○8  
「ひゅっ」  
「はっ!」  
 理科室や家庭科室、視聴覚室やパソコン教室などの特別教室が集中する、西小学校第三校舎。  
 六学年の普通教室が集まる第一・第二校舎からは渡り廊下を隔てて程良く離れ、昼休みの今はまだ人気のないその裏手で今、二人の児童が拳と蹴りを激しく交えていた。  
 まばらに草むした土を蹴っては跳ねる、五体もろともの力強い踏み込み。そして繰り出される拳や蹴り足、気合いと呼吸が風切る音が、建物と木々に区切られた校舎裏の空間に低く鋭く響きわたっている。  
 しかししばらく観察していれば、小学生同士によるそれとは思えないほどに激しく躍動しあうその攻防の中には、骨肉打ち合う打撃音の類はまったく混じってこないことに気づくだろう。  
 命中の直前に、すべてが止められている。そこで互いに交換される打撃はすべて近すぎず遠すぎず、巧妙な位置での寸止めに終わっているのだ。  
 互いに防具も身につけない私服のまま、息も漏らさぬ勢いで運ばれていく苛烈さでありながら、すべてがギリギリの寸止めで終始する攻防戦がこうも円滑に行われていく様は、各種の武道において入念な練習の末に行われる型にはまった一連の対人動作練習、約束動作の様に近い。  
 だが、もしもこれが約束動作だというなら、この二人はいったいどれほどの修練を積んだということになるのだろう。  
 二人の動作には、二重の意味で『型』がなかった。  
 それは一つには、しょせん二人とも未だ小学生に過ぎず、個々の動作では型による長年の修練を積んだ武道家の精確さには遙かに及ばない、ということがある。  
 そしてもう一つには、二人の手合わせが事前の打ち合わせもなく、全てがいわばアドリブの実戦形式で行われているということがあった。  
 すなわち決まった型など最初からなく、攻防のパターンは事実上無限なのである。  
 まさに限りなく実戦に近い環境で行われる、二人の模擬戦闘。普通ならばやはり実戦並みの危険を伴うはずのその戦いの中で、二人はすでに三分以上も激しく打撃を交換しあいながら、しかし互いに一発もまともに当ててはいないのだった。  
(読めちゃうんだよな、結局、お互いに)  
 お互いの癖、得意な技と苦手な動き、考えていること、咄嗟の反応に至るまで。  
 普通に過ごしていれば意識の表層にも上がらないような部分から、微細な五感がそれらのことを伝えてくれる。積もった時間が教えてくれる。  
 言葉でうまく言い表すことはできないけれど、二人を結ぶ見えない何かは、確かにそこに存在するのだ。  
 喧嘩友達として過ごした十年間の密接さと無数の実戦経験はこの二人に、互いに対する常識を越えた理解の深さを与えていた。  
 だからこの二人が実戦で組んだ場合におけるその威力は、まさに絶大の一語に尽きる。相乗効果などというおとなしい言葉で済むものではない。  
 それは一昨日の公園戦争でも圧倒的多数で群がる東小勢をいとも簡単に蹴散らし、さらには並外れた屈強さを誇る中学生である、シバケンの兄をも仕留めてみせたことでも実証されている。  
 だから明と千晶のスパーリングは、ある意味では鏡との戦いに近いものがあった。確かにお互い差異はあるものの、その不可視のつながりがもたらすものから、普通にやればどうしてもそうなってしまうのだった。  
 つながりの深さがそうさせてしまう。フェイントを交えようとしても上手く行かない。  
 つまり実力は拮抗していても、その戦いからは本来の実戦には付き物のはずの、予想外の展開が乏しくなってしまっている。  
 要するに千晶にとって明は、決戦を前にしての『仮想・大西真理』としては必ずしも要件を満たしうる対戦相手ではないのだ。  
 それでも、身体は動かしていなければ確実に鈍る。じっとしているよりはこうして互いに技を磨き、身体を暖めておいた方がいい。そのために千晶をこの場へ引っ張り出せるのは、自分しかいなかった。  
(でも、……それに――)  
 攻防の中でもその一点に視線を集中させてしまわないよう、どれほど自分を叱咤していても、明の意識にはどうしてもその存在が飛び込んでくる。  
 互いに技を繰り出す躍動の度、谷川千晶が着る厚手のプリントが施されたTシャツの下で、二人の両拳などよりずっと大きな少女の乳房が弾んで揺れる。  
 千晶はその巨乳を直接包みこんで抑える、Gカップのブラジャーを今日から二枚重ねにしていたし、昨日新しく買ってきたそのTシャツにも工夫がある。  
 それはただ厚手の布地と大きなプリントで、汗に濡れても下のブラジャーを透かさないというだけの代物ではない。  
 
 胸周りが太く胴回りが細く締まっているつくりになっているそれは、千晶の早熟すぎる破壊力抜群の肉体にぴったりとフィットし、その過激なボディラインをくっきり浮かび上がらせてしまっているものだった。  
 喧嘩やスポーツなどの激しい運動時には、ブラジャーを二枚重ねにしても、将来的にスポーツブラジャーが手に入っても、千晶のGカップもの巨乳を完全に抑えることは出来ないかもしれない。  
 ならばTシャツ自体をタイトなものにして乳房を上下から包ませることで、そこでも形を整えながら運動時の揺れをいくらかは吸収させ、巨乳へのサポートのさらなる強化を図ろうというものだった。  
 しかし現実には、千晶がそこまで入念な対策を実施して、なお。  
 合計三枚の布地によってタイトに包み守られているはずの二つの乳房は、それでもその凶悪な質量を持て余して傲慢そのものに揺れ躍り、その内側に包み込んでいるもののはちきれそうな柔らかさを消しきれないまま、その存在をひどくわがままに明へ主張してくるのだった。  
(こんな無茶苦茶にいい身体しちまってる千晶の相手は、もう男子じゃ俺にしか務まらねえよな……)  
 もやもやとした思いがスパーの最中にさえ渦巻いてくるのを必死に振り払いながら、明はいったん間合いを開いて呼吸を整える。  
 そして寸時の膠着のあと、明はそのまま大胆に踏み込んで攻勢に転じた。  
「しゅッ!」  
 明が放つ軽やかなジャブをスウェーバックでよけながら、千晶は続けざまに押し込んで来たその連撃を前拳で捌き、受け流す。  
「とっ――!」  
 そのとき、不意に足場が狂った。  
 身体を泳がせられた明がつんのめり、その上体が完全に伸びきる。そして千晶は、明のその無防備な脇腹に直面していた。  
(ヤバッ――!)  
 明は唾を飲む。心臓が思わず踊った。  
 無防備な横面を叩き潰すには、これ以上ないチャンス。対抗正面から強烈な運動量を乗せた、カウンターのかたちで叩き込むことさえ可能なはずだ。  
 だが強烈な反撃を覚悟して、一瞬の間にきゅうっと玉を縮み上がらせた明をよそに、千晶はその絶好の好機をただ無為に放棄して、自ら後方へと間合いを切った。  
「!?」  
 絶好の機会を放棄したその後退は、ただ無為なだけでなく中途半端ですらあった。かえって明につけ込む隙を与えるほどに。  
 明は半ば本能的に動いて千晶の隙へつけ込み、下がりきっていない彼女の内懐へと踏み込んだ。  
「がら空き!」  
「っ!」  
 内側から踏み込みの勢いを乗せて、身体ごと突っ込みながら放った拳が風を切り、千晶の顎へ吸い込まれていく。  
 そのリズミカルな強襲に、それでも千晶は反応した。スウェーバックで退こうとして、しかし今度は彼女が足下に何かを引っかける。  
「あっ――」  
「うええっ!?」  
 突っ込む先から千晶が一気に後ろへ倒れ込み、また彼女のとっさの足掻きが明の足を掬った。二人はそのままひとかたまりになってもつれあい、その場へ一気に倒れ込む。  
「痛ッ!」  
「いっ、いちち――ち、千晶、大丈――」  
 大丈夫か、と言おうとして、明はそのまま凍りつく。  
「あ」  
 千晶を下敷きにするように押し倒す形で倒れていた明は、転倒直前に思わず繰り出していた左手を、千晶の右胸へと置いてしまっていた。  
 自分のほぼ全体重を預けられて、明の左手はみずみずしい弾力に満ちあふれた千晶の乳房を、真正面から押し潰している。  
 二枚重ねのGカップはすでにその厚みの半ば近くまで明の掌によって深々と侵入され、内側の巨乳は明の暴力から逃れようと四方へ潰れて変形し、しかし強固なカップの束縛を破ることまではできずに、結果として見事な丸さと厚みを保ったままで明の上体を支えていた。  
 その明の左掌の真ん中、親指の付け根あたりの位置で、乳房を守る三枚の布地越しに、ほかの掌全体で味わう柔らかな感触とは明らかに異質な何かがある。当たっている。  
 明へ抵抗するかのようにブラジャーの内側から突き上げてくる、小指の先ほどもない浅い尖りの存在を意識して、明はその場で硬直した。千晶の右乳房を大きく変形させるほどに、深く大きく鷲掴みにしたまま。  
 人気のない校舎裏の日陰。押し倒されたボーイッシュな美少女と、彼女を組み敷きながら、その大きすぎる片乳房を文字通り掌中へと収めて蹂躙し続けているた少年。  
 教室や外界からの喧噪は遠く、耳に響くのは二人の荒い息づかいだけだった。明の五指に深々と犯された右乳房の隣で、千晶の呼吸に左乳房の峰が上下している。  
「あっ……い、いや……千晶……これは、そのっ……」  
「…………」  
 千晶の乳房と明の左手。恐る恐る二人の接点から視線を上げていけば、明はそこで、そのままの姿勢で自分を見上げてきている千晶の瞳に気づいた。息を呑んで硬直する。  
 
