前はおばさんに巫女の仕事をお願いしていた。
うん、それは確かに聞いていたけど……。
「だから、お付き合いを申し込まれてもずっと断っていたの。
だって、年頃の男の子に、ずっと我慢してもらうのって申し訳ないじゃない?」
そこでおばさんは一度言葉を止めて、これでも結構モテてたのよ、なんていたずらっぽく笑った。
その仕草は同性の私から見ても本当にかわいらしくて、おばさんが昔モテていたというのも素直に信じられる。
それは信じるけど……。
予想もしていなかった展開に声も出ない私と、その頃を思い出しているのか、目を閉じてうっとりとしながら言葉を続けるおばさん。
何この状況……。
「でも、いつものようにそう説明してお断りしようとしたわたしに、大樹さんは顔を真っ赤にしながら言ってくれたのよ。
それならアナルセックスをしましょう、って。
そんな風に言ってくれたの、あの人が初めてだったわ」
そりゃそうでしょうよ。
相手がこの人じゃなかったら、たぶん思わず突っ込んでいただろう。
にしても、なんだか私の中の大樹おじさん像が現在進行形でガラガラと音を立てて崩れていることに、おばさんは気づいているんだろうか。
ともあれ、それまで頬を桜のように染め、長いまつげをふるふると震わせていたおばさんは、そこで急に我に返ったようにはっと目を開けると――、
「って、ごめんなさい、のろけ話になっちゃったわね」
そう、締めくくったのだった。
「はい、これ」
まさにさっきの麦茶のような気軽さで手渡されたのは、透明なビニールに入ったゴム製の何かと、透明な液体の入ったボトルだった。
話が一段落したところで、一度部屋から出て持ってきてくれたものだけど……。
「あの、これは……?」
「あ、そうよね、最初はわからないわよね。
えーとね、こっちがお尻の中を洗うためのポンプで、こっちがローション。
ちなみにポンプは予備のやつで、まだ一度も使ってないのだから安心してね」
確かに、そういうことに使うものなら、他の人が使ったものはできれば遠慮したいところだ。
さすがおばさん、気配りが行き届いている。
「本当はもっと色々教えてあげたいところなんだけど、ごめんなさい、わたしこれから町内会の集まりがあるの。
だから、がんばってね」
ふぁいと、なんて最後までかわいらしく、胸の前で握りこぶしを作って応援してくれたおばさんは、それだけ言い残して部屋を出て行ってしまう。
その後しばらくして、玄関の開く音が階下から聞こえてきた。
「がんばってって言われても……」
その音を聞きながら、私はしばらくの間呆然と立ち尽くしていた。
「うーむ、まさに衝撃の事実だった」
そんな私を現実に引き戻したのは、足元から聞こえた智樹の声だった。
「って、智樹起きてたの!?」
「まあ、途中から。
たださすがに割り込みにくくて寝た振りしてた」
「そう、まあ、そうよね……」
2人の間を気まずい沈黙が支配する。
私もそりゃあショックだったけど、智樹にしてみれば実の両親の話なわけで、その衝撃たるや私以上に大きかったに違いない。
ただ、フォローしてあげようにも、私としてもかける言葉が見つからないというのが正直なところで。
「……で、でも、まああれだよな!」
その気まずさをごまかすように、いきなり智樹が変に明るい声を張り上げる。
めちゃくちゃわかりやすい空元気だった。
そのことに、むしろ哀れみすら感じてしまったんだけど――。
「やっぱり巫女とアナルは切っても切れない関係だったんだよな! 『巫女さんとのエッチ』と書いて『アナルセックス』と読む、みたいな!」
「な、なんだって―――――――じゃないわよ、このバカ!!」
直後、テンプルに一撃を受けたバカは、もう一度意識を失う羽目になったのだった。
※
出てきた水が完全に透明になったのを確認してから、念のためさらにもう何度か洗浄を繰り返してから一息をつく。
とりあえず、これで一応は中まで綺麗になっているはず。
はずだけど――。
「なんで受け入れちゃったかなぁ……」
今更だけど、そんな言葉が口を突いて出てしまう。
魔が差した、というやつだったのかもしれない。
最初は絶対無理だと思った。
いくらなんでもお尻の穴でセックスするなんて、できるはずがないと。
でも、おばさんから聞かされたあまりにも衝撃的な話の中で、ある部分だけが心にとげのように引っかかっていた。
「年頃の男の子にずっと我慢させるのは申し訳ない、か……」
その気持ちは、元々私の中にもあったものだ。
それは別に、単純に肉体的な問題だけに限ってのことじゃない。
この年になると、周りの友達は次々にそういう経験を済ませていってしまう。
周囲から取り残されることに対して、私だって何も思うところがなかったわけじゃない。
それでも、私は女だったから、経験がないことについては良い面半分悪い面半分と言えないこともなかった。
でも、男である智樹にとって、経験がないというのが私とは比べ物にならないくらいコンプレックスになっていたのは想像に難くない。
なのに私の立場に配慮して、ずっと我慢してくれていた。
いつもバカなことばっかり言うやつだし、今日のことはそういう意味では極め付けではあるけれど、それでも根っこの部分ではちゃんとしていることは物心付く前からの付き合いだから知っている。
