○21
「はいはいチョコカルチョ、チョコカルチョ! チョコカルチョまだまだ受付中だよ! オッズは今んとこ真理ちゃん1.4倍、千晶ちゃんが2.1倍!
だけど勝負はまだまだ分からない! でっかく張ってでっかく稼ごう!」
「お茶ー、冷えたお茶はいらないー? 一杯たったの50円! 自販機なんかよりずーっとお得だよー!」
「おい、いったい何の騒ぎだこれ?」
「いや、西小の谷川と大西が今からここでガチンコ勝負するらしいんだわ。保育園だか幼稚園以来だかの因縁の決闘がどうとかって。それでこの人だかりなんだってさ」
「マジかっ!?」
「西小最強クラス同士のガチバトルかよ! それも二人とも性格はアレだけど顔は普通にかわいいし、何よりすんげえチチでけーし……やべー。なあ、俺らもここでこそっと見てかね?」
「やっぱオッパイ、すんげー揺れんのか? 揺れんのかな、なあ?」
「それよりいつ始まるんだよコレ?」
「あ……あっちの方に居んの、あれシバケンじゃね? もう退院したんか?」
「…………」
まだ陽も高い横穴公園の周辺は、完全な異空間と化していた。
最初はごく一握りの児童らのみが内密に知るばかりのはずだった、横穴公園で大西真理と谷川千晶が決闘するという情報。
しかし、何はなくともおしゃべり好き、荒っぽい話が何より大好きの小学生たちの中で、それも二人の巨乳美少女が絡む話となれば、これで秘密が保たれると思う方がどうかしていた。
結果、今の横穴公園はかつてない人だかりを記録している。群がっている児童のほとんどは西小学校だが、一定の距離を保って東小児童らしき集団、付属小らしき児童の姿まで見える。
中にはここで何が起こるのかさっぱり分からず、ただなんとなくお祭りっぽい匂いを嗅ぎ取って集まってきた野次馬――もっともそもそも、ここに集まっているのはほぼ全員が野次馬なのだが――も少なくない。
そしてそんな連中を相手に決闘に関する賭博を持ちかける児童がいるかと思えば、また近隣の児童には悪知恵を働かせて、自宅の冷蔵庫で冷えていた飲み物を売りつけようとするものまでいる始末だ。
混沌の極みだった。
「……どうしよう……」
そして物陰からそんな小学生たちの祭りを見渡しながら、困り果てた調子で電柱の影に隠れる大人が一人。
西小学校六年四組の担任、丸川久司である。
彼は絶対に逆らうことのできない先輩教師、決闘阻止に燃える六年三組担任の藤原通子に命じられ、彼女から与えられた情報を元に校区内を巡察していた。
そして彼はその途上、横穴公園でこのバカ騒ぎにぶち当たってしまったのだった。
とりあえず、まずは白昼堂々と賭博だの模擬店まがいの悪行だのをやらかしている悪童どもをとっちめるべきだろうか?
いやしかし、まだ肝心の谷川と大西の姿がどこにも見えない。今の段階で介入すれば、二人の少女はどこかに場所を移すかもしれないのだ。
藤原教諭の怒りを回避する意味でも、それは避けたい。
「うううううむ……」
それにしてもこの連中、自分たちの馬鹿騒ぎを見て二人が場所を移すかもしれないとは考えないのだろうか。
それとも案外この連中にとって決闘自体は別段どうでもよくて、今ここにある祭りの空気を楽しむことのほうが重要なのだろうか……?
「分からん……」
途方に暮れて呟く丸川のポケットで、何かが不意に震えはじめた。軽く飛び上がりそうになりながらそれを取り出し、ああ、と何かを諦めたかのような表情で開く。
携帯電話の画面では、藤原通子からの着信を示す文字列が明滅していた。深呼吸ののち、丸川は通話ボタンを押した。
「はい。丸川です――」
『丸川先生? そろそろ横穴公園ですよね。そちらの状況はどうですか?』
「はあ。どう、も何も……ものすごい騒ぎになっていますよ」
一瞬の躊躇ののち、丸川は自らの眼前に広がるすべてを話した。通子はその報告に耳を傾け、しばらく何事か思案している様子だったが、やがて決断を下した。
『分かりました。丸川先生はそのまま、そこで状況を見守ってください。五時になっても動きがないようなら、出て行ってそこにいる子たちを指導してあげてください』
「了解です。……ところで、あのー……」
『何か?』
「どこかほかの人たちから、大西と谷川の情報というのは、入ってきているんでしょうか……?」
『…………』
「藤原先生……?」
『……丸川先生は、先ほどの通りの方針でお願いします。また何か動きがありましたら、すぐに教えてくださいね』
「え、ああ、はい。と、藤原先生? 藤原先生? もしもし、もしもーし……」
「…………」
西小学校職員室。
丸川との通話を切ると、藤原通子は再び机に広げた校区内地図に向き直った。
校区内外の主要なポイントにはすでに、彼女に協力してくれる教師や児童が配置されている。だというのに、確度の高い情報は何一つ入ってこない。
放課後を迎えるとともに教室から姿を消してからというものの、通子の情報網へ飛び込んでくる谷川千晶と大西真理の目撃情報は、いずれも不確かな伝聞情報ばかりでしかなかった。
しかもそれらの伝聞情報にしたところで、時系列に沿って整理し直してみれば、いずれも一貫性のない支離滅裂なものでしかなかった。
二人の現在位置はおろか、放課後の足取りすら未だに不明だ。自分の意図と気配を感じて姿をくらましたにしても、果たしてここまで見事に出来るものなのだろうか?
こと悪戯方面となれば無類の潜在能力を発揮する、自らの教え子たちの悪の才能を通子は再評価せずにいられなかった。
とはいえ決闘を阻止するため、有無を言わさず千晶に居残りを課すとか、家に着くまでぴったり下校に付き添うとか、そこまで手段を尽くすことも通子には出来なかった。
谷川千晶が自らのその乳房の存在を認めることで成長に向き合い、悪童を脱するために踏み出す最初の一歩は、あくまで自発的なものでなければならないと通子は考えていた。
決闘などという馬鹿げたことは全力で阻止するが、そのために千晶本人を直接拘束することは避けたい。
あくまで谷川千晶自身が自ら考え、導き出した結論として、乱暴な悪童遊びからの卒業を選び取ってほしい。それが通子の理念だった。
「ふう……」
「藤原先生、お疲れですね」
「いえ。そんなことは……」
椅子に深くもたれ直して思わず漏れた溜め息に、六年二組の担任教師が声を掛けてきた。
「ここはしばらく、私の方で見ておきますから。コーヒーでも煎れて、少し休んでこられたらどうですか?」
「いえ、そんな。私はまだ――」
なおも言い返そうとして、その二組担任の向こうで学年主任が頷いているのを通子は見た。思わず口ごもる。
思えば今回の作戦は、通子の影響下にある教員・児童を総動員して行われているとはいえ、そうした動きが可能なのも、彼ら先輩教師の黙認のおかげだ。
ここまで積極的な協力はなかったものの、彼らは少なくとも、自分のやろうとすることを見守ってくれている。
そんな彼らからの好意をここでむげに断ることは出来ない、と通子は判断した。
「……分かりました。では、少しの間だけ……よろしくお願いします」
「ゆっくり休んできてください」
穏やかな笑みに送られて、通子は職員室を出た。
廊下に人気がないのを確かめてから背筋を伸ばし、薄く平らな胸を反らすと、ポキポキと音を立てながら疲れの固まりが弾けていくのを通子は感じた。
「ふう、ん……ぅっ……」
どうやら、思わぬところに疲れが溜まっていたようだ。確かに気を張りすぎていた。コーヒーよりも、少し身体を動かしたほうがいいかもしれない。
「……ちょっとだけ、歩いてこようかな……」
考えをまとめ直しつつ外の風を浴びようと、通子は脱靴場へ足を向けた。
○22
肉を打ち付ける拳の音が、まともに部屋へ響き渡った。
