○5  
 黒板を叩くチョークの音だけが、授業中の教室に反響している。  
 担任教師・藤原通子を再び迎えた六年三組は、簡単なホームルームの後、何事もなかったかのように通常通りの授業に復帰していた。  
 その過程で通子は一度だけ谷川千晶の件に触れ、皆に事情を確認するとともに念を押したが、朝一番にはクラスメイトたちと朗らかな笑みを交わしあった千晶も、今の通子とは目を合わせようとすることはなかった。  
 それに気づいた真琴が気遣うような視線を千晶と通子の間に往復させる中、通子は何気ない風を装い、いつも通りに授業を進行させていく。  
 自習課題の確認、不明点の質疑応答に始まり、淡々と進んでいく授業の中で、谷川千晶は窓際の席に掛けたまま頬杖を突いてただぼうっとしたまま、窓の外に広がる青空の下の風景だけを見ていた。  
「千晶……」  
 そんな相棒の姿を、隣席の明がじっと見つめている。  
 今朝のあの突然の抱擁のあと、教室に戻ってから、千晶は明とさえも視線を交わそうとしていなかった。この授業中、小声で何度か呼びかけても答えようとしない。  
 教科書とノートだけは机上に開いてはいるが、千晶がそこにシャーペンを走らせた形跡は全くない。ノートの今日の日付のページはまっさらなままだ。  
 頬杖をつく千晶はいつもと違って背筋をしゃんと伸ばしておらず、半ばその上体を机にもたれ掛からせるような格好になっている。  
 それでTシャツの厚手の布地を押し上げる乳房は二つとも机に載せられて、その重量を千晶の肩や背中に掛けるブラジャーのバンドとストラップから、机の上へと移していた。  
 平たい机上で柔らかそうにいくぶん潰れ、Gカップの器の中で形を崩されている千晶の胸に気を取られながらも、明はその外向きの横顔の方に視線を釘付けにされていた。  
「じゃあ、この問題を解いてもらいます。たにが――」  
 千晶一人を除いて、次第に授業がいつも通りのリズムを取り戻していく中、黒板から振り向いた通子は、そのままの自然な流れに乗ったかたちで千晶を指そうとした。  
「…………」  
 だが頬杖を突いたまま、うつろな瞳で窓の外を見つめ続ける彼女の気配に直面すると、通子は途中まで出かけたその名を呑んだ。  
「えっと、じゃあ……八坂くん!」  
「――へっ? お、……俺!? えっ、ええと――」  
 慌てて明が教科書とプリントをめくり、授業内容を追いかける。千晶にすっかり気を取られていた明は授業内容などほぼ完全に上の空で、とうてい答えられるような状態ではなかった。  
 両拳を腰に当てつつ、通子が胡散臭そうに眉をひそめる。  
「……八坂くん。先生の授業、ちゃんと聞いてましたか……?」  
「えっ……え、いや、ええと、……その……」  
「…………」  
 口をもごもごと動かしながら、通子の視線に押されてじりじりと下がる明。こういうとき、普段なら陰に陽にと真っ先に助け船を出してくれるはずの千晶は相変わらず虚ろなままで、親友の窮地にもぴくりとも動こうとしない。  
 さすがの明もこのときばかりは機転を利かせ切れず、ただ泡を食いながら担任教師からの次の一手を待ち受けていたとき、通子は不意に矛先を転じた。  
「……ふう……しょうがないですね。それじゃあここのところ、国東さん!」  
「はいっ」  
 淀みない返事とともに教室の向こう側で真琴の長身が立ち上がり、すらすらと明快に答えを述べた。通子がふむ、と頷き、朗らかな笑みとともに彼女を讃える。  
 そのまま授業の焦点は二人を離れ、再び淡々と進行していった。  
 助かった……。  
 いつも明たちの悪童グループをマークしている通子にしては妙に引き際が鮮やかだったのは、明に釘を刺しつつも、今の千晶にはまだ触れたくないという通子の意識の現れなのだろうか。  
 ちらりと一瞥くれた真琴に向かって、明が片手で拝むようにして謝意を伝える。真琴は軽くため息をつき、授業へ意識を戻していく。  
 そして明は、また千晶をじっと見つめる。一連の事件にもほとんど反応を示さないまま、千晶はただ外の世界だけを見つめ続けていた。  
 
