久しぶりの登校日、学校から帰ると玄関に見慣れない靴が並んでいた。女物の、やたらデカいのが二足。  
イヤな予感に襲われながら居間に入ると、おばあちゃんが二人の女性を前に目を白黒させている。  
一人は最近離婚して、一人娘とこちらに帰ってきた環叔母さん。今はデザイン事務所の女社長らしい。地味なスーツ姿だが相変わらず抜群のプロポーションだ。  
 
「…お帰りなさい洋ちゃん、久しぶりね。」  
 
元モデルの叔母さんの横で、所在なげに座っているもう一人の女性を見て僕は息を呑んだ。黒人の…女の子だった。  
 
「この子はンディラよ。洋ちゃんと同い年。」  
 
パニック状態のおばあちゃんの代わりに、僕が環叔母さんの話を聞く羽目になった。  
早い話が、自分が出張の間、この黒人の女の子『ンディラ』を預かってほしい、というあいからず叔母さんらしい藪から棒の頼みだった。  
 
…アフリカのヌワザという貧しい小国生まれのンディラは、偶然あるカメラマンにその美しい容姿を見出されてつい去年、僅か十歳で家族のもとを離れてモデルの道を歩み始めた。  
紆余曲折はあれどヨーロッパでかなりの評価を受けた彼女は、次に遥か極東での仕事の為はるばる来日を果たしたのだが、この不景気でンディラを招いた小さな広告代理店があっけなく倒産、  
突然慣れぬ異国でたらい回し…というのが、十一歳にしてまあ波乱万丈なンディラの境遇だった。  
 
そしてお鉢が回ったのがンディラと少し面識があった上、業界では新参若輩の環叔母さんという次第。  
たしかにどちらも気の毒だが、寝耳に水のおばあちゃんや僕はもっと気の毒だ。  
 
「…で、何とか帰国させる段取りをつけたら、今度のクーデター騒ぎで足止めなのよ…」  
 
『アフリカのヌワザ共和国、革命軍により空港封鎖』  
…そういえば、朝のニュースで聞いたような気がする。政情不安による紛争が絶えない国らしい。  
ちらちらと横目で窺うと当の本人、長い脚を崩さず正座を続けるンディラはたしかにモデルとしてスカウトされただけあって綺麗な子だった。  
小さな顔は彫りが深くどことなく神秘的で、複雑に編み込んだ黒髪を長い首から姿勢の良い背中まで垂らしている、そしてその体はすらりとしつつも、同級生の女の子とは比べものにならない女性の起伏をしっかりと備えていた。  
 
「…と、とにかく母さん達が帰って来なきゃ…」  
 
俯いて答えた僕に、環叔母さんが縋るように言う。  
 
「お願い洋ちゃん!! 急な出張なの。戻ったらすぐ迎えに来るから!!」  
 
なすすべも無く顔を伏せてもごもご呟いていると、はじめてンディラが僕の顔をひたと見つめて言葉を発した。  
 
「(-_-)×(@_@)〇」  
 
思ったより高く、よく通る澄んだ声。  
 
「へ!?」  
 
でも環叔母さんは彼女の言葉を翻訳してくれず、そればかりか僕がキョトンとンディラを見つめた隙をついて、素早く腰を浮かせて居間から玄関へ逃げ去った。  
 
「ち、ちょっと叔母さん!!」  
 
必死に追いかけたが、環叔母さんは手回し良く呼んでいたタクシーに飛び乗り、窓を開けて僕に叫ぶ。  
 
「…あ、洋ちゃん、今のはね、ヌワザ語で、『ちゃんと人を見ないで話す者は、死んだら悪霊の手下になる』って。」  
 
…なんだよ、それ。  
 
遠ざかるタクシーを呆然と見送り、肩を落として振り返るとンディラが立っていた。彼女の途方もなく巨大なおっぱいと、キュッと締まった腰回りにまた視線が泳ぐ。  
 
…まあ、環叔母さんの無茶は今に始まったことじゃない。そういえば僕と同い年の叔母さんの娘も小さな頃から母親と同じ、モデルの道を歩んでいた。  
こちらの学校に通い、今は林間学校に行っているらしいが、きっととんでもない女になっているに違いない…  
 
