PM11:58
県境の国道で乗用車とトレーラーの衝突事故が発生。
乗用車に乗っていた会社員栗本晃さん(42)妻の葉子さん(36)長女の沙耶さん(11)がそれぞれ重体の為、市内の市立病院に搬送された。
「クソッ!!」
真夜中の市立病院。
無人の暗い待合室で、加賀桐也は拳を真っ白になるほど握り締めて毒づいた。
ぶるぶると震える彼の手首には、三色の細く編まれた紐が結ばれており、それをじっと見つめた桐也は、また頭を抱え込む。
『沙耶… 俺、ちゃんと約束守ってるだろ…』
桐也の悪友達に引き裂かれた自らの衣服で、沙耶が作った約束の腕輪。
『…悪いことをしたくなったら、これを見て私を思い出して。 桐也は生まれ変わるんだよ…』
彼が不幸にして持ち合わせぬ良心を、一生を懸けてでも与えようと決意し、この魔法の輪を編んだ栗本沙耶は、この病院の集中治療室で今、両親と共に生死の境を彷徨っていた。
『…おかしいだろ… 神さまがいるんなら、死ななきゃならないのは俺だ…』
めちゃくちゃになった車内で、唯一壊れていなかった沙耶の携帯電話。
救命士が最初に連絡を取ったのが桐也だったのは、はたして偶然だったのだろうか。
桐也は自ら重ねた許されぬ過ち、多くの罪なき少女を苦しめた罪の清算から、かろうじて無事に逃げ切れる算段を既につけていた。
しかし、何の為に?
栗本沙耶。愛らしい顔立ちだが、グラビアを飾るほどの美貌ではない。成績は中くらい、並外れた運動神経も芸術的才能もない。
同年代の平均数値を少しだけ上回る思春期の健康な身体。そして、加賀桐也を深く愛する優しい心。
…そんな彼女の全てが失われようとしている今、桐也がこの世界を涼しい顔で歩ける事に、一体何の意味があるのだろう?
そして桐也は、自分が『課外活動』を抜けたあとも、配下であった藤田と矢口率いるグループが、杜撰な犯行を繰り返しているのを知っている。
その愚かな手口により、着々と彼らが破滅に近づいていることも。
藤田たちの知らないところで、附属小の、そして西小や東小の児童は、大人たちの力を借りず卑劣な暴行魔たちをじりじりと追い詰めつつあった。
…依然として沙耶の親族が現れる気配はない。
ふらふらと近付いたナースステーションで、慌ただしく叫ぶ看護士の声が聞こえた。
「…はい。そうです。血液ストックが全く足りません。近隣の病院も…」
桐也の体に悪寒が走る。失血性ショック…緊急輸血… 先ほどから耳にしていた聞き慣れない言葉…
「…はい、AB型です。女の子も…」
桐也はナースステーションに飛び込み、電話中の看護士に掴み掛かった。
「俺、俺AB型です!! 沙耶に輸血出来ます!!」
別の看護士が、あわてて桐也を引き離す。
「あのね、君の年じゃ、献血は出来ないの… 今ストックのある病院探してるから…」
ナースステーションの眩い照明の下、桐也は茫然と座り込んだ。
厳粛で非情な『命』の摂理の前では、自分の小賢しい知恵など何の役にも立たない…
ガラスに映る無力な自らの姿を見つめた桐也は初めて年齢にふさわしい弱さを見せ、膝を折って崩れ落ちる。
「…助けて… 沙耶を…」
うずくまり嗚咽する桐也の背に触れ、看護士が慰めるように言った。
「…あなた怪我した女の子の友達ね。まだ、親戚や職場の人と全く連絡が取れないの。何か判ることがあったら助けてちょうだい…」
混濁する意識のなかで桐也は立ち上がり、懸命に考える。…連絡…何か役に立てること…沙耶の為に出来ること…
少しだが、いつもの思考力が戻った。今、自分に出来ること。
長く考える必要は無かった。ごく簡単で、シンプルな方法。最後の、恐ろしく分の悪い『リスキー・ゲーム』だ。
