クロスターガルテン王国。大陸との交易を重視する海洋商業国家。  
 首都プロスフィリオンの港は今日も盛況だ。  
 海猫が騒がしく洋上を飛び交い、帆船や小型船が湾内を忙しなく行き交う。  
 と、積み下ろしをしている水夫の一人が遥か水平線の彼方を指差して怒鳴る。  
「見ろ、武装商船隊だ!」  
「おお、今回も無事に帰ってきたぞ」  
 見物人たちが歓声を上げる。水平線から続々と、一角鮫の紋章旗を掲げた船団がこの港に向かってきたからだ。  
「さて、外国の宝石、香料、酒を買ってまた儲けさせてもらいますよ」  
「ええ。いや、海賊も恐れる虎将『虎鮫のマルシャル』さまさまですな」  
「全く。あの方がいれば海賊も異国の艦隊も恐れるに足らずですな、はっははは」  
「海賊達も恐れをなしてココット家の家紋の翻る船は決して襲ってきませんわ」  
 商人達はめいめいが勝手なことをいって笑いあう。  
 ぼう、と、入港してくる先頭の船がひときわ大きな汽笛を鳴らした。  
 
 プロスフィリオン港、三番埠頭。  
 「全員、整列!!!」  
 ざざっ。   
 武装商船隊副司令の『トロペット・ロス・ヘレンキームゼー』が乗組員達に向かいだみ声を張り上げる。  
 彼の人生の約半分にあたる25年以上もの間、船隊勤務をしていたため、髪や髭が潮風で赤茶けている。  
 そこから水兵達の間では『ロスの赤髭親父』の愛称で呼ばれている。  
「提督殿の訓示に傾注!!!」  
 一人の眉目秀麗な20代前半の青年が壇上に立つと、ロスに目配せする。  
 半分立てた金髪に、きりっと引き締まった茶の瞳。  
 制服を上から下までビシッと着こなした、一見海の男とは無縁なこの美青年が『マルシャル・フォン・ココット』通称『虎鮫のマルシャル』その人であった。  
 弱冠22才にして、クロスターガルテン王国海軍武装商船隊最高司令官という立場にある。  
「総員、休め!!!」  
 ロスがまたしゃがれ声で怒鳴った。   
「皆、任務ご苦労だった。なお、国王陛下より一週間の特別休暇が全員に出ている。主計保で給金を受け取り、存分に羽を伸ばしてくるとよい」  
 マルシャルは乗員に労いの言葉を掛ける。  
 外見に似合わぬ謹厳実直な人柄で部下達に慕われている、いかにも彼らしい言葉だ。  
「私からは以上だ」  
「提督、私から一つ。いいかお前達、慰安所などで女と遊ぶ際には必ずゴムを付けろ。乗船の際、性病検査に引っ掛かったら、鮫のうようよいる海に突き落とすからな!」  
 ロスの言葉に、どっ、と一同から笑いが起きる。  
「では解散!」  
 わっ…、と歓声をあげ、足早に思い思いの場所に駆けてゆく水兵達。  
 
「やれやれですな、若様」  
 人影が疎らになった埠頭で、ロスはマルシャルに声をかける。  
 ロスはマルシャルの父、海軍総督『アーテルハイド・フォン・ココット』の参謀長として長年勤めていた為、マルシャルを幼き頃より知悉していたからだ。  
「いつもの事ながらご苦労様です、キームゼー殿」  
 にっこりと微笑むマルシャル。親子ほどの年齢差があるが、互いに敬愛しあう仲だ。  
「何の。それより若様、行かれないのですか? 確か…、『リエネラ・ウエストミュンスター』様…でしたな?」  
「ええ…、陛下と父上に報告をしたら…逢いに…、行こうと思っています」  
 マルシャルの端整な顔に、さっと赤みが差した。  
「そうですか。しかし、若ほどの美貌と性格なら、言い寄る名家や貴族の女は星の数ほど居りましょうに…」  
「私はそんな方々に何の興味もありませんよ。あの方だけです。私が思いを寄せるのは…」  
「若にそこまで想われる女性は幸せ者ですな、ははは。ではシャルツホーフ城に参りましょうか」  
「ええ、キームゼー殿」  
 二人は王城の方に足を向けた。  
 
 シャルツホーフ城、謁見の間。  
 国王に型どおりの挨拶と報告を済ませ、列席していた父や側近達としばらくの間歓談したマルシャル。  
「では、私はこれで」  
「待て、マルシャルよ」   
 謁見の間から退出しようとするマルシャルを、国王…、『クロスター7世』が呼び止める。  
「この間の話、もう一度考えてみてはくれぬかのう、マルシャルよ」  
「お断りします、閣下。私はあくまで閣下の臣。その娘御を妻にするなど大それた事は出来ませぬ」  
 言下に首を振るマルシャル。  
「やはり駄目か。全く、お主に似て頑固で融通が利かぬのう…、アーテルハイド」  
 国王が視線と言葉を向けた先には、マルシャルの父親のアーテルハイドが何食わぬ顔で而立していた。  
 元老の一人で、今は前線から身を引き、後方で海軍全体の指揮を取っている。  
「ええ、全くその通りでございます、閣下」  
 悪びれもせず国王の下問に答えるアーテルハイド。  
「やれやれ、親子揃って頑固者か。もうよい、マルシャル。下がってよいぞ」  
「はっ。失礼いたします」  
 マルシャルは一礼すると、クルリと踵を返し謁見の間から退出した。  
「全く、マルシャルの堅物さにも困ったものじゃな? 由緒あるココット家もあやつの代で途絶えるぞ?」  
「は。お前もよい年なのだから身を固めろ、とは口を酸っぱくして言ってはおりますが、こればかりはどうも…」  
「はっはっは。お主も難儀よのう…」  
 
