◇  
「…じゃ紗英、上がったらここで待ってろよ。」  
 
「うん、わかった。」  
 
下駄箱に靴を放り込み、青い暖簾をくぐる健太を見送って、私も少し緊張しつつ洗面器を抱えて初体験の銭湯に入った。  
お風呂の故障もたまにはいいものだ。母さんは海外出張中、マンションの管理人さんも留守で途方にくれた私は、結局健太に頼って家からかなり離れたこの銭湯に連れて来てもらったのだ。  
めっきり早くなった夕暮れの中、二人乗りの自転車で走っているとなんだかワクワクして、あれこれ騒動が絶えない日々のことを少し忘れた。今日も私はこうして、『シバケン』の一番そばにいる。  
 
(…空いてるね…)  
 
石鹸の匂いがする明るい脱衣場。客は赤ちゃんを拭いているお母さんと、マッサージチェアで微睡むおばさんだけだった。分厚い擦り硝子に隔てられた浴場にも人影は見当たらない。  
やっぱり赤ちゃんのいる人のおっぱいは大きいな、と思いながらパーカーとスカートを脱ぎ、キョロキョロと周囲を少し気にしながら下着全部も脱いで浴場に向かう。硝子戸をガラリと開けると、もうもうたる湯気の向こうにやはり人の姿はなかった。  
 
(…とりあえず貸し切り、かな…)  
 
しかし予期せぬ先客は意外な場所から現れた。髪を纏め、掛け湯をしようと大きな浴槽に近づくと、いきなり目の前に黒い物体がざぶんと飛沫を上げて急浮上したのだ。  
 
「うわ!?」  
 
驚く私を見つめる、水面から出た勝ち気そうな顔は四、五年生くらいの少女のものだった。濡れた癖っ毛から雫を滴らせ、怪訝そうに私を眺め回す、やんちゃそうな女の子。西小の児童なのだろうか、見覚えのない子だった。  
しばらく無遠慮に私の身体をじろじろ検分した彼女は、やがて納得したのか濡れた髪を掻きあげて再びざぶんと水中に消えた。代わって水面から突き出た褐色の脚は、つるりと滑らかに水滴を撥いていた。  
 
(…丸見え、なんですが…)  
 
まだ無邪気な年頃なのだろうが、水着跡も鮮やかな下半身をぱっくりと開き、湯船深く潜行する姿はひどく目のやり場に困った。広い浴槽をひたすらぐるぐる回遊する彼女の白いお尻を懸命に視界から外し、私も遠慮がちにお湯へと入った。  
 
バシャバシャバシャ。  
 
ときおり飛んでくる水飛沫に迷惑しながらも、壁一面のタイル画をぼんやりと眺める。その向こう側にいる裸ん坊の健太のことなど考えて笑みをかみ殺していると、いつの間にか件の少女は私の真正面で湯船の縁に腰掛け、またじろじろとこちらを見下ろしていた。  
まだ幼くむっちりした感じの体型だったが、スクール水着に包まれ夏の日差しから守られたおっぱいは眩しいほどに白く、推定年齢通り四年生だとすれば驚く程の発育だ。その淡く小さな先端だけがつつましく『子供だよ』と語っていた。  
出来ればどこかへ行って欲しいが、相変わらずなんの恥じらいもなく広げられた太腿の間を避けた私の視線は、ついその生意気な対の膨らみに向いてしまう。すると彼女はわざとらしく肩をすくめてむぎゅうっと谷間を作り、フフンと得意げに鼻を鳴らした。  
 
(…え、負けた? 私…)  
 
冗談ではない。せいぜい奮発して特大肉まん二つ、といったところだ。仮にもこの白瀬紗英のおっぱいはかつて『Tesra』誌上に幾多の伝説を産んでいるのだ。まあそれ以前に六年生として、断じて同じ土俵で競うべき相手ではないのだが。  
しかし大人げないと思いつつも、つい私は湯船の中で少し腰を浮かせて乳房をお湯に浮かべ、伸びをする振りをして背中を反らせた。熱い湯に弄ばれ、たぷたぷと重たげに漂う艶やかな女の子の証し。  
巨乳揃いの東小女子児童の中でも、形の良さには自信のある83cmEカップだ。思いつきで並べたような肉まん二つとは訳が違うのだ。  
 