「(・_・ヾ」  
 
『よろしく』といったところだろうか、ンディラは短い言葉を発して僕を見つめ、僕はこわばった笑顔で必死に彼女を見返した。  
 
そして気まずく沈黙しつつ、僕とンディラは居間で両親の帰りを待った。おばあちゃんは近所の知り合いの所へ逃亡したようだ。  
叔母さんは、彼女は片言のフランス語が話せるから安心だ、などと勝手なことを言っていたが、僕は日本語でも、クラスの女子とすら会話できないのだ…  
姿勢よく座布団を暖めているンディラの顔をチラリと盗み見ると、彼女の視線は、テレビに繋ぎっぱなしだったゲーム『太鼓の名人』の太鼓型コントローラーに向いている。  
 
そうだ、こんなときはゲームだ。別に話せなくても、お母さんが帰ってくる位までは間が持つ…  
 
カラカラの喉を絞って、恐る恐るンディラに声を掛けた。  
 
「…ゲ、ゲーム、する?」  
 
再び彼女の大きな瞳が僕を見た。怯えきった僕の顔が映る程の、澄んだ大きな瞳。  
 
「…た、太鼓。ゲ、ゲーム。」  
 
逃げるように這って、テレビとハードの電源を入れる。デモ画面ももどかしく、僕はバチを握り締めた。  
 
「…でね、狸の顔がここへ来たらドン、子狸ならカッ、難易度は…」  
 
ひたすら画面だけを見つめ、日本語でまくし立てる。これをフランス語で初対面の黒人の女の子に説明出来る奴がいたら僕はそいつの奴隷になってもいい…  
 
「…と、とりあえず僕がやるからね。曲は『リッター×リッター』劇場版主題歌…」  
 
すぐ背後に陣取った、ンディラの静かな息遣いとエキゾチックな香りにキュッと胸が締まる。  
とりあえず難易度を『神』まで上げて、流れる狸に意識を集中した。  
無意味に緊迫した空気のなか、ようやくイントロが流れ出す。  
 
ドン!! ドドン!!! ドン!! ドドン!!!…  
 
僕はこのゲームにはかなり自信がある。通っている附属小、いや市内の小学校全ての中でも恐らく僕の右に出るものはいない筈だ。しかし、クラスにそれを知るものは誰もいない。僕にはゲームセンターで他人の視線を浴びながらプレイする勇気すらないのだ…  
時々、いじめっ子の藤田なんかが、失笑モノの得点で周りに騒がれているのを見ると少し悔しいが、実力を誇示してまたいじめられる原因を作るのもイヤだった。  
 
…ドン!! ドン!! ドン!!  
 
曲が終わり、ちょっと悦に入って振り向くと、なんとンディラの目に賞賛と興奮の色が溢れていた。  
 
「ヾ(≧∇≦*)ゝ」  
 
可愛い笑顔だった。  
僕は味わったことのない感情に戸惑い、むやみに頭を掻いて、サッとンディラにバチを渡した。  
 
「…や、やってみる? 同じ曲がいいよね…」  
 
バチを握った彼女は、再び凜とした表情になると、小刻みに頷いてリズムを取りながら、イントロに合わせてバチを振るい始めた。タンクトップの胸がゆさゆさと揺れる。  
ドン、ドドン…  
 
 
 
「ひ、洋!! その人…」  
 
いつの間にか帰っていた母さんの悲鳴で我に帰ったとき、ンディラはぶっ通しでの十八曲目をプレイ中だった。しかも初めてとは思えない凄い腕前だ。  
コーヒー色の額に汗をうっすらと浮かべ、恍惚と完璧なビートを刻み続ける彼女は神々しくさえあったが、帰宅していきなりその姿を目撃した母さんが腰を抜かすのは無理もない。  
環叔母さんのこと、ンディラのこと、ここまでの事情を話すと母さんは酷い小姑を持った泣き言を、また一通りぶちまけた。  
 
