…腕っぷしとバストは正比例するのだろうか。宮田桜は時々そう考える。  
谷川千晶、国東真琴、そして目の前にいる唯我独尊巨乳少女大西真理。  
西小の巨乳六年生たちはみな、男子顔負けの並外れた戦闘力の持ち主だ。  
そして心地よい秋晴れのこの日、一風変わったこの戦場に集まったのもまた、西小の誇る無敵の巨乳少女たちだった。  
 
「…よおし桜!! ギュッとやってくれぇ!!」  
 
『下克上』と書かれたTシャツと愛用のスポーツブラを無造作に脱ぎ去り、ぶるん!!と立派な乳房を桜の目前に晒した真理は両手を高く挙げて逞しく真っすぐな背中をくるりと桜に向けた。  
桜はいそいそと真っ白な晒しを彼女の胸に巻き付けてゆく。  
柔らかく抵抗する張りつめた双丘に痛いくらい布地を食い込ませ、締め上げる程に気合いが入るのだと真理は大真面目に言う。  
晒しを巻き終えた真理はその鋭い目を閉じ深呼吸する。この部屋を出れば待ったなしの土俵だ。今日は真理念願の初土俵『東西こども相撲』本大会当日なのだ。  
他の二人の選手、谷川千晶と岩田早苗も上半身裸になって互いにおっぱいを晒しでくるくると締めている。  
 
(…マリちゃんはともかく…)  
 
桜は自分とそれほど変わらぬ身長の千晶にちらりと目をやり、その胸に信じられぬバランスと質量を持って堂々と並ぶ乳房を確認して、思わず感嘆の吐息を漏らした。  
 
(私もあんなおっぱいになったら、二人みたいに喧嘩つよくなるのかなあ…)  
 
もちろん宮田桜は選手ではない。『こども相撲女子の部』に出場するのは校内の予選を勝ち抜いた三人、一組の岩田早苗、三組の谷川千晶。  
桜は体育委員で大会の世話係…とは表向きで、その実体は制御不能の野獣、四組代表の『鬼マリ』こと大西真理のお目付役だ。  
 
会場である深國神社のこの広いひと部屋が更衣室兼控え室であり、選手はここで晒しを巻き、体操服の短パンの上から相撲用サポーター、すなわちマワシも装着する。  
 
「こらぁデブ!! とっととマワシ着けろ!!」  
 
緊張からか無表情にマワシを見つめる太めの早苗に、また真理が暴言を吐く。こんなとき彼女を諫め、周囲を宥めるのが桜の重要な任務だ。  
しかし今回は真理の喧嘩友達、西小最強の『人間酸素魚雷』谷川千晶が、口の悪い旧友を横目で睨みながらぼそりと言った。  
 
「…真理さ。今日はちゃんと短パンの上にマワシ着けるんだよ。」  
 
真理は赤くなって黙り込む。彼女は校内予選の初日、意気揚々とパンツまで脱いでばっちりマワシを締め、危うくその姿で更衣所を出るところだったのだ。  
 
「…う、うるさいわよ千晶!! 早苗、時間までぶつかり稽古よ!!」  
 
 
桜と千晶は声を立てて笑うが、そのふくよか過ぎる体格で半ば強制的に選ばれた一組の岩田早苗は憂鬱そうに俯いていた。  
ぽっちゃりと大柄だがおとなしく、およそスポーツには縁のない彼女が選抜選手に選ばれたのは、予期せぬ幾つかの番狂わせによるものだった。  
 
傾向として、男女を問わず投げ技主体の格闘戦に長けた東小児童に対して、一撃離脱を主眼とする俊敏な連携打撃を得意とする西小には、組み合いに強い重量級の戦力が少ない。  
それなのに…いわば身内同士である校内予選で真理が反則すれすれで暴れに暴れ、国東真琴や鹿島弥生といった体格と格闘センスに秀でた選手候補たちに無駄な怪我を負わせた為、やむなく『ハッタリの効く』岩田早苗にお鉢が廻ったのだった。  
 
