気まぐれな涼風の吹く夜、男は路地を彷徨っていた。  
ラガーマンのような隆々たる巨躯、目元を穿つ銃痕をみれば、  
誰もが触れることを本能的に避けるだろう。  
しかしすれ違う者が振り返るのは、その強面ゆえではなかった。  
 
内海省吾、売春組織の幹部として紙面を飾った男。  
系列する風俗店の不手際が火種である。  
堅気でも最早その顔を知らぬ者はいない。  
8年の監獄生活の間にどれほど世情が変わっても、  
冷たい風当たりは相変わらずだった。  
 
彼にはひとつの趣味がある。いや、憂さ晴らしというべきか。  
それは風俗嬢を罵倒すること。  
技術が拙ければそれを、巧みであれば売女とそしる。  
にこやかな顔がやがて引きつり、怒りを内包し、  
それでもプロ意識で必死に堪える様が愉しかった。  
辞めさせた嬢の数は両指に収まらない。  
 
省吾は普通なら叩き出される違反行為も平然としてのけた。  
なにしろ裏の世でさえ敬遠されているのだ。  
『指名された姫の気運が悪い』  
この界隈の業者は、そう結論づけていた。  
 
男は肩で風を切りながら、色とりどりのネオンを眺め回した。  
獲物を狙う豹のような目は、ふと気配を感じて前を向く。  
 そこにはこちらへ向かってくる少女の姿があった。  
うつむく頭には光沢の流れる黒髪がその質の良さをしめし、  
前髪から覗く小さな唇はふっくらとやわらかそうだ。  
黒いブレザーに膝までのチェックスカート、紺のハイソックス。  
校則を遵守した制服姿は、同じような服を着崩す周囲の娘と  
一線を画していた。  
 
彼女は杖を片手に、点字ブロックを探しながら向かってくる。  
しかし省吾がそう悟った時、すでに少女は近づきすぎていた。  
「危ないっ!」  
誰かの叫びが聞こえる。  
赤子が獅子の口へ這うのを見たように。  
直後、男にとっては軽い衝撃と共に、眼前の華奢な身体がびくっと震えた。  
木の杖が膝に当たる。  
騒がしかった路地は局地的に静まり返った。  
顔の赤い酔漢さえもが目を背けた。  
 
衝突の反動で少女と顔ひとつぶんの距離が開く。  
その時、ふぅわりと食べ頃の桃の香がした。  
爽やかでわくわくするほど甘いにおい。  
当惑のためか、少女は一拍置いて顔を上げる。  
 (うおっ……)  
その造りに、省吾は息を呑んだ。  
光の加減か白い顔に鼻梁は見えず、口さえも果皮をうすく裂いたよう。  
そしてくっきりした切れ長の目には、瞳孔に孕む光こそないものの、  
黒曜石を思わせる言い得もない深みが層を成していた。  
「すみません」  
唇がわずかに動き、木琴を叩くように静かな声で言葉をつむぐ。  
たったそれだけの事が、しかしひどく幻想的であった。  
まるで幽霊や妖かしの類にすら思えるほど、  
あえて有り体にいえば美しかった。  
 
落ち着いた少女の態度に、路地の者達は顔面を蒼白にする。  
携帯を取り出して3桁を打とうとする者さえいた。  
内海省吾にぶつかったとあれば、淡々と謝罪している場合ではない。  
地に頭を擦りつけても骨折では済むまい…。  
誰もが一様にそう思ったらしい。  
だから、男が黙って身を傍らに寄せたとき、皆が目を丸くした。  
 
なおも呼吸音の途絶える中、少女は一礼して杖をつく。  
肩下までのさらさらした黒髪を眺め、省吾は向きを変えた。  
 少女の方へ。  
彼の歩は黄色い点字ブロックをなぞりはじめる。  
人々は再び落胆した。やはり噂通りだと。  
 しかし、省吾には冷たい視線などどうでも良かった。  
下賎な邪推をするのは、少女と真っ向で対峙していないからだ。  
彼は異性を追っているのではない。  
ネオンよりも妖しい蝶を、視界に留めておきたいだけだ。  
 
