山の麓の小さな小学校。  
前を流れる浅い谷川の河原を歩いて、私たちはいつも下校する。  
「つ−か、俺が出りゃ、一位間違いないって。」  
川に石を投げ込みながら、勇太が言った。  
「他のメンバーにもよるでしょ?」  
私はまだ冷たい川の水に足を浸しながら応える。  
 
昨晩テレビで放送していた、『小学生30人31脚』の話だった。  
「力抜いて俺についてくりゃ、楽勝だよ。」  
「…ま、うちの学校じゃ無理だね。」  
 
過疎の村の分校。全校生徒は二十人しかいない。今年ついに、新一年生は入学しなかった。  
六年生は私と勇太、それから今、ばたばたと河原に降りて来た彩乃の三人だけだ。  
私達は兄妹、いや三つ子のように、ずっと一緒に過ごしてきた。  
 
「やってみるか?」勇太が言う。  
「日菜、何の話?」  
彩乃がせっかちに尋ねた。  
「二人三脚。」私は答える。「じゃなくて…三人…四脚か。」  
 
目新しい遊びもない最近、私と彩乃には、もう勇太のサッカーの相手は無理だった。  
すぐに私達は座り込んで、勇太を真ん中に互いの足首を結んだ。  
 
「せーの!!」  
一歩踏み出した途端に思いきり転んだ。  
「いてててて!!」「バカバカ!! お前らは右足からだ!!」  
 
もう一度立ち上がって、ぐらぐらと歩く。  
「1、2、1、2」勇太の大きな歩幅に驚いたが、振り回されるように、なんとか前進し始めた。  
「よおし、いけるぞ!!」  
勇太は歓声を上げたが、私は三十人で走る事を考えてクラクラした。  
 
「勇太!! 河!! 河!!」  
目前に迫った河の流れに彩乃が叫ぶ。  
調子良く加速していた私達には、停止も方向転換もできなかった。  
「ええい!! 進めぇ!! 」  
勇太の号令で、私達はざぶん、と浅瀬に飛び込んでゆく。  
 
「きゃあああ!!」  
 
ヌルヌルした川底の石で滑りながらも、呼吸の合ってきた私達は、ざぶざぶと河の中を走り続けた。  
「勇太!! ここでコケたら、溺れちゃうよぉ!!」  
全身びしょ濡れで私は叫ぶ。『小学生三人が入水心中』。今の私たちには笑えない冗談だった  
 
「止まるな!! 向こう岸まで、つっ切るぞ!!」  
 
私と彩乃は勇太にしがみついて、なんとか対岸にたどり着いき、荒い息でへたり込んだ。  
汗が額を伝う。先週思い切ってショートにしておいて良かった。  
 
「死にそぉ…」  
「でも、面白かったぁ…」  
ふうふう言いながら、足首の紐を外そうとしたが、水を吸った布紐はきつく食い込んで締まり、解くことが出来なかった。  
靴もランドセルも、鋏の入った裁縫袋も向こう岸だ。  
 
「…もう一回やるのぉ…」  
彩乃が泣き声を上げる。  
 
その時、今いる河原から山道を少し上がれば、私のお婆ちゃんの納屋があることに気付いた。鋏や鎌がある筈だ。  
二人に話すと、すぐ賛成したので、私達はまた号令を掛けながら、アスファルトの細い山道を登り始めた。  
 
「あちちちち!」  
裸足に灼けたアスファルトが熱い。  
 
ようやく納屋にたどり着き、勇太はガラガラと錆びた鉄扉を開いた。  
 
薄暗い納屋のなかはひんやりとして、雑然と農機具や古い家具が置かれている。蝉の声だけが、細く響いていた。  
 
「よし!! ハサミ発見!!」  
三人で慎重に移動し、剪定鋏で足首の紐を切る。  
勇太の足が私よりずっと大きいのにふと気付いた。  
 
「寒いね。」  
綾乃が言う。日陰では、濡れた服が重く冷たい。  
「そうだ!! 二階に古着があると思う。」  
狭くて登りにくい階段を登って、さらに薄暗い二階に入ると、畳張りになった小さな部屋があった。  
そこで私たちは、思わぬ懐かしい友達にばったりと再会した。  
「グーちゃんだ!!」三人が同時に叫ぶ。  
幼かった頃の四人目の友達。私と綾乃の患者さん、勇太のプロレス相手と、忙しく過ごしてきたクマのぬいぐるみのグーちゃんは、この納屋で静かに休んでいた。  
 
「…こんな小さかったんだ、グーちゃん。」  
「俺、運ぶのに苦労してた…」  
 
私達とグーちゃんは、しんみりと再会を懐かしんだ。  
朝から晩まで、いくら遊んでも時間が足りなかったあの頃。  
喧嘩ばかりしていたけど、三人が三人でいることに、何の疑問もなかった。  
 
いつからだろう? 何の隠し事もなかった私達が、時々互いに目を伏せるようになったのは。  
 
三人ともその理由はよくわかっていた。だからこそ、勇太と私と綾乃は、常に一緒にいた。  
 
「クション!!」  
綾乃が大きなくしゃみをした。  
「風邪引くな。早く服捜そうぜ。」  
 
捜すまでもなく、部屋の四方に窓まで塞いで置かれた箪笥の中は、全て衣類だった。  
 
古ぼけたデザインの三着をめいめいに引っ張り出し、勇太が隅にあった衝立をヒョイと部屋の真ん中に置く。  
 
「この衝立、ずっと日菜ん家の玄関にあったよね。」  
「勇太この虎の絵が怖くて、いつも縁側から遊びに来てたんだ。」  
「…ごちゃごちゃ言ってねーで、とっとと着替えろ。」  
 
