ー3週間後ー。
深更のココット亭。
一角鮫の家紋旗が夜風を受けて翻っている。
豪奢な館の外見に比して、調度品は落ち着いた実用的なものでまとめられている。
その華燭の光の中、激論を交わす親子の姿があった。
「どうして、私に黙ってそんな勝手な事をッ!!」
椅子から立ち上がると、ドン、とテーブルを叩き、父親のアーテルハイドに詰め寄るマルシャル。
常日頃、温和な彼からは考えられぬほど、怒りに震えた声で。
「もう、決まったことなのだ、マルシャル」
ソファに身を沈め、パイプを燻らしながら、落ち着いた声で答えるアーテルハイド。
「父上! 閣下の娘御との婚姻は反対しておきながら、何故べーアラント王国の姫と! 気でも狂われたのか!」
べーアラントとはクロスターガルテンの北部に位置する敵対国家だ。
現在は休戦中である。
「両国の平和の為だ。一人息子のお前には伴侶が居らぬ。姫がこちらに嫁いでくれば、北からの脅威はさらに減ろう。
向こうにとっても、お前との結婚は大いに魅力的な筈だ。のう、『虎鮫のマルシャル』」
アーテルハイドは眉一つ動かさず、パイプを吹かし諭す様に口を開く。
「…この時代、政略結婚など、何の意味ももたぬ、と常日頃仰っていたのは父上ではありませんか!
それに相手は第6皇女で、向こうにとっては惜しくもない相手。知将と名高い父上らしくもないっ!」
マルシャルは憤怒に身を震わせながら反論する。
「マルシャル、少し落ち着きなさい。あなたも、性急に過ぎます」
マルシャルの母親、『ヴァネパル・フォン・ピネー・ココット』が窘める様にいう。
プロスフィリオン有数の大商家、ピネー家の二女で、クロスター7世の仲介により、アーテルハイドの妻になった女性だ。
商家の娘にありがちな気位の高さ、高慢さは無く、慎ましく賢い夫人である。
「ヴァネー、お前には関係なかろう。私とてコレとは政略結婚のようなものだ。私心は捨てよ」
「貴方という人は…ッ、見損ないましたっ!」
怒りのあまりバン、と机に両手を叩き付けると、外套を乱暴に掴み、部屋を出るマルシャル。
「ま、マルシャル、こんな時間にどこへ?」
母、ヴァネパルの声が追いかけるが、ドアの閉まるバタンという音とともに、答えも消えた。
「マルシャル…、あなた、いいのですか?」
「…放っておけ、ヴァネー。奴ももう子供の『泣き虫マルーシャ』ではない。王国の双肩を担う『虎鮫のマルシャル』なのだ」
後を追おうとする妻に手を振って止めると、ふー、と紫煙を吐き出し、すっかり冷めた無糖のコーヒーに手を伸ばすアーテルハイド。
(賽は投げられた。もう後もどりは出来んぞ、マルシャル)
アーテルハイドはコーヒーを飲み干すと、意味ありげに唇の端を歪めた。
『ザールの宿屋』
宿泊宿を兼ねながら、地下に酒場を併設している店。
酔客の喧騒が、かすかに外に漏れ聞こえていた。
カラン、コロンと、酒場の扉が開かれる。
「いらっしゃ…」
皿を拭いていた無愛想な中年の男店主が来訪者に目をやる。
「おお? これは…、珍しい。さ、どうぞ」
一瞬目を丸くした店主だったが、カウンターに手を伸ばし席を勧める。
「…ジンを瓶ごと」
「あー、マール産とキール産、ロッサとありますが」
「キールを…」
「…へい、お待ちを」
ややあって、トン、とキール産のジンの中瓶とショットグラスが目の前に置かれる。
「ごゆっくり」
「ありがとう」
余計な事は一切詮索しない。それがこの店主のいい所であった。
タン、と一気にグラスをあおる。
「ごほっ、ごほっ…」
普段あまり飲まない酒の強さに咽ていると、店内にいた娼婦達が声をかけてくる。
「あはは、綺麗な顔のお兄さん、いい飲みっぷりだねえ…。どうだい、私と一緒に飲まないかい…?」