蝶はいくつか角を曲がってとあるビルに消えた。  
青白い看板を見上げれば、そこが手と口で男を満たす場、  
ヘルスだとわかる。  
 (……馬鹿な……)  
省吾は複雑な面持ちでその扉に手をかけた。  
幻想が汚れたからではない。  
むしろ、本来の邪な目的と稀有な美が結びついた事に  
どうしようもない背徳を感じている自己嫌悪が大きかった。  
 
「今入ってきた娘を頼む」  
札束を置いて省吾が言うと、ボーイ達は困り果てた顔になった。  
「確かにあの子なら、すぐにご用意できますが…」  
ちらちらと省吾を見上げる。  
当然、彼らも男の素性は知っているのだろう。  
「で、でも彼女、まだこの業界の経験は少ないんす。  
 それに目も見えませんので、十分なサービスは出来かね…」  
そこまで言い、相手のひと睨みで彼らは口を閉じた。  
「くれぐれも手荒な事だけは、どうか…」  
そう後ろから声を掛けただけ、まだ上等だろう。  
 
少女が杖をついていたのは、怪我ではなく盲目であるためらしい。  
無論そんな事は男とて理解していたが、果たしてそんな娘を雇っていいものか。  
「……ふっ」  
考えるうち、男は待合室で破顔していた。  
小学生が奉仕していてもおかしくない時勢だ、  
障害者が男を取るのに何の不自然もない。  
そんな事は誰あろう彼自身が一番よく知っている筈だ。  
「ヤキが回るにゃ、ちと早えぇぞ」  
コップに並々とビールを注ぎ、男は一人ごちた。  
 
ボーイに呼ばれ、省吾は狭く急な階段を上る。  
嬢が迎えに出ないとあれば、それだけで皮肉の種とする彼であったが、  
今はただ淡々と歩を進めた。  
 ノックもせずいきなり扉を開け放つ。  
しかし驚きの反応は窺えない。  
全体がピンクで統一された部屋の中、ベッドに腰掛けて少女はいた。  
脱ぎやすい為だろうか、やはり桃色のネグリジェを身に纏っている。  
「お出迎えできず、申し訳ありません」  
一定のペースを保つ口調が、丁寧に謝罪を口にした。  
しかし、それは断じて世に疎い“おっとりした”ものではない。  
少なくとも男はそう感じた。  
 
戸を閉めてベッドに腰掛ける。  
少女が振り向いた。  
物憂げに薄く開いた瞳が、じっとりと男を捉える。  
睨むようにも取れる目、だが不思議と不快さはない。  
省吾は言葉さえも忘れ、まるで叱りをうけた子供のように、  
その瞳奥の心情を読み取ろうとしていた。  
 
「……ごめんなさい。わたしの目つき、怖いですか?」  
少女の言葉で、省吾はようやく自失していたことを知る。  
「面接の時にも言われたんですが、慣れなくて」  
少女は心持ち済まなそうな表情をしていた。  
「い、いや。気にはならん」  
省吾は動揺を隠すため、横柄な態度で応じる。その直後。  
「…ん」  
少女はひと言、たしかにそう呟いた。  
安堵の声であるのか喜びを示したのか、省吾にはわからない。  
ただそれを耳にした時、彼は肺が詰まるほどの律動を意識した。  
 
 ありえないことだ。  
今まで何百という美少女を手籠めにしてきた男が、  
たかが路地裏で会った盲目の少女ひとりにペースを乱されている。  
 確かに少女の貌立ちも上等な部類には入るだろう。  
しかし彼は、幾人もの教員を破滅させた美貌・スタイルの持ち主や、  
雑誌の取材を受けた女高生、セールスに失敗したジュニアアイドル、  
そうした超一級品を飽くまで貪り尽くしてきたのだ。  
いくらこの少女でも、それらに勝っているとは思えない。  
 
再び考え込んだ省吾の手に、そっと暖かい手が重ねられる。  
不意をつかれて肩を震わすと、すぐ間近に少女の顔があった。  
白く細い手が男の首を回り、優しく後頭を撫でつける。  
「失礼します」  
見たとおりの柔らかな唇。うがい薬の味が舌に染みた。  
少女は男の上唇に歯を当て、ゆっくりと舌を差し入れる。  
しかし縦に顔を合わせるため、鼻がぶつかってやり辛い。  
小技を使えど固さの残る口づけ。  
しかしそれはかえって、少女が多少仕込まれたことを  
生々しく物語っていた。  
 
眼前に閉じられた目を覗き、男は想像する。  
彼女の初キスを奪ったのは、あの店員のどちらかか。  
麗しくあるべきその記憶に、男を悦ばす術を刻んだのか。  
その時彼女は、一体どんな表情でそれを受けたのだろう?  
 