「…大丈夫だよ早苗ちゃん、真理ちゃんと千晶ちゃんがいるんだから…」  
 
桜は穏やかに微笑んで早苗に声をかける。午前中の『女子の部』は余興程度の前座試合であり、勝負は三対三の勝ち抜き選で行われる。一番手の谷川千晶が勝ち抜けば、大西真理も、岩田早苗にも出番はないわけだ。  
 
 
「うぉおおおっしゃあ!! いくぞぉ雑魚どもぉ!!」  
 
そろそろ時間だった。自分の頬をピシャッと両手で叩き、晒しの胸元を引き上げた真理が勇ましく西軍の出陣を告げた。  
 
 
 
『共和建設』『後藤工業』『神楽坂興産』…  
大会を後援している地元企業の色とりどりの垂れ幕が華やかに翻る。  
『野球軒』の出張屋台に、お昼に配られるお弁当は『彩葉』の特上幕ノ内だ。  
紅葉舞う深國神社の境内に作られた立派な土俵の周囲には、すでに両校の児童がひしめいていた。  
 
「…明たちはまだ稽古だね…」  
 
盛大な歓声に迎えられた千晶の呟き通り、午後から『男子の部』に出場する児童たちの姿は見えなかった。  
かの『東小の魔王』シバケンこと芝浦健太も土俵に上がるのだ。再び両校の緊張が極限まで高まるなか、西小の威信をかけたこの相撲大会に、男子選手たちもギリギリまで稽古に余念がないのだろう。  
 
「…おい、いけるぞ、千晶…」  
 
もう土俵の前に並んでいる宿敵東小の女子選手たちを見て、真理はチラリと犬歯を覗かせて囁いた。  
 
「…そうだね。」  
 
答えた千晶もうっすらと笑みを浮かべて珍しく真理の意見に同意する。  
 
しかし桜の見解は大違いだった。並んでこちらを睨み据える三人の東小女子選手は、みんな岩田早苗を遥か凌ぐ身長と横幅だ。かたや我が西軍はどうみてもはデコボコトリオなのに…  
 
「…強そう…」  
 
思わず漏らした桜の言葉に真理が鼻を鳴らす。もう勝ったような余裕の表情だ。  
 
「…大将の安西ってのは確かに強い。でも、あとの二人は単なるデブだよ。早苗みたいなもんだ。」  
 
…また余計なことを言う。桜は慌てて早苗を振り返った。相変わらず元気がない彼女はいよいよ顔面蒼白になり、消え入りそうな声で嘆く。  
 
「…私、帰りたい…」  
 
 
しかしそんな早苗の逡巡に関係なく、湧き上がる歓声のなかいよいよ試合開始は迫る。  
土俵上で選手を待つ行司はまるで鶴を思わせる小さな老人だった。一組の体育委員が桜に教えた。  
 
「…あの行司が『神楽坂興産』の会長よ。この大会の後援会長。」  
 
隠居した地元の名士で、九十歳近い大の相撲ファンというその行司が、渋い声で一番手の土俵入りを促す。ついにこの日の東西対決の始まりだ。  
 
「西ぃ〜、谷川千晶ぃ〜」  
 
背後に響く声援を受けて、颯爽と谷川千晶が土俵に上がる。  
堅く晒しで締め上げていても、そのはちきれんばかりの胸は会場中の男子児童の注目の的だ。  
以前の重装備ではなくたった一枚の布地だけで包まれた二つの乳房は、両校男子たちのけしからぬ妄想を激しくかき立て、応援席には深い吐息が幾重にも流れる。  
 
しかし千晶はそんな周囲に生暖かい視線にも、小山のような東小の一番手にも気後れもせず四股を踏み、小さな形良いおしりをくい、と突き出して対戦相手を睨んだ。  
神社の境内がシンと静まり返り、ついに軍配がひらりと上がる。  
 
「…はっけよい、のこった!!」  
 
稲妻のように低い姿勢で突進した千晶に、東小の一番手は覆い被さるように組み合った。  
 
一瞬相手の巨体の下に、小さな体が見えなくなり、このまま押し潰されたら…と桜たちが不安に襲われた瞬間、谷川千晶の小さな体はしなやかに弾む。  
 
「わっ!?」  
 
千晶の背中にかけた全体重を驚異的な瞬発力と絶妙のバランス感覚で跳ね上げられ、あっけなく相手選手は驚いた表情のままその巨体を宙を浮かせた。  
 
ドスン!!  
 
