「なあ沙耶、お医者さんごっこしようぜ。」
桐也らしからぬ、あまりの直球勝負だった。
沙耶はがく、と崩れ落ち、それから立ち上がって桐也から離れると、愛らしい顔を精一杯険悪に歪めて答えた。
「い・や・だ。 絶対にイヤ!!」
土曜日の午後、沙耶の両親は家を開ける。水入らずのデートに出かけるのだ。
それに合わせ沙耶と桐也も土曜日は沙耶の部屋で少し淫靡な午後を過ごすのが最近の二人の週末だった。
「馬鹿なこと言ってないで、明日の予定考えようよ。…先週の水族館、楽しかったな…」
「…お前、おっぱい触られたり、変なモノ入れられるとか、いやらしい事ばっかり、想像してないか?」
「あ、あ、あんたね…」
どう反論するか、言葉に詰まる沙耶に、桐也は沙耶のベッドでクルリと器用に前転して言った。
「俺が患者さん。」
桐也はそのままベッドに寝そべる。
「医者っても、『心療内科』ごっこかな。沙耶が先生で、俺の心の声を聴くんだよ。」
沙耶は片眉を上げ、猜疑心丸出しの表情で、ベッドに接近した。
「…信用しないけど、とりあえず勝手に喋ってみたら?」
「オッケー。」
桐也は患者らしく目を閉じ、胸の上で手を組むと静かに話し始めた。
「俺の初体験は、四年生の時だった…」
沙耶の疑惑の眼差しはその一言で、たちまち驚きと怒りのそれに変わり、彼女は涙目で桐也を襲う。
「てっ、転校してくる前ね!? 誰と!? …桐也のスケベ!! 裏切り者!! バカ…」
ぐいぐいと首を絞められながらも、桐也は表情を変えず、重い口調で絞り出すように呟いた。
「…姉ちゃん…だった…人だよ。」
ピタリと動きを止めた沙耶は、ゆっくり桐也から手を離し、彼の端正で静謐な顔を見つめた。
「…お姉、さん?」
しばらく桐也を見つめた沙耶は、やがて椅子を運び、さながら精神科医のようにベッドの傍らに座ると、静かに促した。
「…話してよ。全部。」
桐也は目を閉じたまま、、淡々と語り始めた。
「…姉ちゃんっても、ほんとの姉弟じゃない。
おふくろの再婚相手の子供で、俺より一つ年上だった。
有季、って名前で、無口だけどニコニコしてて、色白で…そんな…姉ちゃんだった。」
「…おふくろが再婚したのは、俺が四年生になったばかりの春で、相手の男は、酒呑みのろくでなしだった。
ま、おふくろも、売れっ子キャバクラ嬢って奴で、似たり寄ったりだったけどな。そんで、俺達のマンションに転がり込んだのが、その『武雄さん』と、娘の姉ちゃんだった。」
沙耶は桐也の家族についてほとんど知らなかった。 何度か訪ねた彼のマンションでも家族にあった事はない。
沙耶は静かに話の続きを待った。
「…すぐに『武雄さん』とおふくろは、やれ金だ、女だ、ってくだらない喧嘩ばっかりするようになって、学校から帰っても、二人の顔を見ることはあんまりなかった。
姉ちゃんだけが、いつも申し訳無さそうに、いつも遠慮がちにリビングに座ってた。学校? 行ってなかったよ。」
「しばらくは俺も、自分の家なのに、居心地悪くって、姉ちゃんに邪険にしてた。でも、俺がゲームやってるのとかじっと見てたり、なんか、可哀想になって、声掛けるようになった。
ま、俺も、ぶっちゃけ淋しかったんだ。」
外は、小雨が降り始めていた。沙耶はカーテンを閉めると、再び椅子に戻った。
「ある日、学校から帰ると、なんかいい匂いがしてて、テーブルにご飯が並んでた。
おふくろが出勤前に並べる、いつものデリの料理じゃなくて。姉ちゃんが作ったっていうんで驚いた。
俺、焼き魚や味噌汁なんて、『お婆さん』しか作れない、って思ってたんだ。
旨かったよ。俺が喜んで食ったら、姉ちゃんもニコニコ嬉しそうだった。
おふくろは店に出る夕方ギリギリまで寝てるし、『武雄さん』は金をせびりに来る以外、ほとんど寄り付かない。
俺と姉ちゃんは、その…生まれて初めて、家族、って感じになった。」
「…それで、その、お姉さんと…?」
沙耶が口ごもりながら、おずおずと尋ねると、桐也は苦笑いして続けた。
「まあ待てよ。確かに一緒の布団で寝るようにはなった。でも布団のなかで、俺は毎晩、姉ちゃんのしてくれる、おはなしに夢中だった。
姉ちゃん、本が好きで、童話とか冒険の話、動物の話なんかを俺が眠るまで、優しい、低い声で話してくれた。
俺は、風呂上がりでいい香りのする、姉ちゃんの大きなおっぱいに顔をくっつけて、おはなしを聞きながら毎晩眠った。」
沙耶は、いつもの快活さを無くして桐也の話に耳を傾け、複雑な表情で床を見つめている。
「…ある日、俺少し熱があって、学校早退して家に帰ると、『武雄さん』の靴が玄関にあった。
口もききたくなかったし、俺はそっと自分の部屋にすっ込もうとして、大変なもの見ちまった。
姉ちゃんの…泣き声みたいな変な声が、奥の部屋から聞こえて、てっきり親父に怒られてるのかと思って覗きに行ったんだ。 そしたら…な…」
桐也が目を開いて、沙耶を見上げると、沙耶は先を促すように、目をそっと閉じた。