男はぐいと少女の肩を押し戻した。  
「必死さは認めるが、なってねぇな」  
その言葉は、他の嬢にかけた侮蔑の言葉とは響きが違う。  
「キスってなぁ、こうするんだ」  
彼は逆に少女の首に手を回し、斜めに顔を合わせた。  
初めて恋人の純潔を奪った時以来に、胸をひどく高打たせて。  
「ん、んぅっ」  
少女のくぐもった声が聞こえてくる。  
角度を調節した事で、男の舌は容易く少女の舌に絡んだ。  
彼女の記憶へ自分を上塗りするように、そっと舌を這わせていく。  
逃げる舌を捉え、唇を湿らせ、頬肉を舌先でつつき、歯茎をなぞり。  
熱い視線と唾液を絡ませあう。  
 
少女はじっと男を見ていた。  
瞳孔に光こそないものの、男は強くそう感じる。  
室内にぐちゅぐちゅという水音が響いた。  
息が切れると唇を離し、大きく吸ってはまた口づける。  
 
やがて少女の口端から、つっと銀色の雫が垂れた。  
そのころには彼女の息も相当に荒ぶっており、男の鼻をくすぐる。  
これほどに熱心な受けをする者は、久しくいなかった。  
誰もが男の巨躯に恐れ、適当にあしらって逃れようとした。  
しかしこの少女は違う。心で相手を探ろうとしている。  
 
ぷはっと何度目かに息をついたとき、少女の顔は  
酔った様に赤らんでいた。  
その唇には太い唾液の糸が引かれている。  
「キス、上手いんですね」  
息を弾ませ、前髪を額に貼りつかせて少女は言った。  
男は思わず唾を呑む。少女のものと思えば甘く感じる唾液を。  
 
聞きたい事があった。  
「目も見えずにこんな仕事して、危険はねぇのか」  
なぜ水商売をするのか。していてどうか。  
風俗嬢がもっとも嫌う質問だ。  
しかし、省吾は聞かずにはおれなかった。  
柄にもなく心配しているのだろうか。  
 
少女は手を膝に重ね、少し首を傾げて物思う素振りをみせた。  
気を悪くした風にはみえない。  
しかしそもそもが、どんな仕草にも捉えどころのない雰囲気だ。  
それは瞳がいかに多くを物語るか悟らせると共に、  
五感のひとつを持たぬ故、少女が濃密な人生を歩んできたのだと知らしめる。  
歩き、座り、電車に乗り、帰宅する。  
それら全てが修羅場なのだろう。  
路地ひとつを見ても、いつ自転車に蹴つまづくかという有様。  
なるほど肝も据わるわけだ。  
男は、なぜこの少女に惹かれるのかを僅かに解した。  
 
「時々こわい事はあります。特に玩具を使われると……」  
少女はひろげた手で容を示しながら語る。  
確かに暗闇の中、無機質な振動はさすがに脅威だろう。  
男の脳裏に、少女の淡みへ脂ぎった男の持つバイブが挿され、  
ぐりぐりと弄ばれて愛嬌を歪ませる情景が浮かんだ。  
 ぞくり、背筋がささけ立つ。  
これほどに息が上がるのは、いつ以来だろう。  
 
「すみません、お時間はあとどのくらいですか?」  
寝台からやや腰を浮かせ、少女が問う。  
男は時計を見やると、既に30分が経っていた。  
しかし、彼に時間は関係ない。  
「俺の気が済むまでだ」  
省吾の声は脅しをかけるような低音に変わる。  
少女は電話で、彼の言う事にはけして逆らわないように  
言われたことを思いだした。  
「わかりました」  
少女はやはり冷静に応え、ネグリジェの裾に手をかける。  
 