「…なんで早川の血筋は無責任な人ばっかりなのよ…」  
 
突如脱サラして小説を書くと言い出した父さんといい、確かにうちの血統は無鉄砲な者と内向的な者の差が激しい。もちろん僕は後者の代表格みたいなものだが…  
 
「…じゃ、引き受けたのあんたなんだから、ええと、ンディラちゃんの世話は全部あんたの仕事だからね!!」  
 
ぎこちないお辞儀をするンディラに愛想笑いを返しながら、母さんは僕にそういい放った。  
 
彼女は別に好き嫌いもなく、母さんが恐る恐る出した夕食を全部食べた。  
気を良くした父さんは無謀にもフランス語で彼女と会話しようとしたが、無惨な失態を家族に晒した挙げ句、すごすごと書斎へ撤退して行った。  
 
「…やっぱり子供同士だねぇ…」  
 
おばあちゃんの言う通り、ふと気付くと別に言葉は要らなかった。類は友を呼ぶ、というやつだろうか…  
 
「ヒロシ。タイコ!!」  
 
 
食事を終え、再び二人でバチを奪いあうように『太鼓の名人』に没頭したが、あまりに威勢のいい彼女の叩きっぷりに、夜になるとさすがに母さんが辟易して言った。  
 
「…洋!! もう遅いから、ンディラちゃんお風呂に入れて寝なさい!! お布団あんたの部屋に入れとくから!!」  
 
母さんの言葉に僕はだしぬけに現実へ戻る。少しマズいのではないだろうか。『男女七歳にして…』と言う格言もある。  
しかし、いそいそと来客用の寝具を用意する母さんの顔には、そういうデリケートな心配は微塵も浮かんでいなかった。  
内気な僕が女の子とどうこう…などと考えも及ばないのだろう。  
 
「…ええとね、ここは服を脱ぐとこ。あ、着替えある?」  
 
短い間にジェスチャーの力を実感した僕は、ンディラを浴室に案内し、身振り手振りでお風呂の使い方を説明した。タイルにしゃがみこんでタッチパネルをいじる。  
 
「こっちがシャワー温度で、給湯温度がこれ。今は四十度。判るよね?」  
 
…まあ、彼女も昨日密林から出て来た訳じゃない。ゲームも操作出来るんだから…  
 
そう考えながら振り返ると、僕の目の前にンディラの密林があった。  
クラクラしながら見上げると、なんの躊躇もなくンディラは艶やかな黒い裸身を晒し、僕を見下ろしていた。僕の脱衣所での身振りを、きっちり実行したらしい…  
そして彼女はまだ入浴設備の説明を待っているらしく、小首を傾げてじっと僕を見ている。バクバクと響き渡るような自分の心音のなか、僕の口は勝手にお風呂の説明を続けていた。  
 
「こ、これが鏡で、顔が映る。それから、この桶は湯が汲めるし…」  
 
ヌワザの文化では彼女はまだ裸体を恥じる年齢ではないのかも知れない。僕さえ騒がなければ問題なしと思うと、ようやくパニックと動悸は収まり、変わって激しい興奮と欲望がむくむくと頭をもたげてきた。  
 
『ちゃんと人を見ないで話す者は、死んだら悪霊の手下になる』  
 
そうだよな。  
その言葉を心の楯に、僕はンディラの裸を存分に鑑賞しながら説明を続ける。  
きめ細かなチョコレート色の肌。細身なのに力強く張りつめた長い手足。唯一無防備な柔らかさを湛える二つの雄大な乳房はツンと吊り上げたように重みに抗って上を向いている。  
まるで奇跡を目撃したように、身動きできなかった。…本当のところ、僅かでも股間に刺激を与えるのがヤバかったのもあるが。  
しかし僕がいままでの人生で、多分一番綺麗なものを見て感動したのは真実だった。  
 
 
「…だ、大体わかったよね?」  
 
やがて入浴剤の効能についてまで説明を終えてしまった僕は、後ろ髪を引かれつつ浴室を出た。  
扉を閉める最後の瞬間に名残惜しく振り返ると、ンディラの形よく締まった褐色のお尻が大きくバスタブを跨ぐのが見えて、その瞬間、僕の下半身は限界を迎えた。  
 