○6  
「ふぅ……」  
 牛乳パックを開いて小さく折り畳みながら、給食を採り終えた明は息をついた。  
 給食の内容に不満があったわけではない。六人前後で構成される班ごとに机を合わせながら取る西小学校の給食でも、千晶はほとんど無言のままだったからだ。明のみならず、誰もまともに声などかけられなかった。  
 結局午前中の間、千晶はずっとこんな感じで過ごした。明も手は尽くしたし、通子の方でも何とか千晶との接触を図ろうとしたようだが、それらもすべて不発に終わっていた。  
「千晶ー。俺、便所行ってくるわ」  
「……ん」  
 いたたまれない気分になって、明は席を外すことにした。やはり気のない返事を寄越されながらトイレへ向かう明の背後で、数人の男子が目配せを交わしあう。  
 そして意を決したその一人が教室を出て明を追い、朝顔小便器の隣に並んだ。  
「……よお、明」  
「……あんだ、カンチ?」  
 その男子生徒――昨日の朝は大っぴらに公園戦争の自慢話をしすぎて真っ先に国東真琴に鎮圧され、その後の体育倉庫でも千晶の人間酸素魚雷でやはり真っ先に制圧された、  
六年三組の切り込みバカ一号・カンチこと高橋貫一は、周りに誰もいないことを一応確認すると、何気ない風を装って話しかけてきた。  
「谷川さー……どうしちゃったの、あいつ? 何があったのか知らんけど、今日……沈みすぎじゃね?」  
「…………」  
「そりゃああいつも、胸のこととかでいろいろあんのかもしんないけど……昨日とか今日の朝とかはさ、まだあんな風じゃあなかったよな。なあ。……やっぱりあいつ今朝、通子先生となんかあったのか?」  
「…………」  
「なあ……」  
 しかしいくら話しかけてもまるで答えようとしない明に、カンチも嘆息する。馬鹿も馬鹿なりに途方に暮れるのだ。  
「なあ、明。昨日の朝のこととかは、やっぱ俺らもアホだったって思うよ。でもな、それはそれとして……やっぱりお前も谷川も、俺らの仲間なんだよ。  
 だから、その……同じクラスでああやってずっと凹んでられると、俺らもだんだん気が滅入ってくるっつうか……。ああ、とにかく。何か俺らに、出来ることとかってねえの!?」  
「……悪ィな、カンチ。今は、まだ……そういうの、何にも無ぇんだ」  
「あ……明っ」  
 目も合わせずにボタンを押して便器を流すと、明はものをしまい込んでチャックを上げる。洗面台へ向かう明をカンチも追った。  
「……、ん……?」  
 洗った手から水滴を払い落としながら教室へ戻る途中、明は六年三組へ向かう長身の女子の後ろ姿を見た。  
 健康的に焼けた素肌をTシャツと、ジーンズを腿の上の方で短く切ったホットパンツから伸びる四肢に晒しながら、周囲を圧する偉そうな大股でずかずかと歩いていく彼女は、忘れたくても忘れられない。  
「何しに来たんだ、あいつ……?」  
 怪訝に呟く明をよそに、ガラリと大きく戸を引いて、大西真理は四時間ぶりに六年三組へ侵入した。  
 
○7  
「…………」  
 大西真理はその長身で威風堂々と闊歩しながら、しかし同時に鋭い目つきで素早く教室じゅうを見渡して、脅威の有無を確認した。すなわち担任教師の藤原通子と、それに学級委員長の国東真琴である。  
 真理はあらかじめ、その二人が廊下から職員室の方向へ向かったことを確認してはいた。  
 だが真理にとって最大の脅威となる二人が不在であることを肉眼で実際に確認すると、彼女は満足げに鼻を鳴らしながら目的とする相手の元へ向かった。  
 幼馴染みの宿敵、谷川千晶の元へと。  
 あまりにも迷いのないその堂々とした直進に、周囲の連中も果たしてこれを止めるべきか迷うも果たせず、真理はあっさりと窓際の千晶の席へと到達した。  
「げえーっ! 鬼マリ!?」  
「あの女、今度は何しに来やがった……!?」  
 同級生たちが固唾を呑んで事の成り行きを見守る中、真理は肩に掛かるストレートの黒髪を手でさっと払いのけながら、いつもの不遜な邪悪さで言葉を投げた。  
