芳香の父は仕事の都合、海外へ出向かねばならないことが多く。したがって、  
父娘が家に揃っていることは少なく、世間一般のような親子関係はない。  
 歳の離れた姉とは、仲が良かったが。嫁いでからというもの、姉は海外に定住  
してしまい、なかなか会うことは叶わない。  
 家に仕えている使用人たちは、よくしてくれるが。それはそれ。まだ十代の少  
女は、否応なく、肉親との情を求めてしまう。  
 故にか、  
 家に住み込みで仕える夫妻の子であるユウへは、まるで実の弟へ向けるような  
愛情を持っている。  
 今も。遊び疲れて、芳香の部屋でそのまま眠ってしまったユウへ、温かい視線  
を向けながら。ユウが家から持ってきたボードゲームを、片づけていた。  
 ユウはうつらうつらと船を漕ぎながらも、座ったまま眠ってしまっている。  
 もう十一時、まだ幼い少年にとっては十分遅い時間だ。  
 仕方ないこととはいえ。この後、一緒にお風呂にはいる気でいた芳香は、少し  
ばかり残念な結果だ。  
 ボードゲームを片づけ終え、芳香はわずかに思案した。  
 どうやれば、ユウを起こさずにベッドへ運べるかしら。と。  
 しかし妙案は浮かばず、普通に抱き上げるのが上策だと結論した。  
 膝の下へ手を入れ、抱えるようにわきからわきへと腕をまわす。  
 自分でも非力なことが分かっている芳香は、くっと歯を食いしばり、持ち上げ  
ようとしたが――  
「……あら?」  
 まだまだ軽いユウの身体は、簡単に持ち上がり。拍子抜けしてしまった。  
 芳香はくすりと微笑むと、その小さな身体を強く抱きしめたくなったが、起こ  
しては悪いと自粛した。  
 最近は随分と背が伸びたように感じていたが、まだまだ小さなユウ。  
 今はこうして抱き上げることができるが、いつかはそれもかなわなくなる。  
 ……いつかは、  
 そのことを考えると、芳香は悲しくなる。  
 父の付き合いで、友人ということになっている人。  
 クラスメイト。  
 そういった人々と別れることを考えても、こうまで悲しくはならない。  
 たった一人の本当の友だち――小さなユウが、もし自分の前から消えたら。  
 それは遠くない日の出来事かもしれない。  
 ユウに外で遊ぶ友人ができて、寄りつかなくなるかもしれない。  
 使用人の一族だからといって、ユウも使用人になるとは限らない。  
 
 まだ遠い――遠いと信じたい未来、ユウに恋人ができた時。  
 ユウは芳香から離れてしまうかもしれない。  
 今みたいに一緒にいてくれなくなる。  
 いくら心の中で否定しても、いずれその日は来てしまう。  
 ユウとずっと一緒にはいられない。  
 そう考えると、芳香の心には暗雲が立ちこめる。  
 暗い思考に囚われ、立ちっぱなしになっていた芳香の腕の中で、ユウが身じろ  
ぎし。  
「……うぅ……なんでいちばっかりでるんだよぉ……」  
 小さくうめいた。  
 そのうめきが、止まっていた芳香の時間を動かし、芳香は小さく首を振った。  
 いつかのことなんて考えていても仕方ない。  
 ユウはまだ十歳。その日が来るまで何年もある、それまでユウは私のものなん  
だから……。  
「ん……あれぇ? ……」  
「あ、ごめんなさい。起こしてしまったわね」  
「………いま、なんじぃ…?」  
「もう十一時よ」  
 芳香がそういってやると、ユウはむにゃむにゃとうめき。  
「おやすみなさぁぃ……」  
 といって。  
「…………」  
 再び眠ってしまった。  
 芳香は困ったように微笑み、ユウをベッドに寝かせた。  
 ユウをベッドに寝かせると、芳香はシャワーを浴び、ユウとお揃いのパジャマ  
を着なおした。  
 父から与えられる寝間着は、見栄えはいいが。布地が少なく、スースーして寝  
冷えするし。一度ユウから、  
「おにんぎょうさんみたいでかわいいね」  
 といわれてからというもの。何故か恥ずかしくなって、ユウの前では着られな  
くなってしまった。  
 部屋へ戻ると、ベッドの上のユウは毛布をはねのけ、大の字になっていた。  
 芳香は室温を調整し、ユウの隣に寝た、小さな身体を抱きしめて。  
 
 
   ※※※  
 
 
 ――数時間後。  
 ユウは寝苦しさを感じ、目を覚ました。  
「……ああ」  
 なんで寝苦しいのかと思えば、ユウは納得した。抱きつき魔の芳香さまが、ま  
た自分のことをぬいぐるみにしていたのだ。  
 一人の男であると自負するユウとしては、この扱いは、なんともふがいなく。  
照れくさい。  
 ぼくだってもう十歳なのだ、だっこされて喜ぶようなトシではないのだ。――  
というのが、ユウの言い分であるが。  
 いくら言っても、芳香さまは聞いてくれないため、最近はあきらめている。  
 それにしても寝苦しい。  
 
