彩珠新都心よりわずかに北西。  
 高級住宅街の中心にその邸宅がある。  
 航空機開発や宇宙開発において、世界でも有数の技術力を誇る大企業、KATIの会長宅だ。  
 
 JR新都心駅がまるまる収まりそうな、その広い敷地内を全力疾走する執事が一人。  
 歳の頃は二十代半ばか。背は高く、ごつくは無いものの全体的に引き締まった体つきをしながら、しかし身に纏っている雰囲気はどこか頼りない。  
 例えるなら、雨の日にこちらを見上げる、段ボールの中の子犬だ。  
 そんな、どことなく犬チックな青年は、広い庭を駆け抜け、絨毯の敷かれた階段を数段抜かしで駆け登り、彼の主人のいる部屋へと急ぐ。  
 部屋の手前、約1.2m程で音を立てぬよう、さらに絨毯を痛めぬよう器用に急停止。  
 呼吸を整え、小さく扉をノックする。  
 
「お呼びでございますか、お嬢様」  
「――入りなさい」  
 
 扉越しに聞こえるのは、まるで硝子で出来た鈴を鳴らしたかのような、涼やかな声。  
 
「失礼致します」  
 
 一礼し、扉を開ける。  
 豪奢な造りのその部屋に居たのは、まるでケルトの神話から抜け出て来たかのような、美しい一人の少女。  
 
 肩甲骨のあたりまで伸ばされた、癖の無い白金色の髪。  
 銀縁ナイロールフレームの眼鏡の下の眼は、まるで紫水晶の如く輝く紫。  
 リリアン女学院に並ぶ歴史と伝統を持つ学園、ルーシア学園の、濃い青とAラインのシルエットが特徴的な制服が、まるで彼女のためにデザインされたのではと思えるほどに似合っている。  
 
 そして何より、圧倒的なのはAラインの制服によってさらに強調されている彼女の胸だ。  
 他の全てが妖精のように細身なのに対し、その胸は不釣り合いなほどに大きく、そして形良く美しい。  
 
 フランチェスカ=神代。  
 KATI会長、神代桜羅とアイルランド人の母親の間に生まれたハーフであり、ルーシア学園に通う女子中学生。  
 そして青年――ジョンが仕えている主人である。  
 
 
「……遅い」  
 
 ジョンの顔を見るなり、フランは不機嫌そうに言った。  
 
「遅い遅い遅い遅いっ! ジョン。私が貴方を呼んでから、一体どれだけの時間が経ったと思っているんですか?」  
 
 そう言って、卓上のハンドベルと砂時計を指さす。  
 小さな砂時計の砂は、既に完全に落ちきっていた。  
 
「『お嬢様が呼べば、例えどんな所に居てもすぐに駆けつけます』いつか、そう言って大見得を切ったのは一体何処の何方だったのでしょうか?」  
「あ、それは――」  
 
 困った様にジョンが頬を掻く。  
 確かに、ちょっと前にそんな事を言った気がする。  
 とは言えこの屋敷は広い。そんな広い屋敷の片隅から、わずか五分という素晴らしい早さで彼女のもとにやってきたジョンの方が驚異なのだ。  
 いや、それ以前にそんな遠くに居ながら、彼女の鳴らすハンドベルの音を聞き分けたことの方が奇跡か。  
 
 だが、フランはジョンのそんな献身など気にも止めない。  
 
「主人に対する大言壮語。これは充分、万死に値しますよね?」  
 
 眼鏡を外し、ハンドベルや砂時計の隣に置く。  
 眼鏡越しの時は穏和に見えた顔立ちは、裸眼になると驚くほどに鋭く、きつい。  
 
「とりあえず――。そこの床に仰向けになりなさい」  
 
 サディスティックな笑みを浮かべる彼女に、逆らうことなど出来るはずも無かった。  
 

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