案内された部屋は明るいアメリカンカントリー調の家具と調度品で統一されていた。  
味わい深いキルトのタペストリーも、並んでいる琺瑯の函も全て本物のアンティークだ。  
深みのある色調のオーク材のテーブルには、素朴なデザインのティーカップが並び、香り高い湯気をのんびりと上げている…  
 
豪奢で仰々しい応接室を想像していた私は、落ち着いたインテリアにほとんど寛いでいると言っていい自分に驚きつつ、目の前の同級生を改めて観察した。  
 
「…最近家でもユニフォームで過ごす時間が長くてね。古き良きアメリカとソフトボールは似合う、白瀬さんはそう思わなくて?」  
 
屈託なく話す彼女は神楽坂沙織、東小児童会副会長。私が初めて彼女の家を訪れたのは、ある目的の為だった。  
 
「…貴女が載ってた頃は、『Tesra』も読んでたのよ。 今はお小遣いが足りなくて…」  
 
悪い冗談だった。彼女が何気なく着ている地味なワンピースの値段が判るのは私くらいだろう。そして『チェネレントラ』の新作を着てドッジボールをするのは彼女くらいだ。  
用件を急かすこともなく立ち上がった彼女は窓の外を覗く。何人かの女の子が広大な庭園で遊んでいるのが見えた。  
 
 
「…薔薇を見にきたお友達よ…私たちも行きましょうか?」  
 
 
雨が降りそうだった。  
彼女と並んで曇り空の下、よく手入れされた芝生の上を歩く。屋敷を囲む林には、うっすらとミルク色の霧がたちこめていた。  
郊外のこの大きな洋館から東小学校まではかなりの距離がある。まあ、黒塗りの高級車で通学する分には、問題にならない距離なのだろうが…  
 
庭園の一隅、四角く刈り込まれた薔薇の垣は迷路のように入り組み、並んで歩く私と神楽坂さんの視界には、時折先客の少女たちの姿がチラリと映る。  
七、八人はいるのだろうか、霧深い林の中にも何人か、クスクスと笑い声を立てて駆け回る女の子の気配がした。  
 
「…それで、今日の御用向きは何かしらね?白瀬さん。」  
 
うっすらと霞む木々に躍る少女の影、という幻想的な光景に、自分が携えてきた用件がひどく場違いなものに思えて、吃りつつ私は切り出した。  
 
「…健太が、芝浦健太が神楽坂さんと仲直りしたい、と言っているの。」  
 
ふふふっ、と笑ってから彼女は面白そうに言った。  
 
「私、芝浦くんと喧嘩なんてしてたかしら?」  
 
彼女の返答は想定内のものだった。確かに、健太と神楽坂さんの間には表だった対立は存在しない。  
しかし彼女の影響力、東小だけでなく、西小や附属小にまで及ぶ力は、これまでたびたび『シバケン』の権威と衝突してきた。  
そして、大抵が神楽坂さんの静かな勝利に終わる。彼女は自らの庇護するものが『公園戦争』に巻き込まれることを、決して許さないのだ。  
 
「…健太は今まで通りあなたとのルールは守ると言ってる。そのうえで、助けて貰いたいことがあるの…」  
 
そこまで話したとき、薔薇の茂みから飛び出し、小走りに私たちの前を横切った少女を見て私はハッとした。まだ四年生くらいの彼女は附属小の制服を着ていた。  
私の心を読んだように神楽坂さんが呟く。  
 
「…『附属小』ね。」  
 
頷くしかなかった。私たちには憶測するしかない凶悪な敵。ずっと前から東小を脅かす、なんのルールも通用しない、顔のない謎の集団の存在。  
女の子に乱暴したり、凶器を使ったりする小学生は仇敵の西小にはいないと、転校してきて日の浅い私にも断言できる。  
そして消去法でおぼろげに浮かび上がったその憎むべき集団は…  
 
「…名前は言えないけど、友達が襲われたの。押さえつけられて、下着の写真を撮られて…」  
 
マナの名前は出せない。親にも、先生にも言えず、一人苦しみ続けた彼女には、まだまだ心の傷を癒やす時間が必要だった。  
 
「続けて。」  
 
彼女も聞いている筈だった。『附属小の課外活動』の恐しい噂。きっとマナのように、耐えきれず友人に打ち明けた被害者から広まった噂だろうと私たちは推測していた。  
 
「…犯人は六年生くらいのグループ。一人のカッターシャツの襟に、刺繍があったような気がする、って言ってるの。附属小の制服みたいに…」  
 
しばらく考えこんだ神楽坂さんは、ニッ、やんちゃな笑顔を見せてから走り去る附属小の少女の背中を眺めながら答えた。  
 
「…それで『シバケン』が貴女を寄越したの?」  
 
確かに神楽坂さんの話を出したのは健太だった。しかし彼女との交渉を躊躇う健太たちに告げず、神楽坂さんを訪ねたのは私の独断だ。  
マナは東小でできた最初の女友達だった。その岡崎真奈を辱めた犯人が絶対に許せなかった。  
 