軽やかな挙動で土俵中央に立つ千晶は息切れひとつしていない。  
 
「うぉおおおおお!!」  
 
鮮やか過ぎる勝利に西小陣営が沸く。敗者に手を貸した千晶は愛らしい笑顔で高らかに自陣に向けVサインを送った。  
 
「失格。」  
 
「へ!?」  
 
沈黙する会場と、ポカンと行司を見つめる千晶。年老いた行司はニコリともせず繰り返した。  
 
「失格。土俵上でのVサイン、ガッツポーズは失格。」  
 
一瞬で会場がどよめき、当然のように大西真理が牙を剥いて吼える。  
 
「ふざけんなぁじじい!! 千晶の勝ちだろうがぁ!!」  
 
しかし行司はその梅干しのような表情を変えぬまま、まっすぐに大西真理を見つめて答えた。  
 
「勝ちは谷川選手。しかし失格。次の選手は土俵へ。」  
 
『行司は絶対』  
 
相撲の厳格なルールの前に、西小勢は辛うじて憤りを隠したが、土俵に向かう真理の背中はまだ怒りに震えている。今こそ桜の出番だった。彼女は真理を捕まえて必死に話しかける。  
 
「真理ちゃん!! 落ち着いて!!ええと…大根の種まきの時期は!?」  
 
「…八月中旬から下旬、肥料は…肥料は苦土石灰、乾燥に注意して…」  
 
「じゃ、エンドウ豆の…」  
 
真理と桜の瞼に、青々と茂る二人の大切な畑が広がる。夏の日差しを浴びたトマトの鮮烈な赤。夜のように深く艶めいた茄子の紫…  
 
徐々に呼吸が落ち着いてきた真理に、しょんぼりと土俵をおりた千晶が小さく詫びる。  
 
「…ごめん真理。しくじっちゃった…」  
 
「バカやろ。まあ残りの豚はこの鬼マリ様がコマ切れに料理してやるから、のんびり見てなよ…」  
 
ようやく真理の顔にいつもの傲慢な笑みが戻ったとき、敵陣東小の応援席に同じ位ふてぶてしい顔つきの男子児童が現れた。両脇に小学生離れした長身の美少女二人を従えた彼こそ、東小を牛耳る『魔王』シバケンこと、芝浦健太。  
余裕のアピールだろう、『男子の部』出場を控えているにもかかわらず、砂かぶりにどっかりと陣取った彼はにこやかに、伴った二人の少女と談笑を始めている。  
周囲の熱い視線を集める美少女の片方はシバケンとの熱愛を囁かれるジュニアモデルの転校生、白瀬紗英。  
その妖しくアンニュイな美貌と豊かな胸で『東小の傾国』と教師たちを苦笑させている彼女は、本来好む素朴で活動的ないでたちではなく、  
何度となく演じてきたダークヒロインそのままの黒く禍々しい、しかし限りなく人を魅惑するタイトな衣装でその完璧な肢体を包んでいる。  
漆黒の戦姫。自軍の士気を鼓舞する為の、シバケンらしい演出だった。  
そして紗英と鮮やかな対称をなす羽毛のごとく純白の装い。成熟したバストに女神の笑みを浮かべ、レディたる気品すら漂わせるもう一人のさらに長身の女子は…  
 