「…ふん。」  
 
…つくづく可愛いくない女の子だった。文字通り上から目線で私のおっぱいを眺め回した彼女はまた鼻を鳴らし、とりあえず敗北は認めた様子で泳ぎ去った。  
顔立ちもスタイルも悪くない子だが、少なくとも全裸で平泳ぎする子は、断じてまっとうなジュニアモデルにはスカウトされない。  
 
慣れないお風呂で少しのぼせた私は、失礼な子供は無視することにして身体を洗いにシャワーに向かった。早く出ていってくれればいいのだが…  
鏡の前に座りシャワー温度の調節に手間取っていると嫌な予感は的中し、ずらりと並んだシャワーが全て空いているにも関わらず先ほどの少女が石鹸箱をガチャガチャと鳴らしながらわざわざ私の隣に腰掛けてきた。  
 
(……)  
 
露骨な迷惑顔で睨んでも平気で鏡に落書きなどしている。辟易しつつも無視を決め込んで私は身体を洗い始めた。腹いせによく泡立てた石鹸でヌルヌルと揉むように乳房を洗う。  
鏡に映る私のおっぱいは何かいやらしい映画のようにぬるぬると光りながら柔らかに形を変え、少しヘンな気持ちになった私はまた、壁一枚向こうにいる健太のことを考え始めた。  
‥もしこんな姿の私が健太に『何をしてもいい』と言ったら、一体彼はどんなことをするだろう。『ん‥』といつもの答えを返し、こんな風に荒っぽくおっぱいを揉むのだろうか。それとも赤ちゃんみたいに、なんだかむずむずと敏感になってきた乳首に吸いつくだろうか…  
 
自分の妄想に顔を赤らめ、ふと我に返ると隣の少女は私に負けじとおっぱいをこね回していた。小さな乳首をツンと立て、少し潤んだ瞳で私を睨み返した彼女の様子に、急に恥ずかしくなった私は慌ててザブザブとお湯を被った。  
 
いい加減上がらないと健太を待たせてしまう。早く髪を洗おうとシャンプーを手に取ると、予想通りお隣さんも真似っこしてすかさずシャンプーを掴んだ。懐かしのアニメ『草原の妖精ケイティ』キャラクター容器入りシャンプーだ。  
 
 
(…亜沙美…あさみ?)  
 
容器にはしっかりマジックで名前が書いてある。ふふん、と微笑んで私は厳かに自分のシャンプーをその傍らに並べた。  
勝手に借りてきた母さん秘蔵の高価なシャンプーは、『亜沙美』のケイティと並んでその優雅な大人の香りを控え目に主張している。悔しげな彼女を横目に気分よく髪を洗うと、妙に疼くおっぱいが、またゆさゆさと揺れた。  
 
(…へへん。お姉さんにはまだまだ敵わないよ。亜沙美ちゃん…)  
 
…それにしても、亜沙美という名前にはどこか聞き覚えがあった。目を閉じて心地よくシャワーを浴びながら記憶のあちこちを彷徨っていると、いきなり針の山を踏んだような鋭く冷たい衝撃が、無防備な足先に襲いかかった。  
 
「うひゃああああっ!?」  
 
訳の判らぬまま悲鳴と共に飛び上がった私は、はしたない格好で椅子から転げ落ち、さらに仰向けで尻を滑らせて高々と大開脚を披露した。浴場中に響き渡る嬉しげな笑い声。  
…もちろん彼女の仕業だ。このチビはなみなみと洗面器に満たした冷水を、私の足を目掛けて勢いよく流したのだ。  
しばらく高い天井まで悲鳴と笑い声は反響していたが、やがて湯気と共に立ち上る私の激しい怒りを察知した『亜沙美』は、手回しよくまとめてあったお風呂セットを小脇に素早く浴場から逃げようとした。計画的犯行だ。ますます許せない。  
 
「待ちなさい!!」  
 
言って待つような相手ではない。ぺたぺたと一目散に逃げだす彼女を追って私も濡れた髪を振り乱し、タオルも巻かずに浴場の出口へと疾走した。絶対逃がさない。泣いて謝るまでお尻をひっぱたいてやるのだ。  
 