桐也はポケットの中の携帯電話をギュッと握りしめ、ナースステーションから一目散に飛び出した。
「…もしもし、藤田か!? 加賀桐也だ。手伝って欲しいことがある。そのかわり…」
AM1:04
『もしもし? …夜遅くゴメン。俺、片岡大基。 今、附属小の…友達から電話で、そいつの友達が大怪我してて、AB型の血を捜してんだ。
俺、二組の奴当たってるんだけど、良かったら一組の父兄当たって貰えねぇかなと思って…うん、助かるよ。…それから、こないだの事、ゴメンな… シバケン…』
AM1:40
血液提供の為、二名が市民病院に来院
『…おう、紗英か? うん、ゴトーの親父が車で病院へ回ってくれるから、お袋さんと外へ出といてくれ。俺、もう少しクラスの奴当たるからさ…』
AM1:50
血液提供の為、四名が市民病院に来院
『もしもし、ち、千晶くん? 夜中にごめんなさい。作倉…歩美です。あの… クラスの…友達から電話があって…』
AM2:05
血液提供の為、七名が市民病院に来院
『…あ、委員長!? カンチの親父がABだった。すぐ行くってさ。残りのクラスと五年生は千晶と俺で声かけるから、委員長は悪ィけど、学校の先生と…』
AM2:20
血液提供の為、十二名が市民病院に来院
『…翔? あ、もう連絡あったの。うん、六年生の、附属の子だって。
今ね、監督が市内のリトルの…』
AM3:20
栗本葉子さん意識を回復。容態は安定
『…鷲沢さん? 沙織です。…ええ、芝浦くんから。できる限りの手は打ちました。しかし、皮肉なことですね…」
AM3:45
県緊急医療センターより、血液製剤が到着
AM4:20
栗本晃さん容態安定
AM5:25
電源の切れた携帯電話を握り、桐也はようやく白み始めた東の空を見上げる。
一晩中病院前のベンチで電話をかけ続け、慌ただしく出入りする見知らぬ人々に頭を下げ続けた。
自らの賭けに手応えは感じていたが、沙耶の集中治療室に戻るのは死ぬほど怖かった。あとは…祈るしかない。
それに…どちらにせよ、沙耶の前にはもう出られなかった。藤田との取引きで、桐也は『課外活動』全ての犯人になったのだから。
皮肉なことに常に目立たず水面下で暗躍してきた彼には、この取引きしか多くの人々に救いを求める方法がなかった。
桐也は、直接呼び出せた数少ない友人の一人がそっと賑らせてくれた深國神社の御守りを見つめる。
『…さて、行くか…』
後悔はなかった。桐也は丁寧に御守りをポケットに入れ、ベンチから立ち上がった。肌寒く、息が白かった。
眠い目の血液提供者が駐車場に歩いてゆくなか、桐也は自分を近づいてくる何人かの気配に気付いていた。複雑な憎しみの視線。…どうやら、桐也の推測よりも包囲網は迫っていたようだった。
「…加賀、桐也だな?」
桐也の前で足を止めた、同級生くらいのがっちりした少年は、まっすぐに桐也を見つめ低い声で尋ねる。
「…東小のモンだ。用件は…判るだろ?」
統率者らしい彼らの背後に、何人かの少年少女が従っている。知っている顔も、そうでない顔もあった。
桐也は厳しい眼差しを送る彼らを見回してから、落ち着いた声で統率者に答えた。
「…ああ、『東小のシバケン』。」
手首を合わせて『手錠』のジェスチャーをした附属小の加賀桐也は、手首の紐飾りをチラッと眺めてから涼しい微笑みを浮かべて対峙する『シバケン』たちを戸惑わせると、まだ薄暗い舗道を静かに裁きの場に向かって歩き始めた。
「…紗英、千羽鶴の用意だ。西小より立派なやつだぞ…」
背後で、『シバケン』の声が小さく聞こえた。
AM6:30
栗本沙耶さん、意識を回復
完
special Thanks
selJPZyjjY様
暴走ボート様
名無しさんX様
読んで頂けた皆様