綾乃がさっさと裸になって、体を拭き始めたので、私もぴったり張り付いたタンクトップを苦労して脱ぎ捨てた。  
 
最近綾乃の胸は、また大きくなった。  
長い髪を拭くたびに揺れる乳房を何げなく見ていると、綾乃が私に言う。  
「何?」  
「ううん。」  
また目を伏せ、あわてて体を拭く。  
下着を脱いで、ふと顔を上げると、衝立の向こうから勇太の濡れたTシャツが飛んで来て、私の顔にべちゃりと当たった。  
「ちょっと、何すんのよ!!」  
 
Tシャツを拾って投げ返すと低い衝立越しに、裸の勇太と目が合った。  
 
「でけー乳!!」  
「ば、馬鹿!!」  
 
私があわててしゃがみこんだ時、だしぬけに綾乃が衝立を突き飛ばし、震える声で叫んだ。  
 
「私のほうが…大きいもん!!」  
 
三人がずっと避け続けてきた瞬間。  
蝉の声だけが、大きく響く。  
 
耐えきれない空気の中で私は恥ずかしさも忘れて立ち上がった。  
 
「なんで…なんで三人なんだろ…」  
 
そして綾乃が勇太に飛び付いて泣きだした時、私の目からも堪えきれない涙が溢れだし、気が付くと、私も勇太の胸に飛び込んでいた。  
 
ぎゅっと受け止めてくれた勇太の優しい腕の中で、私と綾乃は泣き続けた。  
 
大好きな勇太。大好きな綾乃。そして私。  
誰も誰かを選べるはずがなかった。一人は残されてしまうのだ。まるでグーちゃんのように。  
 
二人の大きくなってしまった乳房を、大粒の涙がポタポタとつたう。  
「…勇太を独り占めにしたい自分が嫌い…」  
独り言のように私が呟くと、綾乃が続ける。  
「先を越されないかビクビクしてる自分も大嫌い…」  
 
「…でも、私は…」  
そして、私と綾乃の唇が、絞りだすように同じ言葉を発した。  
「…勇太が好き…」  
口に出した瞬間、まるで魔法の言葉のように、ずっと張り詰めていた三人のわだかまりが消えていく。  
二人の体温と、安らぎが全身を包んだ。  
「…俺、どっちも大好きだ。」  
ずっと知っていた答え。  
でも、今、私たちには充分すぎる答えだった。  
 
「…だから、そろそろ離れろ。」  
勇太がそっぽを向いて言う。  
「いやだ!!」  
私と綾乃は、駄々っ子のようにぐいぐいと勇太にしがみついた。  
 
「…離れろって!! あのなぁ… 男はなぁ… 」  
勇太が涙目で言う。  
「…勃っちまうんだよ!!」  
 
私と綾乃は赤くなった顔を見合わせ、そろそろと勇太がしっかり押さえている場所に目を落とした。  
「…見ても、いい?」  
 
はだかんぼで遊ぶのは何年振りだっただろう。  
「…ヘンな形…」  
「おまえらだって、変な形だ。」  
見せっこして、触りっこした私たちは、お互いの体の変化に驚いた。  
 
「…綾乃、こっち…」  
「…ん…」  
「あ!!駄目駄目!!」  
「勇太。勇太…」  
 
グーちゃんが見ていた。きっと呆れているだろう。  
 
誰にも言えない悪ふざけを終え、私たちは格好悪い古着を着てグーちゃんにお別れを言って納屋を出た。  
 
「また来るね。グーちゃん。」  
 
外は暑く、眩しかった。  
蝉の声がまた押し寄せてくる。  
裸足で河原まで降りると、勇太が言った。  
「橋まで歩くの、めんどくせーな…」  
「また川渡る気!?」  
文句を言う間もなく、勇太はまた冷たい水に駆け出した。  
 
「ああん!! 待ってよぉ!!」  
 
私と綾乃は、急いで後を追いかける。  
私たちはそれぞれ自由に走れた。  
 
でも、水飛沫を上げ、三人で寄り添って走り続けた。  
 
 
END  
 
 
 
 
 
『グーちゃんの独り言』  
 
久しぶりに顔を見たと思ったら、また喧嘩して、泣いて、仲直りか。三人とも、変わってないよ。  
日菜がショートにしてる位か。あ、勇太のあの傷は結局、跡残ったんだな。  
 
あーあ、早く服着なきゃ、風邪ひくぞ。でも、なんか妙な雰囲気だ。そんな年になったんだなぁ。  
 
触ってる…  
やっぱりこんな時でも、綾乃のほうが積極的だ。ま、あの尖った唇は「日菜には負けないぞ。」って時の癖だけどね。  
そうそう、仲良く触りなさい。  
 
…でも、二人とも、お尻大きくなったなぁ。…丸見えで、こっちが恥ずかしいけど。そう、僕はいいから、勇太に見せたげな。  
 
あーっ!! そっと触れよ勇太!! 贅沢なんだぞ、並べて鑑賞なんて。まだ子供の癖に。  
 
こらこらこら、なんで日菜の方を先に吸う!! 綾乃からだろ普通。特に綾乃は拗ねやすいんだから。  
…でも、ほんとに、どっちもいいおっぱいになったなぁ…  
 
そろそろ服着なきゃ風邪…わっ!! 飛ばすな!!  
ちゃんと箪笥拭いて帰れよ。また…来いよ。  
 
 
 
 
 

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