あれは4年前のことだ。  
当時の俺は就職活動を面倒がり、院で興味も無い研究をしていた。  
住んでいたのは大学近くのアパートで、トイレは共有のくせにフロだけは各室にあった。  
壁からはシイタケ臭い匂いがしたし、コンセントだってたまに電気が通らない。  
 嫌な記憶ばかりだが、ひとつ嬉しい事もあった。  
それは、隣に住んでいるのが割りと可愛い子だったこと。  
『中迫莉彩』という名まですぐに思い出せる。  
同じ院でフランス語を専攻していて、長い黒髪と上品そうな横顔に一目で惚れた。  
ややO脚ぎみの、気をつけをしても8の字になる脚がものすごく目を引く。  
ホームに魅力的な後ろ姿を見つけると、彼女である事が多かった。  
もっとも、俺自身が直接彼女と話したのは数えるほどしかない。  
 
彼女は俺などと違って真面目に院に通い、しっかりと学生生活を満喫しているようだった。  
2年間隣で暮らしていた中、半年ほど彼氏がいたようだ。  
楽しそうに普段より高い声で談笑し、やがて布団の中で息を弾ませる。  
隣の俺に憚ってか行為は控えめだったが、俺にはその一部始終が見えていた。  
壁の端にしっくいの剥げた箇所があり、そこから和紙を通すようにうっすらと、  
それなりに鮮明に莉彩の部屋が覗ける。  
 
二人のじれったい恋と、それが終わったあとに始まった自慰。  
それらが当時の俺にとって唯一の娯楽だった。  
狭い居間に流しとフロ場がひっついたような部屋だから、どこで何をしてもわかる。  
そのときの俺はたまに彼女の生活を覗くだけで、十分に満足していた。  
 
あんな現場を見たいなんて、思うことは無かったんだ。  
 
事件は盆の夕方に起きた。  
蒸し暑くて窓を開けていたから良く覚えている。  
アパートには研究のある莉彩だけが残っていたが、俺は彼女に実家へ帰った風に見せていた。  
理由は馬鹿げたこと。  
隣に誰も居ないと思えば、利彩も大っぴらに自慰をするだろうと思ったからだ。  
これまでも彼女は、俺がドアをあけて外出するタイミングで慰めていた。  
俺はそれを利用し、ドアだけを開閉して覗きをしていたわけだ。  
 
そしてあの日の夕方、俺はわざとらしく出かけるフリをした。  
実際には部屋の隅でじっと食料を抱えていたが。  
 しばらくタンスを漁りつつ鼻歌を唄っていた莉彩は、やがてシャワーを浴び始めた。  
さっそく俺は隙間から部屋を伺う。  
ガラス戸の向こうの細いスタイルに息を呑む。  
 
開け放された窓の外に、明らかな不審者を見つけたのはその時だ。  
ニット帽とグラサンで顔を隠した、色黒のやくざの様な男。  
肘から先が異様に太い。  
肩に大きなショルダーバックを背負っている。  
そいつは莉彩の部屋を物色するように覗いていた。  
 莉彩を狙っている。  
でも俺は、そいつに何もできなかった。  
ふだん喧嘩などしないから疎かったが、そのとき肩の震えで自分の臆病さを思い知った。  
 
男は窓枠を乗り越え、まっすぐにフロ場へ向かう。  
その時の俺の心理は、全盲の人が車道へ踏み出すのを黙ってみているような、――そんな罪悪感。  
ガラス戸が乱暴に開かれる音で目を逸らし、その後叫び声が聞こえたとき、  
俺は息を強張らせながら小さく笑っていた。  
わめく声は数度の乾いた音で弱まり、すぐにくぐもる。  
 
どんどんと畳を踏む音が止んだので見ると、彼女の躯は黄色いテープで後ろ手に縛られていた。  
口にも白い何かを詰めた上からテープが貼られている。  
シャワーの最中だったため、髪も色白の肌も雫まみれだ。  
 
男は莉彩の髪をつかんで引きずり起こし、再びフロ場へと連れ込んだ。  
俺の位置から見えるのは、ガラス戸から覗く長い左脚だけになる。  
高さから見て浴槽に淵に腰掛け、壁に背を預けているのだろう。  
男はバッグから整髪料のようなボトルや大きな浣腸器を取り出した。  
そう、浣腸器。  
これからあの莉彩が、そんな事をされるというのか。  
信じられなかった。何か童話を読んでいるように思えた。  
でも、フロ場の奥から次々とストローですする様な音が聞こえる。  
ほっそりとした左脚が壁に引っかかり、かかと立ちするように筋張っていく。  
それがあまりにも生々しすぎた。  
「良いっつうまで出すなよ」  
これまで呟くだけだった男が初めて声を荒げる。豹が唸るような凄みだ。  
それを眼前で聞いた莉彩の脚は、こわばったまま壁をずり上がる。  
 
その後くちゅくちゅという音がしばらく続いた。  
指の曲げ伸びる脚だけを覗き、俺はその音を考える。  
男がくつろげたにしては早すぎる。  
なら、彼女はシャワーを浴びながらすでに…。  
水音はじわじわと早くなっていく。  
ぐおるるるという腹の音の濁りも増し、うめき声も低まる。  
 