「ふふっ、千晶ぃ。今朝はずいぶん危ないところを、余計な邪魔に助けられたね?」  
「…………」  
 その長身からのし掛かるように影を落として、標的を捉えた真理は得意げに笑みを浮かべてみせる。  
 しかし当の千晶は相変わらず、目の前に迫る真理にもまるで頓着しようとしないまま頬杖をついて、まるで彼女の存在などないかのように窓の外の風景だけを眺めていた。  
 真理の方もそんな千晶の態度に全くお構いなく、突如として左の掌へ右の拳を鋭く打ち込み、鮮やかな破裂音を教室中へ響きわたらせてみせた。  
「さあ、今回は邪魔する余計な取り巻きどもも無しだ! 仕切り直して西小学校最強生物決定戦、今度こそ本格的におっぱじめるとしようか!」  
 真理の啖呵におおッ、と教室中の観衆がどよめく。  
 そのざわめきを背中へ受けながら、早くも盛り上がり最高潮へ達しつつある真理をよそに、千晶は不機嫌そうに頬杖をついたまま、ぼそり、と明後日の方角へ呟いた。  
「……るさい」  
「何?」  
「……うるさい、真理。邪魔だ。ボクは真理なんかに構ってられるほど暇じゃないんだ、あっち行け」  
「ハァ……? あんたに無くても、こっちにあるんだっつーの!」  
 不意に跳ね返ってきた挑発に青筋を立てて言いながら、真理が近くの椅子の足を蹴飛ばす。乱暴な音に喧噪が高まり、二人を取り巻く空気の険悪さがいっそう増していく。  
「ちょっ、ちょっと……何でこんな時に、藤原先生も国東さんもいないわけ!?」  
「職員室の方に用事があるって言ってたから……二人とも、しばらく戻らないかも……」  
 教室のあちこちで悲痛なうめきが飛び交う中、それすら燃料にするかのように、二人の殺気が燃え上がっていく。  
「…………」  
 教室の扉に背中を当てながら、明はそんな二人の姿をただ黙って見守っていた。室内で急激に高まっていく緊迫をよそに、自分自身はまったく動こうとしていない。  
「よっ」  
「?」  
 そんな明が、肩を叩かれて振り向いた。  
 
「岸? それに――」  
「へへっ」  
「押忍」  
「俺らもいるぜ、明!」  
 明は目を丸くする。そこに集まっていたのは岸武志をはじめとして、西小学校の悪童たちの主力をなす精鋭のメンバーたちだったからだ。  
 六年一組や二組の連中から五年生まで、戦力的にみて西小学校の上位十傑に入るであろう連中が、岸を含めて五人も揃っている。  
「……なんだなんだ、雁首そろえて。お前ら、いったいどうしたんだ?」  
「あのバカ女が今朝のままじゃあ収まらないのは見えてたからな。仕掛けるとしたら放課後まで待たずに昼休みに来ると踏んで、あらかじめ援軍を根回ししといたのさ」  
「今朝はまた、ずいぶん難儀だったらしいな明」  
「だがいくら谷川と大西でも、このメンツで一斉にかかればさすがにおとなしくさせられるだろうよ!」  
「岸……。ったく、お前って奴は……」  
 大きく息をつきながら、明は岸の洞察力と行動力、そして人望に半ば呆れ、半ば改めて感嘆した。  
 真理の性格と状況からその行動を予測し、そのうえで予期される最悪の事態を回避するため、自らの力不足までも認めながら、最善の布石を打つことができる。そしてその方針に、皆を賛同させて動かすことまでもできるのだ。  
 まったく、大した奴だよ――思わず苦笑しながら、明は自らの参謀格をしげしげと眺めなおした。  
「それじゃあ、明。いい加減、連中熱くなって来ちまってるみたいだし――そろそろ行くか?」  
 率いてきた四人からも頼もしげに頷かれながら、岸が明に突入のタイミングを問いかける。  
 しかし明は難しそうに眉をしかめて、彼らの動きを制した。  
「いや……待て、岸。お前らも、ここを動くな」  
「……は?」  
「な……なんだそりゃ? 明、真理に堂々と好き勝手させる気かよ?」  
 豆鉄砲でも食らったようだった悪童たちが、不平を並べながら明に喰ってかかる。  
