まだ先日のコンビニ決戦大敗北の痛手を引きずり、暗く沈んだ東小六年一組の休み時間。
打ちひしがれる男子達に追い討ちをかけるように、通称『ヒステリック・グラマー』軍団、ユマ、エリ、マナの投げる凶器と化した教科書が容赦なく降り注いでいた。
「バカ!! 死んじゃえ!!」 「役立たず!! 弱虫!!」
「アブねーだろこらぁ!!」
飛び交う教科書のなか、ひときわ暗い表情でピクリとも動かず、机に突っ伏したままの桜井にむかって、楽天家ゴトーが少し低い声で囁いた。
「…ケンだけどな、何とか入院は免れた、って、正智さんが言ってたよ…」
コンビニ決戦を前に喘息の発作で倒れたシバケンに代わり、東小の指揮を執ったのはゴトーだった。
シバケン病欠を隠し通したゴトーの意を汲んで参戦してくれたシバケンの兄、正智すら敗れる結果に終わった戦いだったが、ま、今度があるさ、と、ゴトーはいつまでも悩まない。
しかし、虚ろな瞳の桜井は、ほえ〜、と間の抜けた返事を返し、相変わらず茫然と宙を見据えたままだ。
東小の悪ガキのなかでは、比較的クールな二枚目で通っている桜井が、今回の敗北にここまで落ち込むとは、ゴトーには少し意外だった。
「…栞ちゃんのおっぱいがよぉ…」
宙を睨んだ桜井慎之介は突然そう叫び、ゴトー達はおろか、『ヒステリック・グラマー』達までが教科書を投げる手を止めて、彼を注視する。
「…あー もしもし、桜井君?」
恐る恐る声を掛けるゴトーの姿は、桜井には全く見えていない。
「…あれほど、『お兄ちゃんが帰ってくるまで、お部屋で遊んでよーね』って言ったのに…」
「…な、なんの話?」
ユマの質問に、頭を抱え込んだ桜井はぼそぼそと続ける。
「…昨日、妹の栞ちゃんと風呂に入ったら、栞ちゃん、おっぱい隠してんだよ… ああ、そんな年になったんだな…と思いながら、体洗ってやる時に…」
「…ちょっと待て。オメーの妹、もう四年生じゃなかったか?」
「…キモっ… 桜井キモッ!!…」
ドン引きする周囲を無視して桜井は苦悩に満ちた顔で語り続けた。
「…乳首が、栞ちゃんのピンク色の乳首が、紫色に腫れてんだよ… 仰天して栞ちゃんを問い詰めたら、どうも昨日の喧嘩の最中に、西小の奴に捕まったらしくて… ちくしょう…」
桜井家の性倫理はさておいて、流石に『ヒステリック・グラマー』達にも、聞き捨てならぬ話だった。
「ち、ちょっと、具体的な犯人とか判んないの!?」
「バッキャロー!! 栞ちゃんはデリケェトな年頃なんだよ!! 男の俺が、そんなこと根掘り葉掘り聞けねーだろ!!」
ゴトーが、困惑した顔でユマを見た。今のシバケンに持ち込める類いの話でもない。
「…判った…栞ちゃん何組? 私、昼休みに事情聞いて来たげるわ…」
『ヒステリック・グラマー』筆頭、沢田由麻。辛辣な性格だが、姉御肌で顔も広い。
彼女は、下級生が落ち着いて話せる場所を思案しながら、桜井慎之介にそう約束した。
〇
そして、ユマの行動は迅速だった。
給食が終わった後、中庭の池で並んで鯉にパン屑をやりながら、桜井栞からほぼ全ての経緯を聴きだしたユマは、桜井兄妹に西小への報復を約束し、
残りの休み時間を、後にクラスメートとなる白瀬紗英がグラビアを飾るファッション誌の占いページを眺めて過ごした。
(…11月生まれ。『ビーチは憎いアイツのモノ!! 運命の出逢いがあるかも』…そういや、シバケンも11月生まれか…今年も、尾ノ浜は西小のものってことね…。)
〇
『…知らないわよ!! …何で私が、亜沙美の保護者じゃあるまいし…』
数日後、旧敵である沢田由麻からの突然の電話に、西小の『鬼マリ』こと大西真理は不機嫌の絶頂で吼えた。