完全に千晶を呑んでかかった真理の、果敢な――あるいは無謀な先制攻撃を捉え、カウンターのかたちで迎えた千晶の反撃。
互いの勢いが相乗させた衝撃力によって、通常の打撃に倍するであろう威力のそれはそのまま、真理を一撃で打ち倒しきるかにすら見えた。
「千晶っ!?」
その並み外れた技の冴えに、誰より彼女を知るはずの明さえ驚愕を浮かべて瞠目する。
まるでプロ格闘家同士の試合の決定的瞬間を、リングサイドから巧みに切り取った一枚の写真のように、今の明に眼前の世界は止まって見えていた。
「――ちいぃっ!!」
しかし真理の舌打ちとともに、時間は再び動き出す。
「こんのおおぉぉっ!!」
怒りに燃える吐息を放ち、必殺の一撃を受けたはずの真理が、体軸をずらしながら右のしゃにむなジャブで応戦する。
そのとき互いの身体が動いて、明は真理が咄嗟に立てていた左腕と、その腫れを見た。
千晶が必殺のカウンターを決めてみせたのと同様、真理も負けじと左腕をそれに合わせてみせたのだ。
それでもなお強烈な破壊力をどうにか凌ぐことが出来たのは、真理が咄嗟に受けた左腕の後ろへ自らの乳房を添えて、その乳肉のクッションまでも活かしたためか。
一気に押し潰されていたDカップの乳房が弾み、その弾力で真理の左腕を押し出すようにして、今度は彼女を反撃へ突き出させる。真理の長身が千晶めがけて躍り掛かる。
喧嘩仲間ながら何とも恐ろしい、動物的な反射の応酬だった。
「しゃらあああっ!!」
「しゅっ!」
しかし真理の火をつけられたように果敢な反撃も、千晶の猫科の肉食獣を思わせるしなやかな動きを捉えることは出来ていなかった。
痺れる左手からさえ時にはジャブを繰り出して、なお身体ごと前へ出ながら右腕と脚で繰り出す真理の猛攻を、千晶は次々見事に交わしきる。
「あはっ、こっちがお留守っ!」
「ぐっ!?」
そして防戦の中から真理の隙を拾い上げては、千晶は見逃すことなくそこに打撃をくれていく。
真理も巧みに身体を捻って被害を最小限には食い止めるが、手数と裏腹に一方的な痛打を被るばかりだった。
「ちいいっ、でいああぁっ!!」
「ふっ!」
それでも千晶に対する真理の確実なアドバンテージ、そのしなやかな長いリーチを活かす好機を不意のバックステップで作り出すや、真理は強烈な上段蹴りを跳ね上げた。
必殺の威力と速度を備えた打撃が風を裂き、足下から脳天めがけて突き抜ける。
その足先はまず千晶の身体で最も前へ突き出てしまっている場所、すなわち二つの乳房に突き上げられたTシャツの布地へと襲いかかった。
二枚重ねのブラジャーにその身をきつく縛られながらなお、わがままに弾み踊ろうとする重たい乳肉二つの存在。
その圧倒的な質量でギリギリまで張りつめたその谷間の布地を、真理の足指が掠めていく。布を引っ掻く鋭い音が空気に走る。
左右の巨乳へブラジャー越しに布地をきつく絡みつかせながら、ひどく突っ張らせてしまっているTシャツの布地。
そこを擦り上げるような蹴りを食らって、二枚のブラジャーとタイトなTシャツの布地で三重の守りを固めた千晶のGカップの乳房が、今までで一番大きく上下に揺れる。
だが、それだけだった。
「ちいいっ――!」
「あはっ!」
軽やかなスウェーバックを操り、紙一重で真理の蹴撃を避けきった千晶の前髪が、風圧を浴びて舞い上がる。
笑う千晶は爪先に軽く蹴り上げられた左右の巨乳を弾ませながら、そのまま後ろへ跳びすさり、両者はそこでようやく間合いを開いた。
「てっ、テメー……どういうことだよ千晶! あんなに腑抜けてやがったテメーが、どうして、急にっ……」
「腑抜け……? んー、なんのことかなー?」
わずか数秒の攻防で早くも汗ばみはじめた顔にいたずらっぽい笑みをこぼして、千晶は不敵に拳を揺らしながら身構える。
「ボクは喧嘩するとき、いつだってこのスタイルだよ。ただ今回は、ちょっと心理戦って奴も取り入れてみたんだなー」
「心理戦だぁ!?」
「そ、心理戦。真理ってすっごくバカだから、決闘前にボクが意味もなく落ち込んでるようなところ見せてたら、勝手に見くびってバカな突っ込みかけてくるかなー、ってさ。
アハハハハ、まさかホントに引っかかってくれるとは思わなかったけど!」
「え、演技……今日のはぜんぶ演技かてめええええええ!!」
「えー、今ごろ気づいたー? アハハハハハハ、バーカバーカ」
「ち、ち、ち、千晶ぃぃぃぃ!! 明ぁぁぁ、なんじゃあああごりゃああああああ!!!」
「いや、そこでこっちに振られてもなー……。つか、決闘前の心理戦って基本中の基本だし。武蔵と小次郎の巌流島の決闘とかもそうだし。別に反則でも何でもないし。
……普通に引っかかる方が悪いんじゃね?」
「てめぇもグルか明ぁぁぁぁぁ!!」
「はいはい。決闘続行!」
ばっ、と素知らぬ顔で頭上に両手を交差させながら、明は千晶へ一瞥くれる。その一瞬の、瞳の輝きが二人をつなぐ。
心理戦、か。そうか。
そういうことにするんだな、千晶。
どれだけ押し殺しても浮かんできそうになる笑みと戦いながら、明は無表情を装って立会を継続した。そして千晶はなおも『心理戦』を継続していく。
「ヘイヘイ、真理びびってるー!」
「うるせえええらあああぁぁっっ!! 殺す! 今日という今日こそ千晶、テメェは絶対ブッ殺したらあああぁぁぁっっ!!!」
その罵倒の応酬が、息継ぎの間隔でしかなかったかのように。
計ったように二人は同時に突進、再び激突した。
○23
腕時計の分針が文字盤の真下を指すのを見届けて、岸武史はふっと息を吐きながら顔を上げた。ちょうど今頃、二人の決闘が火蓋を切ったところだろう。
放課後の四時半を迎えても、六月の空は未だ昼の光に満ちていた。
決闘の結末がどちらの勝利で終わるにせよ、二人のどちらか、あるいは両者ともにこの白日の下、顔を腫らして出てくるに違いない。
そこを通子先生に捕まえられれば、またみっちり絞られることになるだろう。
だが、そのときには何と言ってもすべてが後の祭りだし、切り抜けるには遊んでいて階段から落っこちた、などと無理矢理な言い訳を並べてもいい。
とにかく決闘の現場さえ直接に押さえられなければ、今回はそれでいいのだ。
「あー! 終わった、終わった……へへへへへ。やっぱ、なんだな。やれば出来るもんだな俺たち!」
「…………」
しかし岸の悪友仲間、カンチこと高橋貫一が大きく身体を伸ばしながら安堵しきった様子で快哉を吐いても、岸の表情は未だに緊張の度を失ってはいなかった。
このまま現場さえ押さえられなければ、千晶と真理の決闘完遂という目的を果たした自分たちの勝ちだ。
しかしそれは逆に言えば、ここまで首尾よく事を運んでも、決着前に現場を押さえられてしまえば、すべては水泡に帰すということでもあるのだ。
真理と千晶の二人は、基本的にその実力を相当に高いレベルで伯仲させていると岸は見ている。
あるいはそれゆえに極端な超・短期戦となることも考えられたが、それと同様に、かなりの長期戦に及ぶ可能性もあった。
「まあ、さすがに三十分はかからんだろうが……」
小さく呟きながら、岸は第三校舎で二人の決闘に立ち会っているはずの親友を思う。よほどのことがない限り、あいつが事態をうまく回してくれるはずだ。
「……なあ。岸ぃ……」
「?」
想像を断ち切られた岸の前で、カンチが緩んだ笑顔を浮かべていた。
「なんかうまく行ったと思ったら、ションベンしたくなってきちまった。な。一緒に行かねえ?」
「……俺はいいよ。ここで様子を見てる。行ってもいいけどとにかく目立たないようにして、すぐ帰ってこいよ」
「わーかってるってそんなこと! へへっ、じゃあ行ってくる!」
そして元気良く、軽やかにカンチは駆け出す。何か束縛から解放されたかのような軽やかな足取りを、岸は溜め息混じりに見送った。