 背中から派手に倒れても、千晶は受け身はしっかり取っていたらしい。  
 汗に濡れながら乱れ散る前髪を額に貼り付けながら、谷川千晶は明を怒るでもなく笑って誤魔化そうとするでもなく、ただ、ひどく気だるげな目で茫洋と見ていた。  
 自分を見ていないのかもしれない、と心のどこかで明は思う。  
 やがて千晶はその乱れた前髪をかき上げながら、無言のまま、ゆっくりと身を起こしてきた。  
 自らを犯す掌をはじき返してくるような弾力での抵抗と同時に、その柔らかさで五指に絡みつきながら吸い着いてもくる千晶の乳房から、明はそれでもその手を離せずにいたが、さすがに千晶が立ち上がろうと腰を上げると、ようやく明も押されるようにその手を引いた。  
 その掌では二日ぶりに感じ取った、えもいわれぬ千晶の巨乳の感触は、その弾力と溢れ出る量感そのもののように、明の掌へ焼き付くように残っている。ようやく収まりはじめた呼吸と裏腹に、それが明の心拍数をでたらめに跳ね上げていた。  
 身体の奥底からとめどなく沸き上がってくる熱の強さに、目の前の幼馴染みとまともに視線を合わせることが出来ず、しかしそれ以上の空白にも耐えかねて、明は半ば無理矢理に言葉を紡いだ。  
「お、おいおい……。何やってんだよ、千晶? 普段のお前だったら今の踏み込みからの一撃なんか、かすりもしないはずだったろ? それにその前、俺にカウンターをぶち込める隙だって、それこそ十分以上だったはずだぞ」  
「…………」  
「なあ……」  
「…………。別に。何でもないよ、明。……続き、やらないの?」  
 千晶はそう言いながら、いったん肩を落としてだらりと両手を伸ばす。それからどこか気のない調子で、再び胸の高さに構えてみせた。  
 確かにそれは、形にはなっている。今まで通り、一通りの受けと攻めはこなせるだろう。  
 だが、それだけだった。  
 今の千晶には、魂がない。いつもの闘争のうえで、いちばん肝心なものが抜けてしまっているのだ。  
 これでは実力伯仲する真理との決闘など、望むべくもない。  
「千晶……」  
 自らの名を呼ばれながら、どこか悲しげな表情のままで千晶は構えている。そんな彼女に再び挑み掛かることが出来ず、明は戸惑いながら拳を揺らした。  
「――!」  
 そんな明が、不意に気配を感じて振り向く。近づいてくる足音に感づいて、千晶も視線をそちらに向ける。  
 そして第三校舎の角から、誰か人影が飛び込んできた。  
「ぜえっ、はぁっ、はあぁ……っ! やっぱりお前ら、ここに、いたかぁ……っ!」  
「あ……? カンチ? お前いったい、どうしたってんだよ?」  
 五分近くにわたってスパーリングを繰り広げていた二人に負けないほど熱く激しく息を切らせながら、校舎裏の空間へ飛び込んできたのは二人の同級生、六年三組の突撃バカ・高橋貫一だった。  
 カンチはしばらくの間、膝へ両手をやって腰を折り、その場でぜいぜいと息を切らせていたが、やがて顔を上げてきょろきょろ周りを見渡すと、かっと目を見開き、声を低くしながら喚き立てた。  
「やばい、やばいんだ明。やばいのが来るから、とにかく隠れろ!」  
「? やばいって、何が――」  
 言い掛けた途中で、自らもカンチの疾走してきた方向から近づいてくる誰かの気配を感じ取って、明は視線をそちらに向ける。その明の視線をなぞって自分もその接近に気づいたのか、いっそう慌てふためいて、カンチは身体ごと明を押した。  
「事情は後で説明するッ! とにかく明、頼むから今は谷川と二人で隠れてくれ! 後のことは俺に任せて!!」  
「…………?」  
 相変わらずカンチの言い分は意味不明だったが、それでもここまで切羽詰まっているというのはただ事ではない。高橋貫一はここまで気の利いた芝居が打てるほど器用な男子ではないのだ。  
「千晶」  
「ん……」  
 まだ気のないそぶりの千晶を半ば無理矢理に引っ張って、明は近くにあった、古びたプレハブの小さな倉庫へ駆け寄った。カンチが泣きそうな顔で両腕を振り回して喚いている。  
「はやく! 早くっ!!」  
「うっせぇなあ……本当になんだってんだよ……?」  
 幸いなことに鍵はかかっていない。古さのためか戸を引けば軋むような音を立てはしたものの、中には二人が入れるだけのスペースがあった。  
 焦りきった調子で地団太を踏んで二人を急かすカンチを横目で見ながら、千晶を押し込むように導いたあと、明は内側から倉庫の戸を閉める。  
「ったく。いったい何が来る、ってんだよ……?」  
 昼の光がわずかな隙間から差し込むだけのその中で、明は薄目で眩しい夏の光があふれる外界の光景を注視した。  
 