「ここがイイのか、びくんびくんしてるな。洩れそうか」  
男の笑ったような声がし、俺は莉彩の足の指がぎゅうっと強く握りこまれるのを見た。  
そして指がほぐれる。  
その直後、バスッという破裂音が響き渡った。  
「まだ出すなっつったろうが!」  
男はすぐに怒声を浴びせるが、莉彩のうめきはもう止まらない。  
「んー、んぅんぐうぅ、うんぅうんうーー!!」  
かわいそうな苦しみの声とともに、ビニール袋へ質量の注がれる音がする。  
 明るくてハキハキしていて、俺なんかは気後れするぐらいだった莉彩。  
あの莉彩が今、見知らぬ男の前でむりやり排泄させられているのか。  
「ははは、すげぇ量だ」  
男はビニールに溜まった濃緑色のものをケースにしまい、バックへ押し込んだ。  
おそらくそれを見ただろう莉彩の代わりに背筋が震える。  
 
男はさらにバックからイチジクの箱を取り出し、ガラス戸の中へ戻った。  
俺には断片的な情報しか入ってこない。  
低い笑い声、鼻水を啜る音。  
彼女の汚辱は一度ではすまない事。  
じゅう、じゅうっ、じゅう…5個6ッ個、空容器が捨てられても止まらない。  
「今度はいつ出してもいいぞ。ちゃんと携帯で撮っといてやる」  
甲高いうめきを愉しんで、男の声もやや上ずる。  
「俺はこっちにしか興味ないんでな。俺のに慣れるまで、じっくり拓いてやっからな」  
 
その後、莉彩はカエルのように床に押し付けられた。  
男は数珠や蛇のような棒を何種類も使って彼女を苛んだ。  
がに股で平泳ぎのようにのたうつ姿が忘れられない。  
あっあっ、あっあという泣き声がずうっと聞こえていた。  
 
莉彩は騎乗位で、夜通しお尻を犯され続けた。  
その穴はたいそう気に入られたらしく、朝には男の連れまでも陵辱に加わっていた。  
綺麗な娘の不浄の穴を犯すのが嬉しいのか、単なる性癖か、  
彼らは莉彩を取り囲みながらも尻の穴しか使っていないようだった。  
なぜって、当の莉彩がたまりかねて  
「あそこも使っていいですから…!」  
って何度も泣き叫んでたから。  
慣れない後ろばっかりで辛かったんだろうな。  
今思うと、頭が少しイッちゃいかけていたのかもしれない。  
それまで一回も聞いたことのないような異様な声で、俺は怖くなって部屋を出たんだ。  
部屋の外には見たことも無い奴らが煙草をふかしていた。族か何かだと思う。  
驚いたことに、その中には結構女もいた。  
そいつら、部屋の中を覗いて笑ってて。  
俺は居ても立ってもいられなくなった、その足で学校に向かった。  
もう戻ってくるつもりはなかった。  
最後、部屋の中で何かがひっくり返る音がしてた。  
 
「なんで、っでそこでばっかりすんのよぉー!ぉう、もうやだああああーー!!」  
 
 
そのアパートでボヤがあり、警察が介入したのが先月だ。  
麻薬などもあるが、莉彩のことで奴らが受けた罰は強制猥褻。  
後ろだけならそうなるらしい。  
彼らは普通の女性がけして赦してくれない尻穴責めに興味のある連中で、  
数ヶ月前から駅で獲物を物色して計画を練っていたそうだ。  
莉彩を覗き見ていたのは、俺だけではなかったんだ。  
そして、逮捕時すでに莉彩は姿をくらましていた。  
行き先はまだわかっていない。  
 
いま俺は、再びそのアパートを訪れている。  
長いこと族の溜まり場だったココは落書きで荒れ果てていた。  
ヤニやらシンナーやら、壁の臭いはさらに悪化した。  
無残に蹴り壊されているが、仲迫という表札のあった場所をくぐる。  
空気がよどんでいた。  
歩くとぐちゃあっと腐った畳がへこみ、その隙間から黄ばんだ白濁がにじみ出てくる。  
使用済みの注射器に、血や糞のこびりついたえげつないエネマグッズが床に散らばっていた。  
 
はじめて、あの子の部屋に入った。  
ぬいぐるみが俺の部屋側の壁に並んでいる。  
知らなかった。  
携帯…の砕かれた破片が床に転がっている。  
ドコモダケの、ストラップ。  
廊下で落としたときに彼女と話題になり、俺があげたもの。  
あんな下心の塊を、ずっと持っていたのか。  
 
友人からのメールを思い出す。  
隣町のSMクラブに、ひどく可愛い女性がいるらしい。  
スカトロ、フィスト、獣姦、電流責め、大量浣腸。  
アナルでならどんな要望も嬉々として受けるその女は、素晴らしい美脚で、  
尻を向けたときの8の字は大変な人気だそうだ。  
 
行きたくないといえば嘘になる。  
でも俺には、彼女を直視する気はない。  
俺の頭の中にはいつまでも、彼女の綺麗な部分、汚い部分の断片が焼きついている。  
おれは、彼女の人生の、ホンの一部を覗き見たにすぎない。  
 
   
                 了  
 

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