「…じゃあ日菜、すぐ帰ってくるから、待っててね。」  
 
よそいきの夏服に麦わら帽子の綾乃は、バス停まで見送りに来た私と沙智に言った。  
 
夏休みの恒例で、綾乃は二泊三日、従兄の家を訪ねる。  
今年は、勇太と私を二人にして出かけるのは、不安でしょうがなかったらしく、今朝突然、五年生の沙智が綾乃の見送りに、私を誘いに現れた。  
綾乃が留守中の、私と勇太の監視役という訳らしい。  
 
「気をつけてね。 行ってらっしゃい。」  
私と、後ろにぴったりと張り付いて離れない沙智は、手を振って陽炎の中に消えるバスを見送った。  
 
「…ねえ日菜ちゃん、なんで髪切ったの? 」  
沙智が、お目付役らしく意味有りげに尋ねる。  
 
彼女は分校に六人いる五年生のリーダー格で、最近何かにつけて私達上級生の事に首を突っ込みたがる。  
特に色恋沙汰には興味津々な年頃で、綾乃はそこに目を付けて、私と勇太の監視役に抜擢したのだろう。  
私と綾乃を恋仇だと思っている彼女は、さぞ意気揚々と引き受けたに違いない。  
 
日焼けした沙智のにやにや顔を睨んで、ぶっきらぼうに答える。  
「暑かったからよ。」  
 
振り返らずてくてく歩いて地蔵橋まで来ると、下の川で勇太と下級生の男子が泳いでいるのが見えた。  
「あっ!! 勇太君たちだ。 私も川で遊ぼっと!!」  
沙智はうれしそうに駆け出していった。  
別に綾乃の留守に勇太といちゃいちゃする気はなかったが、橋の上から勇太たちを見ていると、なんとか沙智を出し抜く方法を考えている自分に気が付いた。  
 
 
「なぁんだ。日菜ちゃん、来たんだ。」  
午後になって暇を持て余し、水着で河原に降りた私に沙智が意地悪く言う。  
 
「うるさいな。私の自由でしょ。」  
私は沙智のほうを見ないで答え、ぷかぷか浮かんでいる勇太のところへ泳いでいった。  
 
「勇太、綾乃がね、見送りに来ない!!ってぶつぶつ言ってたよ。」  
「…昨日まるで一生の別れみたいに大騒ぎしたから、今日はもういいかな、って思ってさ。」  
 
泳ぎながら話す私達を、沙智は岩の上からじーっと監視している。  
 
「何なんだ?沙智は。」  
勇太も気付いていたらしい。  
 
「知らない。好きなんじゃないの。勇太の事。」  
「馬鹿。でも、あいつ、五年生にしちゃ、いい乳してるよな。ひひ。」  
「勇太のエッチ!!」  
わざと遠慮せずにばちゃばちゃとふざけながらふと振り返ると、いつの間にか河原に上がった沙智は、なにやらメモを取り出して熱心に書き込んでいた。  
あわてて私も河原に上がり、逃げ出した沙智を追いかける。  
「ちょっと、沙智!!待ちなさい!! なに書いてるの!?」  
 
「別にぃ。日菜ちゃんに関係ないもん。」  
この間まで『日菜ちゃん、オシッコ』などと世話を焼かせていた沙智が生意気に胸を揺らして逃げ回る。  
周囲の下級生が訳も解らずにはしゃいで後を追ってくる。  
 
うだるような暑さの中、追いかけっこは続いたが、結局沙智を捕まえられないまま、四年生のカオルのお母さんが持ってきてくれたアイスにみんなで飛びついて、その日の攻防は終わりを告げた。  
 
 
次の日、プールでも沙智に散々尾けまわされた私と勇太は、耳をつんざく蝉の声の中、それでも並んでいつもの河原道を下校していた。  
 
後ろから聞こえる聞こえよがしの大声はもちろん沙智のものだ。  
 
「…ま、アベックってのは、たいがい、そういう事すんのよ。」  
四年生たちが興奮した声で尋ねる。  
「で、でも、それは大人の話だろ!?」  
 
「馬鹿だねー。最近じゃあ、そうねえ、六年生位なら普通にやるんだよ。」  
 
振り返ると男子下級生の刺すような視線が私のお尻に集中している。  
 
明日から水着のまま帰るのは止そうと思い、大きな溜め息をついた。  
 
しかし、沙智の嫌がらせを気にも止めず、先日、本校で決めたシュートの話を得意げに続ける勇太の横顔をちらりと見ると、胸がキュンと高鳴った。  
 
綾乃の留守中に一度だけ、ギュッと抱っこしてもらおう。  
 
綾乃が沙智なんか抱き込んだ罰だよ、と自分に言い訳をしながら歩いていると、突然、だいぶ後ろに離れていた沙智たち下級生の方から悲鳴とざわめきが上がった。  
 
カオルが血相を変えて駆け寄ってくる。  
「勇太くん!! 大変だよ!! 沙智ちゃんが…」  
勇太が踵を返し、飛ぶように走る。私も後を追った。  
 
下級生たちが騒然と見守る中、沙智は泣きじゃくりながらばたばたと転がり回ったいる。  
勇太が素早く抱き起こし、大声で沙智に尋ねた。  
「どーした沙智!?、どこが痛い!?」  
「…背中!! 背中がいたいよお!!」  
勇太はすぐスクール水着の背中をずり下ろして言った。  
「ムカデだ!! でけぇ!!」  
 