「…神楽坂沙織!! よく考えりゃあ、神楽坂興産の娘じゃねえか!!」  
 
先ほどからウロウロと、会場と男子控え室を往復していた三組の男子が叫んだ。名だたる噂好きである高橋というこの児童は、東小の内部事情にやたら精通している。  
品行方正…とは言い難い資産家令嬢である六年四組の神楽坂沙織は悪童軍団の頭領である『シバケン』と対をなす東小学校の顔だ。  
 
時として対立する彼女を『対外的な正妻』として伴ってくることこそ『東小の魔王』の権威を示すものだった。  
 
「…じゃ、あの行司、あの女の爺ちゃんかぁ!?」  
 
「ハナから東小が絶対有利ってこと!?」  
 
西小陣営が不穏なざわめきを上げ、やっと落ち着いてきた『鬼マリ』の瞳に再び獣じみた凶暴な光が宿る。  
 
「…何もかも癪に障るね…皆殺しにしてやる。」  
 
ギロリと敵陣を睨んだ彼女は、行司に見えないように首切りのジェスチャーをしてからゆっくり土俵に上がる。西小一同の胸を、嫌な予感が掠めた…  
 
「…大丈夫、真理が、きっと真理があと二人やっつけてくれるから、ね!」  
 
不安のなか桜が振り返ると、千晶が懸命に俯いたままの岩田早苗に話しかけている。まさかの形勢不利に動揺したのだろう。震える早苗の膝に手を置いて彼女を懸命に宥める困り顔の千晶。  
桜には、蒼ざめた岩田早苗の気持ちがよくわかった。面白半分に祭り上げられ、笑い者にされる辛さ。前の学校での自分のように…  
 
(真理ちゃん、頑張って…)  
 
ひたむきに祈る桜の親友、大西真理が今土俵に上がる。再び湧き上がる歓声には味方からのブーイングもいくらか混じっていた。  
 
「…見合って、見合って…」  
 
だが倒すべき敵しか見えていない真理にはブーイングなどいつでも雑音に過ぎない。  
『のこった!』の声とともに、彼女は舌なめずりしつつ黒髪をなびかせ突撃した。  
 
「行けえぇぇ!! 真理!!」  
 
千晶の渾身の叫び。普段は犬猿の仲だがこの二人の絆は不思議だった。外敵と戦うときのお互いへの信頼は、彼女の本来の相棒である八坂明にも劣らない。  
 
バシィ!!  
 
巨体の襲来を張り手ひとつで止めた真理は、そのまま再び張り手を繰り出す。そして、また張り手…堅く締めた晒しの下で、窮屈そうに83センチのバストがゆさゆさと揺れた。  
 
真理の長いリーチから放たれる掌は次第に相手を追い詰め、顔を庇った両手を赤く腫れ上がらせた東小選手はじりじりと後退していく。  
 
「おらおらおらぁ!!」  
 
真理の激しい張り手に対戦相手はなす術もなく、瞬く間にあと一歩で土俵を割るところまで追い詰められた。  
 
「よぉし!! いける!!」  
 
みんながそう叫び、誰もが真理の見事な白星を確信した瞬間だった。彼女はふらつく相手のマワシをがっちりと掴み、その馬鹿力でクルリと互いの位置を入れ替えた。  
 
「おらおらおらおらぁ!!」  
 
またもや張り手の嵐。  
もはや戦意を喪失し、涙目で後退るばかりの相手選手は再び土俵際まで運ばれ崩れ落ちそうになったが、真理は彼女を抱きかかえるようにして無理やり立たせ、そのまま強靭な腕力で宙に吊り上げた。  
 
「真理!! 止めろぉ!!」  
 
何かを悟った千晶が叫ぶのと、年取った行司が軍配を挙げるのは同時だった。  
しかし凶悪な笑みを浮かべた真理は故意に行司から目を反らせ、もがく相手を高々と抱え上げて強かに土俵へと叩きつける。ゴン、と嫌な音がした。  
 