 まるでマシュマロに口をおさえられてるようだとユウは思った。  
 暗闇に目が馴れてくると、ぼんやりとだが、ユウは自分が置かれている状況を  
知った。  
 芳香がユウをあまりに強く抱きしめるあまり、ユウの顔は芳香のたわわな乳房  
に埋まっていたのだ。  
 ユウは抜け出ようともぞもぞ動くが、うまくいかない。  
 なんとか、息ができるだけのスペースを確保する頃には、完全に目が冴えてし  
まっていた。  
 もう一度寝ようとしたが、寝られない。  
 羊でも数えようかと考えたが、そんなことをしても寝られそうにはない。  
 考えていると、退屈を持て余すユウの目に、ある物が映った。  
 いや、しかし。  
 それに触れてはならないと、芳香さまは言ったではないか。  
 ……しかし、芳香さまは寝ている…………。  
 
 
   ※※※  
 
 
 芳香は、不意に目を覚ました。  
 もう起きる時間かと目を薄ぼんやり開けても、室内は暗闇。  
 大きな音が鳴った気配もない。  
 何故目覚めたのだろう?  
 ――考えるまでもなかった。  
(う、ウソ……なにをしているの? ……ユウ)  
 寝ていたはずのユウの小さな手が、芳香の大きな乳房に挑んでいた。  
 芳香の手にすら余る大きさの乳房を、ユウの小さな手がくにゅくにゅと揉む。  
 くすぐったいような、気持ちいいような。  
 しかし、そんなことを思っている場合ではない。ユウを叱らなくては。  
 ……しかし、  
「――ン」  
 ユウの小さな手を拒むことは、芳香には難しかった。  
 ユウを頭ごなしに叱って嫌われたくない。ただの子供のイタズラじゃないか、  
と芳香は自分に言い聞かせる。  
 イタズラでも、ユウが自分を求めてくれている。それが、今の芳香には嬉しか  
った。――という気持ちは押し隠して、芳香はユウのしたいようにさせた。  
 しかし、ユウの手は離れ。驚くべき行動に出た。  
 パジャマのボタンを外し始めたのだ。  
(な、なにをする気……)  
 芳香は止めようかと思ったが、しかし、ユウが――芳香は口にもできないよう  
な行為を知っているわけはない。ユウはまだ十歳なのだ。  
 けれど、自分が自慰をおぼえたのは何時の頃だったろう?  
 ……ユウが知っていてもおかしくはない。  
 しかしユウに限って……  
   
 芳香が渦巻く思考に囚われている間に、ユウがなにをしようとしているかは判  
明した。  
 ユウが乳首に吸いついてきたのだ。  
 
 思わず出そうになった声を圧し殺す。  
 心臓が停止したかのようなショックを、芳香は感じた。  
 まさか――  
 そんな――  
 ユウに限って――  
 しかし。  
 ユウは強く強く芳香の乳首を吸い、離さない。なにを考えているのか、コロコ  
ロと舌先で弄ばれる。  
「あれー、おかしいなぁ?」  
 吸いつく水音に紛れ、ユウが小さく呟いた。  
 なにがおかしいんだろう?  
 まさか、私が声をださないから、気持ちよくないのか。おかしいなぁと、そう  
いうことだろうか。芳香は混乱した頭で考えるが。  
 心臓が、バクッ、バクッと繰り返して大きく跳ねる音が邪魔で、マトモに考え  
られない。  
 なにをされているのか、考え違わないように、感じようとして思考があやふや  
になる。  
 ユウが乳首に吸いついている、その事実が、吸いつき以上に芳香を興奮させた。  
 ユウが私の乳首を吸っている、赤ちゃんみたいに、強く…強く……。  
 赤ん坊がお乳をくれる母親を、無条件に愛するように、ユウが愛してくれてい  
るようで、嬉しくて。その嬉しさが気恥ずかしく、なによりいやらしいもののよ  
うに思えた。  
 下腹部に疼きを感じた。  
 声を出したい。  
 ユウの小さな身体を抱きしめたい。  
 ――結ばれたい。  
 ユウだって、私を求めているのだ……ならば、問題はないはず……。  
「うーん」  
 しかし、芳香の期待は、裏切られた。  
「おっぱいでないや」  
 言うやユウは口を離してしまい、腕からすり抜け、部屋からでていってしまっ  
た。  
 芳香は、ふと思い出した。  
 以前にもユウは、芳香の乳首を求めたことがあった。  
 それは芳香が考えるような意味ではなく、ただ、母乳が出るんではないかとい  
う、興味。ただそれだけだったのだ。  
 芳香は、気が抜けたように仰向けになった。  
 窓から差し込む月光に、乳頭がてらてらと輝いていた。  
 
 
 
――了  
 

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