○9  
 真っ白な太陽から熱い陽光が降り注ぐ炎天下、校舎前に広がる西小学校学級菜園を前に、二人の少女がたむろしている。  
 そう、菜園である。花壇ではない。それはあくまで、菜園、なのである。  
 そこに植えられた多品目の植物は、ほとんど全てが食用として食卓を彩ることが出来る野菜や果物の類ばかりだ。  
 手を惜しまない丹念な草取りと水やりを施され、そして無農薬で育てられていく菜園の健康的な作物は、まだ生育途上ながらもいずれ市場へ出したなら、十分以上に通用するであろう品質を予感させた。  
 そんな見事な菜園を前にしながら二人の少女の片割れが、手にしたノートへ何かを一心に書きつづり続けていた。  
 この作業用に教室への持ち込みが許されている麦わら帽子をかぶった下で、左右一房ずつ分けた肩までの髪がかわいらしく揺れている。  
 小柄でどこかあどけなく、しかしそのTシャツの胸には確かな成長を感じさせる少女が書いているのは、学級菜園の観察日誌だった。  
 草取りや水やり、肥料のやり方などといった各種の作業記録、そして必ずしも精緻ではないが、特徴を捉え、一生懸命に書き込まれた作物の絵とメモ。  
 夏休みに与えられた課題というわけでもないというのに、彼女は熱心に学級菜園の観察日誌を書きつづっていたのだった。  
 しかし、それもそのはずである。なぜならこの見事な学級菜園の礎を築き、情熱と愛情をもって丹念に育て続けているのは、ほとんどが彼女とその親友による功績なのだから。  
「ん、……これでよし、と!」  
 学級菜園の中を一通り回ったあと、最後に距離を置いて遠景から一望して確認し、彼女は優しげな声で満足そうに言った。  
 西小学校六年四組、宮田桜。  
 以前の小学校でいじめられて不登校にまで追い込まれ、去年この西小学校に転校してきた彼女は、ひどく他人を恐れて自分の内側に籠もりがちな少女だった。  
 そんな桜を変えたのが去年の担任矢崎教諭と、彼に引き合わされた新しい友人の存在だった。  
 虫を恐れず地道な作業をいとわず、もともと生き物全般に対する興味と愛情が深い少女だった桜は、この菜園の世話を通じて彼女と親交を深めるようになった。  
 そして二人して毎日のように菜園の土いじりに没頭する姿から、農奴だなんだと周囲に呼ばれながらもやがて、ありのままの自分を受け入れてくれたその親友を通じて、桜は次第に西小学校の皆の中へと溶け込んでいったのだった。  
 頬の左右に提げた二房の髪を揺らしつつ、両腕でその胸に観察日誌をかき抱く。麦わら帽子の少女ははにかみながら、その相棒へと振り向いた。  
「真理ちゃん、こっちも終わったよ!」  
「…………」  
 桜の優しい呼びかけにも、彼女の親友はまったく答えない。微動だにしない。  
 彼女にとって、世界のすべては反転していた。  
 頭上には陽光に灼かれ、おびただしい熱気を下へ発していくグラウンドの黄土色。その向こうには緑のフェンスとアスファルトが広がっている。  
 そして眼下の遠景には民家やビルの群れが図太いツララのように垂れ下がり、足下へ無限に広がる真っ青な空へと今にも吸い込まれるように落ちていかんばかりだ。  
 そんなシュールレアリズム絵画のような世界の中へ、サンダル履きの少女の素足がスカートの裾を揺らして分け入ってくる。  
 視線を下げれば胸にノートを抱いた麦わら帽子にTシャツとスカートの宮田桜が、上下逆さまのままで穏やかな笑みを浮かべていた。  
「…………」  
「…………」  
 互いにしばし無言のまま、二人は上下に視線を交差させる。  
 しかし、やがて小首を傾げて桜が言った。  
「んっと……。真理ちゃん、……その格好、暑くない? 頭に血が昇らない?」  
 そして実に数分ぶりに、大西真理は口を開く。  
「…………。精神一統すれば、火もまた涼し――この集中の儀式で心眼を開き、私は今日こそ千晶を倒すのだ! 邪魔してくれるな桜ッ!!」  
「……? ふーん。そうなんだー」  
 私にはよく分からないけど、真理ちゃんって本当にすごいね、と本心から感動するかのように、邪気のない素朴な笑顔で彼女もそれに答える。  
 昼休みも後半に入った頃、真理は唐突に学級菜園に現れた。  
 いつも通り先にやってきて作業していた相棒の桜からの挨拶を無視し、勝手知ったる学級菜園をいつもの調子で、しかし無言のままで殺伐と世話した後、彼女はそのまま学級菜園の裏で逆立ちを始めたのだ。それから数分、真理はずうっとあの姿勢のままだ。  
 
 まあ、いつものことである。  
 この程度のことはよくある話だ。まだ知り合ってから半年に満たないこの親友が、しばしばこうした奇矯な行動に走りがちなことを宮田桜はよく知っていたし、彼女はまた、それを広い心で受け入れていた。  
 そして逆立ちのまま、真理はその引き締まった美しい半裸をさらしている。  
 ホットパンツへ裾をたくしこまずに逆立ちしたため、真理のTシャツはもろにぺろりと大きくめくれて、胸まで垂れ下がってきてしまっているのだ。  
 腹筋の陰影が浮かび上がる健康的に焼けた体幹から下へと目をやれば、グレーのスポーツブラジャーがその内側に張りつめた乳肉に丸く、しかし同時に鋭く押し出されて、重力にも負けずにツンと前へと張り出している。  
 Dカップのスポーツブラに包まれた女子小学生にあるまじき豊かな胸の膨らみは、そこでいくぶん窮屈そうにしながらも、威風堂々とすこぶる形良く自らの存在を主張していた。  
 重力に引かれてその全体をいくぶん下方へたわませながらも、11歳の精気に満ちあふれつつ内側からいっぱいに張りつめて、真理の乳房はひどく尊大にその形を保っていた。  
 腰から垂れ下がってきたTシャツの布地はその隆起へと引っかかり、そこで受け止められている。そのために、突き出すように盛り上がっている左右二つのカップは、その麓から頂に至るまでの半ばをかろうじて隠されているのだった。  
 細身ながらもしなやかに鍛えられた両脚はぴんと揃えられたまま青空を刺し、艶やかなストレートの黒髪はまっすぐに降りて、地面へ触れる寸前でかろうじて止まっている。彼女はこの数分間、そのまま微動だにしていない。  
 真理ちゃんの運動神経と体力はやっぱり本当にすごいなあ、と無邪気に感動している桜は、飽きもせずに真理の逆立ちを眺め続けていた。  
 しかし今の真理にとって、桜の存在は文字通り眼中にない。彼女はこの瞑想の倒立姿勢で、その精神を戦いへ向けて日本刀のように研ぎ澄まそうとしていた。  
 そう、今日こそは決戦の日である。決して負けられない、自らの運命を打ち破る日なのだ。だからこそ、それが何よりも必要だった。  
 精神統一。  
 因縁重なる保育園以来の宿敵、谷川千晶を今日こそ完膚なきまでに打ち破って倒し、積年の因縁を決着させるのだ。  
 数分間にわたる倒立で、さすがにいい加減むくみはじめた顔になお決意を秘めた戦士の厳しい表情を宿しながら、真理はなおも雑念を捨て心を無にせんと集中していた。  
 さすれば心眼開かれん。リッターxリッターにはそう書いてあった。  
「あ」  
「……ん?」  
 しかし、側でずっと突っ立ちながら自分を見守っている桜が不意に声を上げ、両手をついている地面をずしずしと無遠慮に響かせる足音が自分めがけてまっしぐらに近づいてくるのを感じると、真理はさすがにむくんだ顔をそちらへ向けた。  
「なっ、――こんなところで何やってるんですか、大西さん!」  
「ぷおわっ!?」  
 強い調子で若い女の声が響いたと思った次の瞬間、真理はいきなりその両足首を同時に取られていた。  
 