「痛い!! 痛い!!」  
 
土俵上をのたうち回る相手選手の顔が鼻血と砂で汚れ、よもやの流血戦に会場は騒然となる。  
 
保健係が右往左往するなか、行司が厳しい声で告げた。  
 
「…西、大西真理の勝ち。しかし厳重注意。以降は……」  
 
「…るせえなぁ!! 八百長ジジイがぁ!!」  
 
血に酔った表情で行司に詰め寄る『鬼マリ』の周囲に、谷川千晶を先頭に西小の児童が殺到し、敵将シバケン以下、殺気立った東小勢もこの真理の暴挙にゆっくり腰を上げる。  
 
「離せぇ!! 絶対ぶっ殺ぉす!!」  
 
「やめなさい!! 大西さん!!」  
 
無謀にも行司に突進した真理に千晶と国東真琴、さらに十人近い西小児童が食らいつき、なんとか真理の手足を抑える。  
 
やっと呆然と立ちすくんでいた西小の教諭が土俵に駆け上がったとたん、落ち着き払った行司の声が狂乱する真理に無情な宣告を下した。  
 
「失格。行司への暴言と威嚇により失格。」  
 
「黙れえええっ!!クソじ…」  
 
まるで神輿のように大勢に抱え上げられた真理は、あらゆる呪いの言葉を吐きつつ、じたばたと暴れながら土俵から連れ去られてゆく。暴発寸前の東軍陣営もシバケンの怒号でしぶしぶ腰を下ろした。  
宮田桜は少し胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、彼女は更なる大問題に気付いて、慌てて周りを見渡した。いない。  
…こんなとき頼りになる男子たち、八坂明も、岸武志も、まだ控え室で稽古中なのだ。  
そして谷川千晶も、捻挫している国東真琴たちまで、『鬼マリ』完全捕縛のためまだ鳥居の辺りで大乱闘を続けている。  
 
「次。西小、岩本早苗」  
桜の不安どおり、行司に名を呼ばれた岩田早苗は、死刑の宣告を受けたようにガクリと膝を折って泣き崩れていた。  
 
「…嫌だ…桜ちゃん、助けて…」  
 
桜はオロオロと、この事態をなんとかしてくれる頼りになる人物を探して周囲を見回した。  
だが西小の教師たちまで真理が痛めつけた東小の選手に付き添って姿を消しており、窮地の西小チームを建て直せる人物はどこにもいない。  
 
「…西小選手は早く土俵へ。」  
 
無情な行司の嗄れ声。やっぱりこの年寄りは東小の回し者なのだ…  
 
「…だ、誰か早苗ちゃんの代わりに…」  
 
桜は精一杯の声を出して客席の西小児童に呼びかけた。三組の高橋も同じく駆け回って志願者を探している。  
 
「おいっ!! オメー出ろ!! 女なら誰でもいいからよ!!」  
 
しかし女子たちはみな戸惑ったざわめきのなか、桜たちから視線を逸らす。思い出したくない、彼女には見慣れた転校前の風景。  
 
かつて辱められ、囃したてられる彼女の周囲には、決して無関心ではないのに、何とかしたいのに、踏み出せない一線に立ち尽くす彼らが常に居た。  
桜はゴクリと息を呑む。自分ではない『誰か』を捜して宙をさまよう視線。そして自分もまた、全く同じ顔で早苗の傍らに佇んでいる…  
 
「…時間一杯。西小チームは棄権なら…」  
 
「せ、選手交代しますっ!!岩本早苗に代わって、六年四組、宮田桜!!」  
 
水を打ったように沈黙した会場の全ての視線が宮田桜に集まり、一瞬の後に騒然としたどよめきが境内を包む。  
やってしまった…後悔と入り混じる奇妙な爽快感のなかで、桜は落ち葉の舞う境内を見渡した。  
…現実感のない景色。敵将シバケンが失笑しつつ大袈裟に桜の仕草を真似て東小陣営を爆笑させている。  
しかしその侮辱が、温和な桜の闘志に火を付け、彼女はそのつぶらな瞳に親友『鬼マリ』の荒ぶる魂を徐々に宿してゆく。  
 