「う!!」  
 
…股間を押さえてぶるぶる痙攣する僕の耳に、ガラスの扉越しの鼻歌と、シャワーの水音が聞こえる。…幸い脱衣所だ。替えのトランクスは沢山あった…  
 
 
…慌ただしい一日に疲れたのだろう、僕が風呂から上がるとンディラはもう二階の僕の部屋で床に就いていた。  
屈託のない彼女の様子に、ちょっぴり罪悪感が込み上げたが、ンディラが枕元に並べた明日の着替えや目覚まし時計を見ると、残り少ない夏休みがふいに眩しく輝きだすのを感じた。明日は何をしようか…  
ざっくりした白い部屋着で横たわった彼女は、もっと白い歯を見せて微笑み、「ヒロシ、タイコ。」と囁いてから、タオルケットに潜り込む。  
 
「…うん、また明日ね。」  
 
僕は答えて明かりを落とした。そして目を閉じると、低く静かなンディラの歌声が聞こえてきた。  
 
…ああ、子守歌だ…  
 
緩やかで優しい声音に耳を傾け、恍惚と眠りの縁を漂っていると、やがて単調な調べはときおり、押し殺した嗚咽で悲しげに途切れ始めた。  
…動乱の祖国ははるか遠く、彼女はまだ僕と同い年なのだ。涙の理由など問うまでもない…。  
僕は慌てて飛び起き、彼女をそっと抱き起こし尋ねる。  
 
「大丈夫!? やっぱり、心細いよね…」  
 
僕に凭れ身を起こしたンディラは異国の月を濡れた瞳で眺めながら、子守歌の続きのように小さな声で囁いた。  
 
「…ンディラ、ジラ、ナジャ、ハイダ、ナアダ…」  
 
指折り数え、最後に赤ちゃんを抱きかかえる仕草。ンディラは故郷の兄弟姉妹を案じているのだ。  
 
「…五人兄弟だね…」  
 
僕は五本の指を立て、人差し指でンディラの鼻をちょんとつついた。  
涙を拭いた彼女は頷くと、月明かりの中で言葉もなく僕に語り続ける。  
干魃、空腹、銃を抱えた兵士、…あらゆる身振りが、まるで紙芝居のように理解できた。不安、恐怖、そして彼女の憤りと悲しみの全てが。  
…気がつくと臆病なはずの僕はしっかりとンディラの肩を抱きしめ、やがて彼女が静かな寝息をたてはじめるまで、でたらめな子守歌を歌い続けていた。  
 
 
 
自分が遠く異郷の地にいることをいちばん実感するのは朝、目覚めて見慣れない天井を見上げた時だと僕は思う。  
 
「おはよう、ンディラ。」  
 
「ZZzz....(ρ_-)o」  
 
ンディラと暮らし始めて一週間、僕は彼女より早起きして、少しでも孤独な時間を過ごさせないよう決めていた。それに、寝相が悪く暑がりな彼女の寝姿は、かなりの見ものなのだ…  
 
「…ウリラちゃんは茄子の田楽、食べられるのかねえ?」  
 
ようやく外国人への恐怖を克服したおばあちゃんは、「ウリラちゃん」の世話に夢中だ。そしておばあちゃんの辞書には、『ン』で始まる名前など存在しない。  
 
「…ンディラさ、今日は海へ行こっか?」  
 
茄子の田楽にシジミの味噌汁でパクパクと朝ご飯を食べていたンディラは、いつものようにキョトンと僕を見た。  
吸い込まれそうな大きな瞳を見つめながら、これまたいつものように僕は立ち上ってジェスチャーを始める。  
 
「海。水。ジャブジャブ。」  
 
果たして判っているのか、彼女はすぐにニコリと頷いて『ゴチソウサマ』をやると玄関に駆け出した。  
昨日から彼女は、ようやく一人で乗れるようになった僕の自転車に夢中なのだ。  
 