「……」
何も答えず、プイ、と横を向く。
「つれないねえ。まさか女とかじゃないんだろう?」
もう一人の娼婦が長い煙管で煙草を吹かしながら隣に座ると、男にしては細身の身体に手を伸ばしてくる。
「よせ、メアリ、ローサ。その方はお前達に全く興味が無い。客を取るなら、他を当たれ」
店主が半分禿げた頭を掻きながら、ドスの聞いた声で凄みを利かせた。
その声に、騒がしかった店内が水を打った様に静まり返る。
元武装商船隊旗艦の甲板長として、水兵達を怒鳴り続けていた声と威厳はいまだ健在なり、というところか。
「わ、わかったよ…」
「何だい、せっかくの上客だと思ったのに…」
ぶつぶつ言いながらも、カウンター席を離れる娼婦達。
「すみません。…頼みついでに、部屋は開いていますか?」
その言葉に、また店主の目が見開かれる。
「…? …ええ、何室か。ここに、泊まるのですかい?」
「…ええ、お願いします」
仔細あり、と理解した店主は数瞬のち、コクリと頷いた。
「…後で、上にいる女房に伝えておきます」
「ありがとう、ザールさん、訳も言わずに…」
「…いえ、お気になさらず…、…マルシャル様」
マルシャルに名前を呼ばれた店主…『ザール・ブリュッケン』は、一瞬だけニコリと微笑んだ。
ザールはかつて彼の旗下で戦い、負傷をきっかけに一線から身を引いた男だった。
「…しばらく、世話になるやもしれません…」
端正な顔に似合わぬ沈んだ声で、ザールに頭を下げるマルシャル。
「…そうですか。今夜はどうぞ気の済むまで飲ってください…」
複雑な表情で、ザールはまた皿を磨き始めた。
2日後。
「若…、らしくないですな…、将がこれでは、兵達に示しがつきませんぞ」
部屋に駆け込んできたロスが呆れ顔で、寝台に毛布で包まっているマルシャルに告げる。
すでに日は中天に座し、窓の外に見える無数の煙突から、竈から出る白煙がゆるゆると上がっていた。
「うう…、話しかけないでください…頭が、痛い…、水を…」
むくりと寝台から身を起こし、頭を押さえるマルシャル。
どうやら完全に二日酔いのようだ。
普段飲まない酒を大量に飲めばどうなるか、身をもって思い知る。
「全く、折り目正しい若が酒に溺れるとは、想像もしませなんだ。…ああ、折角の美貌が台無しですぞ」
ロスの指摘どおり、見るも無残にやつれたマルシャル。
ベッドの脇には酒瓶が何本か転がっている。
「キームゼーさん…、明日まで私は非番ですが…何の用ですか。もしや、敵が攻めてきましたか?」
ロスは盛大に天を仰いで嘆息する。
「若…、何の用では無いでしょう。家にも帰らず、ブリュッケンの宿に泊まり、大酒を飲むとは。何があったんですか。私に聞かせてくれますまいか?」
テーブルに置かれたデカンタから真水をコップに注いでマルシャルに渡すと、備え付けの椅子に座り問いただす。
「ふぅ…。…実は…」
マルシャルは一気に水を飲み干すと、重い頭と気分であの夜の事を語り始めた…。
「しかし、妙な話ですな」
聞き終わったロスが、首を傾げてそう口を開く。
「…妙、とは?」
マルシャルが訝しげに聞きなおす。
「……。ベーアラントとわが国は代々犬猿の仲。それに我々は、あの国の艦船をかなり屠り、また鹵獲していますぞ。
むこうの王やギルド(商人の組合)からは恨み骨髄に思われているのは周知の事実。その国が、政略結婚などを持ち込むものでしょうか?」
ロスは続ける。
「それに、先日私は国王陛下にお会いしましたが、その様な話は一切出てきませなんだ。当人のアーテルハイド殿からもです」
マルシャルの目が見開かれる。
「バカな? 私は確かに、父上から…」
