理沙は武志の渾身の蹴りを僅かな挙動で避け、無防備な胸を軽く突いて彼を転倒させた。  
「…ねえ、ちょっと休憩せえへん?」  
尻餅をついた武志に手を差し伸べ、理沙は言う。  
「ちきしょう…、なんでお前、そんな強いんだよ!」  
「郡大会三年連続一位や。ねえ、うち、どっか外へ行きたい。」  
「…いや、まだだ。明に勝てるまでは止めねぇ!!」  
理佐は愛らしく唇を尖らせ言う。  
「明くんて、今日の男前やろ。武志と仲良しやんか…」  
「明でもシバケンでも、附属の佐野でもいい。俺が奴らより上だってはっきりさせんだよ!!」  
理沙は深いため息をついた。  
「体が固いから、基礎からやらな駄目やて。ほれ。」  
理沙の脚がスローモーションで武志のこめかみを狙う。全く膝が曲がっていない。  
すらりとしたふとももが露わになった。  
「よし!その蹴り教えろ!!」  
武志はしなやかな理沙の肢体に目もくれず叫ぶ。  
 
理沙は再びため息をついて身構えた。  
 
岸武志。  
西小では八坂明に次ぐ主力の一人。  
戦場では常に形勢を見極め、彼我共に最小の被害で勝負がつくよう全体を見渡し、核爆弾のようなエース、八坂明、谷川千晶コンビをサポートしている西小の頭脳。  
事実、彼が不在の戦闘は幾つかの深刻な遺恨を生んでいる。たとえ敵でも、心まで傷つける戦いはしない。それが軍師、岸武志の流儀だ。  
 
その彼をナンバーワンへの狂おしい欲求に駆り立てたのは、突然、母親の郷里から訪ねてきた幼なじみ、嶋野理沙との再会の日の出来事だった。  
 
『…本人が気ィ済んだら、私送って行くさかい。大丈夫やて。武志も喜ぶし。ほんなら着いたら連絡するわ…」  
理沙が父親と喧嘩して、山深い故郷を出奔したとの知らせを受けた武志の母は、すぐ武志を駅に差し向けた。  
 
母親の郷里は全員が親戚のような村だ。同い年の理沙とも『遠縁』らしい。  
母と帰郷するたび、理沙は武志から離れず、二人の帰り際に涙ぐむのが恒例行事だった。  
 
駅のホームに着くと、半年前とは見違える理沙が武志を待っていた。  
 
凛とした目鼻だちに健康的な褐色の肌、そして一段とふくよかに育った胸。  
初めて出会ったとき、一緒に風呂に入るまで男の子だと思っていた、真っ黒な山猿の面影はどこにも無かった。  
「武志ー!! 会いたかったぁ!!」  
しかし、人なつっこい笑顔と、一途な武志への想いはずっと変わらなかった。  
「てめぇ!! おじさん達心配してるぞ!!」  
「しばらく頭冷やしたらええんや。…ほんまは、お母ちゃんとは、話ついとるし。」  
「おじさんとなんで揉めたんだよ!?」 「ええやん、そんなこと。あ、うち、貯金全部持ってきてんねん。ちゃんと宿賃払うさかいに。武志にも、なんか買うたる!!」  
 
とりあえず、連れて帰って任務完了だ。武志は理沙の手を引くと駅を出ようとした。  
そのとき、自販機の影から、見覚えのない二人組が理沙と武志を挟んだ。おそらく中学生だ。  
「おーい。君達、金貸してくんねえ?」…恐喝かよ…。  
連れがたとえ女の子であっても、千晶や鬼マリといった昔からの戦友なら、武志は笑って向こう見ずなスリルに飛び込んだだろう。  
 
しかしここは慎重さが必要だった。  
土地に不慣れな理沙と、彼女の大金をいかに守るか、武志の頭脳はめまぐるしく回転した。  
『理沙、あっち行ってろ。』  
小声で理沙に囁いたが、中学生は理沙の入念にセットしたポニーテールを掴み、ぐい、と引き寄せた。  
『お嬢ちゃんは幾ら持ってるのかな?』  
武志がおもわず罵声と共に身を乗り出した瞬間、髪を乱された怒りに震える理沙の拳は正確に中学生の鳩尾にのめり込み、彼は声も出せず昏倒した。  
もう一人の中学生は一瞬の躊躇のあと、口汚く罵りながら理沙に踊りかかったが、空を切る理沙の高い蹴りを側頭部に受け、勢いよく卒倒して仲間と重なった。  
まさに秒殺。武志は呼吸すら忘れて立ちすくみ、洗練された技に痺れた。  
 
二人は素早くその場を立ち去り、武志は興奮覚めやらぬまま、理沙に質問を浴びせ続けた。  
『なんでお前、そんな強いんだよ!!』  
『…お父ちゃんに、ずっと空手やらされててん。大喧嘩して、辞めたったけどな。』  
どうやら家出の理由はこの辺のようだった。  
 