『…でも横穴公園なら、あんたの子分でしょ!! その亜沙美って子を責任持って連れてきなさい!!』
敵対校とはいえ、六年生が他校の四年生に制裁を加えるには手順が要る。
実行犯の四年生と共に、西小リーダー格の一人であるマリを引っ張り出そうとしたのはユマの賢明な判断だった。
『知るかぁ!! ガキの乳首なんぞ、百均で替わり買ってこぉい!!』
マリとユマは昔、そろばん塾で激しく火花を散らした仲だ。鬼マリのこの反応を読んでいたユマは、おごそかに切り札を出した。
『…ふうん、そう。その亜沙美ってチビだけじゃなく、実はあんたの弟も関わってるんだけどね。じゃ、『いじめSOS』通して話そうか?」
マリは電話口で絶句した。
『いじめSOS』。市内の学校全てのいじめ問題に対処するその機関は、徹底した調査と融通の利かなさで、魔女狩りのように恐れられている。
マリの耳にも、くだらない誤解や誤報で大変な目に遭った児童の話は入っていた。
他校児童への性的暴行。弟の慎也の名前が出れば最後、姉のマリにも大事な夏休みを棒に振る程の、身に覚えのない緻密な取り調べが行われるに違いない。
そして、関連して表面化する『東西公園戦争』の問題。
この終わりなき闘いの正当性は、父兄や教師には未来永劫、絶対に理解されないのだ。
『…慎也くんは普段、東小に関して、どんな風に大西さんに話していましたか?』
そんな馬鹿げた質問が、幾千も真理の脳裏に浮かぶ。
悪くすれば八坂明や岸武志も参考人として召喚され、その恨みは当然、大西姉弟に向かうのだ。
『…判ったわよ… 明日の放課後、『横穴公園』でね!!』
クラクラとめまいに襲われたマリは、彼女にしては驚異的な忍耐力で、しぶしぶと迷惑な戦後処理に同意したのだった。
〇
翌日の放課後、マリは怯えきった亜沙美を従えて、事件現場の『横穴公園』に立っていた。
とり逃した弟の慎也のことを考えると、再び腸が煮えくり返る思いがしたが、まあ、慎也の料理は二の次だ。
「マ、マリちゃん…」
蒼白な亜沙美の視線の先に、二人の東小女子児童の姿が見えた。
落ち着いた物腰。長めの黒髪をカチューシャでまとめた理知的な広い額。
マリがついに一度も勝てなかった算盤の天才、東小の沢田由麻が、セミロングの清楚な下級生の手を引いて、『横穴公園』に姿を現した。
「…よおデコっぱち!!
久しぶりね。」
居丈高に先制攻撃をかけたマリを無視して、ユマは俯いた栞に確認する。
「…栞にイジワルしたのは、あの子かな?」
コクリと頷いた栞に微笑むと、ユマはその笑顔をゆっくりと亜沙美に向けた。
「…あんたが亜沙美? …いまから栞とおんなじだけ、痛い目に合わせるから、覚悟しなさいね。」
事務的なユマの口調の恐ろしさに、亜沙美は声も出せず、涙ぐんで後ずさる。
「ち、ちょっと待ちなさいよ!! あんたー」
無視されたマリが吠えた。
「この子も反省してるから連れて来たのよ!! そのへんを考えて…」
『鬼マリ』にしては驚くべき平和的発言を、ユマは再び黙殺する。
「『目には目を』よ。さ、早く来なさい。」
無表情に迫り来るユマを前にして、亜沙美は身も蓋もなくマリの背中にしがみついて号泣した。
「やだぁ!! マ、マリちゃん!! 助けて!! 助けてぇ!!」
…こんな時、交渉に長けた岸がいれば…
マリは切実に悔やんだが、先日の風邪による戦線離脱をはじめとする権威の失墜を考えると、これ以上の失態は周囲に見せられない。
「…判った!! ユマ、判った!!」
マリは背後に亜沙美を庇い、声の限りに叫んだ。
「…後輩の罪、即ち先輩の罪!! 私の乳を思う存分ツネれ!!」
ユマの目がスッ、と細くなる。この考えの読めない表情に、マリは常に翻弄されてきた。
