××県の創星大学付属高校は、県内屈指の名門私立校としてその名を知られる。男女共  
学の進学校で歴史も古い。世間のイメージも「裕福な家庭の学生が多い」ことで定着して  
いる。私――稲葉 岬もそんな創星大付属の生徒だった。  
 稲葉家といえば、県内でその名を知らぬ者はない。歴史と伝統のある名家ということに  
なっていて、遠く鎌倉の時代から――っと、そんなことはどうでもいいか。  
 とにかく私の稲葉家は、創星大付属に通うような生徒の間でも、一目置かれるような事  
業家なのだ。関連企業を中心にかなりの票田を握っていて、政治家ですら頭が上がらない。  
そんな一族が稲葉家で、その本流・本家の一人娘が私だった。  
 そしてその私は今――校舎の片隅で背徳的な行為に臨んでいる。  
「くっ…ふぅ……は…」  
 微かなその声は、音を小さく抑えるために殺している結果だ。しかし、口の端からどう  
しても喘ぎが漏れ出す。ここは学校なのだ、大きな声を出すわけにはいかない。  
 耐え切れずにこぼしてしまうような声は途絶されない。学校生活の気だるさを解消する  
には、想定できない非日常が最適だと思う。そのためにセックスは有効な手段だった。  
「はぅ…ああっ……く、ん…」  
 繰り返すが、創星大付属はそこそこの金持ちでなければ入れない。裕福な家庭で育った  
お坊ちゃんお嬢ちゃんたちは、一般的にしつけも厳しく、温厚で性格もおとなしい。  
「性」にまつわる話などとてもできない男女もいるくらいだ。  
 そんな連中にとって、名門・稲葉家のご令嬢が学内でセックスに興じているなど……そ  
れだけで信じ難いことだろう。  
「もう…駄目……あっ、あぁっ!」  
 だが、それ以上に驚くに違いないのは、今こうして悶えているのは――男のほうだとい  
うこと。私は男の性器を下の口にくわえ、冷たい表情で男を見下ろしているだけなのだ。  
「う、あ…ああっ! ふぅっ…!」  
 さらに声を殺しながら、男が体を硬直させて目を閉じる。直後に私の膣の中で、男から  
生えた柱がぴくんぴくんと震えた。  
「ふふふ……出しちゃったのね? くふふふ……早いわね、ボク?」  
 体を倒して耳元で甘く囁く。荒い息を吐きながら、男はハの字に眉を歪ませた。きっと  
それは屈辱的な言葉だったのだろう。  
 まあ、それも無理はない。騎乗位で跨りながら、私は何もしていない。ただ座っていた  
だけだ。それだけなのにこの男は射精した。つまり自分が早漏であると自覚せざるを得な  
いのだから。それに対しては私はもう余裕綽々。動じる気配すらなかったのだから、どち  
らが優位なのかは明白である。  
 そう。私、稲葉 岬は――淫乱なのだ。自分がSであることもとうに自覚している。  
 男を性戯で弄んでは、サディズムの渇きを癒す――それが私だった。  
 
 
 はあはあと激しい呼気で呻く男を尻目に、私はペニスを膣から抜いた。手早く乱れた着  
衣を整える――と言ってもブラを直してショーツをはき直すくらいだが。もっとも、この  
子は私のバストに手を伸ばす余裕もなく果てたのだけど。  
 私は立ち上がり、未だ横たわったままの男を上から見下ろす。虚ろな目で私を見上げる  
男と視線が合ったところで――私はくすりと笑う。  
「うふふふ…大したことないのね、あなたって。こんなんじゃ女を満足させるなんて、到  
底できないわよ?」  
 今の今まで童貞だった男には刺激が強すぎる台詞だろうか。悔しそうにその顔が歪んだ  
隙にしゃがみ込み、私は彼の唇を奪った。軽く触れる程度のキスだが、その先に私は――  
男にとって挑発的な、そして例えようもなく魅惑的な台詞を続ける。  
「ふふふ…私に抱かれたくなったらいらっしゃい。いつでも可愛がってあげる……」  
 瞬間的にとろんとした瞳を作って囁く。その視線に動揺する男に、もう情けはかけない。  
 くるりと踵を返し、私はそのまま振り返りもせず、薄暗い教室を後にした。  
 
(今日の男、薄かったなあ)  
 童貞では無理もない――とは思わない。私にとってはいつものことだからだ。経験の有  
無はさほど関係ない。私を満足させられる男なんて滅多にいない。  
 だからといって、決して私が絶頂の快感を知らないわけではない。むしろ性の快感など  
とっくに知り尽くしている。私のテクニックや膣の中に男が耐えられないのだ。  
 無論、私をオルガスムスに導いてくれる男も稀にいるが――そんな彼らも私が一度攻め  
に転じれば、あっという間に果ててしまう。まるで私の性戯にイカせるための解式が組み  
込まれているのかと思ってしまうほど、男は面白いように私の掌の上で絶頂に達する。  
 実際、私がイカせられなかった男はいないし、いるとも思えない。いや、それどころか  
私は「男なんてみんな早漏!」とすら思っている。  
 男は攻められるのに滅法弱い。セックスは種の繁栄が最大の目的だから、元々男が射精  
するためにあるようなものだ。だから先の認識はあながち間違いじゃないと思う。イカな  
かったらオスは子孫を残せないのだから。  
 それにどんなに否定されても、女との遍歴に甲羅を経た男だろうが、今まで女の中でイ  
ッたことがないという遅漏の男だろうが、私の前では誰も数分と持たないのだ。調子に乗  
った小娘の思い上がりとは断じ切れまい。  
 