うかつに藪にでも入ったらしい。  
 
「まだケツの辺りに居る。俺がハタくから、お前は一気に水着降ろせ!!」  
 
「うん!!」  
 
作戦を理解した下級生たちも、蜘蛛の子を散らすように周囲から避難した。  
 
「せーの!!」  
 
私はまだ濡れている水着の肩紐をしっかり握って、思いっきり下げた。  
灼けていない白い背中とむっちりしたお尻が露わになる。  
 
毒々しく青黒いものが、沙智のお尻の割れ目に逃げ込もうとしたとき、勇太のタオルが一閃し、それは宙を舞ってぽちゃりと渦巻く川の流れに落ちた。  
 
「ふえぇん…日菜ちゃん、いたいよぅ…」  
泣き続ける沙智の背中には、ぽってりと大きな腫れが出来ている。  
水筒の氷で冷やして脂汗を拭いてやると、不意にこの生意気な妹分がたまらなく可愛くなった。  
泣き虫だった小さい頃の綾乃を思い出したからかも知れない。  
「大丈夫だよ。すぐ病院行くからね!!」  
「沙智、おぶされるか!? 日菜、手伝え!!」  
 
沙智の汗でひかる乳房がペタッ、と勇太の灼けた背中にくっつき、それを見ると、こんな時なのにおへその辺りがキュン、と疼いた。  
 
勇太と私は沙智を背負って疾走した。  
運動会で本校の生徒の度肝を抜いた私達の駿足は健在で、途中で製材所のトラックに拾ってもらうまで駆けて、駆け続けて沙智を病院まで無事送り届けた。  
 
家の近くまで送ってくれた製材所の人にお礼を言って車から降りるともう陽は落ちており、勇太と私はぶらぶら歩いて、いつもバイバイする街灯の下で佇んだ。  
「…点滴、一時間半位って言ってたから、そろそろ終わったかな?」  
 
「…うん、そーだな。」  
 
「…明日、綾乃帰ってくるね。」  
 
私の言葉に頷いてから、勇太は街灯を見上げて呟くように言った。  
「…日菜、今晩『星座調べ』の宿題、一緒にやんねーか?」  
 
 
その夜私はお風呂を済ませ、宿題と少しの後ろめたさを抱えて、勇太の家を訪ねた。  
 
「ばーちゃん寝てるから、静かにな。」「おばさんは?」  
「親父と夜釣りに行ってる。」  
 
エアコンの音だけが軽く響く勇太の部屋には、星図と宿題のプリントが散らばっていた。  
ベランダに出て、おざなりに星空を見上げたあと、部屋に戻った私たちは、星図の上に頬杖をついて座り込んだ。  
 
「ええと、こと座とはくちょう座と…わし座の…」  
 
「…夏の大三角か。」  
「…なんか、私たちみたいだね。」  
 
二人でクスクス笑ったあと、勇太の手が、ゆっくり私に触れる。  
「…ん…何?」  
 
キョトンと勇太を見つめる、少しずるい私を、彼は黙って抱き寄せた。  
 
「ん、ん…」  
二回目のキス。  
初めての二人きりのキス。  
 
唇から全身に切ない疼きが広がり、私は火照った胸を勇太にぎゅっと押し付けた。  
 
「…明かり、消そうよ…」  
 
勇太と一緒に居たくて、泥んこで木に登り、ボールを追いかけ続けてきた私。  
 
もしいつか、勇太が私を要らなくなっても、そんな日菜が本当はずっと女の子だったことを覚えていて欲しくて、私は勇太を誘った。  
 
 
仄かな光の下、勇太の舌が、敏感に尖った私の乳首を乱暴に吸う。  
 
「ひゃ…あ…」  
 
蕩けそうな快さは全身に飛び火してちろちろと燃え上がり、その中でいちばん敏感な場所に勇太の唇が触れたとき、私の恥じらいは弾け飛んだ。  
 
「ひあ…ぁ…勇太!! 勇太!!」  
 
散らばった夏の星座の上で、私と勇太は、恥ずかしいことをいっぱいした。  
 
 
気が付くと、二人は荒い息でぐったりと倒れ込んだまま、まだジンジンする体を寄せ合って、眠りこんでしまっていた。  
時計をみて飛び起き、勇太に囁く。  
 
「帰らなきゃ。…ね、私、上手だった?」  
「ん… 全部、絞り出された。」  
 
「馬鹿!! 馬鹿!!」  
 
また少しじゃれ合ってキスしてから、足音を忍ばせて勇太の家から出た。  
 
 
 
「途中まで送る。」  
そう言って聞かない勇太と並んで歩く。  
「エッチなこと言っちゃ嫌だよ。」  
 
「あれ、アルタイルだよな。」  
寄り添って星空を見上げるのも、少しロマンチック過ぎて恥ずかしかった。  
 
「彦星だね… 綺麗。」  
 
そう答えてさらに顔が火照ったとき、勇太がためらいながら言った。  
 
「…四年生のとき劇やっただろ…。」  
 
学芸会で七夕の劇をした。私の配役は『牛』。織姫はもちろん綾乃だった。  
 
「…考えたら、俺が牛の役やって、お前彦星やったら良かったんだよな…ごめんな。」  
 
「ううん、彦星は男の子じゃなきゃダメだよ。」  
 
そう言ってピョンと勇太から離れた。私の家はすぐそこだ。  
髪を伸ばして綾乃になろうとしたあの頃。  
でも今は、私が私で幸せだな、と思う。  
「おやすみ!! 明日、綾乃迎えに行こうね!!」  
 
振り返ってそう叫び、星明かりの下を思い切り家まで駆けて帰った。  
 
 
END  
 

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