実際カンチは今まで、押しつぶされそうなプレッシャーと戦っていた。
廊下を駆けながら、カンチはあの昼休みの第三校舎裏を思い出す。
玄関で偶然目撃した鬼気迫る藤原教諭の様子を明と千晶へ告げに行った先で、カンチは岸の立案した計画に巻き込まれた。
絶対に誰にも漏らせない、しかし情報として計り知れない魅力を持つ秘密を抱えたまま、それを誰にも悟られないよう嘘をつき通しながら動かねばならなかったこの数時間。
その張りつめた圧力は、ひとえにこの単純バカというほかない少年に、未だかつてないほど強い緊張を強いていた。
だからこのときのカンチがどれほど油断していたとしても、それを全面的に責めることは難しかったろう。
「あー、でも……谷川と鬼マリの喧嘩、見たかったなぁ……。今回のは今までの中でも、格別にスゲーんだろうなぁ……」
最寄りの男子トイレで朝顔の中へ放尿しながら、カンチの陰茎はむくむくと大きく膨れ上がっていく。
思い出すのは昨日の朝の体育倉庫。朝の光が射す体育倉庫の中で、いきなり人間酸素魚雷を撃ち込んできた千晶の肢体が、その部分だけをスローモーションのようにして脳裏で何度も再生される。
地面とほぼ水平になりながらまっすぐ突き刺さってきた少女の胸で、危うげなブラウスが風圧を受けてふわりと浮かぶ。
薄く腹筋の浮き上がった少女の白いお腹の向こうで、Gカップの白いブラジャーが巨大な砲弾のように並んで、天へ向かって突き上げている。
その真上へこんもりと高く盛られた二つの山が、五体の動きから少し遅れて後ろへ、顔へと独特の質感とともに弾んでいた。
人間酸素魚雷という大技をかわせずまともに直撃を食らったのは、単に千晶の思いきりの良さや場所の狭さだけではないだろう。
それはあの一瞬に露わになった千晶の、ブラジャーに包まれながら砲弾型に押し上げる巨乳に目を釘付けにされたからでもあった、とカンチは思う。
もっともその直撃を受けたがために、彼は瞬時に戦闘不能に陥った。
そのため、後の格闘戦で激しく揺れ動いたであろう千晶の巨乳を見届けることが出来なかったのは、一生の不覚ではあるのだが。あれは悔やんでも悔やみきれない。
「エロかったなぁ、谷川……。エロかったと言えば、あのときは……委員長のほうもなんか、今までに見たことないぐらいエロかったなぁ……」
通常の数倍以上に堅く、大きくそそり立った男根をブリーフの内側へ収めて、カンチは陶然としながら洗面所に立った。
とてもカンチの両手では包みきれないであろう、谷川千晶の巨乳。
さすがにあれほど並外れた大きさはないにしろ、それでもブラウスとベストの二枚の夏服がなす輪郭をあっさり前へ上へと突き崩して、しごく形良く上品に、国東真琴の乳房は自らの存在を常に主張し続けていた。
不動にして絶対の学級委員長として西小学校における秩序と規律を体現し、常に自分たち悪童軍団にとって最大の強敵であり続けてきた国東真琴。
しかし同時に彼女はその硬質の美貌と早熟な乳房で、西小男子たちにとって密かな憧憬と欲望の的にされてもいたのだ。
何事にも無頓着で適当な鬼マリあたりと異なり、生真面目な真琴のその乳房を下着越しにでも見る機会のあった男子はほとんどいなかった。
カンチ自身もまた、丸く豊かに押し上げられているその上着の中身を想像し、激しい興奮に身もだえることもしばしばだった。
そして、あの事件だ。
常に並外れて強くあった恐怖の美少女委員長の、信じがたいほどに脆く、か弱い姿。
あの朝に自らが犯した罪を認めてすべてを諦め、敵対してきた悪童たちから罰を受けようと、すべて為されるがまま、彼らの前に何もかもをさらけ出そうとしていた国東真琴。
彼女の加虐心をそそる媚態の残像は、なおさら熱く少年の股間へ血液を集めてたぎらせ、その欲望は臨界寸前に達していた。
自らベストを脱ぎ捨て、さらにひとつひとつブラウスのボタンを外していった真琴のその指の動きすら、カンチは記憶の中で今も鮮明に繰り返すことができる。
それほどまでに鮮烈に、少女の媚態は少年の芯に焼き付けられていた。
「だけども、まあ……これからの谷川と鬼マリの本気決戦はきっと、もっとすんげえんだろうなぁ……」
その真琴に勝るとも劣らぬだけの乳房を持ち、性格に多大な問題を抱えているとはいえ、そのストレートのロングヘアと大人びた野性的な美貌で、圧倒的な魅力を誇る真理。
そして何より、群を抜く巨乳を備え、いよいよこの決戦に挑まんとする谷川。
いつもボーイッシュで単に悪童仲間の一人としか見えなかった彼女が、ここ数日間で見せはじめたその独特の色香を漂わせる変化もまた、皆の度肝を抜くものだった。
この数日間で谷川千晶が変わったのは、その巨乳だけのことではない。
むしろその巨乳を起点として、谷川千晶は今、まったく新しい存在へと生まれ変わろうとしているのだ。
その決定的な部分を華々しく飾るであろう一幕を、自らの目で直接見届けることがかなわないのは残念至極――そう思いながら手洗いの蛇口を捻って止めたカンチが、不意にその動きを止めた。
いや、止められていた。
「高橋くん。いま、谷川さんと大西さんの、決闘がどうのって言ってたよね……」
「い、痛っ、痛えええっ。は……離して。いや、やっぱ離さなくても……いや、やっぱり離してえええっ」
高橋貫一は今、その男子トイレ前の洗面所で拘束されていた。
妄想にふける彼の背後へ音もなく接近し、そしていつものように巧みな関節技で彼の動きをすべて殺してしまった、学級委員長・国東真琴の手によって。
「おかしいと思ってたの。学校じゅうがこんな大騒ぎになってるのに、人の流れの中に肝心の谷川さんと大西さん、それに八坂くんの姿が見えないなんて。
当事者のその三人のほかにも、あなたや岸くんにまで、何の動きもないなんて――」
複数の関節が裏側から、その稼働域の限界近くまで殺されている。
全身に息詰まるような軋みと圧迫感を感じさせながら、少女の声と息吹がカンチの耳元へただ淡々と吹きかかる。
「高橋くん。谷川さんと大西さん、それに八坂くんは今、どこにいるの?」
「しっ……な、なんのことだよ……そんなの俺ァ、ぜんぜん知らねえって――あ痛あぁ!!」
真琴がその長身からほんの少しの力を加えるだけで、カンチの肘に壊れそうなほど鋭い痛みが走る。毎度のことながら、実力行使に容赦のない委員長だ。
ともすれば死の恐怖すら感じさせかねない真琴の圧迫の中で、しかしカンチは同時に、うなじから股間へと逆流してくる倒錯した熱量の存在を感じていた。
背後から関節技を仕掛けるため、真琴の身体はカンチの背中に密着している。
だから当たっているのだ、カンチのうなじから背中にかけて――前回はついにその露わな姿を見ることはかなわなかった、真琴の形の良い乳房が。
乳房全体を包み込んで整えるブラジャーのカップが、圧力の中でひとたまりもなく形を崩されて潰れている。
そしてそこに内包される早熟な青い果実の重さと大きさ、そして弾力と柔らかさを、直にカンチのうなじへ伝えているのだ。
頭半分近くも背丈の違う少女からの拘束はこの少年に、いずれも耐え難い地獄と天国を同時にもたらしていた。
(あ……やばい、やべえってこれ。
すげえ、これが、これが委員長のオッパイなんだ……たぶん俺の掌サイズ、っていうか、背中から抱きついて俺の掌に思いっきり握ってぎゅうって揉んだら、ちょっと余るってぐらいの大きさかなあ……
委員長のお腹が当たってないのに胸だけきっちり当たってこんなに潰れてるってことは、やっぱり委員長のオッパイの厚みっていうか奥行きって言うか、
本当にアレはいつもみたいに横から見たとき、クッキリハッキリ大きさが分かるあのサイズだったわけで……
あ。い、いま右の肩胛骨にちょっと触った、オッパイの真ん中ぐらいにある何かの感触って、これ、もしかして――!)