血相を変え飛び出した脱衣場には幸い誰もいない。。裸ではこれ以上逃げようがない筈、とほくそ笑んだ私の前で立ち往生した彼女は、狼狽した様子であたふたマッサージチェアの後ろへ回り込んだ。  
 
「…無駄だよ。諦めなさい。」  
 
「ふん、べぇ〜だ。」  
 
 
じりじりとマッサージチェアへにじり寄る私と、唇を噛みしめ、左右に巧みなフェイントをかけながら脱出の機会を窺う彼女。  
相手は腰を引く落とし、ぷるぷると白い乳房を揺らしながら羞恥心ゼロの機敏なフットワークを見せるが、かたや小刻みな慣性により私の胸は痛いくらいぶんぶんと揺れて小回りが効かない。  
 
『オールヌードでの鬼ごっこは巨乳が不利』  
 
私が新たな知識を得た瞬間、ニヤリと不敵に笑った亜沙美は紙一重で私が伸ばした手を逃れ、脱兎のごとく駆け出した。  
 
「こらあ!! 待て…」  
 
なんと彼女の駆ける先は、赤い暖簾の揺れる女湯の出口だった。まさかすっ裸で銭湯から出られる訳がない、とタカを括っていた私を尻目に、『亜沙美』は躊躇いなく、一糸纏わぬ姿で女湯を飛び出してゆく。  
 
「ええっ!?」  
 
残された私は、しばし呆然と脱衣場に立ち尽くした。しかし驚きが徐々に収まると、我慢出来ない笑いが込み上げてきた。まだ発育途上だが、もう微笑ましい段階は超えた身体だ。そして銭湯の前はまだまだ人通りの多い時刻。  
彼女は今、その思慮の浅さを後悔しながら全裸で電柱の陰にでも潜んでいるに違いない。秋の夕暮れ時、おろおろと洗面器で前を隠して右往左往する姿を想像すると笑いが止まらなかった。  
 
「…ひ、ひぃ…死…ぬ…」  
 
…しかし世の中は因果応報。人を笑えばまた自分も笑われる羽目になる。身を捩り、マッサージチェアにしがみついてひいひい笑い続けた私がやっと顔を上げたとき、いつの間にか入ってきたジャージ姿の女子高生たちがすっ裸で笑い転げる私を不気味そうに見下ろしていた。  
 
沈黙と、全身を舐め回す複雑な眼差し。顔から火を噴いた私がぎくしゃく立ち上がり、こそこそと浴場に向け歩き出すと背後で一人のぷっ、という失笑を合図に甲高い爆笑が巻き起こった。  
 
◇  
「…悪い悪い。遅くなった。」  
 
ようやく銭湯から出てきた健太はやけに火照った顔をしていた。あのあと私が高校生たちの好奇の視線にじっと耐えながら泡だらけの髪を濯ぎ、涙目であたふた銭湯を飛び出してからもう相当な時間が経っている。  
しかし、そもそもこの屈辱の元凶である『亜沙美』の姿はどこにも見当たらず、早飯早風呂がやたら自慢の健太まで今まで姿を現さなかったのだ。  
 
「…遅いよっ!! 私、女湯でね…」  
 
「わ、悪い悪い。ちょっとその、あれだ。」  
 
長風呂の理由を詰問し、それから私のひどい災難もしっかり聞いてもらおうと口を開いたとき、先ほどの高校生たちがわらわらと下足場に現れた。ここで見つかっては、また健太の前でアブない小学生だと笑い者にされてしまう。  
 
「…とにかく帰りましょ!!早く早く!!」  
 
「お、おう…」  
 
健太を急かして自転車の後ろに跨り、どことなく挙動不審な健太の背中にぴったりと胸を押し当てる。私の一番好きな悪戯だ。こうしていると…寡黙な彼の気持ちが乳房を通して伝わってくる気がするのだ。心地よい湯上がりの肌に、トクンと健太の体温が染みわたる。  
 
「…いやぁすまねぇ、遅くなっちまった。あ、そうだジュース買うか!? 奢ってやるぞ?」  
 
…何やら怪しい。妙に強張った彼の背中になにやらエッチな気配がするのは、決して少し昂ぶった胸のせいではないようだ。そしてこの饒舌さは…  
 
ゴトーや桜井との猥談のまっ最中、不意に私が現れたときの誤魔化し方と全く同じ。  
奇妙な動悸が収まらぬ夜の帰り道、とりあえず女湯での災難の話は後回しで、私は何かやましい理由で遅くなったに違いない健太を低く平坦な声で問い詰めた。  
 