武志は執拗に食い下がる。  
『なんで隠してたんだよ。俺知らなかったぞ!!』  
髪の乱れを気にしながら理沙が答える。『喧嘩嫌いやもん。…それに乱暴な女やって武志に嫌われたらいやや。』  
武志はこんな達人のいる村で、毎年の帰省を無駄に過ごしてきた事を悔やんだ。  
池で泳ぎ、カブトムシを採り、のどかな田舎の夏を何年過ごした事か。  
おそらく理沙は千晶と同等、いや、それ以上の力を持っている。今からでも遅くはない。こいつに習って腕を磨けば…  
『理沙!当分こっちにいるだろ?』  
『うん!!』  
『じゃ、明日から弟子入りだ。防具とか要んのか?』  
『へ!?』  
 
大振りな武志の攻撃を受け流しながら、理沙はぼんやりと父親が自転車を買ってくれた時のことを思い出していた。  
「な!! 理沙、かっこええやろ!! 六段変速や!」  
メタリックブルーの無骨な車体には『TOUGH BOY』とロゴが入っていた。  
可愛いキャラクターのついたピンクのミニサイクルに憧れながら、四年生まで山道を疾駆したあのマウンテンバイク。  
六年生になってもほとんど発毛していないのは、あの自転車のきついサドルのせいだと今でも理沙は信じている。  
 
男の子を熱望していた父がもうひとつ、理沙に押し付けたのが空手だった。  
練習や試合で山を降りられる誘惑に負けて通い続け、気がつけば地方紙に『猿飛理沙』などと書かれる腕前になっていた。  
浮かれて恥ずかしい垂れ幕など造り出した父親に堪忍袋を切らし、家を飛び出した。  
理沙の行き先はひとつ、毎年わずか数日しか逢えない理沙の想い人、武志の住む街だった。しかしここでも闘っている自分。  
…ひょっとすると私、は蹴ったり蹴られたりする星の下に生まれたのだろうか。  
 
そんな悲観的な思考に没頭し始めた理沙の僅かな防御の隙を突いて、彼女の胸に武志の蹴りがまともに命中した。  
「きゃあ!!」  
理沙はあお向けに倒れ込み、痛みと悲しみで起き上がる事もできなかった。  
「痛いよう、痛いよぅ。」  
…やはり私は飛び蹴りの神さまに呪われているに違いない。  
女の子なのに道場で蹴られ続け、一途に想い続けた相手にまで見事なキックを決められ、多分死んだら「飛び蹴り地獄」あたりへ堕ちるのだろう。  
武志は狼狽して駆け寄り、理沙を抱き起こした。  
「ごめん理沙!!大丈夫か!!」  
「痛い。痛いよ武志。。」  
武志の頭に『女の子の体に傷を付けたら一生の責任』という母親の言葉が浮かび上がった。  
無我夢中で理沙のTシャツをたくし上げ、ブラジャーをずり下げ傷を探す。  
白磁のような滑らかな乳房に薄い痣ができていた。  
嗚咽しながら理沙が言う。  
「…役立たずでごめんな… でも、うち、武志とおしゃれして出かけたり、手を繋いだりしたかった。映画行ったり、お茶したり…」  
 
武志の胸に後悔がこみ上げた。  
…何で俺、明に勝とうなんて思ったんだろう?  
「ごめんな、理沙、ごめんな。」  
それ以外に何も言えず、武志はただ一心に理沙の胸を撫で続けた。  
理沙の次第に紅潮する頬にも、ピンと尖り始めた乳首にも気付かずひたすら撫で続けた。  
 
「うう、ん…」  
理沙の呻きに武志の手がピタリと止まる。  
「どうした!! どこが痛い!?」  
理沙は無言のまま、武志の体を両手で抱き寄せた。  
たちまち彼を少女の甘い香りと柔らかな体温が包み込み、耳元に熱い喘ぎと囁きが伝わった。  
「違う。気持ち…いい…」  
 
武志は自らの置かれた局面にようやく気づき、我に返って理沙の乳房を見つめた。  
切なげに震える理沙の熱く柔らかな乳房は、理性と欲望のはざまでうろたえる彼のためらいを、全部たやすく吹き飛ばした。  
 
「ああ…ん…」  
次第に荒々しくなる武志の愛撫に、理沙の喘ぎが高くなってゆく。  
やがて武志の掌が、そろそろと理沙の下腹部へと降りてゆき、理沙は眼をかたく閉じて、両脚の力をゆっくりと抜いた。  
 
「あ!あ!あ!…」暖かい亀裂はぬるりと武志の指を迎え入れ、理沙は弓なりに腰を浮かせる。  
「…うち、武志のもんになる。空手も頑張って教える。だから…。」  
震える声。  
しかし武志は、切なげな理沙の瞳の奥に、早すぎる喪失への恐怖と不安をありありと見た。  
…これはフェアじゃねぇ。  
与えないで奪うことは岸武志の規範に反した行動だった。  
理沙の強さも貞操も、武志が努力せず奪っていいものではない。  
自らの昂りをねじ伏せ、武志は行為を中断した。  
西小ナンバーワンは、もう少しあとでいい。今は理沙の王子様になろう。  
名残り惜しい胸にもう一度顔を埋めると、まだ眼を閉じて震えている理沙の体をひょいと抱き上げ、おずおずと見上げた理沙に言う。  
「今は早く帰れ。  
必ず…迎えに行くから。」  
武志の腕の中で理沙の全身が弛緩する。そして、うれしそうに呟いた。  
「お姫様抱っこや…」  
「ん…俺の…お姫様だからな。」  
武志は、そっぽを向いて小さな声で言った。  
 
 
END  
 
 

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