 王都プロスフィリオン南西、ゼテア地区。  
 港が見下ろせる丘陵の一角に、その孤児院はあった。  
「はい、では今日はここまでです。夕食の時間まで、お外で遊んでかまいませんよ」  
 銀髪で長身の女性がピアノの前で子供達に声をかける。  
 美しい顔立ちをしているが、その蒼い瞳は永遠に光を失っていた。  
 彼女の名はリエネラ・ウエストミュンスター。24歳。  
 生活苦の為、親に捨てられた孤児という出自でありながら、慈愛心に満ちた聡明かつ穏やかな女性で、院の子供達から非常に慕われている。  
 物が見えなくなったのは幼少時の悲惨な食生活に起因する。  
『はーい、リエネラ先生』  
 孤児達が元気よく返事をする。と、そこへ。  
「皆さん、マルシャルさんがお見えになりましたよ」  
 ここザトルワ孤児院の院長、『プレラート・デ・リスタ』が、扉をギ…、と開け声をかけた。  
 人の良さそうな中年の女性だ。  
「やあ、皆。いい子にしてたかな? お土産を持って来たよ」  
 リスタ院長に付き添われたマルシャルが、両手に一杯の荷物を掲げて入ってくる。  
「あっ、マルーシャちゃんだ!」  
「わーい、お土産、お土産!」  
 子供達が嬉しそうに駆け寄ってゆく。たちまち、マルシャルは子供達に囲まれてしまう。  
「ははは…、参ったな、コレは」  
「こらこら、マルシャルさんを困らせないの。さ、皆さん。ミュッケとフローランがお外で遊んでくれます。行きなさい」  
 リスタは二人の若い女性を呼ぶと、マルシャルの持ってきた土産を渡し、子供達を外に誘導させる。  
室内にはマルシャル、リスタ、リエネラの三人だけになった。  
「マルーシャ、いつも有難う、貴方のおかげでどんなにこの院が助かっているか…」  
 深々と頭を下げるリスタを、マルシャルが慌てて助け起こす。  
「い、いいんです、リスタ院長。私が好きでしている事ですから」  
彼女が言っているのは寄付の事だ。マルシャルは海賊討伐、商人達から貰った礼金を、経営が苦しい院の為に全て寄付していた。  
「マルーシャさん…。お帰りなさい」  
マルーシャとはこのザトルワ孤児院のみでのマルシャルの愛称だ。  
「リエネラさん…」  
 杖をコツコツとつきながら、ゆっくりとした足取りで二人の前に来るリエネラ。  
その様をマルシャルは複雑な表情で見ていた。  
「ああっ、気をつけてください…」  
「大丈夫です、マルーシャさん」  
「で、でも…」  
「ふふふ、大丈夫ですよ。ふふっ。マルーシャさんは本当に心配性なんですね…」  
 敵国や海賊達から死神の如く恐れられる虎将も、子供達とこの女性にだけには敵わないらしい。  
「さあ、私は邪魔ですから、これで。お二人でごゆっくり」  
「え、い、院長?」  
リスタがマルシャルの肩をポン、と叩くと、外に退出していった。  
 
 ぼふっ。  
「うわっ、りりり、リエネラさん!?」  
院長の後ろ姿を見送っていたマルシャルの体に、リエネラがぶつかる。リエネラの方が少し背が高いので、マルシャルの目線の辺りに彼女の柔らかそうな唇が迫っていた。  
「あら、ごめんなさい、マルーシャさん」  
「ち、近すぎます…、もう少し離れて…」  
 マルシャルは端正な顔を耳まで赤めてリエネラに言う。  
 多くの女性が思いをかける程の美丈夫であるにも係わらず、本当は女を抱いた事すらないような初心でシャイな男だった。  
「ふふふ。顔、熱くなってますね…、どうしてですか?」  
 ぺたぺたと、リエネラはマルシャルの頬を優しく手で撫でる。  
「うう…そ、それは…」  
マルシャルは答えに窮した。それは貴女を愛しているから、などとは言える訳が無い。  
「潮の香りがします…。今度はどんな世界を見てきたのですか…? また聞かせてくださいね」  
「リエネラさん…」  
 胸が締め付けられるような想い。彼女の世界は、永遠の暗黒の中から聞こえ、香り、感じるだけしかできないのだ。  
「マルーシャさん? 気分でも悪いのですか…?」  
「リエネラさん、私、私は…」  
「あっ…」  
 そっと、マルシャルはリエネラを抱き寄せた。  
「ごめんなさい…、私にもっと智と財と力があれば…、貴女に光溢れる世界を見せてあげられるのに…」  
マルシャルの瞳から熱い涙が零れ落ちた。  
「そんなコト…、気にしてはいませんよ。眼が見えぬ事で、逆に見える事もあるんですから…」  
 優しげな見えぬ視線をマルシャルに向け、そっと金の髪を撫でるリエネラ。  
「ごめんなさい…、『泣き虫マルーシャ』のままで…。もう少しだけ、こうしていてもいいですか…」  
「ええ」  
 慈母の様にニッコリと微笑むリエネラ。  
「ありがとう…」  
 眼の見えぬ人の優しく愛しい温もりが、マルシャルの心を満たしていった…。  
 

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