「水着は…、ま、いいか…」  
 
『…誰か、この辺で女の子の水着売ってるとこ知らないか!?』  
 
そう尋ねられる女友達がいたら、どんなにいいだろう…まあ、ンディラにあの海の最高の景色を見せてあげられたら、『心臓破りの峠』を二人乗りで駆け上がる価値はある。たしか彼女の国ヌワザには、海がない筈だった。  
 
麦藁帽子だのお茶だのをせっせと用意して、ようやく玄関まで出ると、外からンディラの悲鳴と、ガッシャン!!という派手なクラッシュ音が聞こえた。  
 
「\(≧Д≦)/」  
 
大変だ。ンディラに怪我でもあったら環叔母さんに申し訳が立たない。  
慌てて飛び出すと、案の定彼女は自転車ごと向かいの側溝に落ちてもがいていた。幸いに怪我は無いようだ。  
 
「(>_<、)」  
 
べそをかいているンディラと自転車を順番に引っ張っぱりあげて被害を確認する。  
幸いにンディラは無傷でほっと胸をなで下ろしたが、自転車は重傷だ。あちこちひん曲がり、前輪はパンクしている。  
 
「あちゃー、駄目だなこりゃ…」  
 
悄然と涙ぐむンディラに笑顔を見せて慰め、今日の予定変更を思案した。  
 
…まずは自転車を修理しなきゃ…別に海は好きなときに行けるしな…  
 
 
「ンディラ、商店街の自転車屋へ行こ。それから、ま、ぶらぶら店でも見ようか?」  
 
 
ギイギイと鳴る自転車を押して歩き出した僕の後ろを、ンディラはしょんぼりと少し離れてついてくる。ひたすら笑顔で話しかけるのが、こんなときは一番だ。  
 
『大丈夫だよ!! すぐ直るから。』  
 
でも、まだ謝罪らしい言葉を繰り返す彼女に向けた僕の微笑みは、決して作ったものじゃなかった。  
 
気まぐれに少し遠回りして河原を通る。  
この『危険!!注意!!』の河原で蝉を捕ったり、キャッチボールをしている小学生は、ほとんど公立の児童だった。公立の連中はいいな、と少し思う。  
僕の通う私立の附属小は成績とお行儀にだけはうるさいが、裏に回れば小派閥に別れての、陰険な足の引っ張りあいばかりの嫌なところだ。  
高校までずっとそんな調子だと考えると少し気が滅入るが、河原を駆け回っていつもの陽気さを取り戻したンディラを見ると、すぐに憂鬱は吹き飛んだ。  
 
「ンディラ!! 河へ入っちゃいけないったら!!」  
 
 
やがて商店街に着くと、ンディラは興味深そうに寝具店だの仏壇屋の店先を熱心に覗いた。モデルの癖に洋服にはあまり興味がないらしい。  
僕には全く縁のないそんな店の店員さん達はみんな、壊れた自転車を押した風変わりな二人組に親切に応じてくれた。  
 
「…で、こちらが弥勒菩薩。いいお顔でしょ?」  
 
「…ミロクボサツだって。」  
 
「(´∀`)?」  
 
…買う筈のない品物を挟んでの、トンチンカンなやり取り。でも普段見慣れたアーケードの下は、ンディラと歩くと不思議な別世界のような面白さに溢れていた。  
 
行きつけの自転車屋に修理を頼み、身軽になって僕たちはまた商店街を歩く。修理は一日で終わるらしい。  
 
この辺では大きなゲームセンターの前を通り、ちょっと寄ろうかと迷いつつ立ち止まると、店内にいやな連中の姿が見えた。  
藤田将雄。僕のクラスで一番幅を利かせている乱暴者。取り巻きの矢口と加賀も一緒だ。  
ンディラの前で馬鹿にされたり、冷やかされたりするのは嫌だった。顔を伏せ、足早に通り過ぎようと、僕は慌ててンディラの手を握る。  
 
「ヒロシ!! タイコ!!」  
 
しかし、最悪のタイミングで『太鼓の名人!!』のアーケード機を店頭に見つけたンディラは目を輝かせ、逆に僕の手をぐいぐい引いて店頭に走った。  
まずい。非常にまずい。  
ただでさえ目立つ彼女に、周囲の注目が集まる。ヒマそうな藤田たちに気付かれるのも時間の問題だ…  
 