いつかきっと、泡を吹かせてやるとマリが心に誓ってきた表情。
「…あんたのデカい乳は抓り甲斐ありそうね… でも…」
「いいやツネれ。今ツネれ。すぐツネれ!!」
「…ま、まぁ待ちなさいよ…」
やけっぱちで詰め寄りながら、ふとマリの直感はユマの魂胆を悟った。
ユマは暴力が苦手なのだ。
その証拠に決して戦場に出ることがない彼女は、芝居じみた駆け引きで西小と、マリの謝罪を取りたいだけなのだ。
ユマの冷静な表情に隠れた動揺を確信したマリはさらにゆさゆさと豊満な胸を旧敵の目前で左右させる。
「ほれほれ、ツネれ!!」
「あ、あんたね…」
しかし、躊躇は見せられない。
栞が見ているのだ。頼りになる最上級生として、マリごときに遅れをとるわけにはいかなかった。
ユマは覚悟を決めて呟く。
「…出しなさいよ。」
マリも後には退けない。くるりと周囲を見回してから、決然とTシャツの裾に手をかけたマリに、突然、ユマは不思議な親近感を覚えた。
二人の六年生を見上げる栞と亜沙美の表情には、後悔と、紛れもない二人に対する畏敬の念が浮かんでいる。
マリも、そしてユマも、決して彼女たちの尊敬を裏切ってはならないのだ。
「…あんたバカ? ここで出されても困るわよ。」
ユマが視線で示す先、事の発端である横穴を振り返ったマリは、無言でユマを睨みながら、窮屈そうに横穴の中に潜り込んだ。
懐かしい暗闇。何度か二人はそろばん塾の帰り、並んでこの中で過ごした事があった。
もう何年も前、彼女たちがまだ、外に佇んでいる亜沙美と栞くらいの頃…
あれから時は過ぎて、嘘みたいに大きくなったマリの胸を向かい合って眺めたユマは笑いだしそうになった。
…何やってんだろ、私たち…
危うく「終わったふりしよ。」と、言いそうになりながらマリの顔を見る。
しかし、彼女は大真面目に深呼吸して目を閉じ、七分袖のタイトなTシャツを一気に捲り上げた。
露わになったグレーのスポーツブラは見事なマリのバストを窮屈そうに包んでおり、蒸し暑い『横穴』の中で、谷間を伝う汗に湿っている。
「…さっさとやってよね…。」
さすがに頬を少し赤らめながら、マリは潔くブラジャーを外し、ユマが唖然とする程のたわわな乳房をグッ、と突き出した。
…迷わずストレート…
昔と変わらないマリに苦笑いしながら、ユマは観念して、その薄紅色の先端にゆっくり指を伸ばす。
「…んっ!!」
指が乳首に触れた瞬間、思わずマリが漏らした切なげな吐息に、ユマは慌てて指を引っ込めた。
…女の子同士、女の子同士…
不合理に高鳴る胸を抑え、ユマは自分に言い聞かせながら、再びマリの乳首に震える指を寄せる。
「…は、早くやんなさいよっ!!」
マリの鋭い目が微かに潤み、触れた乳首がツン、と尖る。
今やギュッと目を閉じたユマは、意を決して何度か指先に力を込めるが、それはマリにとって、痛みにはほど遠い緩慢な性的刺激だ。
「…は、早く、やって…」
『あ…あ…』
生殺しの責めに、胸を揺らし悶え始めたマリの為と、ユマは歯を食いしばって、ようやく入る限りの力を、グイ、と爪に込めた。
「ひゃあ!!」
マリの短い悲鳴。
ガクリと肩の力を抜いたユマの全身はじっとりと汗に濡れ、放心した顔はかっかと火照っていた。
〇
「…栞ちゃん、ごめんなさい。」
素直に頭を下げた亜沙美は、まだ少しトロンとしているマリを心配そうに見上げる。
「…じゃ、またね。デコっぱち。」
「うん。そのうち、また…」
栞と亜沙美は照れたように握手すると、互いの頼もしい守護者に寄り添って、『横穴公園』を後にした。
おわり
(本事件の重要な関係者でありながら、女々しくも逃亡した大西慎也についての顛末は、本スレッドの主旨から大きく逸脱する為割愛する。)