するすると捲り上げるにつれ、脛が、腿が露わになっていく。  
ショーツはフリルのついた可愛らしいものだ。  
特別に魅せる脱ぎ方ではなく、色目を使うでもないのに、  
それは男が目にしたどんな剥脱よりも狂おしく艶めいていた。  
 
橙の照明に炙られ、雪のように白い肌は幾重にも象られる。  
安産を示す若尻のまろみは大人びて、締まった腰つきと併せ  
造形美に溢れた。  
制服からは解らなかったが、胸の膨らみもじゅうぶんにある。  
 
「いい身体じゃねぇか」  
ネグリジェを床に舞わせた少女に、男は素直な感嘆を表す。  
「…そうなんですか?ありがとうございます。  
 ただ最近、少し肩が疲れるんですけどね」  
彼女は胸の辺りをさすり、おどけたように笑った。  
弾けるような笑顔とはこの事だろう。  
 
しかしそれは、さり気なく恥部を隠す為だと省吾にはわかる。  
目が見えようが見えまいが、年頃の恥じらいは変わらない。  
どこにほくろがあるか、染みがあるかさえわからないなら尚更だ。  
しかし、彼女の身体は愛情をこめて手入れされたらしい。  
白磁のような艶肌を自分だけは見られないのが不憫だが。  
 
省吾は、ぎゅっと少女の身体を抱きしめた。  
ほっそりしていながら驚くほどやわらかい、少女の体。  
「…っ!」  
押し殺した悲鳴を、そのままベッドに押し倒す。  
「待って、シャワー浴びなきゃ……」  
彼女ははじめて早口で抗議した。  
男はわずかに人間らしいところを見た気分になる。  
「俺なしで浴びられるのか?」  
省吾がいうと、少女はすこし不機嫌そうに押し黙った。  
 
拗ねたような表情を楽しみながら、少女の下穿きを引き降ろす。  
省吾は少女に追い討ちを掛けるつもりだった。  
「感じたみたいだな」  
股当ての部分を覗いて言う。  
清潔そうな下穿き、清楚な茂みを粘り気のある糸が繋いでいる。  
 
ところが、男に意に反して彼女の反応に不満の色はなく、  
むしろ陶然としてさえいた。  
「……さっきのキスね、すごく、上手だったから」  
少女は小さく呟いた。  
世辞かもしれないし、本音とも取れる言い方。  
さっきのふくれ面が瞬く間に蕩けている。  
猫並みの気まぐれに、今度は男が動揺する番だった。  
 
「キスだけでだらしなく濡らして、恥ずかしくないのか?」  
脚をひろげさせ、若草を掻き分けて潤みへ指を埋め込む。  
膣内をかるく弄るだけで恥ずかしい涎を垂らすそこは、  
少女のふわりと開いた唇を思わせた。  
「…ぅん、っつ……」  
少女は小刻みに腰をくすらせ、小さく悲鳴をあげる。  
そして時おり思い出したように、静かな声で何か呟いた。  
「あなたの手、あったかい」  
その熱い吐息に誘われるように、呟かれた男の気は昂ぶっていく。  
 天性の才能だ。省吾はそう感じた。  
 
「体、がっしりしてますね。こんなひと、あんまり来ません」  
気息奄々の体でなお、的確に相手の心を満たす。  
胸を揉み潰されて赤子のような寝顔を覗かせる。  
 あ、いやと身をよじるその初々しい喘ぎも、  
ぼうっとこちらを眺めていたりする双眸も、  
ともすれば、とろとろと滲み出る蜜さえも計算ではないか。  
 彼女は目を使わぬ代わり、こちらの数手先の心を読んで  
自在に相手を満たしているように思えた。  
 
細い肢体はほかほかと暖かく、女芯を弄りつつ舌を這わすと、  
頭がくらくらするぐらい薫り高い。  
腋にほんの少し芽をだした毛を舐めると肩までが震え上がる。  
包皮を剥いて肉芽を剥きだし、直にこすりあげてはまた戻し…  
と繰り返せば、ぴくぴくと充血するそこと同様、  
聞く方が切なくなるほどの愛らしい鳴き声をあげる。  
 