「言いなさい高橋くん! 言わないと、ひどいよ!!」
「あうううおおおっ、あうおーーーっ!!」
いつにも増して切実な熱を帯びた声で、真琴がカンチを責め立てる。
その度に右肩胛骨を中心に、真琴の右乳房がなおも激しく押し潰されていく。
今やカンチの限界まで磨き抜かれた触覚は、三枚の布地越しに真琴のその右乳房の尖端の位置と感触、その尖り具合までのすべてを感じ取ろうとしていた。
「すっ、すまん明っ、岸ぃ……っ、お、俺は……俺はもうダメだあああぁっ!!」
「ほら早くっ! 三人はどこにいるの!? 言っちゃいなさいっ!!」
「いいっ、いううっ。イッちゃううぅーーーっ!!」
ひときわ強く悲鳴を上げる全身の関節と、昂ぶりのすべてを注ぎ込まれて今までよりもさらに大きく膨張し、急激に射精への準備を整えていくカンチの男根。
せめぎ合う天国と地獄の中で、ついにカンチの心が折れた。
「だっ、だああっ、だいさん! だいさん、こうっ……」
「だいさん……第三校舎!? でも、あそこは施錠されていて――!」
「ぐっぷうううう!! そっ、そこ! そこおおおぉぉーーーっ!!」
さらに強まる真琴の力、そしてなおも押しつけられる乳房の頂に、カンチは肩胛骨からその桜色の乳首のみならず、ぷつぷつとその周りに浮き立つものを伴う乳輪の存在までをも幻視していた。
射精感が脊髄を駆け下って勃起した男根を駆け上がり、カンチを絶頂へ導いていく。
膨大な量の精液でブリーフとズボンの布地を一気に犯しきって突き破り、そのまま外へと白濁液を迸らせるかとまで思わせたその高橋貫一史上最大の興奮は、しかし始まったときと同様に、何の脈絡もなく終わりを迎えた。
「!」
「へっ――?」
不意に背中へ密着していた真琴の体温と乳房の感触が失われ、右の手首と肘だけを残して拘束も解かれる。
苦痛と快楽の両方をそれぞれの絶頂間際で瞬時に失い、カンチは喘ぎながらその方向へと視線をやった。
「学級委員長がまだ何もやらかしてない相手に先制攻撃とは、ずいぶん荒っぽいじゃないか。らしくないな――一体なにをカリカリしてるんだ、国東?」
「――岸くん」
「き、……き、きしぃ……」
委員長が表情を引き締め、依然としてカンチの右腕を戒めながらも、その介入者へ向き直る。
「そう……。やっぱり今回も、岸くんの計画だったんだね。谷川さんと大西さんを、誰の邪魔も入れさせずに決闘させようって」
「さあ、何のことかな……って。今さらシラを切れるような空気でもないか」
この少年にしては珍しい芝居がかった風情で、決闘劇の仕掛人にして黒幕の一人――岸武志はおどけるように両手を広げてみせる。
彼自身が常に日頃から心がけているように、岸は今回も内心の焦りを表情に出さないよう、ほぼ完璧に抑え込むことに成功していた。
視界の隅に廊下の時計を捉えれば、決闘の開始から、まだ三分と経ってはいないようだった。今の段階で介入されるのは、あまりにも時期尚早だ。
(……しかし)
国東真琴はすでにカンチなど眼中になく、自分に意識と戦意を集中させている。
厄介な――というか現状で、およそ考えられる中で最悪の相手だった。
岸の見立てによれば、個人レベルの戦闘力において、国東真琴はまず間違いなく市内最強の存在だった。
東西両小学校悪童間の抗争に関するパワーバランスにおいてその存在が無視されがちなのは、単に彼女の中立性のためでしかない。
要は悪童騒ぎと見れば、真琴は西小だろうが東小だろうが容赦なく鎮圧しようとするからで、そのせいで彼女は西小側の戦力としてはカウントされていないのだった。
むしろ行動範囲の関係から西小側の悪童がよく彼女の犠牲になっているので、東小側の戦力として計算したほうが実情に即しているかもしれない。
しかしいずれにせよ、その単独行動であっても圧倒的な実力は、東西両小学校に広く知られるところだった。
そんな彼女に自分とカンチの二人がかりで真正面から挑んだところで、十中八九勝ち目はないことだけは確かである。
ああやって腕を捻り上げられれば、自分とていつまで黙秘を保っていられるかは疑問だと岸は思う。
「とりあえず国東、カンチ放してやってくれよ。まだそいつ何もやってねーだろ」
「うん。いいよ」
「のわっ!?」
岸が頼むと、拍子抜けするほどあっさりと真琴はカンチを放した。
しかし、よろめいてくるカンチの視線がどこか恨みがましいのは一体どういうことだろうかとほんの一瞬だけ考えたのち、岸は真琴に向き直る。
どこか思い詰めたようにも見える真琴の表情は、交渉の余地といったものをほとんど何も感じさせない。実力行使でどうにか出来る相手でもない。さて。
「ああ、そうか。第三校舎って、岸くん……第三校舎の鍵を管理してる早川先生と、よく話してるものね。なるほど。岸くんなら、第三校舎も自由に出来たわけだ」
「さあて。何の事やら……」
「ふうん、そう。でも今から、直接行けば分かる話だよね――」
第三校舎へ向けて、真琴が堂々と一歩を踏み出す。あくまでとぼけた風を貫きながら、岸は彼女を阻むように、ふらりと廊下の真ん中へ動いた。
どうあっても今、真琴を現場へ行かせるわけにはいかない。
そして真琴もまた、もはやカンチの存在など完全に捨て置いて、真っ直ぐ岸へ向き直る。その迷いのない足取りに、時間稼ぎは通じそうになかった。
「国東。お前さあ……今日、なんでそんなに必死なの?」
「必死?」
「そう、必死。必死すぎ。なんていうか、違うよね。いつものお前と全然。
――いつもの国東は、そこまで必死な奴じゃなかった。なりふり構わず、まだ何の悪さもしてない奴を先制攻撃で締め上げてまで、ネタを吐かせようとなんてしなかった」
言いながら、岸は真琴へ斜に構える。真正面まで向き合いきらずに、横目で尋ねた。
「何なの、お前。何が今のお前を、そこまで必死にさせてるの?」
「必死って……私は、私はいつも私がやるべきこと、私に出来ることをやってるだけ。今日だってそう。岸くんたちだって、分かるでしょう?