 専属の運転士さんが静かに車の速度を落とした。ぼんやりと淫らなことを考えているう  
ちに家に着いたらしい。私は車から降りると運転士さんに一礼し、エントランスの大仰な  
扉を開けた。  
 何十人もの使用人が絨毯の左右に並び、一斉に「お帰りなさいませ、お嬢様」――なん  
て頭を下げるようなことはない。いくら稲葉家といえども、そこまで浮き世離れはしてい  
ない。  
 それどころか、洋館然とした自宅は閑散としている。実際、この家に住んでいるのは私  
の家族と住み込みの使用人のみ。その他の職員や使用人は夕方に帰宅してしまうので、館  
内の人口密度はかなり低い。全然使わない部屋もあるし、普段歩き回るエリアもかなり限  
られている。使用頻度の高い場所だけを集めたら、それこそ一般の家庭の面積と同じくら  
いじゃなかろうか――などと思うこともある。  
「ただいまー」  
 特に誰かに聞こえるように言ったわけではない。返事などは特に期待していないし、幼  
い頃からの習慣のようなものだ。この家で返事が戻ってくることなど稀なのだから。  
「あ――お帰りなさい、岬お嬢様」  
 上から女性の声がした。珍しく返事があったものだ、などと思いながら視線を向ける。  
2階から張り出した屋内テラスに一人の女が立っている。彼女はそこから、私をたおやか  
な笑みで見下ろしていた。  
「ただいま、由貴さん。いつもお疲れ様です」  
「岬様こそお疲れ様です。今、そちらに参りますね」  
 由貴さんはパタパタとスリッパの音を立てながら、小走りに階段を駆け降りてくる。  
 塚原由貴――それが彼女の本名だ。この屋敷に住み込みで働いている稲葉家の使用人で  
ある。私の両親どちらの趣味か知らないが、彼女はいつもメイド服を着て働いている。  
 由貴さんは掛け値なしの美人だと思う。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳、形の良い輪  
郭、艶のある顔立ち、緩くウェーブをかけたロングヘアも実によく似合い……多くの女性  
の手本になりそうな容姿をしている。常に艶然とした微笑みは、私と同年代の娘には見ら  
れない魅力を――つまり、大人の雰囲気を漂わせている。  
 大人なのは勿論、その肉体もだ。メイド服の内側にある肢体には、例えようもない性的  
な魅力が隠されていることを……私は知っている。  
「鞄、お持ちしますね」  
 階段を降りてきた由貴さんに創星大付属指定のバッグを渡す。二人並んでまた階段を上  
がり、私の部屋へと向かった。  
 
 私も彼女もモデル並みに背が高い。互いに身長は170cmちょうどだから、並ぶとすぐ真  
横に彼女の顔がある。以前は由貴さんのほうが高かったけど、いつの間にか私が追いつい  
てしまった。  
 視線を少し落とせば――そこには豊かな膨らみがある。メイド服なんて肌の露出度が低  
いから目立たないが、由貴さんの乳房は日本人の平均などはるかに上回る実りがある。腰  
だって細いし、ヒップラインだって女性らしい丸みが非常に魅力的だ。幼い頃の私には、  
由貴さんが理想の女であり、目標だった。  
 由貴さんの塚原家は、稲葉家とはちょっと特殊な関係にある。何でも昔から稲葉家に仕  
える一族だったとか何とか。由貴さんもその伝統に従って、今もこうして稲葉家で働いて  
いるという。  
 そんなものがこの21世紀、平成の世に生きているなんて時代錯誤もいいところだと思  
うけど、事業家として成功している稲葉家とは、誰もが築いてきた関係を失いたくない。  
諸々の思惑も重なって、この奇妙な関係は未だに続いているそうだ。  
 由貴さんは5年前、私が中学1年の秋、稲葉家に雇われた。主に私の身の回りの世話を  
するように命じられているという。家政婦兼教育係――というところだ。  
 由貴さん本人が塚原と稲葉の伝統をどう思っているのかは分からない。しかし、私と彼  
女の関係は非常に良好だ。少なくとも私に不満はないし、彼女が私のそばに仕えてくれる  
ことは実にありがたい。何かと多忙な両親は家に不在がちで、その間、私の面倒を見てく  
れたのは由貴さんだった。今では彼女のいない生活なんて考えられない。  
「ねえ……由貴さん」  
「なんでしょう?」  
 私は由貴さんの隣に並び――彼女の肩に頭を預けるようにしなだれかかった。  
「今日の男、すっごく早くてさ……全然物足りないの」  
 由貴さんは優しく微笑み、私を軽く抱き止めてくれる。  
「また男遊びですか? 岬お嬢様の中でしたら、男があっさり果てたとしても恥ではない  
でしょう。相手を早漏と嘲笑うのは酷かも知れませんわよ」  
「でもさ……由貴さん、このままじゃ私、体が夜鳴きしちゃうわ」  
 ふっと由貴さんが軽く溜め息をつく。私は瞳を潤ませて彼女の返事を待つ。  
「それでは今夜、夜伽にうかがいますね……」  
 そこまで話したところで、私と由貴さんは目を合わせ、互いにくすりと笑う。  
 そう――今では彼女のいない生活など考えられないのだ……。  
 
 

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