『附属小』の加賀桐也は謎の多い六年生。狡猾で高い知能の持ち主。
表面上成績優秀な二枚目の彼は、屈託のない朗らかな同級生の美少女、栗本沙耶と交際している。
素直な沙耶を手玉に取って愉しむ桐也のもう一つの顔、それは、狡猾な手腕を駆使して女生徒を脅迫し弄ぶグループ、『課外活動』のリーダーだった。
しかし沙耶との交際を通じ、悪事との決別を決めた彼を引き戻すべく、悪友藤田達は沙耶を襲う。
沙耶にその正体を知られながらも、桐也は辛うじて沙耶を守り、そして彼を赦した沙耶と共に贖罪の道を選んだ桐也は…
今回は『ラリナ』野村理奈ちゃんをお借りしました。
またのタイトル『迷いつつ変化球』です…
藤田のうろたえた電話に呼び出され、学校へ再び戻る羽目になった加賀桐也は、家に待たせたままの沙耶を気に懸けながら附属小の広い敷地を縫って『旧部室棟』へ向かう。
藤田と、おそらく相棒の矢口の待つ旧部室、今は使われていない倉庫代わりの一棟は、かつて桐也達『課外活動』のアジトのひとつだった場所だ。
藤田達は桐也と決別したあとも、よからぬ悪戯を繰り返していたが、
こうやって沙耶の目を盗んで馬鹿な彼らの尻拭いをするのも、果たして沙耶の言う『罪滅ぼし』なのだろうかと、桐也は大きなため息をつく。
「桐也!! こっちだ!!」
藤田は旧部室棟の前で、首を長くして待っていた。鼻血を出したのか、丸めたティッシュを鼻に詰めて、あたふた近づいて来る。
「すまねえ。ちっとヤバくてさ…」
彼は桐也の手を引かんばかりに、辺りを見回しながら隠れ家に案内した。
カラーコーンやロープの類が雑談と積まれた部屋の奥に、顔に痣を作った矢口が座り込んでいる。
その横にもう一人、ロープでぐるぐる巻きにされ、口をテープで塞がれた制服の少女、6年A組の鷲沢奈津が、憎悪に燃える瞳で桐也達を見上げながら、あられもない姿で横たわっていた。
スパイキーに逆立ったショートカットに日焼けした浅黒い肌。
そして屈強な男子二人にここまで手傷を負わせた強靭でしなやかな四肢。巻きついたロープの隙間からは、乱れた制服と、意外に白く豊かな乳房が片方だけ覗いている。
小等科ソフトボール部キャプテン鷲沢奈津は、藤田や矢口ごときに手におえる相手ではなかったようだ。
「…あんまり生意気なんで、ちょっと懲らしめてやろうとしたらさ、大暴れしやがって、ひん剥いて写真撮っても、訴えるだの、退学だの……どうしよう、桐也?」
ガクリと脱力しながら、桐也は相変わらず愚かな二人の悪友を睨みつけた。
この連中は、沙耶に乱暴し、桐也を仲間に引き戻そうとした一件から、全く何も学んでいない。
「…おまえらいい加減にしろよ。脅迫した時点で相討ち、もしくは負けっていつも言ってるだろ!!」
ほとほと愛想も尽きたが、放っておくとこの馬鹿共は、鷲沢奈津をこのまま山に埋め兼ねない。
しかし、気の毒だが相手が奈津で良かった、と桐也は少し胸を撫で下ろした。
幸運にも奈津に対する切り札を偶然握っていた彼は、それを微塵も匂わせることなく藤田と矢口に言い捨てる。
「…今回だけ助けてやる。外で見張ってろ。」
藤田達が安堵の表情を浮かべ、いそいそと旧部室から出て行く。桐也は奈津に背を向けて座り、呑気な調子で話し始めた。
「…汚ない部屋だよな、ここ。新しい今の部室は冷暖房完備シャワー付きだろ? ソフトボール部も、野球部もさ…」
「…ん、んん…」
塞がれた口で奈津が唸る。 それがどうした、という意思表示なのは明らかだ。
「…だいぶ前の日曜日、うちの野球部と、ええと、光陵リトルだっけ、女の子がピッチャーのチーム。あそこが練習試合したときさ、あの女の子、どこで着替えとかしたんだろ?」
唐突な話題に、奈津がぴたりと動きを止めた。依然として桐也の背中を睨みつける瞳に、微かな動揺が浮かぶ。
「答え。女子ソフトボール部の部室。男子と一緒、って訳にはいかない…」
桐也の奇妙な自問自答に奈津はこの状況も、足首まで下げられたショーツも意に介さず、身じろぎもせず耳を傾けている。
「…そして試合中、彼女が使ったロッカーで、何が起こったか…」
芝居じみた動作で桐也が振り向くと、なぜかすっかり顔色をなくした奈津は、目を伏せて床を見つめていた。
「…これじゃ話せないな。制服も台無しだし。座って、ちゃんと話さないか?」
奈津はゆっくりと頷く。彼女の瞳から、暴れない、という無言の約束を汲み取ってから桐也は彼女のロープを解いた。
「早く服を直せ。」
桐也は再び背中を奈津に向けて待つ。着衣を整えた奈津は最後にためらいつつ、ゆっくりと口からテープを外した。
「…光陵リトル? 何の話してんだよ…」
奈津の乱暴で少しハスキーな声が室内に響く。
しかし柔弱な男子が多い附属小において、体育部員を中心に幅広い人望を集めているA組のリーダー格『ナッちん』の迫力は、なぜか全く影を潜めていた。
「『ブラジャー泥棒』の話だよ。鷲沢キャプテン。」
奈津の瞳を見据えて桐也が言う。奈津は絶句し、たまらずに桐也から目を逸らせた。