「…私のお願いは、健太のお願いよ。あなたなら、附属小にも沢山友達がいる。力を貸して欲しいの。」  
 
神楽坂さんは『東小の魔王』シバケンとは全く違った次元での全校のリーダーだった。  
体育の着替え時間、女子が男子と同じ部屋で着替えなくていいように、学校側と交渉し女子専用の更衣室を作らせたのは彼女だ。  
そして市内の小学校全てを巻き込んだ、アフリカの貧しい小国に文房具を送る『ヌワザに明日を』運動の立役者でもある彼女。  
ソフトボールチームのキャプテンも務め、幅広い人脈を持つ彼女の力は、マナの仇討ちに、いや卑劣な犯人に苦しめられた被害者全ての為に、絶対に必要だった。  
 
「…判りました。附属小の心当たりを調べるわ。」  
 
西小との争いをひどく嫌う彼女から、何らかの譲歩を見返りに求められることはなかった。心から感謝の言葉を告げた私に、ちょっと失礼、と断って神楽坂さんは屋敷の方に消えた。  
 
屋敷と、鬱蒼とした木立を取り巻く霧はいよいよ深くなっていたが、少女たちの微かなざわめきはまだ庭園じゅうに感じられた。かくれんぼでもしているのだろうか。  
薔薇の香気に包まれた迷路の向こう、白樺の木の下にちらつく二つの人影に気付いた私は好奇心に駆られ、棘に覆われた茂みを掻き分けて覗きこんだ。  
そして、そこに見てしまった光景に、眼を疑って呆然と佇む。二人の女の子の姿だった。  
 
一人は先ほどの附属小の制服を着た少女だ。ブレザーの胸をはだけた彼女はあどけない背格好とは不釣り合いな白く豊かな乳房を覗かせ、跪いたもう一人の少女がその先端をまるで貪るように口に含んでいる。  
白樺の幹に背中を預けた幼い附属小の少女は、恍惚と瞳を閉じて、明らかに早熟な悦びにあえいでいた。  
 
ポニーテールの年長であろう少女が、まだ幼い乳房全体を呑み込むように激しく吸う音までが生々しく聞こえた。  
 
 
「……あなたを薔薇の棘に喩えた、失礼なデザイナーがいたわね…」  
 
息を呑んで立ち尽くしている私の耳元で、神楽坂さんの囁きが突然響き、全身がビクリと跳ねる。  
 
「痛っ!!」  
 
指先に刺さった薔薇の棘。覗き見の赤い代償が鋭く、小さく指を染めた。  
振り返ることもできず硬直した私の背中に、神楽坂さんの私を凌ぐ長身が徐々に密着する。清楚な顔立ちとうらはらな、大人びた逞しい感触。  
 
…神楽坂さんを訪ねると決めた時から、ある程度の覚悟はしていた筈だった。こっそり囁かれる彼女の趣味。私が使者として名乗りを上げたとき、健太がたちどころに一蹴した理由もそれだろう。  
 
物音に気付いた制服の少女が顔を上げ、火照ったあどけない顔をこちらに向けてニッ、と笑う。  
唐突に私は、この深い霧と薔薇の香気のなか、何組もの少女たちの秘め事が庭じゅうで甘く静かに行われていることを確信した。  
 
滑らかな動作で私を背後から捕らえた神楽坂さんの柔らかい二つのふくらみが私の背中を圧す。  
 
確実に女の子の急所を知る者にしか出来ない、正確で甘美な抱擁だった。  
 
「…白瀬紗英を私が喩えるなら、百合の花かしら…」  
 
耳元を熱くする囁きは彼女らしくない下手な口説き文句だった。しかしすべてを曖昧にしてゆく霧の中で、彼女の声だけが怜悧で理知的だ。  
百合の喩え。百合の花言葉は『無垢』『純潔』…  
 
「…そうね。健太は意外と奥手だからね。」  
 
彼女の愛撫に身を任せたまま、静かにそう答えると、神楽坂さんはまたクククッ、と優美に笑い声をたて、その抗い難い魅力を秘めた腕から私を解放した。  
 
「…『シバケン』にはお似合いの彼女ね。改めて挨拶しますわ。『ようこそ東小へ』」  
 
ハンカチを取り出した彼女は私の傷ついた指をそっと覆ってくれると、曇り空を見上げて言う。  
 
「…雨が来そうね。車を呼びましょう…」  
 
 
 
…まもなく響いたクラクションに、感謝と辞去を神楽坂さんに告げた私は、まだ酔ったように蔦に覆われた門に向かった。  
背後ではすっぽりと霧に包まれた洋館と禁断の美しく妖しい花園の主である神楽坂沙織の声が涼やかに、淫靡に響いていた。  
 
「…あなたたち、霧は体を冷やしますわ。シャワーを浴びましょう…」  
 
 
END  
 
 
 

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