「もしや」
「?」
「考えられる事は二つ」
「二つ?」
「一つはアーテルハイド様の言われる事が真実で、独自に動いたという事。ですが、これが疑わしいのは先程私が述べた通り」
「…はい」
「もう一つは…、アーテルハイド様は若様、貴方を試しているのでは」
「え…、私を?」
「ご存知ないのですか? ザトルワ孤児院は、ゼテア地区から立ち退きを命じられていることを」
「!!! な、何ですって!」
ロスのその言葉は、マルシャルの酔いを醒ますに充分な衝撃だった。
「…大商家のクライン家があの地に館を建てたいと、再三に亘って地主と役人に賄賂を送り、3週間内に立ち退かねば取り壊す事が決まったのだ」
「まあ。そんな事をしたら、子供達の居場所が…」
「ああ。だが、マルシャルが想いを寄せる院の女性、リエネラ嬢と結婚すれば話は別だ」
「成程…。ザトルワ孤児院の権利はココット家とピネー家が買い取るという訳ですか」
「そうだ。そして、賄賂の件を閣下に訴える。そうなればクライン家とて諦めざるを得まい」
「…あなたも、ただでは済みませんよ?」
「…フ、覚悟はできている。結果がどうなろうと、私は総督の座を辞すつもりだ」
「そういう事なんでしたの。得心が行きましたわ」
「ヴァネー、お前は嫌か? 財無き盲目の娘は?」
「いえ、見かけや財などより、心で息子が選んだ方です。誇りに思いますわ」
「そうか、私も同感だ。後はあやつが先に進めるかどうか、だ。私に出来ることは、ここまでだ」
「あの子なら、大丈夫ですよ、きっと…」
「そうだな…」
翌日の夜。
物憂げな秋の冷たい雨が、朝から降り注いでいた。
それはまるで、闇の中、悲しみに沈む心の流す涙のように。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
ザトルワ孤児院に続く坂道を、傘もささずに走る一人の青年がいた。
どれくらい雨に打たれたのだろう…、金の髪を乱し、軍服はじっとりと重く。
それでも、前を、前だけを見て走る。
「バカだ。私はバカだ…」
「何も、何も知らなかった…」
躓き、ドシャリと転ぶ。
「行かないと…、リスタ院長…、院の皆、そして…」
端正な顔が泥で汚れても、気にせず前に進む。
「リエネラさん…」
「この想い、思いは…貴女だけ…」
決意を胸に秘めて。
「はぁ、はぁ…、もう少し…?!」
孤児院の窓ごしに、外の様子を伺う銀髪の女性の姿が窓の明かりを通してかすかに見えた。
誰よりも優しく、そして愛しい人。
「リエネラさん…」
そう、口に出して呟いたとき…
「あなた、マル…シャル?! どうしたんです? こんな時間に? それにその格好」
傘を差し、ランプを照らして巡回していたリスタが驚いた顔で近づいてきた。
「あ、リスタ院長…」
「話は後です。中に入りなさい」
来客室。
殺風景な部屋で、暖炉の他には、寝台と座椅子、テーブルしか無かった。
「夜分申し訳ありません。それに、服まで貸して戴いて」
タオルで頭を拭き終えたマルシャルがリスタに礼を言う。
今着ている服は町人が着ているありふれたシャツにズボンだ。
「いいのよ。しかし、酷い格好でしたね」
リスタが暖炉に薪を放り込み終えると笑う。
「…面目ありません」
しょげる若き提督。
颯爽と武装商船隊を指揮し、『虎鮫』の異名をとる男とはとても思えない程だ。
「で、何の用なのです? 今夜は」
椅子にゆっくりと腰掛け、リスタはマルシャルに問いかける。
「…立ち退きの話、何故私に言ってくださらなかったのですか?」
「それを聞いて、どうするの」
「…私では力になれない、と?」
「今の貴方には関係ないでしょう? マルーシャ」