 真理はそのまま体勢を崩すまいと、両手を次々に繰り出してはよたよた歩く。真理の足首を掴んだ方も、振り解かれまいと両脇に腿を抱え込む。これは人間耕運機と呼ばれる運動に近い姿勢だ。  
「ふ、藤原先生っ!? いいいきなり真理ちゃんにな、なにするんですかっ!?」  
 無茶な強襲に慌てふためきながら、それでも懸命に抗議しようとする桜にも構わず、スーツ姿の女教師――六年三組担任藤原通子は、とてとてと両手で必死に前進する真理を追いながらひっつかんだ両足首を次第に下ろし、やがて彼女を仰向けに地面へ横たえた。  
 しばらくの間、一人の女教師と二人の女子児童の荒い息づかいが学級菜園に響いていた。  
 やがて額の汗を拭った通子が、今の騒ぎでとうとう乳房の隆起から前へとTシャツの裾がこぼれ落ちて完全に剥き出しになった、スポーツブラジャーに包まれた真理の乳房をきっと指さしながら宣言した。  
「大西さん! こんなところでそんな格好して、いったい何してるんですか!? 女の子がそんなに胸を大きくさらけ出したりて、本当にもうみっともない……! もう六年生なんですから、もっと周りのことをよく考えて行動してください!」  
「ま、真理ちゃん!? 真理ちゃん、ねえ真理ちゃんっ、大丈夫!?」  
「…………」  
 周りも何も、ここには私と桜と先生だけしかいないじゃないですか――そう脳内だけで反駁しながらも、真理はただ無言で目を回しているだけだ。  
 倒立しすぎでさんざ頭に血が昇った挙げ句に強いられた、この急激で強引な姿勢変換。既にいい加減限界に近かった真理は、通子に反論できるような状態ではなくなっている。  
 そんな勝手に半死半生の状態へ陥っている真理と、すでに興奮の極みにある通子の二人を桜がはらはらと見守る。  
 しかし、やがて呼吸とともに落ち着きを取り戻しはじめた通子は、何かに気づいたように呟いた。  
「はっ……! そ、そうだ。ここに大西さんがいるということは……っ!?」  
 何かに祈るように両手を組んで立ち尽くす桜の存在を無視するように、通子は周囲の菜園へ鋭い視線を走らせた。  
「……いないか」  
 しかし数秒の捜索の後、そこに求める誰かの姿が認められないことに気づくと、彼女は再び真理へ視線を下ろした。念のため、確認する。  
「大西さん。あなた、まだ谷川さんとは会っていませんね?」  
「へは……?」  
 いまだにヘロヘロのままの真理の返事を、通子は肯定と解釈したらしかった。  
 通子はまず襟までめくれた真理のTシャツに手を掛け、腰まで引き下ろそうとした。しかし仰向けに寝転がりながらもなお重力に逆らい、スポーツブラジャーの中で天を突き上げるように形良く整っている真理の乳房の高さに、Tシャツの裾が引っかかる。  
 そこに一瞬だけ嫉妬と悲哀と憧憬の入り交じった表情を見せると、通子は裾を持ち上げながら引き下ろして、その早熟な山脈を越えさせた。ホットパンツに裾をたくし込む。  
 そしてすっくと立ち上がると自らの腰に両拳を当て、ワイシャツの薄い胸を大きく反らせて宣言した。  
「いいですか、大西さん? 谷川さんとの決闘とかいう殴り合いの喧嘩なんて、先生絶対に許しませんよ。二人の間で何か行き違いがあったのなら、それは話し合いで解決しなさい。必要なら何でも、先生も惜しみなく協力しますから。――わかりましたか?」  
「へ……へは……」  
「わかりましたか!?」  
「へは、いい……」  
「ふむ、よろしい。――それじゃあ宮田さん、大西さんのことをよろしく」  
「えっ? は、はい!」  
 それで真理から一応の言質を取ったと認識したか、通子は大仰に頷くと、後事を桜に託して踵を返した。  
「藤原先生……いきなり、いったい何だったんだろう……?」  
「め……め、めが、まわ、るぅ……」  
 未だに起きあがれない真理と、目の前の現実をどう処理していいのかよくわからずにいる桜の二人をその場に置き去りにして、藤原通子は現れたときと同じように決然たる意志を秘め、力強い足早さでその場を立ち去っていった。  
 
○10  
 職員室の壁掛け時計が、十二時半を少し回った。  
「それじゃあ、国東さん。このプリント、またみんなにお願いね」  
「――はい」  
 六年三組の教卓で児童らとともに給食を採り終えた藤原通子は、委員長の真琴を伴って職員室の自分の机に戻り、午後の授業の準備について話していた。  
 一通りの打ち合わせを終え、渡されたプリントの束を机上で叩いて整頓していく真琴の整った横顔をじっと眺めながら、通子はふっと窓の外を眺めてため息を吐く。  
 自身の性格を反映するかのように、折り目正しく整えられた配布物を脇に抱えた真琴がそんな通子を一瞥しかえし、一礼して立ち去ろうとしたとき、通子は言葉を発していた。  
「国東さん? ――谷川さんの、ことなんだけど……」  
「はい?」  
 不意の呼びかけに反応して、真琴はその場で立ち止まる。しかし通子は席から動かず、ただ視線だけを迷うようにほんの一瞬さまよわせた後、それでもその瞳を真琴に合わせた。  
「本当に、……谷川さんがこれ以上、危ない遊びを続けたりしないようにしてほしいの。  
 ほら。谷川さんってすごく運動神経がいいし元気もあるから、あなたみたいに柔道とか……なにか武道やスポーツの方向に進んでくれたら、そっちでエネルギーを発散できて……これからずっと、今までみたいに危ない遊びを続ける必要もないと思うの」  
「…………」  
 目を瞬かせながら、真琴はじっと担任教師の話を聞いている。  
 今年の四月に八坂明と谷川千晶を預かって以来、あの二人を中心とする悪童グループが巻き起こす喧嘩やイタズラの大騒ぎへの対策は、藤原教諭にとって最優先課題の一つであり、真琴もその件について今までも何度となく相談を受けてはいた。  
 しかし今になってまた改めて、自分にこうした相談があるということは。  
(あの谷川さんの、胸の件で……なのかな……)  
「だから、国東さん。今度からできるだけ、谷川さんと仲良くしてあげて。それで出来たら国東さんの柔道場に誘ってあげるとか。  
 ……それから、谷川さんがもし今までみたいに悪い遊びをしようとしていたら、すぐに私に教えて」  
 通子は表情を引き締め、その瞳に切実さをたたえて真琴を見つめる。  
「私も谷川さんのこと、全力で応援するから。だから国東さんも、谷川さんの力になってあげて」  
「は、はい。私も、そうしたいとは思います。……でも、……谷川さんは……」  
 黒髪を三つ編みに結った長身の美少女の瞳が、眼鏡の奧で揺れている。通子はそこに真琴の迷いを感じて、一瞬のためらいの後、最後にその言葉を添えた。  
「ねえ、国東さん。あなたたちはもう、子どもじゃなくなっていくの。望むと望まざるとに関わらず、みんなはもう、大人になっていくんだから……」  
「――はい」  
 わずかに身構えるようだった真琴が頷くと、通子も優しく頷き返して、彼女を廊下へ送り出した。  
 その廊下を行く上履きの足音が遠ざかるのを聞き届けると、通子はふっと息を吐いて、明るいボブカットの髪を揺らして左右に首を捻る。たった半日で、妙に疲れていた。軽く目を瞑って背筋を伸ばす。  
 
 そんな通子の隣の席で小テストを採点しながら、ちらちらと横目で真琴とのやりとりを窺っていた若い男性教師が、愛想笑いとともに口を挟んだ。  
「いやあ。谷川の件ですか、藤原先生」  
「……ええ」  
 真琴を見送ったときの硬い表情のまま、片目でどこか遠い一点を見つめ続けている通子に構わず、その男性教師は頭を掻きながら続けた。  
「いや、なんというか……私も昨日は驚きました。だって、あの谷川が……。なんというか最近の子は本当に成長が早くて、相手にするのも大変ですね」  
 私らが小学生の頃はまだそんな風じゃなかったと思うんですがねえ、と苦笑する短髪の男性教師はジャージ姿で一見体育会系風だったが、まだ二十代半ばの若々しい風貌である。そして実際に彼は通子より年下で、後輩だった。  
 六年四組担任教師、丸川久司。その容姿を裏切ることなく、通子に劣らず気力体力充実した熱心な教師ではあるものの、いかんせん彼がいま担任している四組も通子の三組に負けず劣らず曲者が多い。  
 まだ新任で経験不足なうえ生来いささか単純な気質である丸川は、悪の学級委員長こと岸武志や鬼マリたちに、いいように手玉に取られがちなのだった。  
「今度の谷川のことも大変そうですが、うちの大西なんかも本当にひどいですよ。あいつも自分の成長に関する自覚がほとんどなくて、周りはみんな困ってるんですが、本人に言い聞かせてもまるで聞こうとしないし、目のやり場にも困るし。  
 いい加減なんとかしたいんですが、こういうときは藤原先生みたいな、女性の方に助けていただけると――」  
 そう泣き言を言いながら、丸川は頼れる先輩である通子に助けを求める。その爽やかなルックスと裏腹に女性経験の乏しい丸川にとって、大西真理のような女子小学生たちはほとんど異次元の生物に近かった。  
 狡猾だが結局は同性である岸たちよりも扱いづらく、いつもいいように弄ばれてばかりいるような気がする。  
 そしていつもなら通子はそんな頼りない後輩に溜め息を吐きながら、いくつかの実戦的なアドバイスを寄越してくれるのだが、今回はいろんな意味で空気が悪かった。  
「…………」  
「っ!?」  
 闇を秘めた剣呑な視線で、自分の倍近い体格の男性教師をその場にすくみ上がらせると、通子は無言で席を立った。  
 一瞬だけ視線を下ろし、悲しいほどに起伏もないまま真っ直ぐ腰へと落ちていくブラウスの胸の大平原を眺めると、そのまま午後の第五時限目の教材をひっ掴み、ヒールの音を響かせて職員室を立ち去った。  
「…………?」  
 凍てついたまま後に残された丸川は、事態を理解しきれずに周囲を見渡す。六年生担任教師島の上座に掛けていた、六年一組担任と六年生学年主任を兼任する年輩の女性教師が、悲しげに首を振りながら息をついた。  
 