今が――今が谷川さんがいつまでも終わらない喧嘩とか、そういう危ないことから卒業できるタイミングであり、チャンスなの。
谷川さんが、あの……谷川さんの、あの大きな胸と向き合うことを決めた今が、自分自身でその道を選べるチャンスなの。だから!」
「うん。そりゃそうだ。通子先生なら、まあそう言うだろうな。――だが俺は、決してそうは思わない」
「どうして?」
「答えは単純だな。奴らが――特に、明と谷川が、俺の友達だからさ」
「友達って――だったら。だったらなおさらのこと! 谷川さんのためにも、いつまでもこんなバカなことばかりしていられないってこと、教えてあげなきゃダメなんでしょう!」
「そう、そこ。そこなんだよなぁ……結局、そこで分かれちまうんだよなぁ。俺と、俺たちと――国東たちとはさ」
「……言いたいことはそれだけ?」
真琴が岸を睨み据える。苦笑しながら、岸はその場で身構えた。
「カンチ、悪い。いろいろ口先だけで時間稼ぎしようと思ったが、無理みたいだ。付き合ってくれや」
「え、えええ……マジでぇ……?」
「岸くん相手に、手荒なことはしたくなかったけど……。やっぱり素直にここを通してはくれないんだね」
「そういうこった。まあ、アレだな。どうやら俺は自分で思うほど、器用には生きられないタチらしい――」
流れるような、見惚れるほどに整った動作で一気に半身へ構える真琴を正面に、相変わらず腑抜けたままのカンチをその向こうに。
岸はすべてを諦めたような苦笑の下、どこまで往生際悪く時間を稼げるかを必死に考え続けていた。
「岸くん。悪いけど、すぐに終わらせてもらうよ――すぐに藤原先生、呼んでこなくちゃいけないから」
「やってみるさ。通子先生の到着が一分、いや、ほんの三十秒遅れるだけでも、お前とやりあう価値はある」
真琴が重心をさらに落とし、後足に力を込める。身長も体重も力も技術も速さも、とにかく向こうが格段に上。カンチは足しになりそうにない。
明、谷川、真理、悪い。時間、稼げそうにねえ――
「その必要はありません」
「えっ?」
その場全体を制するように、女性の声が響きわたった。真琴の表情が緊張を帯び、岸の表情が完全に凍りつく。
「国東さん。高橋君相手にやり過ぎたようですが、そのことは後で。岸君、高橋君――」
藤原通子は断固たる意志に漲る視線で、二人の少年を貫いた。
「第三校舎を見てみましょう。今から一緒に来てください」
○24
格闘戦における真理の強みはまず、その長大でしなやかな四肢のリーチをフルに活かした、あらゆる距離を支配しうる打撃力にある。
そして同時にすらりとした体型に似合わず、そのパワーにも相当なものがある。
加えて天性の反射神経に運動能力、何よりその凶暴なまでの攻撃性と闘争本能だ。
真理はさらにこれら心身の利点を本人独自の、妙なチャンポン格闘技で強化していた。
打撃技の射程は近距離から遠距離までをむらなくカバーし、一撃あたりの威力も重いが、同時に畳みかけるような連打もこなす。
そして何より容赦がない。半端な迎撃を食らった程度では怯みもせず、過剰なまでの攻撃性で相手を完膚なきまでに叩きのめす。それが真理のスタイルだった。
だが、今は。
谷川千晶はそんな彼女からの猛襲を、軽やかに、そして楽しげに捌ききっていた。
人間酸素魚雷のような超・大技を除けば、千晶は基本的に力押しに頼るような戦い方はあまりしない。
彼女の戦術の基本はあくまでコンビネーションであり、必ずしも天性のパワーやスピードだけに頼り切ったものではない。
相棒の明にもほとんど同じことが言えるが、千晶の本領はその高度な技術と、独特の戦術センスにあると言えた。
決闘開始からすでに三分。ボクシングなら一ラウンドが経過している時間だが、二人は時折距離を開いて呼吸を整えながらも、闘志は消えることなく激しい激突を繰り返していた。
ここまでの戦況は、総じて千晶有利のまま推移している。
千晶は最初のカウンターで作った流れに乗っかったまま、終始にわたって真理を圧倒。もしこれがアマチュア格闘技の試合などであれば、ポイントは千晶大幅に有利といったところだろう。
だが、今回の戦いはもちろん試合などではない。どちらかが負けを認めるまで続く決闘なのだ。
千晶からの相当数の打撃をほとんど一方的に喰らい続け、既にかなりのダメージが蓄積しているはずの真理。
しかし彼女の闘志と体力ははなお尽きるところを知らず、遮二無二突撃を繰り返してくる。
不死身を思わせるその戦いざまは、まさに悪鬼そのものだ。鬼マリのあだ名は単に語呂の良さだけで付いたものではないという事実を、目の前の光景は明へ強烈に再認識させている。
だというのに。
格闘の汗に濡れ光る千晶の横顔は、あの日、公園戦争で東小勢やシバケンの兄貴を相手したときのように、心からの喜びに溢れかえっているように見えた。
そして同時に、明はその可能性に気づく。
――千晶、ひょっとして……昨日までよりも動き、良くなってる?
一面畳敷きの特別教室じゅうで打撃戦を繰り広げ、位置取りを何度も改めながら激しく駆け回る二人。
その二人とぶつからないよう常に一定の距離を保って立ち会いながら、明は千晶の技と動きが冴えわたり、今までになかったほどの鋭さに達しつつあることに気づいていた。
――あの巨乳の始末で言えば、堅固な二枚重ねとはいえ普通のブラジャーで包んでいる今よりも、無理矢理押し潰して強引に処置していた三日前までのほうが、千晶の動きへの影響は小さいはずだ。
だから物理面から考えれば、千晶の動きは三日前よりも悪くなっているはずだ。そうでなければおかしい。
だというのに明は今、楽しげに躍動し、紙一重で真理の攻撃をかわしては痛烈な一撃を返していく千晶のその動きが、今までにない新たな領域に達しているのを感じていた。
その理由に気づいて、明はそっと口許を緩めた。
「――千晶。そうか。なんだ、お前――」
小さく口の中だけで言葉を転がそうとして、明は途中でやめた。
今はただ、この相棒の戦いを最後まで見届けていたい。言葉を交わすのはそれからでいい。
「くっ、くそったれぇっ!! 千晶てめぇっ、さっきからいちいちチョコマカチョコマカとうっとおしいっっ!!」
「あははっ、真理、遅い遅ーい!」
右拳を大きく回してきた真理の強打を両腕で弾き、互いの距離が開いたところで、千晶が身体を沈めて反撃に出る。
「行くよーっ!」
真理の懐へ潜り込もうとガードを固めながら千晶が突っ込み、真理が体勢を立て直しながらジャブを連打しつつ後ずさって距離を開く。
その真理からのジャブを数発はかわし、数発は防いでいよいよ距離を詰めきる。わっと両手を開いて捕まえようとしてきた真理のボディへ果敢な一撃を打ち込み、そのまま跳びすさって離脱した。
「……ッ!!」
「へへんっ。真理、効いてる効いてるぅ!」
「う、る、せ、え……っ、つってんだろがぁ! こんのクソ千晶っ!!」
足を使って攪乱しながら、千晶は次の攻撃へ向かって鼻を鳴らす。次も一撃離脱の繰り返しだ。基本戦略は今までと変わらない。
飽きっぽい性格と裏腹に、強烈な闘争心を持つ真理は決して容易く屈する相手ではない。だから回復の隙を与えず、確実なダメージを与え続けながらじっくりと長期戦に持ち込む。
そうすれば今度こそ真理に、本当に強いのは自分だってことを教えてあげられる。言葉じゃなくてこの身体で、この拳で。
そう。今日が決着の日なんだ、真理。
「ン――なんだ?」