「な…?! ここで世話になった私は、ここが第二の家なのです! …それに、子供達は何処へいけというのですか!」
思いもよらぬ言葉に、血相を変えて詰め寄るマルシャル。
「リエネラを諦め、ベーアラントの姫と結婚する貴方に、関係はありません」
そんなマルシャルの思いを突き放す様に、冷たく言い放つリスタ。
「な、誰に、そのようなことを!」
「どなたでも良いでしょう? 貴方は外見や家柄で女性を選ぶような子だったのね」
「違います…」
「見損ないましたよ、マルーシャ、いえ、マルシャル・フォン・ココット殿」
「…違う、違うッ…」
院長の冷たい言葉に、わなわなと肩を震わすマルシャル。
「何が、違う、と? もはや、貴方の心はあの子に無い…」
思わずマルシャルは椅子から立ち上がると、語気を強めて叫ぶように言った。
「違うッ!!! 私が心の底から愛している女性は、リエネラ・ウエストミュンスター殿、ただ一人だけですッ!」
マルシャルの心からの吐露に、にっこりと微笑むリスタ。
「…よく言えましたね、マルーシャ…、リエネラ、入っておいで」
と、声を掛ける。
「え…?」
ゆっくりと扉が開き、リエネラが杖を付きながら入室してきた。
「マルーシャ、さん…、今の言葉、本当ですか?」
頬を薔薇色に染めた盲目の女性は、戸惑う様に口を開く。
「リスタ院長…、これはッ?!」
同じく顔を赤めたマルシャルが、狼狽しながらリスタに訊ねる。
「フフフ、ごめんなさいね、貴方を試したのよ」
「は、はあ…」
「孤児院の件ならば心配はいりません。お父上が全て上手く取り計らってくれるそうです」
「父上、が?」
「そう。2日程前、訪ねてきて、ね。硬軟両方で交渉する、と。リエネラ、ここへ座りなさい」
「はい、院長」
リスタは立ち上がると、リエネラを自分が座っていた椅子に導く。
「…父上…。」
「それと、今夜はここに泊まり、明日家に帰りなさい。もう、宿に世話になってはいけませんよ」
まるで院の子供に諭す様に喋ると、ポンと、マルシャルの肩に手を置くリスタ。
「全て、お見通しですか…、はは、院長と父上には敵わないや…」
「さて、後は二人の時間。ゆっくりと話しなさい」
「え、ちょ…院長先生ッ!」
扉に向かい歩むリスタを、慌てて引き止めようとするマルシャル。
「もう貴方は子供ではないでしょう? マルーシャ」
バタン、と扉が閉じられ、部屋の中にはマルシャルとリエネラだけが残った。
「マルーシャ…、いえ、マルシャルさん」
「はっ、はい! な、な、な何です?」
リエネラに名前を呼ばれ、マルシャルは狼狽して聞き返す。
「…さっきの言葉…、本当ですか?」
蒼い瞳が、マルシャルの顔を射抜く。まるで全て、見えているかのように。
「あ…、そ、それは…くしゅっ」
「くしゅ?」
リエネラは首を傾げる。
「あの、実は、ここに来る途中に雨に打たれてびしょ濡れになってしまいまして…くしゅっ」
「まあ、風邪を召したら大変です。寄宿棟にお風呂が沸いてますから。案内します」
リエネラは杖を掴むと立ち上がる。
「え、でも」
「もう皆済ませましたから、どうぞ」
「は、はい…」
リエネラはマルシャルの手を取る。
重ねる手の暖かさが、マルシャルにはとても嬉しかった。
「ふー。生き返りました」
湯船に身を沈めながら、マルシャルが呟く。
(それはよかったです)
浴槽の扉越しに、リエネラが答える。
《どうしようか…、リエネラさんに面とむかって想いを伝えなきゃいけないのに…》
マルシャルが思案に暮れていると、ゴソゴソと、扉の向こうで衣擦れの音がする。
「あの? 何を?」
(いえ、お背中を流そうかと)
「はい?」