○11  
「ぜぇーーーったい! ずえぇったいに、真理ちゃんがぁっ、勝つッ!!」  
「いーや、千晶ちゃんだね。悪いけど千晶ちゃんがちょっと本気出せば、真理ちゃんなんか小指でチョンだね! 比較にもなんねえ!」  
「…………?」  
 妙に殺伐とした気持ちで脱靴場の前を通りかかったとき、藤原通子は子どもたちが言い争う声を聞いた。その声の調子は両者ともかなり激しく、いつ本格的な喧嘩になってもおかしくないだけの熱を孕んでいた。  
 普段なら真っ先に飛んでいってまずは両者を引き離し、そのあとで両者の言い分を聞くことにしている通子だったが、このときは咄嗟に足を止めて、下駄箱の陰に身を潜めた。飛び交う言葉の中に、聞き捨てならない名前が含まれていたからだ。  
 忍者のように用心深く、下駄箱に背中を合わせながらそっと目だけを出してみれば、そこでは野次馬らしき取り巻きたちの中、五年生の男子一人を中学年程度の女子二人が囲んで、激しく言い争っている最中だった。  
 いま新たに野次馬の列に加わった三年生の少女が、友達の姿を見つけて何事か尋ねる。  
「ねえ、なに? なんなのこれ?」  
「知らないの? ほら、今日の放課後の決闘の話! それで千晶ちゃん派のバン君と、真理ちゃん派の亜沙美ちゃんとマユがもめてるの!」  
 騒ぎの渦中で両腕を振り回しながら、年長らしい少女が喚く。  
「むきーーーっ!! バンはいっつも明くんや千晶ちゃんの後ろにばっかりくっついて、真理ちゃんの凄さを全然知らないからそんなことが言えるの! 真理ちゃんがちょーっと本気出せばね、千晶ちゃんなんて一発なんだから!!」  
「ハッ、本当に分かってねえなあお前ら! その真理ちゃんが昨日の戦争で何したよ? 単に熱出して家で寝てただけだろーが!  
 その間なぁ、千晶ちゃんはマジすごかったぜぇ。俺はナマで見れてたからな! リッターxリッターのユプーみてぇなシバケンの兄貴相手にして一歩も退かずに、最後はきっちり仕留めて勝っちまったんだからなぁ!」  
「その昨日の戦争で、あんたは作戦無視して横穴公園捨ててたでしょ! 敵前逃亡! 卑怯者!」  
「バーカバーカ、俺は逃げたりなんかしてねえ、ちゃんと高台で戦ってたっての!! ちゃんと戦って敵の親玉をぶっ潰した千晶ちゃんと、しっかり決戦に参加して活躍した俺!  
 そんで無駄に風邪引いて寝てた真理ちゃんと、横穴公園で慎也と体育座りしてた亜沙美にマユの、一体どっちが役立たずよ? ちったぁ考えてからモノ言えっての! アホ。亜沙美のアホ、アホアホアホアホアホアホー」  
「うっ……うぐううぅぅぅっ、うぐぅぅぅううう〜〜〜っ!!」  
 バン、と呼ばれている五年生の男子はさすがに年上の余裕か、年下の女子二人に絡まれながらも、亜沙美という四年生の少女をいいようにおちょくり倒していた。  
 頭頂部付近でまとめられている癖のある髪が亜沙美のわななきが伝わったように震え、亜沙美はその目に悔し涙をいっぱいに貯めながら上級生を睨み付けている。  
「へっ。やっぱりこれから西小は千晶ちゃんの時代ってことだよ。胸だってもう、千晶ちゃんのほうが真理ちゃんよりずっとデカくてかっこいいわけだし――ぐおおおおおおっ!?」  
「んぐっ!!」  
 得意げに勝ち誇って喚き散らしていたバンの言葉は、その途中で衝突音とともに強制終了させられた。尊敬する真理を罵倒されて、涙目のままバンの背後に忍び寄っていた年少二人組の片割れ、三年生のマユがジャンプしながらバンに頭突きを喰らわせたのだ。  
 石頭には定評のあるマユの一撃、しかも完全な奇襲で入ったそれの効果は絶大だったらしく、西小五年生でも指折りの猛者であるはずのバンは、目の中に火花を飛ばしてその場にふらつく。そこへ向かって、いよいよ真正面から亜沙美が殴りかかった。  
「バンのアホーーーッ!! 死んじゃえーーーっ!!」  
「ぐっ……こっ、こんの野郎ぉぉぉっ!!」  
「ぜったい真理ちゃんが勝つもんっ!!」  
「おおおおおおっ! 亜沙美行ったぁーーーっ!」  
「行けぇバン! 四年の女子なんかにいい顔させんなーっ!!」  
「マユがんばってーーー!!」  
 ついに火蓋を切られた実戦にギャラリーが好き勝手にどよめく中、前後から年下の女子に二対一で襲いかかられ、ふらつきながらもバンが猛然と応戦する。  
 両拳をぐるぐる振り回す大車輪パンチで突っ込んできたマユを捌き、横から殴りかかってきた亜沙美のストレートを受け流して吠える。  
 
「うるせーーーっ!! お前らごとき砂利ん子が何と言おうとなあっ! 今日の放課後、千晶ちゃんの勝ちは動かねえんだよっ!  
 絶対に千晶ちゃんが勝つね! 泣いても笑っても、今日の放課後こそ決着はつく! それまで首でも洗って黙って待ってろ!!」  
「絶対!? いま絶対って言ったね!? じゃあバン、もし放課後決戦で真理ちゃんが勝ったら百億万円払うね!?」  
「おう払ったらぁ! 千晶ちゃんが勝ったら、お前らこそちゃんと百億万円払えよ――あ」  
「?」  
 啖呵の途中で何かに気づき、バンが表情を強張らせて動きを止める。マユが釣られてそっちを向こうとしたとき、亜沙美はそれを必殺のチャンスと捉えてバンへ一直線に襲いかかっていた。この一撃で決める!  
「くたばれーーーっ!!」  
 その何かに気を取られ、完全に虚を突かれる格好になったバンは、ワンテンポ遅れて驚きの視線を亜沙美に向けた。だが、もはや迎撃は間に合うまい。食らえ!  
「もらった! 亜沙美必殺、マッハパーン……ぐふっ!?」  
「ごべっ!?」  
 絶叫しながら突っ込んだ亜沙美は、突然両者の間に割って入った何かに襟元を掴まれて振り回され、予想外の方向へ急旋回させられた。そのまま視界いっぱいに驚愕したバンの表情が広がり、そして衝撃と火花が炸裂する。  
 そのまま脱靴場のすのこの上へ、亜沙美はバンを押し倒すように倒れ込んだ。  
「まったく、もうっ……二人とも、いったい何をしてるんですか!」  
 額に痛烈な衝撃が走ったと思って倒れ込んだ次の瞬間、バンは自らの唇に何か柔らかなものの感触を覚えて目を開けた。どこかで聞き覚えのある声が、今までの野次が嘘のように静まった周辺の音が、異世界のそれのように遠く感じる。  
「んっ……!?」  
 そして自分と同じように目を回している亜沙美の顔を文字通り目の前に見て、なぜかバンの心拍数はデタラメに跳ね上がる。  
 亜沙美の胸を小さく、しかし確かに押し上げている膨らみの存在を通して感じる彼女の熱と心拍に、そのまま亜沙美を押しのけることもできず、バンはただその場を動けずにいた。  
「んあっ……」  
 どこか夢見心地のようにとろんとした目で、その唇から糸を引きながら亜沙美が顔を僅かに動かす。しかし二人の距離は相変わらず密着したままで、上気した頬と頬、胸と胸とを触れ合わせたままだった。  
「え……え、ええっと……」  
 そんな二人の絡みから余ったマユは、通子にきっと睨み付けられるとあっさり戦意喪失し、今までの勢いが嘘のようにその場でしゅんと萎んだ。  
 通子は二人で団子になっている亜沙美とバンをそれぞれ立たせ、一見して分かるほどの異常が二人にないのを見てとると、腰に両手を当てて説教モードに入った。  
 その間にも野次馬たちは通子の目を盗むようにして、素早くその場を離脱しはじめていた。  
 