…やってやる…  
 
晒しを巻いている時間はない。毅然として靴を脱ぎ捨て、誰かが渡してくれたマワシに脚を通した。  
「…負けても全然恥じゃねえ。精一杯やってこい!!」  
 
去年同じクラスだった三組の高橋が檄を飛ばす。あまり話したことがなかったが、今の桜には彼の存在が心強かった。  
すでに東小の三番手、安西清恵はその恐るべき巨躯を大儀そうに土俵に運び、感情を映さない細い目で桜を見つめている。  
 
「シバケンの口癖らしい…『清恵さえ自転車に乗れりゃ谷川千晶なんか…』ってな…」  
 
励ましているのか脅しているのか判らない高橋カンチの言葉を背に、桜は身震いしつつ土俵に上がった。もう、後戻りはできない。  
 
慣れぬ手つきで清めの塩を撒く桜を気難しい目つきで検分した行司は頷いて、この倍の体重差はあろうかという決戦の開始を厳かに告げた。  
 
「…はっけよい、のこった!!」  
 
「わああああっ!!」  
 
産声を上げて十一年、格闘技はおろか、およそ腕力沙汰とは無縁に生きてきた桜の喉から渾身の雄叫びが迸り、彼女は体操服を押し上げる胸をふるふると揺らして長い長い両校の戦いの最前線に飛び出す。  
少し遅れて、東小の最終兵器安西清恵の巨躯も恐るべき突進を開始した。真理ですらがっぷり四つは避けるであろう怪物じみた迫力だ。  
かたや疾駆する桜はあまりに未経験すぎた。間合いを調整して相手の勢いを削ぐことや、機敏に重心より低く攻めいってバランスを奪うことなど思い付く筈もなく、  
遮二無に真正面から安西清恵の巨体に挑んだ彼女はすぐに自らの無謀を悟った。  
 
(…あ、これ、ダメだよね…)  
 
視界いっぱいに広がった雄牛のごとき敵の姿に、ようやく桜は彼我の圧倒的な質量差に気付く。  
紙のように青空を舞う自ら姿が鮮明に彼女の脳裏に浮かんだが、それはもはやコンマ数秒後の厳然たる事実だった。  
 
 
(…真理ちゃん…)  
 
両者の距離がゼロになる瞬間。それは、激突ではなかった。安西清恵にとっては衝突とすら呼べるものではないだろう。清恵の主観では、『付着』という表現がこの場合一番適切だった。  
 
「むふぅ…」  
 
桜は瞬時に安西清恵の雄大にして柔らかな胸になかば埋もれ、衝撃で窒息しそうになりながら死に物狂いでその巨乳にしがみつく。  
爪先はとっくに両方とも土俵から浮き、視界は暗闇だった。弾き飛ばされれば一巻の終わりだ。  
 
しかし桜は、規則正しく健康的な畑仕事の成果だろう、五年生の頃よりは幾分しっかりとした四肢で、母に抱かれる小動物のように清恵の身体をひし、と離さなかった。  
 
「…おぅ!?」  
 
突然桜の頭上から、低い驚愕の呻きが響く。  
あまりに手応えのない桜を乳房に挟んだまま慣性に逆らえず前進した安西清恵が、運動不足気味の両脚をもつれさせたのだった。超弩級の…大転倒だ。  
 
(あ…)(ぺしゃんこだ…)  
 
勢い良く前倒しにつんのめる安西清恵の巨体と、硬い土俵の間にいる自分に気付いた桜の心は、僅かな瞬間に恐怖と絶望から、穏やかな諦念までを駆け抜けた。  
 
…附属小にいた頃、何回自殺しようと思っただろう。生きる為に耐え、耐える為に生きていた日々。  
西小の戦士として勇ましく圧死するなら本望だ。心残りは沢山あった。しかしそれこそが宮田桜がこの半年と少し、本当に幸せに生きた証。  
…真理はどんな顔をするだろうか。お願いだから復讐だとか、そういう物騒なことは考えないで欲しいなぁ…あと、秋茄子の取り入れは…  
 