ズボンのポケットで慣れない振動を起こす何かに気づいて、明は手を突っ込んだ。同時に思い出す。
この決闘の前、岸から非常時の連絡用として、携帯をひとつ渡されていたことを。
それが使われるということは当然、決闘の存続を揺るがす非常事態の到来を意味している、ということを。
この数分にわたる決闘の間、千晶の集中は限りなく完璧に近い水準にあり続けていた。
だから彼女は明のポケットで携帯電話が振動したときも、目の前の真理から意識を放すことはなかった。
「な、――」
「――?」
しかしその携帯を開き、メールに目を通した明の表情が今までにない強張りを見せた一瞬――わずかにその一瞬、今まで張り続けていた千晶の緊張の糸が、緩んだ。
そしてその瞬間を見逃すほど、真理の喧嘩の勘は鈍ってはいなかったのだ。
「ッハァ!!」
「っ!?」
裂帛の気合いとともに真理が飛び込む。一気に間合いを詰めながら放ってきたのは、顎を蹴り上げて天井まで叩きつけようかという、あの必殺の上段蹴りだった。
「でも、こんな大技っ!」
一瞬の隙を突いて襲いかかってきたその蹴撃に、それでも機敏そのものに千晶は反応した。咄嗟にその場を蹴り退って、迫り来る殺気の足先から上体を逃がす。
Tシャツの胸を突き上げる乳房の死角に入って、真下から来るその攻撃を千晶は直接その目に捉えられない。
しかし千晶は真理自身の視線をしっかり見定めることで、その蹴りの軌道を直感的に予測していた。
――避けた。
紙一重だが、避けられる。
この思い切った大振りの一撃を外せば、真理のバランスはひどく不安定に傾く。今度は真理の方が、ボクに致命的な弱点を曝すんだ。
ここで決めさせてもらうよ――早くも反撃への予備動作を練り上げはじめた千晶の眼前で、しかし蹴りを外されたはずの真理は、勝ち誇るように犬歯を剥き出しに笑っていた。
「おらあっ、直撃ぃっ!!」
「えっ――!?」
真理は戸惑う千晶をよそに、その野性的な美貌へと獣じみた笑みをいっそう深く刻みつけた。
「あっ!?」
そして胸から突き上げてくる鈍い衝撃を感じた瞬間、千晶の思考は停止した。
まさか。
あの軌道での、この位置への攻撃。
まさか、真理の狙いは――
「しゃあ! もらいッ!!」
そして真理は千晶の頭上まで猛然と、その右足を振り抜いていく。
千晶の二つの乳房をブラジャー越しに押さえ込むようにして、その布地へときつく食い込ませていたTシャツ。
ぱつんぱつんに張りつめた巨乳の谷間へ、その足指の先を突き刺しながら。
緒戦で偶然に一度当てたときにも、手応えはあったのだ。あの偶然の一撃と、今までの戦いで観察してきた千晶の動きが、それこそ勝利の鍵だと真理の脳裏へ囁いていた。
千晶のその大きすぎる乳房を剥き出しに放り出させてしまいさえすれば、戦力比は一気に逆転する、と。
すでに一度、真理の強烈な蹴りを被弾していた布地は驚くほどに、今度は本格的に突き刺さってきた真理の爪先に対して無力だった。
直撃する初速の勢いに千晶の乳房の谷間を下から捉えられると、すでに傷ついていた布地は濡れた障子紙のように突き破られてしまう。
短く鋭く悲鳴のように、繊維の裂け千切れる音が鳴り響く。
退っていく千晶の上体を追いかけながら、蹴り上がっていく真理の右足はその甲で裂け目を大きく押し広げていく。
そしてインパクトの瞬間、足先を横倒しに捻って乳房の谷間へと潜り込んだ真理の爪先は、驚くべき正確さでその一点を捕捉していた。
すなわち、千晶の胸に実った二つの巨乳を詰め込みながら抑え込む、二枚重ねのブラジャーの中枢――左右のカップをしっかり留める、フロントホックを。
「いっ――」
「けぇ!!」
青ざめる千晶、快哉を叫ぶ真理。そして真理の股間をほとんど百八十度近くにまで開いて、その足先が二人の頭上へと勝ち誇るように突き抜けた。
その後に残るのは、上半分を首もとまで真っ二つに破り裂かれてひとたまりもなく吹き飛ぶ、千晶のTシャツだったものの残骸。
そして引き裂かれた布地のあった空間から、そのタイトなTシャツをいっぱいに突っ張らせていた、千晶の巨乳に満ちたブラジャーが揺り上げられてから崩れ落ちる。
いや、正確には――かつてブラジャーだった二枚の白い布切れが。
ショートカットの似合う元気あふれるボーイッシュな十一歳には不似合いな、大人びた女性を思わせる繊細な刺繍に彩られた、Lサイズグレープフルーツ大の四つの巨大なカップが。
「あっ、――あああっ!」
そして、破滅の瞬間が訪れた。
フロントホックをまとめて破壊された二枚重ねのブラジャーが、蹴り上げられた乳房の重みもろとも下へ跳ね返ってきたその瞬間、千晶の巨乳の質量が生む巨大な慣性に耐えかねたとばかりに、その中心から弾け飛ぶ。
爆発。
まさしくそれは、そう表現するに相応しい光景だった。
カップの内側から濡れそぼった汗の飛沫を撒き散らしながら、その大きさゆえ深々と千晶の乳房と噛み合っていたはずのGカップブラジャーは、その瞬間――千晶と真理と明の目の前で、ひとたまりもなく爆裂したのだ。
「いやあああああぁぁぁぁーーーっ!!」
敏捷に機動する千晶の格闘の激しい動きで縦横無尽に振り回されてきた双の乳房が、ついに自らの凶悪な質量に帯びた巨大な慣性力のすべてを叩きつけ、要を撃たれたその束縛を食いちぎる。
汗で柔肌に吸いついていたはずの白いカップすら左右に爆散させ、邪魔だと言わんばかりの傲慢さで一気に明後日の方へ弾き飛ばしてしまう少女の巨乳。
そして戦いの中で守り抜かれていた二つの乳房が、荒れ狂う決闘場の空気へと、無防備なまま曝された。
重力と慣性と暴力が荒れ狂う、真空の宇宙にも等しいこの戦場へ、柔らかな無垢なる十一歳の白い巨乳がふたつ、何の守りもないまま放り出されてしまう。
愛らしく薄紅に色づいた双の乳房の頂が目にも鮮やかな軌跡を残して、嵐に舞う桜の花びらのように、上下左右へ揺れ弾む。
戦う美少女の強くしなやかな肉体に、そこだけにたっぷりと蓄えられて二つ独自の球をなす、白く柔らかな乳肉が、もはや全ての守りを失って崩れ落ち、自らのたわわな質量で下から跳ね返って震えてのけた。
その上下運動の下死点から跳ね上がってくる乳房の峰の全面から、巨乳の弾ける勢いでその頂へと導かれては合流してきた汗の滴が宙に二筋、軌跡を残してぴゅっと母乳のようにほとばしる。
左右へ吹き飛ばされた空っぽのブラジャーは、それでも二枚でぴっちり重なったままだった。
柔肌に直接当てられていたそれらのカップの裏地は、一瞬前までみっちり包み込んでいた巨乳が残した汗を蒸散させながら、その頂にくっきりと乳首の痕を、千晶の輪郭を残していた。
重くやわらかで敏感な千晶の乳房を守り抜くべき最後の砦はこの瞬間、この戦闘における拘束具、装甲としての役割もろとも完全に破壊されて事実上、あえなく消滅したのだった。
「やあああぁぁぁーーーっっっ!!」
「しゃああああぁーーーっっっ!!」
二つの巨乳を守っていた鎧を一撃の下にすべて破壊され、千晶が悲痛な絶叫とともに思わず両手で、露わに零れ落ちた巨乳をかばう。
文字通り、千晶の乳房は陥落したのだ。
真理はすべてに勝ち誇ったような雄叫びを上げて、あまりにも鮮やかなその一撃の余韻に酔った。
「ハッ! どうやらこれで勝負あったな千晶ィ! いくらお前でもその馬鹿でかいオッパイ丸出しじゃ、喧嘩なんか続けてらんないだろーよ!
そんな鍛えようのないやわらけーのに直撃もらったり、そんな重くてデカくて邪魔なの二つもぶら下げたまんまじゃ、まともに戦えるわけないわな!