息をすることも忘れるほどの長い責め。  
二指を差し込めば、熟れすぎた実のように果汁が滴るほどだ。  
それでもなお、少女には品がある。  
 (ちとやりすぎたか……)  
省吾は顎に滴る汗を拭った。  
互いの体は滑るほどの汗にまみれている。   
男の猛りははちきれる程になり、射精したあとのように  
しとどな先走りが伝っていた。  
 
持久走を終えたような汗と吐息で、少女が身を起こす。  
「……わ、わたし、ばっかり……悪い、ですし……」  
押し倒すように、小柄な肢体は男に跨った。素股だ。  
無意識に自分も満たされる体位を選ぶほど、  
本当に余裕がないのだろう。  
柔らかな重圧が男の腰に纏いつく。  
「……っん、ぅっく……!」  
割れ目に屹立がこすれただけで、少女は顔をしかめた。  
一瞬重さが増し、軽く達したのだとわかる。  
その顔もひどく愛らしい。  
 
「う、動きますね」  
はにかんだ様な表情で、彼女はゆっくりと腰をずらした。  
意外に引き締まった腿と蕩けそうな蜜壷に挟まれ、  
 男はたちまちに強い射精感に襲われる。  
しかし一秒でもこの時間を多く味わいたく、必死に堪えた。  
 少女もまた小さな身震いを限りなく抑え込みながら、  
男が極みに達するまで歯を食いしばって腰を使った。  
みちゅっみちゅっとどうしようもなくいやらしい水音が響く。  
 
 省吾はただ脚を強張らせて甘受していた。  
普段の彼なら、じれったいと結合を強要するところだ。  
しかし、今は少女がそれを望まぬ限りする気はなかった。  
「あっ、あ……」  
少女は燃えるように赤らんだ肢体を弾ませる。  
髪から幾滴もしずくが零れおち、生傷だらけの胸板を濡らす。  
いつまでも、いつまでも。  
「ぬ……ぅお、おぉ……っ!!」  
省吾は初めて、女の責めに音を上げた。  
ぬるっぬるっと亀頭をこする感覚は新鮮だったし。  
なにより、唄うような表情で快楽を貪る少女の表情が、  
あまりにも神々しすぎた。  
 
「い、ぃ………イッちゃ…あ………!!」  
彼女がついにそう叫んだとき、男もまた折れそうなほど怒張を反り返らせる。  
どこにそれほど溜まっていたのかというほど盛大に噴きちらし、  
少女の桜のような乳房、小鼻、髪までを真白く穢した。  
 
「すごく、気持ちよかったです」  
顔を拭いながら微笑む少女に、省吾はあらぬ方を向く。  
「…ああ、こっちこそだ」  
体中の鬱屈を絞られたように、気分はよく晴れていた。  
男はふと背中をつつかれ、振り返ってしばし言葉が出なくなる。  
 
 ちゅくっ  
 
「……っは。キス、練習しますね」  
変わらず静かな抑揚で、しかしどこか色のある言い方。  
客の全てにそうした事をしていないとは限らない。  
しかし省吾は、二人の口を繋ぐ銀色の糸をじっと眺めていた。  
 
少女は服を整える男に薄い視線を送る。  
もしもその高貴な目がはっきりと開かれていれば…、  
男の理性など、とても保ちはしないだろう。  
「また来てください」  
もう二度と来ないで、いつもはそう言われていた。  
もう二度と来ねぇよ。いつもはそう言っていた。  
「ああ、また来させてもらう」  
 
気もそぞろなボーイの横を過ぎ、男は後ろに声を投げる。  
「安心しな、何にもしていやしねぇよ」  
扉を開けると、たちまちに眩い光が目に飛び込んだ。  
 (夜が明けちまったか……)  
上空からやわらかな視線を感じる。  
省吾は一瞬、眩しそうに目を細め、やがて揚々と歩きはじめた。  
 
少女の生きる、光あふれる世界へ。  
 
 
                 終  
 

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