「勘違いすんな。別に奴らに好き勝手させようってわけじゃねえ。ただ――」  
 明は扉の陰からわずかに顔を出して、二人の様子を窺い続けている。  
 暴君の本領を発揮して燃え上がる真理を相手にまずは口喧嘩で火花を散らしながら、千晶の口元に、ひどく攻撃的ではあってもいつもの精気を感じさせる気配が蘇りつつあるのを。  
「…………。お前らは来るな。ここで待ってろ」  
「な――」  
「あ、明……!?」  
 戸惑い続ける岸たちを置いて、明は教室へ足を踏み入れた。  
 個々の戦闘力だけで言えば、千晶も真理も明と互角以上のものがある。ましてやただ正面からぶつかって相手に勝つだけが目的でなく、あくまで穏便に両者を引き離さなければならないというこの種の任務ならば、さらに困難さは激増する。  
 だからこそ、岸も多勢の卑怯を承知でこの精鋭部隊を編成してきたのだが、明はそうして岸が入念に築いた優位をすべてなげうち、ただ単身でその鎮圧に向かおうとしていた。少なくとも、彼らからはそう見えた。  
 
 遠慮もなしに、身構えるでもないままに明は二人の元へ近づき、そしてぶっきらぼうに呼びかけた。  
「よう、真理。お前、そんなに千晶とやりたいのか?」  
「ああん……?」  
 声をかけられて、初めて真理が振り向いた。切れ長な瞳は燃えさかる怒りの炎を宿し、攻撃的な犬歯と合わせて、その大人びた美貌は何とも剣呑な光を放っていた。  
 しかしそんな真理にも臆すことなく、明はしゃあしゃあと言ってのける。  
「だが、今は止めとけ。バカ正直にこんなところで真っ向勝負されたんじゃみんな迷惑するし、三組も四組もまとめて説教HRじゃたまったもんじゃねえだろう」  
「やかましい! ンなもん私が知るかッ!!」  
「…………」  
 明の分かり切った正論に真理が怒鳴り散らし、千晶の方も口元に昇りかけた熱をゆっくりと冷まして、元の無気力な無表情へ戻りはじめる。  
「話は最後まで聞けよ、真理。何も千晶とやるな、たぁ一言も俺は言ってねぇぞ」  
「何……?」  
 そんな二人を前に、明は不敵に破顔した。  
「千晶の相棒の俺が公認する。真理と千晶、お前ら決闘しろ。そして、他の奴らは誰もそいつを邪魔しない。この俺がそうさせない。委員長も先生も、俺が責任持ってうまいことあしらってやるからよ」  
「…………!?」  
 自信たっぷりに言い切ってのけた明に、真理も千晶も、岸が連れてきた鎮圧部隊も、早くも避難を始めていた同級生たちも、教室の皆が目を白黒させて明の顔面を注視した。  
「よく考えてみろよ、真理。このままここで半端におっ始めたって、いい感じに盛り上がってきたところで、どうせ委員長や先生たちに止められちまうんだぞ。  
 ……それだったら邪魔の入らないところで、徹底的にやりあってみたほうがいいんじゃねえのか?」  
「…………。それは、……まあ……、確かに……」  
「…………」  
 真理がいったん下がったのを見届けて、明は次のカードを切る。  
「だがな、真理。決闘というからには、やはり準備期間が必要だ」  
「はぁ……!? ふざけんな! 私は何日も待つ気なんざねえぞ!」  
「人の話は最後まで聞けよ、真理」  
 あくまで真摯な瞳のまま、明は真理に説いた。  
「別に明日明後日にしようって話じゃない。ちゃんと今日じゅうにやらせてやるよ。そいつは責任持って俺が仕切るし、立ち会う。だからな、真理。ここは俺に免じて、いったん下がっといてくれや」  
「…………」  
 そのTシャツを大きく押し上げる胸の真ん前に両腕を組みながら、真理は押し黙る。千晶も横目で真理と明を見つめている。  
 明を数秒睨み続けた後、真理はようやく答えを出した。  
「……最大限譲ってやって、今日の放課後までだからな。それまでに、明。ちゃんと段取りしとけよ」  
「おう。任せとけ」  
「……ふん。ちょっとだけ命拾いしたね、千晶」  
「帰れ、バカ真理」  
 お互い目線もろくに合わせないままの、その軽口の応酬が昼休み最後の小競り合いとなった。  