 
「――三人とも。事情はあとで詳しく説明してもらいますが……まず最初に言っていた、谷川千晶さんと大西真理さんが、放課後にどうこう、という件。……これを説明してもらえますか?」  
「…………」  
 激しく衝突したバンと亜沙美は、なんとも気まずそうな視線を互いに交わし合った。なぜか藤原教諭の態度はいつにも増して厳格で、とうてい適当に誤魔化すことなど出来そうにない。  
「…………」  
「じ、……実は……」  
 無言の圧力を受け続けて、ついに観念したバンが、自分たちが聞いた噂のことをぽつりぽつりと話しはじめる。その話を聞き進めるうちに通子の表情はますます険しくなり、マユはそれだけで恐怖に泣き出しそうになっていた。  
「……放課後に、決闘?」  
「は、はい……。なんだかよく分かんないんですけど、とうとう今日の昼休み、あの二人が石鹸のダイコンを巡る決着をつける、とかいう話になったらしくって……」  
 谷川さんと、四組の大西さんが?  
「……ダメ」  
 通子は怯えてすくむ三人の児童を前に、脱靴場でひとり、俯きながら言葉をこぼす。  
 こういうことは何事も、はじめの一歩が肝心なのだ。  
 いきなり最初から例外を認めてしまっては、教育というものは成立しない。  
「……どこ?」  
「えっ……?」  
 独りごちた通子の言葉に、呆気にとられて取り巻く児童たちがびくりと蠢く。  
 その小さな胸に決意を再び固め、通子は周囲の児童らを眺め回した。  
「六年三組の谷川千晶さんと、六年四組の大西真理さん……この二人がいま、何処にいるか。この中に、知っている人はいますか……?」  
 その剣呑な視線に晒されて、喧嘩中とはうって変わって遠巻きになり、それでもなお四人の動向に注目しつづけていた野次馬たちが怯んで下がる。  
 何か見えない力で釘付けになったように動きを封じられたその人垣の中から、いま一人が辛うじて通子の目を盗んでその輪を離れた。彼はそうっと上履きを収めて代わりに運動靴を引っかけ、ゆっくりと校舎を出てから死角に入ると、一気に駆け出していく。  
「やっ……やっべええええ……! 通子ちゃん……よくわかんねーけど、今日の通子ちゃん、なんかいつもと全然違う……やばい。やばすぎるって、アレは……!!」  
 身を焼くほどの鮮烈な恐怖に全身を凍らせながら、高橋貫一は友の許へと急を告げるべく、ひたすらに校舎脇を疾走した。  
 
○12  
「……あッ」  
 深い闇の中で、少女のしなやかな背中が若鮎のように跳ねた。  
 どこか濡らされたように鼻にかかった声が閉ざされた空間に響くなか、荒い息づかいと熱い体温がそこに被さる。  
「……なあ。いいだろ、……千晶……」  
 まだ変声期を迎えていない少年の声が、じっとりと重たい何かに湿りながら、少女の身体に被さっていく。押し包むように重く。  
 だが、声だけではない。  
 今や少年の手が、腰が、目が、舌が、脚がことごとく、少女の肢体を獣のように狙って、その上から覆い被さろうとしていた。  
「あ、明……? な、なに……や、やだよ。変だよ? どうしちゃったの? 明。ねえ、明……ひうっ!?」  
 背中から密着して迫りくる少年へ、怯えるように振り向こうとした少女が、電気に打たれたように声と身体を跳ねさせた。  
 少年の右手が侵入してきたのだ。その右手は少女が身にまとう唯一の上着、タイトなTシャツの裾から入り込み、きつく締め付けてくる細いウェスト部を抜けたところで手首をくねらせ、二枚重ねのブラジャーによって厳重に守られた右乳房の頂へとたどり着いていた。  
「ダメだ。……もうダメなんだよ、千晶。俺、俺……もう我慢できなくなっちまったんだよ……」  
 裾からさらにTシャツの奥へと右腕を身体ごと押し込んで、少年はついにその掌に、乳房の頂を包み込む。  
 きついTシャツの布地から来る圧力で五指もろともに押し込まれて、少年の掌は自然にワイヤーで強度と形状を与えられた二枚重ねのGカップへと食い込み、次第に沈みこんでいった。  
 二枚重ねで通常のブラジャーの倍の強度を持つはずの少女の乳房の輪郭は、少年がその掌に新たな握力を僅かなりとも加えなくとも、タイトなTシャツによる締め付けだけで崩されてしまっていた。  
 もはやその無遠慮な侵略に抗うものは、少女の胸で張りつめるように実った、そのみずみずしい乳房それ自体による弾力と質量ばかりである。  
 そして少年はGカップの輪郭を崩し、わずかに乳房の表面を楽しむだけにその欲望をとどめようとはしなかった。  
 右手をTシャツの下から、そして空いた左手のほうはTシャツの上から少女の乳房を包み込ませて、その重さの負担をブラジャーのストラップから自らの掌へと移し替えることで量感を楽しんだ後、ぎゅうっ、と少年はその掌を揉みこんだ。  
「っ!」  
 ビクン、と跳ねた少女の背中を、少年は全身の力で抑え込んだ。  
 少女の乳房は少年の掌に比べて十分以上に大きく、少年はその両手をいっぱいに広げても、その全容を包みきることが出来ていない。  
 その胸からブラジャーのカップの形状に導かれるように、前へ、上へとツンと突き上げるように実り、自身の重さで柔らかにひずんだ双の半球の、その頂点付近を包み込むように握りこむばかりだ。  
 左手には三枚の、右手には二枚の布地を隔ててその肉塊を蹂躙しながら、明は両手を親指の付け根から狭めるように絞りこんで、その頂点、膨らみの出口へと絞り出すように変形させていく。  
 早くも充血して堅く大きく張りはじめた感度の良い乳房を揉みながら、少年の指はゆっくりと頭を出しはじめたその尖端を巧妙に避けていた。しかし、少年はたっぷりとした乳房の肉だけを刺激しながら、その核であり出口でもある頂はあえて放置している。  
「こんなにデカくておいしそうなオッパイを、目の前に二つも無遠慮にぶら下げられちまってたら……男がそんなにいつまでも、我慢してなんかいられるわけねぇだろ……?」  
「あ、あきら……? なに……どうしちゃったの……?」  
 ドスの効いた声で凶暴な欲望を剥き出しにし、自分の肉体へ襲いかかってきた少年を前に、少女はまったく抵抗できなくなってしまっていた。  
 何か見えない力に拘束されたかのように、身体が動かない。代わりに得体の知れない熱が全身を巡って、股間に、そして胸にと熱い何かをみなぎらせていく。  
 そしてついに、少年の右手が牙を剥く。  
 今までカップ越しに乳房を揉みたてるばかりだったその右手が、ぐいと大きく動いて三指の先をカップの縁に掛ける。  
 親指の付け根をぐっと乳房に押し込みながらその三指を引いて、そのGカップの紡錘形の中に封じ込まれていた少女の乳房が、転げるように剥き出された。  
「ああっ!!」  
 肌触りの良い下着の布地と、その形を保たせるためのワイヤー越しに楽しまれていた右乳房がまろび出て、少年の掌へ直接に握り込まれた。乳房を直接に包み込むブラジャーによる庇護を奪われ、剥き出しにされたもっとも敏感な部分がTシャツの目の粗い布地へ擦りつけられる。  
 