「…何故、こんなに遅かったんでしょうか?」  
 
「い、いやその…」  
 
歯切れの悪い返事。やはり私の勘は正しい。  
 
「…男湯で、何かあったんでしょうか?」  
 
「…いや…その…子供がだな…」  
 
「…子供が!?」  
 
「…ちょっと男湯はキツいだろ、って年頃の女の子が、いきなり裸で飛び込んで来たんだ…」  
 
『亜沙美』だ。  
…その手があったのだ。ガクリとうなだれ、溜め息で相槌を打つ私に、健太は男湯での出来事をぼそぼそと話す。  
 
「…んでさ、ケツ丸出しでグルグル泳ぐんだ。チビなのに乳もやたらデカくてさ…」  
 
自分の彼女が受けた恥辱も知らないで、この男はあの恥知らずな肉まんをたっぷりと鑑賞したのだ。湯船から立ち上がれなくなるぐらい、じっくりと、ゆっくりと…  
 
「…ま、まあ気にすんな。俺、下級生に興味ないし。」  
 
…どうせ明日、ゴトー達に喜び勇んで報告するに違いない。反省の色がないばかりか、未だそわそわと様子のおかしい健太が猛烈に憎くなり、後ろからぐいぐいと首を絞め上げる。  
 
「ぐ…え…不可…抗力…」  
 
「…なにが不可抗力よ!!!このエロ健太!!」  
 
 
また最近西小相手の喧嘩に明け暮れ、甘い言葉の一つも掛けてくれないシバケン。  
先日の緑化公園制圧、昨日の商店街掃討作戦。晩秋の快進撃を続ける私たち東小学校の総大将、悪名高い『東小の魔王』は、彼女といちゃつく時間も作らず、日夜取っ組み合いに明け暮れているのだ。  
 
何の為に?私がその答えを知ったのは、社会の課題研究『私たちの街』の時間だ。作倉さんが見事に下書きし、みんなで色を塗った東小の校区地図に『東西公園戦争』の主たる戦場はひとつもない。  
…尾ノ浜も、綺麗なショッピングモールも、整ったグラウンドも全て仇敵西小学校の目と鼻の先。誰かが割り込んで奪い取り、屁理屈で居座らなければ、東小の児童は狭苦しく退屈な六年間に甘んじるしかない。  
そしてその『誰か』とは、代々続いた『シバケン』の名を継ぐ男なのだ。だから健太はいつも悪役。そして白瀬紗英の名と冷酷な眼差しが彼と東小の役に立つのなら、私も『東小の傾城』の名を誇りに思う。  
…そう、私たちは悪役。  
 
◇  
…いつの間にか健太の首を絞めていた私の両手はそのまま彼の胸に廻り、ギュッとその広い背を抱きしめていた。  
 
「…悪かったよ…本当は、ちょっとだけムラっときたかな…」  
 
「『ちょっと』ねえ…」  
 
眉をしかめつつも、ふと考えてみればずっと憧れていた夜のデートだ。今頃のぼせてフラフラに違いない亜沙美のことは忘れて、もう少しだけ、湯冷めした身体を健太の背中に預けていたい。不思議といつもより彼の温もりがよく伝わるこの胸を…  
 
(…あれ?)  
 
ようやく心地よさの原因に気付いた私は、そろそろと健太の背中に密着した胸を離してみる。はだけたパーカーの下で指先に触れる、Tシャツをくっきりと突き上げる敏感な突起。  
 
ノ ー ブ ラ だ。  
 
脱衣場で恥ずかしさに我を忘れ、大慌てで服を着た私はブラジャーを着け忘れたまま女湯から飛び出していたのだ。はたして健太は気付いているのだろうか? 速くなる鼓動と共にきゅうん、と乳房全体が痺れる。  
 
「…な、サエ…」  
 
「な、なに!?」  
 
次の交差点を曲がるともう私の住むマンションの方角だ。力いっぱい部屋の鍵を握りしめながら、私は健太の言葉を待った。  
 
「…稽古場、寄ってかねーか?」  
 
 
続く  
 

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