千晶ぃ。今からそこで負けを認めて土下座しな! そうすりゃ私も――」
「どえりゃあああぁぁぁっ!!」
「なにぃっ!?」
苦戦の中であまりにも鮮やかに、そして劇的に決まりすぎた一撃の強烈すぎる余韻に酔うあまりか、真理は千晶のその反撃に対処できなかった。
薄く涙を浮かべた千晶はその無防備なままの巨乳が揺れ踊るに任せて、真理の腰を目掛けて突進、体ごとぶち当たって組み付きながら押し倒した。
「なっ! てめ! てめぇっ! このヤロ!!」
「よくもっ。よくもやってくれたな真理! 真理はいつもいつもそうやって人のものを――!」
「はァ? 決闘なんだから何でもアリだろ! 別に私ぁルールは破ってねぇ!!」
「うるさいっ!!」
今まで互いに間合いを保っての打撃戦、遠距離戦を主体に推移してきたこの決闘が、ここへ来て初めて超接近戦へと移行した。
乳房の揺れを気にしながら、または片手で抑えつけながらの戦闘では真理相手に勝ち目はないと踏んだ千晶が、それならばと開き直って取っ組み合いに踏み切ったのだ。
確かにダイナミックな上体の動きを必要とする打撃技より、取っ組み合いのほうが乳房に動きを制約されることは少ない。
だが同時に、それは膂力に勝る真理の土俵へ足を踏み入れる捨て身の戦術であり、また、柔らかな乳房を真理の目の前へ曝すというリスクを負うことにもなる。
それでも千晶は、積極的な攻撃を選択したのだ。
「こんのおおおっ!!」
「ぶはっ!?」
肩から食らわせた体当たりで真理の怯んだ隙を狙い、千晶は自分を跳ね退けようとしてくる真理の両脚をあしらいながら、両手で真理のTシャツの裾を掴んだ。
「あっ! バカこの、千晶やめろっ――」
「お返しだっ!!」
全体重を一カ所に乗っけて真理の左足を封じ込みながら、そこを足場に千晶は前へ、真理の頭上めがけて跳ねた。真理のTシャツを掴んだまま。
「うぐおぉっ!?」
そのまま真理の顔面を飛び越した千晶は膝立ちで走り抜け、ついに裏返った真理のTシャツをその両腕から抜き取ってしまう。
引き締まった裸身の胸に、グレーのスポーツブラジャーが食べ頃の水蜜桃を二つ包んだまま、プルンと強く震えてのけた。
Tシャツを引っこ抜かれて視界の開けた真理が立ち上がろうとする前に、千晶は再び組み付いていく。
「何する気だ千晶このバカ野郎!」
「決まってる! バカ真理のオッパイも裸にしてやるっ。それでおあいこだ!」
「はっ、やれるもんならやってみなぁ! それに私のオッパイは千晶のほどバカデカくないもんねーっ。どっちにしろ負けるのは千晶ってことよ!」
「何をおぉっ!!」
今度は真正面から組み付きながら、千晶は真理の背中にスポーツブラジャーのホックを探す。真理も千晶を引き剥がそうと組み合うが、全身に受けた激しい打撲のダメージが尾を引き、千晶を圧倒するだけの本来の力が発揮できない。
そんな二人の少女の間で、四つの乳房は真理のスポブラ越しに擦れ合い、そして若くみずみずしい乳肉同士、吸いつきあい融合しあうかのように互いの胸板の間でみっちりと押し潰された。
「ちょ……ちょっと、お前ら……」
「へぇ、やっぱりずいぶんデカいオッパイじゃん千晶! でもねぇ、デカけりゃ偉いってもんじゃないのよ! そいつをたっぷり教えてあげる!」
「うるさい! 真理なんか、ボクのオッパイ裸にしなきゃボクとまともに戦えないくせにっ! こいつも裸にしたら、真理なんかボクの相手じゃないんだ!」
「ストオオォォォーーーップ!!」
「うあ!?」
「ひゃあっ!?」
いきなり横から体当たりをぶちかまされて、絡み合いながら千晶と真理は畳に倒れた。
「なっ……何するの明っ!?」
「そうだ明このバカ野郎! まだ私は反則なんか何もしてねぇ――」
「二人とも、熱くなってるところを悪いが……どうやら、時間切れだ」
「「へっ?」」
上半身半裸のまま目を丸くする二人の巨乳美少女を前に、明は堅く勃起した男根の存在を悟られぬように身構えつつ、それでも彼女らに急を告げた。
「岸から連絡――通子先生に感づかれた。いま通子先生と委員長の国東がこっちに向かってる」
「「…………」」
二人の決闘少女は、大粒の瞳を瞬かせてそれを聞いた。聞き届けてから数秒の間があり、それから互いに向き合い、何事もなかったかのように猛然と組みつき合った。
「アホかお前らーーーっっ!! 決闘は中止だ中止っ! こんだけハデにやり合ったんだから、もうお互いじゅうぶん満足したろうがっ!!」
「「してないっ!!」」
再び声を重ね合わせ、千晶と真理は互いを屈服させんと合わせた両手に全身の力を漲らせていく。明は憤死寸前だった。
「とにかく! ヤバいの、本格的にヤバいのっ! 決闘してるってことだけでも、第三校舎勝手に侵入してるってだけでもヤバいのにー!!」
聞く耳を持たない二人に言いながら、明はその決闘の残骸をさっと見やる。
胸の少し下から首もとまで、ざっくり切り裂かれた千晶のTシャツ。
フロントホックから破壊され、左右の果実を剥き出しにして今はただ垂れ下がるだけのたブラジャー。
強引に奪い取られ、ブン投げられた真理のTシャツ。
半裸で乳房を無防備に曝す、汗だくでアザだらけの二人の少女。
そして、そこに居合わせた唯一の男子。
無理。
この状況、どう考えても、無理。
「おわっ!?」
なお決闘を継続しようとしている少女たちをよそに、またしても携帯がメールの着信を告げた。
『差出人:岸
件名 :隠れろ
本文 :ヤバい。第三校舎入った。国東が出口で見張り。通子先生が中探す。逃げられない。すぐ来る。隠れろ』
「やばいっ――」
国東が出口で見張り――って、委員長が出入り口で張ってるってことか? それで通子先生が中に入って虱潰しにって……逃げられない!?
隠れろって……隠れろったって、どこへ?