 汗に濡れてもブラジャーの輪郭を透かさないために購入したはずの、そのTシャツの胸の厚手のプリント。  
 しかしそのタイトさも災いしてか、そのTシャツは無情にも当初の目的を果たすことなく、全体にたっぷりと刺激を加えられた挙げ句に放り出されたその尖端を、プリント越しにくっきりと浮かび上がらせてしまっていた。  
 それでも少年の指はそこを襲わず、あくまで乳肉全体を揉みしごきながら責め続けている。  
 今や滑らかな白い柔肌を少年に蹂躙させるがままとなった少女の右乳房は、ぎゅうっ、ぎゅうっとあたかも独自の生物であるかのように自在に変形させられて、そのたびに敏感な尖端を、Tシャツの荒い布地に擦り付けられていくのだった。  
「あッ……ああッ、あああああ……ッ! 明ぁ……明ぁ、なに、なんなの、これ……どうして……どうしてぇ……っ」  
「あー……やっぱ最高だわ……千晶の、オッパイ」  
 全身に満ちる不思議な熱に抵抗の気力を奪われながら、それでも少女は少年の掌から逃れようと、必死に身をよじって前傾する。そんな少女に追いすがるように襲い来る少年は、なお身体ごと少女に密着してくる。  
「えっ……?」  
 そのとき下着とハーフパンツの二枚の布地越しに、何か堅く反り返った肉棒の感触を尻に感じて、少女は違和感に声を上げた。  
 なに、これ。これって……まさか。  
「ああ……我慢できねえ。行くぞ、千晶」  
「えっ?」  
 聞き返そうとした声は鼻にかかって、信じられないほど甘くなっていた。Tシャツの上から左乳房を責めていた少年の手が引き、右乳房は責められ続けながらも、愛撫の空白に少女が息をつこうとしたとき、少年はポケットから何かを取り出していた。  
 キチキチキチ、と耳慣れた音が小さく響く。  
 これって、まさか――  
 思った次の瞬間には、カッターナイフの刃が千晶のTシャツの裾に押し当てられていた。千晶のTシャツは、いま彼女の視界を塞いでもいるその乳房によって、布地を一杯に突っ張らされている。刃を立てられれば逃げ場などない。  
「いくぞ」  
「いっ――」  
 耳元で、少年は確かに笑った。見下ろせば蹂躙される両乳房の向こうで、刃を持つ左手に力が籠もる。  
「いやあああぁぁぁーーーっっっ!!!」  
 少女の絶叫とともに、厚手の布地が一気に引き裂かれていく無情な音が鳴り響いた。  
 鋭利なカッターの刃は変形し続ける少女の谷間を一気に走り抜けて襟許へ抜け、厚く丈夫なTシャツを一刀のもとに両断してしまっていた。  
 瞬間、Tシャツによる拘束が失われて両乳房へのきつい圧迫が緩み、熱のこもった汗まみれの肌が一気に外気へ曝される。Tシャツの残骸が内側の手で右半分を払いのけられると、びっしりと汗の水滴をまとった白い乳房と桃色の頂が、無防備に闇へ放り出された。  
 強引にその内容物から外された二枚のGカップが中身を失って恨めしげにしおれつつ、その下半分へと絡みついてなお重量の一部を支えている右乳房へ、少年は容赦なくむしゃぶりついた。  
 なんの優しさも容赦もなく、ぎゅっと口いっぱいに吸い込まれて変形する乳肉へ、少年の舌と歯と口腔そのものが立て続けに襲いかかる。  
「ああ! あっ、ああっ、ああああああーーーっ!!!」  
 今まで少年の指先によっては一度も触れられることのなかった桜色の乳首が、少年の舌に襲われてざらりと下から上へと嘗めあげられる。尖端を上下に繰り返し運動し続ける舌で執拗に責めなぶりながら、その周囲に小さく広がる乳暈を少年が甘く噛む。  
 再び乳肉全体をその尖端へ向かって絞り出していこうとするかのようなその責めに、少女はただいやいやと頭を振りながら泣きじゃくった。  
 その口に右乳房を含んで邪悪な赤子のようにねぶり続けながら、少年は両手を遊ばせてはいなかった。Tシャツを無残に切り裂いたカッターの刃を、今度はまだブラジャーによって守られている、左乳房に向ける。  
 ちゅうちゅうと少女の汗にまみれた右乳房を吸いながら、少年はその左手で左乳房を握り込んで固定し、右手に持ち替えたカッターの刃先を煌めかせて、今度は純白のGカップを狙う。  
 その内側に守られている乳房を傷つけないよう、細心の注意を払いながら、少年のカッターがブラジャーに食い込んでいく。  
 いっぱいに張りつめた乳肉は今や二枚のカップを通してもその尖端の位置を外に主張してしまっていたが、少年はそのすぐ下を狙っていた。  
 
「……やっ」  
 怯える少女の声で背中を押されるようにして、カッターの刃は左のGカップを次々とズタズタに切り刻んでいった。  
 白いカップに無数の裂け目が走り、少女の乳房を保護して重量を負担しつつ形を整える、という最低限の機能だけはそれでもなお維持しながらも、無残に破り割かれてしまったそれに、少年が左手の五指を差し込み、右手を掛ける。  
 そして凶悪な握力が、白いGカップを引き裂いた。  
 切断されたワイヤーと繊維、内側で敏感な乳房と乳首を優しく受け止める布地が、その裂け目から少年の握力でいいように引きちぎられ、断裂の音を響かせて分裂していく。  
「ああーーーッ!! やめて、やめて明ぁっ!! ボクの、ボクのブラジャー破かないでぇ! やだやだやだやだ、やだぁぁぁあああーーーっ!!」  
 ブラジャー越しとはいえ、柔らかな乳房へ直接に刃を突きつけられるという恐怖のあと、自らの衣服、それも最も敏感な乳房を直接守るブラジャーを無残に破壊されて、少女は身も世もなく泣きじゃくる。  
 あられもない狼藉の限りを尽くされて、最後まで少女の左乳房を守っていた二枚のカップは、もう原形をとどめてはいなかった。完全に引きちぎられた布片やワイヤーが手で破かれては千切れ飛び、次々とバラバラになっていく。  
 破れ裂けた純白のブラジャーは、もはや無残なボロ布と化した。攻撃を受けたのが左カップだけだったため、ストラップやバンドは無傷でブラジャーは基本的な構造を保ってはいたが、左カップは二枚合わせても、もはや本来の半分の面積もカバーできてはいない。  
 そんな状態でも本来の形が良いためか、ツンと上向きのままの美しく凜々しい形を保っている乳房の淡い色合いの頂は、今なおカップの残骸にかろうじて隠れていた。あるいは少年が最初からそう狙ったためか。  
 少年はそのブラジャーの裂け目から指を忍び込ませながら、その尖端を挟んで捏ね回す。上気しきった少女の頬を横目で眺めて、いやらしい口調で呟く。  
「へへ……出来上がってきたな」  
「……あっ……ああっ……ふうっ、ふううっ……なに……なに、なんなの、これ……? おかしいよ……変だよ、こんなのぜったいに変だよぅ、明……あきらぁ……っ」  
「じゃあ……仕上げだ」  
 意識を朦朧とさせながら喘ぐ少女に答えようともせず、その力無く項垂れた背中を前に、少年は邪悪に笑う。少女の太股を半ばまで覆うハーフパンツの裾を一気に一番上までたくし上げ、その下から顔を出した縞模様のショーツに指をかける。  
 そして少年は、自らのハーフパンツとトランクスを下ろす。  
 この凶行の原動力であり欲望の象徴でもある、堅くそそり立った男性の象徴が、完全にその抵抗力を奪い尽くされ、人格と意志に関わらず、女性としての受け入れ準備を整えさせられてしまった箇所を狙う。  
 剥き出しの右乳房は右手でぐにぐにと変形させながら、少年は左手をその腰に据えた。ハーフパンツとショーツをめくり上げながら、少女を床へ這いつくばらせ、逃げられないように固定する。  
「さあ、千晶の未開封新品……いよいよ、これで開封だな」  
 その姿勢で、火照った乳房が冷たい床へ押し付けられてぐにゃりと潰れ、少女の意識を現実に引き戻す。  
 ……どうして?  
 なんなの、これ……どうして明がボクに、こんなひどいことなんかするの……?  
 これのせい……?  
 ボクのこの胸に膨らんじゃった、この……大きくて重たい、邪魔なオッパイのせいなの……?  
 今はまだ、なんの役にも、立たないのに。  
「心配すんなって。お前のこのデカいオッパイ、これで、ちゃあんと役に立つようにしてやるよ――」  
 最後に少年が言った言葉の意味を、考えられる余力が少女に残っていたかどうか。  
 溢れんばかりの先走る欲望を載せて、少年は、その触手に絡め取って捉えた少女の深奥へと、その邪悪な男性自身を――  
 