一瞬、意味がわからなかったマルシャルだったが。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ! い、いけませんッ! で、出ま…」
ザバリと湯船から出たが、すぐに凍りついたように動かなくなる。
「? どうしたんですか?」
浴室の扉が開き、リエネラが全裸で入ってきたからだ。
膝まで垂れた長い銀糸の様な髪に、二つの豊かな丘。
長身でありながら無駄な贅肉はなく、目が見えない事を除けば、神が造りたもうた芸術品の様な美しさだった。
「あう…、あ、いや…、な、何でも、ないです」
一糸纏わぬ姿のリエネラの裸体を直視出来ず、マルシャルは直ぐに『右向け、右!』の号令の様に背を向けた。
本当にこの男が名将の聞こえも高い『虎鮫のマルシャル』なのだろうか。
「…?、あ、背中向けてくれたんですね。そのまましゃがんでくださると有難いのですが」
ペタペタと手探りで、マルシャルの背に手を触れるリエネラ。
「ひゃうッ? りょ、了解!」
「石鹸を取ってくださいますか?」
「りょ、了解です」
「クス…、軍人さんですよ? 口調が」
リエネラは可笑しそうに笑う。形無しだ。
「うう…」
「んしょ、んしょ」
マルシャルの背中をゴシゴシと洗うリエネラ。
「はい、後ろ終わりました」
「あ、アリガトウゴザイマス…」
「はい、次は前ですね」
「は? い、いや、絶対ダメです、それは!」
猛然と反対するマルシャル。
「どうしてですか? 私の瞳は見えないからいいと思いますが」
「わ、私がダメなんです!」
「? 何言ってるかわかりませんが?」
背後からぴとりと身を寄せ、腹部にタオルを持った手を伸ばすリエネラ。
柔らかな感触が、マルシャルの背に当たる。
「ひゃああッ、ちょッ…? な、何をっ!」
慌てて立ち上がろうとするが、相手は目が見えない事を思い出し、身動きがとれない。
「前を洗うまでです…? あら、ここは?」
と、リエネラの手が、マルシャルの大事な部分に触れる。
「ひゃぅッ、ソコは…、ソコだけは、絶対ダメぇッ…」
「? どうしてです?」
「…き、汚いですから…」
「じゃあ、綺麗にして差し上げます」
逆効果だった。石鹸をつけたタオルで握られる。
「え、だ、ダメッ…、ダメですぅ…ああぁ…」
「んしょ、んしょ」
リエネラのほっそりした手が上下する。それにつれ、マルシャルの背に感じる二つの柔らかな感触も擦れる。
「あぅ…、クうっ…」
思いを寄せる人に大事な部分をタオル越しに扱かれ、自身が益々増大する。
「…何か、どんどん大きくなってきますね」
タオルを取ると、こんどは泡まみれの手で握る。
「だ、ダメぇ…、そんなに動かしちゃぁ…」
「手の中で胸の様に脈を打って、凄く熱くて硬いですね。? 何か先の方から液体が出てきましたけど?」
「り、リエネラさんッ…」
まるで女性のように、口に手を当て、快楽に身悶えるマルシャル。
「ああ、コレを全部出せばいいんですね」
「ち、ちが、違…、あッ…」
マルシャルの瞳が潤む。もはや、己の限界が近い。
「アッ…、は、わたし、私、もうッ…!」
ビクリ、と性器が手の中で跳ね、先端からどくどくと劣情を吐き出す。
「あ、何か、たくさん出てきましたね。綺麗になった証拠でしょうか?」
「はぁ、はぁ、は…、はい、もうとても、ですから、これ以上は…」
「息が荒いみたいですけど? 湯当りしましたか?」
「…は、はい、そういう事にしておいてください!」
「? はあ。じゃあ、出ましょうか」
「マルシャルさんの身体、とても暖かいです」
「そ、そうですか…」
雨音が静かに窓を叩く部屋で、マルシャルとリエネラは一つベッドの中に居た。