「…姉ちゃんが、自分の父親に…犯されてた。
あの…男が、ばかでっかいモノ、姉ちゃんに咥えさせたり、柔らかいおっぱい、ちぎれるほど握ったり、姉ちゃんを…無茶苦茶にしてた。
…姉ちゃんは、時々我慢出来なくて、呻き声上げてたけど、必死に我慢して、奴のするがまま耐えていた。
俺は、腰抜かしたみたいになって、動けなかった。でも、ひどい格好で責められ続ける姉ちゃんを見てると、腹が立ってきた。」
沙耶の瞳から、涙が流れた。同性の、しかも同世代の、惨い陵辱の情景に涙が止まらなかった。
「…もう、やめとくか?女の子の聞く話じゃねーな。」
ごろりと桐也は赤い目の沙耶に背を向けた。
「…ううん…お姉さん、かわいそうで… それから?」
「…ん…まあ、腹がたった。クソ親父にも、何故か姉ちゃんにもな。
あの男が姉ちゃんを上に乗せて、『しっかり動け!!』ってポカリと頭を叩いたとき、俺は奴を殺してやろうと思って、武器を探した。
…すると、部屋の隅に、姉ちゃんの服が、きちんと畳んで置いてあるのに気付いた。姉ちゃん、几帳面だったからな。
下着と靴下まで畳んで、そっと、置いてあった。
それを見ると、俺、泣けてきて、動けなくなった…」
背中を向けた桐也の顔は、涙に濡れた沙耶の瞳には見えなかった。
「…その夜、そしらぬ顔で、姉ちゃんの作った飯食って、いつも通り、姉ちゃんと布団に入った。何も言わなくても、お互いに解ってた。
『…見たんだね…』
真っ暗な中で姉ちゃんが呟いた。
『汚いよね… あたし。』
やがて、姉ちゃんの肩が小さく震え出した。
「…もう…やだ…。もう…やだよぅ…」
「突然、姉ちゃんに世界で一番近い人間は、俺だって気付いた。…その時、俺は姉ちゃんを守ろうと決めた。」
沙耶は椅子から立ち上がり、壁を向いたままの桐也の背中に触れ、そっと寄り添った。
「…次の日から、俺は学校に行かなかった。アイツが姉ちゃんに指一本触れられないように、ずっと姉ちゃんと一緒にいた。
おふくろは睡眠薬で、昼間は殺しても起きないし、『武雄さん』が現れても、姉ちゃんは俺のそばを離れなかった。ずっと二人きりだった。
アイツはどんどん不機嫌になっていったけど、おふくろの手前、俺には手を出せない。
…でも俺たちは少し、調子に乗り過ぎた。
『有季!! 学校の手続きに行くぞ!! 支度しろ!!』
ある日、そう言って、あの男は姉ちゃんを連れ出そうとした。 どうせ、どっかで姉ちゃんを玩具にする気に決まっている。
引きずられて行く姉ちゃんと二人で、大暴れして抵抗した。それで、おふくろとも破局寸前だったアイツはブチ切れたんだろう。
ボッコボコだった。
殴られてる途中で、意識まで飛んじまってた。」
「…気がついたら、姉ちゃんが泣きながら、氷であちこち冷やしてくれてた。「ごめんね、ごめんね。」って。
でも俺は安心した。姉ちゃん、連れて行かれてなかったから。
安心したら、急に…その、勃っちまった。 姉ちゃんがズボンまで脱がして、冷たい手であちこち触るせいだった。
でも姉ちゃんは驚かないで優しく撫でながら、ケガひどいから、動いちゃ駄目だよ、って言って、あっという間に、その…処理してくれた。
それから…姉ちゃんは俺のものになった。
最初は…まあ、ちょっと触られたら、出ちまったけど、だんだん、辛抱できるようになって、ま、その、最後まで、出来るようになった。
『…気持ち…悪くない?私なんか…』
姉ちゃんは、よくそう尋ねた。
そのたびに俺は、そんな馬鹿なこと言えないように、滅茶苦茶におっぱい揉んで、突いて突いて、突きまくった。
…くたくたになって眠り、目を覚まして、枕代わりのおっぱいを見ると、また欲情して… 姉ちゃんは、何度でも、俺を受け入れてくれた。
しばらく毎日、そうやって過ごした。お互い、離れられなかった…」
沙耶は、溢れる感情の渦にめまいすら感じながら、この告白を聞いていた。同情、嫉妬、悲しみ、そして…
とにかく、話が終わるまで、何も考えられない。
最後まで聞こうと、沙耶は黙りこんだ桐也に問いかけた。
「…それから、どうなったの?…」
桐也の声が、沙耶の知るのんびりしたいつもの調子に戻って答える。
「えーと。どうだっけ…ちょっと待って。」
のっそりと座り込んで、ごそごそとポケットを探り、彼は一冊の文庫本を取り出した。
『新・幼乳陵辱』
「えーと、えーと…」
パラパラと頁をめくる桐也に、沙耶の怒りはじわじわと臨界点に近づく。
「…桐也…くん? まさか全部、そこからの引用…」
殺気すら放ちながらゆらゆらと立ち上がる沙耶の横を、ベッドから跳ね起きた桐也は風のように、ドアに向かって逃走した。
「じゅ、塾へ行ってくるっ!!」
「桐也のバカぁ!!」
煮え立つ怒りに沙耶は、彼が逃走したドアに向けて投げつけようと、桐也の使っていた枕をぐい、と掴んだ。
しかし、その枕がしっとりと濡れているのに気付いて、沙耶は再びめまいに襲われながら、もう一度、小さく呟いた。
「…桐也の、バカ…」
END