バチを握り締めてやる気満々の彼女に泣き笑いを見せながら、僕はやけくそでコインを入れた。  
もう、どうにでもなれだ。  
彼女は当たり前のように『対戦モード』と、難易度『神』を選択し、さらに人目を引きつける。  
どん底な僕の気分とはうらはらに、彼女の十八番、『リッター×リッター』劇場版主題歌のイントロが威勢よく流れ始めた…  
 
…ドン、ドドン、ドン、ドドン…  
 
機械的に僕の両手はバチを振るう。しかし、僕とンディラのバチが寸分の狂いもなく打ち降ろされてゆくうちに、不思議と気分が高ぶってきた。  
…まあ、藤田たちに捕まるのは、とりあえず一曲片付けてからだ。よし、Aメロは思いっきり遊んで…  
キョロキョロとよそ見をしながら最速のビートをこなす僕と、リズムの化身と化して精緻なバチ捌きを見せるンディラに、やがて人々が立ち止まって目を向け始めた。  
 
「…お、すげ…」 「え!!『神』!?」  
 
僕がずっと恐れていた『ギャラリー』だ。しかし、見られる緊張はどこにもない。むしろ…快感だった。  
 
ンディラと一緒だと、こんなにも度胸が座るのだろうか?  
サビに入る頃には、僕はもっと歓声が欲しくなってバックハンドに十字打ちと、立て続けに神技を披露した。  
 
うおう、というざわめきに少し背後を覗くと、半端じゃない人だかりが出来ている。  
僕達に気付いた藤田や加賀はもう、その中の小さな一人に過ぎなかった。  
よし、まだまだ聴かせてやるぞ…  
 
「「YHAAAAAAAAA!!!!!」  
 
ンディラの裂帛の気合いに、聴衆のどよめきがひときわ大きくなった。  
彼女は腰をエロティックにくねらせ、キュロットのお尻をブンブン振って観衆を挑発しながら、完璧に僕の連打についてくる。  
ギャラリーの最前列は柄の悪い高校生たちだ。普段の僕なら震え上がっているだろう。  
 
し・か・し、彼らの腰は小刻みに揺れる/派手なスニーカーがステップを踏む/銀色のアクセがジャラジャラと鳴る!!  
 
踊り出した不良たちは/ゲーセン牛耳るバッドボーイズ/いくぜヌワザ直送最高のノイズ/叩き込めN′dira!!/ただひとりの女神!!  
 
恍惚の疾走感のなか、ンディラが最後のシャウトと共に、キャミソールの邪魔な肩紐をビリッ!!、と引きちぎった。  
 
「うおおおおおお!?」  
 
ブルン!!と琥珀色の乳房が飛び出し、力強いビートに合わせて汗を飛ばしながら激しく揺れる。  
 
窮屈な拘束から逃れた野生の半球は、クライマックスの連打に乗って沸騰したように暴れ狂い、この一曲に最後の華を添えた。  
 
 
まだ鳴り止まぬ拍手と熱気のなか、ンディラの服の応急修理をしていると、いつの間にか近くに同級生が集まっていた。  
ぽかんとしていた藤田がようやく口を開こうとしたとき、取り巻きの一人、ゲーム通で皮肉屋の加賀が僕の前に進み出る。  
 
「…ブラヴォー、早川。彼女も最高だった。」  
 
彼の声にはいつもの辛辣な調子は微塵もなく、僕は素直に彼を見つめ答える。  
 
「…ありがとう。ちょっと羽目外し過ぎたよ。悪いけど、連れがこんな様なんで…」  
 
「ああ。休み明けに、色々聞かせてくれ。」  
 
胸を張って彼らと別れ家路につく。心地よい疲労と満足感。最高の相棒ンディラに感謝した。  
 
「…でもンディラ、おっぱいはやり過ぎだよ。下手すりゃ、警察のお世話だ。」  
 
くすくす笑いながらおっぱいのジェスチャーをする。  
 
「オッパイ!?」  
 
「そう、おっぱい。」  
 
彼女はちょっと考え、満面の笑顔で僕に答える。  
 
「…ヒロシ、タイコ、オッパイ!!」  
 
「…なんだよ、それ!!」  
 
商店街のアーケードを出ると夏の日差しはまだまだ容赦なく僕たちに照りつける。  
明日こそ海へ行こう。母さんならンディラの水着くらいなんとかしてくれる筈だ。  
僕の前を踊るように駆けるンディラの、細く編み込んだ漆黒の髪が揺れる。  
 