風呂から出て、寝具に着替えたリエネラが、一緒に寝ようと提案してきたのだ。
マルシャルは真っ赤になって否定したが、結局は従った。
「ふふ。昔はよくこうして一緒に寝てたじゃないですか…」
「そう、ですね…。あの頃の私は弱虫で、よく院のみんなに苛められて泣いてたっけ…」
「で、ついた名前が『泣き虫マルーシャ』でしたからね」
「リエネラさんはいつも頭を撫でて慰めてくれました」
「ええ。泣き疲れてよく私の膝で眠っていましたね。女の子みたいな顔らしいから、皆ちょっかいを出したかったんでしょうね」
「うう…、リエネラさんの意地悪」
「ふふっ」
一つ一つ過去を辿り、とても穏やかな気分になるマルシャル。
心臓の鼓動はだいぶ落ち着きを取り戻したようだ。
「…私も好きです、マルシャルさんの事が」
突然のリエネラの告白に、虚を突かれるマルシャル。
「え? リエネラさん…」
「ずっと、あの頃からずっと」
「……」
そっと、リエネラはマルシャルの胸に顔を寄せる。
銀の髪がさらさらと、流れるようにマルシャルの胸にかかる。
「諦めていたんです。大変見目麗しく、名家ココット家の一人息子で、王国の要。私は眼が見えぬ、孤児の娘」
「……」
「だけど…私は…」
リエネラの蒼き瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。たとえ光を失おうと、その機能だけは忠実に働いていた。
「リエネラさん」
「あっ…」
ギュっと、マルシャルはリエネラをベッドの中で抱きしめる。
「泣かないで。私を外見や家柄でなく、心から見てくれた女性は、貴女一人。私のこの想いは、貴女だけ。私が貴女の光になりたい…」
「マ、マルシャルさん…」
「はは、やっと、伝えることが、できた…」
そっと、マルシャルはリエネラを解放する。
「私なんかで…本当に良いのですか?」
リエネラは頬を赤めながら、見えぬ視線をマルシャルの顔に向ける。
「もちろんです。貴女のほかに、妻を娶る気はありません…」
「マルシャルさん…」
リエネラはまた、マルシャルに身を寄せる。
「どうしました?」
「お休みのキスを…」
「あ、は、はい…」
そっと、リエネラの額に唇を近づける、が。
「あ、唇にですよ?」
「ええっ?」
「ふふ、はい…」
「武装商船隊司令の私でも、貴女には敵いませんね…」
やれやれと嘆息するマルシャル。そして、瞳を閉じたリエネラの唇に自らの顔を近づける。
そっと、二人の吐息が、闇の中で交わった。
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その後、正式にマルシャルはリエネラを妻として迎えた。
ザトルワ孤児院の権利はピネー家とココット家が買取り、クライン家は多額の金を受け取り諦めた。
父のアーテルハイドはその件で海軍総督の職を辞したが、王の強き勧めにより、海軍士官学校の校長を務める事となった。
後任の海軍総督にはトロペット・ロス・ヘレンキームゼー『ロスの赤髭親父』が就任した。
これにはマルシャルが辞退したことと、その強い推挙があったからとされている。
ベーアラントとクロスターガルテンはその後、25年の長きに渡り戦闘が繰り返されたが、最終的にクロスターガルテンが勝利した。
この長き戦いには、一人の銀髪碧眼の海軍司令がおおいに活躍した事が知られている。
女人の如き美しい容姿でありながら、勇猛果敢で、敵の捕虜にも極めて寛大公正な扱いをし、敵味方無く尊敬を集めた男。
誠実で一本気な父と、盲目でありながら心優しき母の間に生まれた子。
『銀帝』シャルル・フォン・ココット。
彼の名前は正史に深く刻まれることだろう。
−FIN−