 真理は長い脚で大股に歩いて三組を出、なぜか廊下で雁首を揃えたまま腑に落ちない表情をしている鎮圧部隊の連中をギロリと眺めると、どこかへ階段を下りていった。  
 そして六年三組に、再び平和が戻った。  
 
「明……」  
 姿を現した岸が、困惑気味に明を呼ぶ。明は無言のまま、自分に対しても視線を向けようとしない千晶を置いて教室を出て、外の連中と顔を合わせた。  
 誰もが納得できないという顔をして、明を一心に見つめている。大きく息を吐き出しながら、明は若干疲れ気味に説明した。  
「……というわけで、真理は千晶と決闘させる。当の本人がやる気なんだ、周りが迷惑被らないようにだけしとけばやらせない意味もないだろ。後は俺が責任持つよ。んじゃ、そういうことだから。はい、解散」  
 明は一方的にそう言い切って、ぱん、と両掌を鳴らしてみせる。これでおしまい、とでも言うかのように。  
 しかし、それだけで納得させられる面々でもなかった。  
「な……」  
「なんだそりゃ!?」  
「結局真理の好きにさせるってのかよ!?」  
 対千晶・真理戦という過酷な、しかし同時に心躍る任務に備えていた緊張とわき上がる興奮の双方に肩すかしを食らわされて、四人が明に食ってかかる。  
 しかしそれに対しても、明はあくまで木で鼻を括るような態度を崩さなかった。  
「くどい! やつらの処遇は俺が決めた! 文句がある奴は俺んとこへ来い! いつでも相手になってやる!」  
「…………」  
 西小最精鋭の面々を前にしても、明の態度には一片の揺るぎもなく、終始堂々としたものだった。そのあまりの開き直りに、一度は詰め寄ろうとした面々も次第に言葉を失い、やがて所在なさげに互いの間で視線をさまよわせはじめた。  
「……分かった。明」  
 そんな沈黙を破ったのは、やはり岸武志だった。  
「とにかくもう、やっちまったもんはどうしようもないからな。千晶と真理は今日決闘する。そして明が、そいつに対して全部の責任を負う。そうなんだな、明?」  
「ああ。その通りだ」  
「そうか。――だそうだ、みんな」  
 自ら召集した鎮圧部隊に向き直り、岸はリーダーに代わって皆に詫びた。  
「せっかく集まってもらったのに、済まなかったな。また今度頼む、みんな」  
「岸……」  
「武っちゃん……」  
 旗揚げ人が真っ先に矛を収めたのを見て、鎮圧部隊も渋々の体でそれに続いた。  
 まだ十分以上の残り時間がある昼休みに、一人が消え、また一人が消えて鎮圧部隊が姿を消すと、その廊下に残るのは岸と明の二人になった。  
「……悪かったな、岸」  
「ああ、お前は悪いな、明」  
 今度は堂々と明を非難してみせながら、しかし岸は鮮やかに微笑んでみせた。  
「で、それがお前の判断なんだろ? 俺たちのその場のメンツより、あいつら二人をぶつけ合わせることを、今、それで得られるものを優先するって」  
「…………」  
「悪党だな、お前は」  
 掲示板にそっと背中を預けながら、明は答えようともせずに、千晶が今も見つめているはずのそれとは反対側の風景を眺めていた。  
「ふん……。お前のそういう理詰めじゃないところ、俺はそんなに嫌いじゃないぜ」  
 そして岸は踵を返し、背中越しにその手を振った。  
「また今度、埋め合わせろよ、明」  
「――おう」  
 岸の気配が四組へ消え、教室や廊下や校庭のそこいらじゅうで遊び、騒ぎ散らしている児童たちの喧噪の中で、明はずっとそこで一人立ったまま、外の風景を眺めていた。  
「……よし」  
 しかし、やがて意を決する。  
 明は敢然と身を翻し、教室へ戻ると、相変わらず一人のままの千晶の席へ詰め寄った。頬杖の手指で顔の下半分を隠し、無感情な目だけで見上げてくる千晶の、その右腕をはっしと掴む。  
「行くぞ、千晶」  
 まだ昼休みは十五分以上残っている。力強く、八坂明は宣言した。  
「特訓だ!」  
 

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