南極大陸沿岸、オングル島の昭和基地。
白一色の大地の上に50棟以上のプレハブ群が建ち並ぶ、日本の南極観測の拠点。
常に氷点下という氷雪の世界。
悪天候時にはちょっと表に出ただけで遭難しかねない、恐ろしい場所だ。
(建物外に資材を取りに出て行方不明になり、後日4キロ離れた場所で遺体が見付かった者もある)
それでも晴れることはある。相変わらず氷点下で、風があるけど……
晴れた昼、南極の(光ばかりがさんさんと降り注ぐ)太陽の下で、観測隊員たちが屋外機器設営作業の
お昼休み。
オレンジの厚い防寒着を着用し、サングラスを掛けた隊員たちは、できかけのプレハブの陰で、リーダ
ーを囲んで魔法瓶のコーヒーを啜り、暖を取る。
「天気が良くなってよかったな」「まったくだ」「何とか予定を取り戻せそうだな」
日々、気象との戦いだ。
動ける時に動き、設備の設営や整備を進めながら、自然環境のデータを採取する。過酷な任務である。
この男たちの集団の中に、変な隊員たちが混じっている。髪の長い、2人の女性隊員だ。
いや、顔は別に変ではない。色の薄いサングラスを掛けた彼女たちは、共に雪焼けもせず、抜けるよう
に白い顔をした美女だ。何れもどこか神秘的な面立ちをしている。
問題は、厚着で重武装した男たちの中でなぜかこの2人だけが、
「長袖シャツに普通の作業ズボンだけ」の軽装で涼しい顔をしていることだ。しかも酒臭い。
薄着で飲酒なんて、南極の屋外ではたとえ好天でも自殺行為もいいところなのだが……
一人がカシオの耐寒仕様デジタル腕時計を見た。温度計付である。
「マイネスずう℃台……ぬくいねえ……いや暑いくらいだわ……コーヒーに『不凍液』さ入れねでもよ
かった」
東北訛りの抜けない一人に、もう一人が応じる。
「あんまり飲むと暖まっちゃうからね……んー? 深雪! この不凍液、味違ってない?」
「んだ……仙台宮城峡モルト。蔵王の氷樹さんの差し入れッス」
「ニッカイクナイ!ウイスキーはサントリー!まだ白州があったはずでしょ!」
「零さん、モルトならニッカっス。南アルプスの水なじょ、とてもとてもwww」
「言ったな……一山百文の分際で、甲州を舐めとんのか貴様?」
険悪な雰囲気になってきた。
なぜか、明るい空が急に暗くなる。
それを見上げて舌打ちをしたリーダーが、喧嘩寸前の二人に半畳を入れた。
「おい見ろ、ペンギンが来たぞ」
「えっ!? ほんと!?」
言い争っていたのを瞬時に忘れた二人、よちよちと歩いているペンギンたちの群へと駆け寄って行く。
「わー可愛い、ホンモノだ」「お持ち帰りはダメッスよ」
暗くなりかけた空が、再び明るくなった。
「雪女といってもやっぱり女の子ですね」
隊員が苦笑いした。リーダーは困った顔になる。
「遭難防止に必要な存在とはいえ、喧嘩をされると吹雪になって巻き添えにされるからなあ」
気象庁は、日本国内の高山・豪雪地帯に居住する「雪女」たちで組織される「全国雪女協会」(会長は
八甲田山の雪女)に依頼して、越冬隊員メンバーに各地の雪女を派遣して貰っている。
気象を程々にコントロールできる彼女たちがついていれば、基地を離れての厳寒期の調査でも危険を回
避できるからだ。
お礼は、環境省の協力を伴った山の自然保護施策推進。乱開発は雪女たちにとっても嬉しくないから、
お互いメリットはある――「クマーやカモシカ飽きた。オーロラの下でペンギンやアザラシ見たい」と
いうミーハーな雪女たちが多いのも事実だが。
もっとも、天然の自然環境データ採取に狂いが生じるので、あまりしょっちゅう能力を使って貰うわけ
にもいかないのだが……彼女たちの気分次第では天候の更なる悪化も招きかねない。
氷点下70℃でも、雪女たちは平気で動き回れる。吹雪なんか関係ない。遭難者探索もお手の物である。
その代わり高温には弱いので、「しらせ」の船内に冷凍室を設置して、赤道を越えてきてもらうのだ。
いまペンギン相手に薄着ではしゃいでいるのは、甲斐駒ヶ岳の雪女「零」と、月山の雪女「深雪」だ。
彼女たちは冷たい飲み物が好きなのだが、南極では冷水を魔法瓶に詰めていっても、ボトルから出たと
ころで凍ってしまう。しかたないので、ほどほどにぬるくしたコーヒーに、水分を凍らせない不凍液代
わりのウイスキーを混ぜて飲んでいるのだった。別に酒好きなわけではない(ホントか?)。
サントリー白州蒸留所の水は、零の山・甲斐駒ヶ岳の天然水だから、おちょくられた零が怒るのも無理
はない。
……
雪女の派遣はいろいろメリットがあるのだが、なにしろかつて「南極1号」を産み、いまでも女性隊員
は多くないのが南極観測隊だ。
雪女とて女、それも極上の美人揃いだ。人間である男性隊員とデキてしまうのも少なくない。
そうして雪女の虜になってしまった隊員には、帰国後、その雪女の住む山に居を構えて、夫婦で山小屋
やペンションを営んでいる者が多いとか……