○13  
「……というわけでこっちのほうには、明も谷川も来てないんですよ。いやー、本当にどこ行ったんでしょうねあいつら! 通子先生も、こいつはとんだ取り越し苦労ってやつですねー……」  
「…………」  
「…………。えっと……通子先生?」  
「……あ? ああ、ええっと。ごめんなさい、高橋君」  
 第三校舎の裏手。  
 騒動の張本人の一角、大西真理を学級菜園前で捕捉し、次に谷川千晶の姿を探して、藤原通子はものすごい勢いで西小校内を巡回していた。  
 六年三組周囲での有無を言わせぬ聞き込みの結果、幼馴染みの親友で悪童仲間の八坂明が彼女を連れ出してどこかへ消えたと聞いて、校内をくまなく探し回って最後に辿り着いたのがこの第三校舎裏だ。  
 近くでボール遊びしていた低学年児童からの聞き込み情報もあり、かなりの信頼性をもって通子はこの場へ踏み込んだはずだったのだが、二人の姿を押さえることはできなかった。そこにいたのは三組悪童軍団の一人である高橋貫一だけで、肝心の二人は影も形もない。  
 その失望感が通子の心の隙間に入り込み、妙な妄想をむくむくと大きく膨らませたのだ。  
 あの二人が、こうも目に付く場所にいないということは……。  
 八坂明は健全な男子である。しかも彼の性的嗜好は女性の豊かな胸に集中しており、校内で時おり摘発されるエロ本情報にもいわゆる巨乳ものが多いことから、この情報は確かな裏付けを取られていた。  
 そんな巨乳好きの明が、突然、あれほどの巨乳になってしまった谷川千晶と、どこともつかない場所に二人っきりでいたならば。  
 蒸し暑い真昼の炎天下、スーツにヒール姿で校内をせわしなく走り回った末、頭の奧まで熱の回った通子は、教え子二人のそんな爛れきった性の暴走による不純異性交遊の可能性を想像し、そのまま歯止めもなく妄想を爆走させてしまった。  
 谷川さんは元気いっぱいで喧嘩も強いけど、性に関してはひどく純真で無垢だ。そこを手玉に取られてしまって、女性の意志と人格を無視した一方的な性の玩具にされてしまうという絶対に許すことのできない背徳的な展開が、通子の妄想を捉えたのだ。  
 教職ともあろう者が、あんなにも淫らな……。この半日でいきなり大量に積み重なった、あまりの疲れのためだろうか。  
 気づけばはしたなくも、ショーツの下に露骨な湿りを帯びてしまっていることに気づいて、通子はそれを目の前の男子児童に気取られまいと、素っ気なく対応した。  
「ふうん……。そうですか。では高橋君、二人に会ったら伝えておいてください。何やら谷川さんと四組の大西真理さんとの間で不穏な噂が流れているようですが、先生はそんなこと、絶対に許しませんからね、と。……いいですね?」  
「は、はい……。伝えておきます」  
「ふん……。もうすぐ昼休みも終わりなんですから、高橋君もそろそろ教室に戻りなさい。また遅刻しないようにしてくださいね」  
「だ、大丈夫ですよう……」  
 冷や汗を垂らす貫一と、その背後の倉庫に潜む二人の気配に気づくことなく、通子は踵を返して去っていった。やがて貫一が気配を殺して第三校舎の角に取り付き、その背中が完全に消えたのを見届けると、倉庫に戻ってきて扉を開けた。  
「ぷふーーー……。お前ら、もういいみたいだぞ……」  
「熱い……。こん中ってマジでやべーな。死ぬかと思ったぜ……」  
 たった数分で汗だくになった明と千晶が歩き出てきて、開放された日陰の冷気に息を吐く。しかし倉庫の扉越しに見ていた担任教師の気配はやはり尋常なものではなく、二人にとっての今後の――特に、今日の行動の難しさを予想させ、明の表情を曇らせた。  
「しかし、どうやら……本格的にやばそうだな、こいつは」  
「どうすんのよ。通子ちゃん、完全に本気みたいよ? 今日はやばいよ、明」  
「そいつは見れば分かるよ――」  
 確かに、あの状態の藤原教諭を向こうに回して、今日の決闘を強行するのは至難だろう。通子の熱意と執念は並みではない。あの調子ならたとえ放課後になって下校しても、校区を巡回してめぼしい場所を虱潰しにするぐらいのことはやりそうだった。  
 先延ばしにしてほとぼりが冷めるのを待つのが、もっとも現実的な選択肢だろう。  
 だが、それでは駄目なのだ。  
「今日でなきゃ、駄目なんだ……。今日で、なくっちゃ……」  
 千晶のために。  
 千晶の親友として、彼女のために報いることが出来るのは、今日以外にはない。理由はうまく説明できない。だが、今日でなければならないという直感が痛いほどに強く、明の意識に囁いていた。  
 
「でもなあ……あの本気モードの通子ちゃんが相手じゃなあ……」  
 相変わらず俯いたままの千晶をよそに、貫一が重い溜め息をくれる。  
「相手は通子先生だけじゃないぜ、明」  
「岸?」  
 そのとき第三校舎の陰に長身の男子の姿を認めて、明は思わず声を上げた。  
 スポーツグラスの似合う理知的な風貌の少年は、六年四組学級委員長にして西小悪童軍団の参謀格、岸武志だった。岸は皮肉げに口許を吊り上げて笑うと、三人のほうへ歩み寄ってきた。  
「さっきそこで、うちの久やんが通子先生に捕まってた。どうやら今日の見回りにこき使われるらしい。あとはお行儀のいい連中にも手当たり次第に触れ回ってる」  
 要するに、四組担任の丸川教諭まで自分の手下に組み込んだうえ、先生のいうことを素直に聞く良い子たちを、センサーがわりにそこいらじゅうへばらまこうという話だった。  
 本当に手段を選ばず、今日を千晶の今後を巡る決戦の日にするつもりらしかった。  
「それに……そもそも二人の決闘の話は、速攻で全校に漏れ広がっちまってた。  
 明、お前が鬼マリに約束してから、ほんの十分足らずで五年のバンや四年の亜沙美の耳まで入ってたんだぞ? もう昼休みの話題はどこも決闘話で持ちきりだ。西小の奴で知らない奴はどこにもいない。  
 全校注目のカードなんだよ、谷川対鬼マリって。東小相手の公園戦争が終わったばっかだってのに、みんなすっかり血に飢えちまってる。  
 だからどこでやってても、すぐにそういうハイエナどもに嗅ぎつけられる。そして通子ちゃんは、そいつらの目立つ動きを手繰って突っ込んでくることになるぞ」  
「くそっ……」  
 万策尽きたか。  
 藤原教諭とその手下、そして何より、西小学校の全児童。  
 これほどの監視の目をかいくぐって、真理と千晶の決闘という目的を果たすための手段を思いつくことが出来ずに、明はその場で項垂れた。  
 貫一も途方に暮れ、当の千晶が茫洋とした目でフェンスの外側を見つめる中、岸が首を捻りながら言ってのけた。  
「ふん。だが諦めるのはまだ早いぜ、明」  
「何?」  
 跳ねるように、明が自らの参謀格に視線を向ける。岸武志は不敵に笑い、明に向かって告げてのけた。  
「まあ当然ながら、100%の勝率は約束できないがな。そう、諦めるにはまだ早い。――ここは一つ、俺に任せてみちゃあくれないか」  
 

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