あの試合の日曜日、女子ソフトボール部室に仕掛けられた桐也自慢のCCDカメラは、四回裏にこっそり部室に侵入した鷲沢奈津が、光陵リトルの紅一点、野村理奈という五年生のブラジャーを持ち出す一部始終をしっかりと記録していた。
もちろん頭の上がらない沙耶の命令により、全ての隠しカメラを撤去した現在、それは桐也が闇に葬るつもりの事実だったのだが。
(…楽しみでやってるんじゃない。藤田に貸しを作って、キッパリ手を切る為だ…)
自分に言い訳をしながら、桐也は手首の紐飾りをチラリと見る。生まれ変わるための沙耶との約束のしるし。奈津には不運だったが、今回だけは…
懸命に平静を装う奈津の膝は細かく震えていた。誰も知る筈のない彼女の過ち。あの試合のあった日、朝練を終えた奈津は、隣りのグラウンドで行われていた野球部の練習試合を覗きに行った。
『…あ、ナッちん!! 凄いよ、あの子…』
先に観戦していたソフトボール部員の言葉に、ピッチャーマウンドを見た奈津は暫く呼吸を忘れた。
話に聞いていた光陵の女投手だ。凄い肩だった。そしてユニフォームの下で偉容を誇る胸。愛らしく凛々しい顔立ち…
奈津は呆けたように彼女の投球を、いや、彼女をゲーム中盤まで時を忘れ、食い入るように見つめ続けた。
精悍でワイルドな美貌を備え、生半可な男子より腕力も勝る奈津は附属小の女子児童に人気が高く、事実、校内には何人かの『彼女』もいる。
言い寄ってくるまま彼女たちを受け入れてきた奈津は、今まで自分の性癖にさしたる疑問を抱いたことは無かったが、この日、奈津を襲った感情、野村理奈という名の可憐なエースに抱いた想いは、紛れもなく激しい『恋』そのものだった。
『…鷲沢、今日の野球部の対戦相手、女が1人いるらしいから、着替えに部室貸してやってくれ…』
四回裏、朝は聞き流していた顧問教師の言葉が、奈津の耳に蘇った。確か、空きロッカーの手配を後輩の誰かに命じた記憶があった。
…あの子をもっと知りたい。話したい。触れてみたい…
抗えぬ衝動に奈津は自制心をねじ伏せ、目立たぬようグラウンドを離れて部室に向かった。
ソフトボール部のキャプテンが自分の部室に入る。当然の行動だと自分に言い聞かせながら、奈津は人気のない部室に入り、施錠されていない予備ロッカーをそっと開いた。
名入りのスポーツバッグと、きちんと畳まれた衣服。試合後の着替えであろう『サンべリーナ』のキャミソールにそっと触れると、清楚な少女の香りが奈津をしばし陶然とさせる。
まるで酔ったように普段の固い道徳心を麻痺させたまま、彼女は一番下にあった白いブラジャーにおずおずと手を伸ばした…
「…お前だよな。ブラジャー泥棒。」
桐也の言葉に、奈津は切迫した現実に戻る。
疑問と罪悪感がグルグルと彼女の思考を縛る。舌が乾き、言葉が出ない。
…彼は確証を掴んでいる。素直に犯行を認めるか、それとも断固否認して、この廻りくどく狡猾そうな加賀桐也を相手に言い逃れを続けるか…
もはや狼狽を隠せない奈津に桐也は続ける。
「…別に答えなくてもいい。じゃ、俺に訊きたいことは?」
質問は山のようにあった。しかし何を尋ねても、全ての質問は、即ち自白に等しいのだ。奈津の狂おしい葛藤のさなか、桐也は無情に彼女に背を向けた。
「…質問なし、と。じゃ、お前は藤田たちを訴えるなり、好きにすればいい。俺は帰る。帰って沙耶とクッキー焼くんだ。」
「あっ…」
奈津の小さな叫びを無視して桐也は扉へ歩き出す。以前の桐也が最も好んだ勝利の瞬間。
自ら憶測する恐怖は、どんなに絶望的な現実より耐え難い。奈津は敗北を認めて力なく桐也に尋ねた。
「…なんで、知ってるの…」
苦悩を絞り出すような奈津の掠れた告白に、桐也は足を止めて静かに口を開く。ゲームセット。
早く楽にしてやりたかった。
「見てた奴がいる。『障子に目あり』って奴だな。」
カメラについて教える必要はない。
ガクリとうなだれる奈津に、桐也は少し同情しながら、残る簡単な手続きを告げた。
「心配するな。外の二人を勘弁してくれたら、この件は絶対にどこからも漏れないと約束するよ。誰にも、な。」
瞳を少し潤ませた奈津は、二つ目の、そして彼女にとって最も大切な質問を発した。
「野村…理奈にも?」
「野村理奈にも、だ。」
しっかりした桐也の答えに、ようやく膝を抱えた奈津の顔が寂しく和んだ。桐也は優しく笑い、奈津の横に腰を下ろす。
「…でも、他人のブラジャーなんて、何に使ったんだ?」
意地の悪い質問。ここからは悪ふざけだ。これ位なら沙耶も許してくれるだろう。
再び顔を赤らめて沈黙する奈津の脳裏には、あのブラジャーを自分がいかに『使った』か、が幾通りも浮かんでいた。
言えない。死んでも言えない。
「言えねぇよ…」
スポーツマンらしい、素直な奈津の答え。
彼女の深い悲しみをたたえた横顔を見つめ、桐也は傷心の彼女を慰める言葉を考えている自分に気付き、少し戸惑った。
END