慌てふためきながら、それでも明は痕跡抹消に奔走した。
幸い外履きは念のため脱靴場へ置かずにここまで持参したため、三人分の靴はすぐに拾い上げることができた。放り投げられた真理のTシャツも回収する。
「ああ、もう……くそっ。こうなったら――」
教室じゅうを眺め回し、それらを足下にまとめて置くと、明は組み合い続けている二人へ向かって顔を上げた。
そして、深呼吸する。
「ヘーイ。お二人さん、ちゅうもーく」
「「?」」
横目でそれを視認するや、二人は慌てふためきながら同時に離れて飛び退いた。
「のっ、のわあああぁっ!?」
「わあああぁっ!?」
千晶と真理が組み合っていた空間を、両足を揃えて横倒しになった明が跳び過ぎる。
二人の間が開いた瞬間を巧妙に狙いすまして畳を蹴った、明版人間酸素魚雷だった。
頑固な少女たちの間をこじ開け、低伸弾道で飛び抜けた明は、しかし無理な空中での姿勢変換がたたって着地に失敗、畳の上で派手にもんどり打ちながら転げ、倒れた。起きあがってこない。
「……あ」
「明っ!?」
揺れ弾む乳房も放り出したまま、真っ先に千晶が明へ駆け寄った。
「くっ……こ……ははっ。な、慣れねぇことはするもんじゃねえな……人間酸素魚雷、やっぱコイツはお前の専売らしい……」
「あ、明ァ……てめぇ、何ヒトの決闘に水差してくれてんだっ!? あんなもん横から食らわされたらたまったもんじゃ――」
「黙れっ!!」
真理を一喝し、明をその膝上に助け起こしながら、千晶は心配そうに相棒の顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫、明? 今の、頭とか打ってない?」
「い、いや……俺は、俺はいいんだ千晶。それより、ここにもすぐに先生が――」
言おうとして、明は半ばで言葉を失う。
千晶が明の頭を膝上に乗せて覗き込んでいるおかげで、いま明の眼前には、千晶の形の良い巨乳が裸のまま、二つ揃って差し出されていた。
ちょうどこのままでも吸いつける格好だ。下から見上げるこの角度だと、陰影の濃さが余計にその大きさを強調している。
汗の水滴を無数にまとった白く芳醇な乳房と、その頂で光り輝く桜色の乳首はまさに現実離れした天界の果実そのものだ。
このままむしゃぶりついてその張りつめた乳蜜を吸い尽くしたくなる衝動を、明は必死に抑えた。
というのも人間酸素魚雷で二人の間を決して当てるまいと縫うように跳び、着地にしくじった明が畳へ打ち付けたのは、勃起しきった男根と、それに押し潰された睾丸だったのだから。
「と、とにかく。あそこへ。いま畳に頭を付けたら、階段を登ってくる音が聞こえた……もう時間がない。とにかくあの、掃除ロッカーへ――」
「掃除ロッカー……そうか。あれならっ!」
「うぷっ」
そこからの千晶は素早かった。助け起こした明の口元で乳房の尖端付近が潰れ、乳首が撫で回すのも構わず、そのまま助け起こした明に肩を貸す。
「おい千晶っ! お前まさか、このまま逃げる気じゃあ――」
「後でっ!!」
もう先生の気配が近い。低く鋭く、強烈な眼気を込めて言い放った千晶の言葉は、真理をも従わせる威力があった。
「ちっ、――分かったよ」
「真理はその靴とTシャツ持ってきて。証拠消さなきゃ。早くっ!」
言いながら、千晶はまだダメージから回復できない明を引きずっていく。
軽快に荷物を拾い上げた真理が先行し、掃除ロッカーを開けて三人の靴や真理のTシャツを放り込むと、自らも内部へ身を躍らせた。
「早く来いっ!」
ここまで来れば真理もこの手の悪戯には慣れたもので、声を殺して二人を呼んだ。千晶が明を真理へ預けるようにロッカーへ入れ、それから自らも入り込んで戸を閉める。
頭上のスリットからわずかな光線が射し込むだけの埃っぽい空間を、しばしの静寂が支配した。
○25
「国東さん、あなたはここで待っていてください。岸君と高橋君も、国東さんと一緒にいるように。窓なんかからでも出てこようとする人がいたら、すぐ先生に知らせてくださいね」
「はい」
岸武志に有無を言わさずに第三校舎の鍵を出させると、国東真琴らにそう言いつけて、そのまま藤原通子は内部へ足を踏み入れた。
第三校舎に人の気配はない。静かだった。
校舎に入る前には少し物音を聞いたような気もしたが、横穴公園へ野次馬に向かわずまだ校内で残っている児童のそれとは判別がつかなかった。
だが、何しろ相手は市内に悪名高き八坂明と谷川千晶、それに大西真理なのだ。
大人たちの目をすり抜けて悪さをする彼らの技術は相当に洗練されており、通子も過去、何度となく苦渋を呑まされてきた。油断はできない。
廊下に意識を向けながらも一階の教室をしらみ潰しに回り、ロッカーや戸棚など隠れられそうな場所はすべて開いて、音を聞き漏らさぬようにドアはことごとく開け放していく。
一切の無駄も迷いもない洗練されたその動きは、さながら特殊部隊の市街地掃討作戦を連想させた。通子は焦らず確実に、すべての隠れ場所を暴きながら前進していく。
無言のまま殺伐と進行していく担任教師によるその捜索を、後方の玄関という要地を押さえて監視を受け持つ真琴は腕組みし、押し黙ったまま見守っていた。
顔面をひきつらせながら青ざめているカンチが立ち尽くす傍らで、岸はとうとう腹を括ったのか、素知らぬ風でさも退屈そうに背中を壁へ預けている。
「……落ち着いてるんだね?」
「別に。今さら俺らに出来ることなんて何もないしな」
実時間よりはるかに重たく思われた数十秒間の後、二人はさらりと言葉を交わした。
てっきり岸が慌てふためいて、中の三人への通報と退路の確保にでも回るかと警戒していた真琴は、若干の拍子抜けとともに改めて委員長仲間の少年を見やる。
その余裕とも諦念とも取れる態度の真意を探りに、真琴はさらに言葉を重ねた。
「岸くん。目の付け所といい、身の軽さといい、その大胆さといい、今日も相変わらず冴えてたみたいだけど――今日はちょっと運が悪かったね。
ギリギリのところで私に見つかっちゃうなんて。それとも、最後の最後で油断したのかな?」
「運が悪かったも何も、国東。あいにくだが、まだ別に何も終わっちゃいないぜ」
「ううん、もう終わったも同然だよ。あとは言葉通りに、ただ時間の問題っていうだけ。決着の前に藤原先生が現場を押さえれば、岸くんたちの悪巧みも、それでみんなおしまい」
勝ち誇るでもなく、しかし投げつけるように強い語調で言い放ちながら、真琴はその胸の曲線を両腕で押し上げるようにかき抱く。
人事を尽くし天命を待つとでも言いたいのか、何をするでもなくただまったくの無気力にも見える岸が、何気なさそうに呟いた。
「……終わったも同然……か。いや……確かに……そうかもしれないな」
「――?」
意図も感情も読めないその言葉に、真琴は眉根を上げて顎を引く。
「どういうこと?」
「どういうこと、って言われてもな。そのまんまの意味さ」
ただ淡々と、岸はひとり虚空へ言葉を投げる。
「そう。きっとこいつは最後の勝負だった。谷川を俺たちの――離れていくあいつを明のそばへつなぎ止める、俺たちにとって最後の勝負だった。
決闘そのものがどう転ぼうが、そいつは大したことじゃない。肝心なのはその後だ。
谷川がここからどう感じ、どう考えてどう動くかなんて、今さら俺たち外野がどうこう出来ることじゃない。
ここから先の自分自身を決めるのは、あいつ以外の誰でもないんだからな」
「…………」
真琴は押し黙って、藤原通子の消えた第三校舎の奥を見つめた。
私は正しい選択をしている。
たとえ谷川さんにどれだけの人気があって、谷川さんがどれほどの実力を持っていても。
東小の子たちと所構わず殴り合ったり、先生たちや周りの大人の人たちを困らせる悪戯をしたりする、今みたいな危険な遊びはいつまでも続けてなんていられない。
私たちは、大人になるんだから。
私たちは、大人になっているんだから。
谷川さんの大きな胸は、谷川さんにとってのその象徴だ。
私たちは、いつまでも同じ場所で立ち止まっていられない。永遠なんてない。
どんなに楽しい夢だって遅かれ早かれ、いつかは必ず醒める。
だったらベッドから床に転げ落ちたり、誰かに布団を剥ぎ取られて叩き起こされたりするよりも、時刻と方法を自分で選んで、自分で区切って起きられたほうが、きっといい。
谷川さんにとっては、その大きな胸とのつきあい方が分からずに心をひどく揺らしている今こそが、いま心を決める唯一無二のチャンスなんだ。
だから今、私たちは谷川さんを叩く。
そう。例えその結果、谷川さんがいつも一緒だった半身のような存在、八坂くんと離れていくことになったとしても。
――八坂くん。
いつもクラスの隅や公園で仲間を集めて、新しい悪巧みに目を輝かせている八坂くん。
西小じゅうの悪童たちを率いて、意気を上げながら自転車にまたがって東小との抗争に行く八坂くん。
数の劣勢をまるで省みず、どんな強敵にでも果敢に挑みかかっていく八坂くん。
昨日の朝の体育倉庫、救いようのないみじめな失態を犯した私を、それでも助けに来てくれた八坂くん。
その傍にはいつも、谷川さんがいた。
背中を合わせて、瞳を合わせて、双子のように息を合わせて、それなのに、互いの隙を突っつき合って、競い合って――いつも本当に、本当に楽しそうに。
それももう、終わりだ。
最初はきっと辛いだろう。大きな空白に心はひどく戸惑うだろう。
でも大丈夫だ。私がそれを埋められる。谷川さんの空白も、八坂くんの空白も――二人が互いに寄りかかっていた部分の空きを、これから私が埋めてあげればいいんだ。
きっと私にはそれが出来る。学級委員長として、先に大人になろうとしている同級生として、そして何より、友達として。
私は正しいことをしている。
みんなのために、二人のために。
だけど。私は――