知っているから――。
「そこに甘えてたのかな……」
5年間。
それは決して短い時間じゃなかった。
だから、少しくらいは私もあいつのために我慢してあげよう、なんて思ってしまったのだ。
「な、なあ、そろそろいいか?」
曇りガラス越しに声をかけられる。
少し上ずった声。
私が緊張しているのと同じように、向こうも緊張している。
幼い頃は、何も考えずに一緒にこのお風呂に入っていたのに。
「お、おーい」
「あ、ごめん、ちょっとまって」
一瞬物思いに耽りかけたところを引き戻され、私は慌てて横にあったバスタオルを体に巻きつける。
さすがにまだ裸を見られるのは恥ずかしかった。
「い、いいわよ――って、ちょっとまった!」
「な、なんだよ?」
シルエットで智樹がドアに手をかけた状態で動きを止めたのが見て取れる。
そのシルエット、曇りガラス越しに映ったそれが、全身肌色なことに気づいた瞬間反射的に危機感が募ったのだ。
「あんた、まさか裸じゃないでしょうね?」
「ん、いや……裸だけど、まずいのか?」
質問を質問で返される。
「い、いいわけないじゃない! ちゃんと隠してきなさいよ!」
言いながら、顔がますます火照っていくのが自分でもわかる。
今はまだ、智樹のそれを直に見る勇気は私にはなかった。
「――って、それじゃ隠してる意味ないでしょ!」
腰にタオルを巻いて入ってきた智樹を見た瞬間、私の叫び声がお風呂場のタイルに反響した。
なにせ、そのタオルの中心がまるでテントを張ってるみたいに高々と持ち上げられていたのだ。
「そ、そんなこと言ったって仕方ないだろ! この状況で大人しくさせられる奴なんかいてたまるか!」
「ひ、開き直んないでよ、このバカ!」
ど、どうしよう……とっさに目を逸らしたけど、それでも脳裏には一瞬だけ見てしまった智樹のそこが焼きついていた。
「バ、バカ、とりあえず出てけ!」
「お、おい、ちょっと待て、落ち着けって……」
「落ち着いてるわよ!?」
言葉とは裏腹に半分以上パニックに陥って、とにかく智樹をお風呂場から追い出そうとする。
とにかく、今はそれしか考えられなかった。
「あ、あぶねえって……」
駄々っ子のようにがむしゃらに振り回される私の手を、智樹がとっさに掴み取る。
そこに他意はなかった……と思う。
そう広くはないお風呂場で腕を振り回すのは危険だから。
ただそれだけだったに違いない。
だけど、次の瞬間、私は肌の上をタオルが滑り落ちていくのを感じていた。
ヤバイ。
直感的に思った。
慌てて巻き付けたから、元々多少緩くなっていたんだろう。
その状態で暴れたりしたものだから、ついに限界を突破してしまったらしい。
なんて、かすかに残った理性は妙に冷静な分析をしたりして、両腕に落ちていくそれを押さえろと命令する。
だけど、今私の両腕はしっかりと智樹に掴まれているわけで――。
「――ぶっ!?」
無情にもタオルは完全に下に落ちてしまったのだった。
「で、最初はどうするのよ?」
「お前、いきなり開き直ったな……」
とりあえず一通り錯乱してからようやく落ち着いた私に対して、智樹が呆れたように呟いた。
その智樹の体には至るところに引っかいたようなミミズ腫れの跡があるけど見なかったことにしよう。
ていうか引っかいたんだけどさ。
まだそのものの行為を始めてすらいないのに、なんか2人とも微妙に疲れ果てていた。
こんなことでこの先大丈夫なのかと心配になるけど、まあ考え方によっては肩の力が抜けて良かったと言えないこともない……たぶん。
「と、とりあえず湯船に手を付いてだな、こっちに背中を向けて……」
向こうも当然初めてだから、手探り状態なんだろう。
その言葉もどこか頼りない。
「い、いきなりするの?」
「いや、最初はちゃんとほぐすとこからするぞ……」
それくらいはわかってるから安心しろと言わんばかりの智樹だけど、それ以前に私の質問の意味を根本的に間違っているから台無しだった。
「そ、そういう意味じゃなくて、最初はもっと、さ……その……」
説明しようとした言葉が途中で尻すぼみになっていく。
さすがにそのまま口にするのは恥ずかしすぎたのだ。
一方で智樹の方はといえば、まだ私が何を言いたいのかわからないらしくきょとんとしている。
こういう奴のことを、たぶん朴念仁と言うんだろう。
「だ、だから、最初は、キ、キスとかさ、もうちょっと順序ってものがあるでしょ?」
結局全部口にする羽目になった私は、せっかく治まりかけていた恥ずかしさでまたどうにかなってしまいそうだった。
それでも、仮にもこれは私達にとって初めてのそういう行為なわけで、いきなりお尻だけしてそれで終わりなんてあんまりだと思ったのだ。
「あ、ああ、それもそうだよな。
ていうか、お前も希望があるならちゃんと言ってくれよな」
でもまあ、これはこれで言われた方も同じくらい恥ずかしいのか、智樹も顔を真っ赤にしている。
その事を少しだけいい気味だと思いながら――、
「こ、こういうときは、男の方がちゃんとリードするものなの……っ!」
私は照れ隠しも兼ねてそんな憎まれ口を叩いてしまった。