「ぬおうっ!!」  
 
しかし桜の思考は清恵の低い唸りに破られた。  
桜が顔を埋めている柔らかな乳房の下に秘めた東小一の筋力が漲り、逞しく太い右腕が桜の背を強く抱きしめる。  
 
「くぅ…」  
 
順調に生育中の乳房をギュッと押し潰され、肺の空気を全て押し出された桜の意識がふっ、と遠くなったとき、清恵の大転倒は終わっていた。  
 
(あれ…生きてる…)  
 
相変わらず両手足で清恵にしがみついたままの桜はきょとんと、まだ自分が呼吸していることに気付く。  
片腕で小さな桜を懐にしっかり抱き、もう片方の腕を力強い柱のように土俵についた清恵は、腕立て伏せのような姿勢で静止していた。  
 
桜を自らの体重で押し潰すのを渾身の腕力で防いだ彼女に老いた行司が走り寄り、再び彼女たち二人の時間が動き始める。  
 
「…西、宮田桜の勝ち!!」  
 
神楽坂老人の朗々たる叫びに、総立ちの児童たちの喝采と怒号が沸騰したように湧き上がった。  
 
(え!? 私…)  
 
未だ清恵に抱えられたままの桜の髪房は、土の付いた清恵の腕の傍らで土俵に届かずゆらゆらと揺れていた。  
ふう、と大きな溜め息を漏らした清恵の腕の力が抜け、ようやく硬直していた桜の背が静かに土俵に触れる。  
 
「西小学校、一勝。東小学校、0勝。『女子の部』は西小の勝ち!!」  
 
「…そんな…私…」  
 
桜の呟きに聞き取れぬ唸りで応えた清恵がのっそりと巨体を起こし立ち上がる。眩しい秋の日差しと、そして勝利した西小の歓声が桜を包み込んだ。  
 
「でかしたぁ!! 桜、でかしたぞぉ!!」  
 
興奮に顔を赤らめた高橋が、目に涙を溜めた早苗が、次々に土俵に駆け上がる。鳥居に縛り付けられた真理がじたばたと何か叫んでいるのもチラリと見えた。  
 
「…安西、さん…」  
 
未だ自分の勝利を納得しない桜にクルリと大きな背中を向けた安西清恵は静かに土俵を降りる。  
そんな彼女を誇らしげな拍手で迎えた神楽坂沙織と白瀬紗英に挟まれ、複雑な面持ちで佇んでいた『東小の魔王』シバケンは、やがて肩をすくめて破顔一笑すると取り巻きの一人に顎で合図を送った。  
 
「おおおおおっ!?」  
 
芝浦健太のどこまでも派手な演出に、予期せぬ勝利に湧きかえり、桜をもみくちゃにしようと殺到した西小の児童たちも息を呑む。  
 
「凄え…」「上手いな…」  
 
見事な横断幕だった。  
極彩色で描かれた巨大な龍の姿が、秋風を孕んで東小勢の背後に翻っていた。  
本来なら『男子の部』が開始される前、両校の応援合戦に披露される筈だったそれは、名誉ある清恵の敗北を讃え、高々と落ち葉を纏い秋の空に舞っていた。  
 
…『東小の魔王』の脳裏に、今日の小さな勇士、宮田桜への敬意が果たしてあったのかどうかは判らない。  
しかし、呆然とはためく龍を見つめる桜にぴったりと寄り添った谷川千晶は微笑んで言った。  
 
「…あ、やっぱりあの龍描いたの作倉さんだ。作倉さんってね…」  
 
楽しげに話す千晶の指差す先、横断幕の端っこに小さく書かれた『sakura』の文字は、偶然にも宮田桜の大奮戦をまるで予期していたかのように、午後の激突を控え熱気に沸く両校児童の頭上に翻っていた。  
 
 
END  
 
 

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