…夏の妖精みたいだ…  
 
そんなメルヘンチックな自分の想像にひとり顔を赤らめて、僕は陽炎の中の彼女を追いかけて走った。  
 
 
しかし、家に帰ると、突然の別れが二人を待っていた。  
見覚えのある靴が玄関に並んでいて、僕とンディラは複雑な顔を見合わせる。  
居間から聞こえるのは環叔母さんの声だ。仕事が終わり、ンディラを迎えにきたのだ…  
 
「…長いことありがとう洋ちゃん。空港の封鎖がやっと解除になったの。今ならンディラは安全に帰国できるわ。」  
 
…辛かった。立っていられない位に。判っていた筈のに、ずっと目を背けていた別れの時。  
でも、浮かない顔の家族を見回し、僕は懸命に明るい声を出そうと努力して答えた。ンディラはやっと弟や妹のもとへ帰れるんだ…  
 
「…ンディラ、良かったね。戦争は終わったんだ…」  
 
唇を噛んだンディラにそう言って、無理に笑いながら手を差し伸べたとき、父さんが静かに呟く。  
 
「…洋。戦争は終わっていない。ヌワザはもう三十年も、こんなことを繰り返しているんだ。」  
 
「え!?」  
 
動転した僕は叫んだ。砲火の中へンディラを送り帰すというのだろうか、救いを求めるように見つめた叔母さんも、父さんの言葉に頷いた。  
 
「…政府軍の反攻は、長続きしないでしょうね……」  
 
「…そんな、そんな…」  
 
…身勝手な僕は、父さんと叔母さんの言葉を憎み、遠い国の貧困を、飢餓を、戦争を激しく憎み、最後に、自分の無力さを一番憎んだ。  
部屋の隅で、涙もろい母さんの背中が震えている。  
でも僕は、男の子として絶対に、ンディラに崩れ落ちて泣く姿など見せる訳にはいかなかった。  
重苦しい空気のなか、僕たちは茫然と立ち尽くす。  
そのとき、最近めっきり足元が頼りなくなったおばあちゃんがよろよろとみんなの前に進みでた。  
 
「…ウリラちゃん。これを持ってお行き。おばあちゃん、朝から深國神社へ行って、貰ってきたんだよ…」  
 
「…ミクニ…神社?」  
 
おばあちゃんはンディラに赤いありふれた御守りを渡しながら続けた。  
 
「深國姫っていう…女の子の神様が祀られてるお社だよ。環たちも、ちゃんと持ってるね?」  
 
「…うちの子はランドセルに付けてるわね…」  
 
環叔母さんはスーツの胸元から、古ぼけた同じ御守りを取り出す。  
 
「…おばあちゃんが保証するよ。どこにいても、なにがあっても、深國姫の御守りは、ウリラちゃんを守ってくれる…」  
 
 
御守りを握りしめたンディラの唇が震えながら動く。  
 
「ヒロシ…」  
 
彼女はもどかしげに言葉に詰まった。  
教えてやれなかった幾つもの言葉。  
 
「さようなら…」  
 
…神様なんか信じたことはなかった。でも僕はおばあちゃんの言葉と深國姫に全身全霊で縋り、去って行く彼女と、彼女の兄弟の幸せを祈りながら、精一杯の笑顔で『さようなら』をンディラに教えた…  
 
 
 
テレビは今日もヌワザの混迷を伝え、僕はそのたび深國姫に祈る。  
…ンディラ、ちょっとだけ強くなった僕は、ちゃんと胸を張って話しているよ。  
そして遥かな君に追いつけるまで、僕の祈りはずっと続くだろう。  
 
 
おしまい  
 
 
 

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