「触んないでよ!! 変態!!」  
 
あずさの甲高い声が、薄暗い部屋に飛散した。  
男が何も言い返さないでいると、耳鳴りがするほどの沈黙が  
埃のようにゆっくりと舞い降りてくる。  
 
払いのけられた手を撫でながら  
男は「面と向かって変態って言われたのは初めてだな」と呟いた。  
 
「調子に乗んないでよ。なんなの!? キモすぎるんだけど!!」  
 
あずさが再度怒鳴る。言葉に物理的な力があるかのような投げつけ方だった。  
細い眉を歪めたその表情には、ゴキブリを見つけたときのような嫌悪と恐怖が浮かんでいる。  
 
「こういうことして恥ずかしくないの? 情けなくない!?」  
 
瞋恚と憤怒と最大級の侮蔑を込めて、あずさは怒鳴り散らした。  
そこまで言われて、ようやく男は反論をする。  
 
「君はあのとき、恥ずかしくも、情けなくもなかったのかな?」  
 
男の静かな言葉が、荒れた心の中に冷たく流れこんだ。  
 
「……あ、あたしは」  
言葉に詰まる。自分はあのとき、確かに何も感じていなかった。  
 
「分かるよ。全く何も感じてなかったんだろう?」  
心の内を読みきったように、男は言った。  
 
「それどころか、嬉しくて楽しくてしょうがなかった。  
 好きなものを好きなだけ持って行ける、私ラッキー。  
 そんな風に思ってたんだろう?」  
 
諭すような、それでいて悪意の篭もった口調だった。  
 
「それはそうだ。欲望に正直に好き放題できることなんて  
 人生、そうそうあるもんじゃないからね……」  
 
男は含みのこもった口調でそう言うと、再びあずさに手を伸ばした。  
 
「触んないで」  
 
セリフは同じだが、今度は手を振り払わなかった。  
身体をそむけたあずさの肩に、背後から男の掌が乗せられる。  
鳥肌とともに、生理的嫌悪感が頭頂から爪先まで走り抜けた。  
 
彼女がまるで空中を引っかくように、手を浮かせた、その瞬間。  
男の両手が、あずさのわきの下を潜って、身体を抱き寄せた。  
 
男の右手が女の左乳房を、男の左手が女の右乳房をそれぞれ鷲づかみにする。  
ぐにゃり、と柔らかな肉が歪んだ。  
 
物理的な攻撃を受けて、一気に恐怖がそのかさを増す。  
首まで浸かって、呼吸も出来ない。  
「きゃあ、やぅっ、ゃだ!! 放して!!」  
自分の声とは信じられないような甲高い悲鳴があがった。  
 
男は服の上からあずさの乳房をもてあそびながら、野卑な笑みを浮かべる。  
 
「バスト87、Fカップ。って雑誌に書いてあったな……」  
 
そう言いながら、男は首筋に舌を這わせた。  
 
背後から抱き寄せた女の身体は、予想以上に柔らかかった。  
しかし薄い夏服の生地越しに触れる乳房は、若々しい弾力性に満ちている。  
 
押し殺していた様々な感情が欲望に溶けて、どろりと粘性を帯びる。  
彼女の臀部に押し付けた性器が力を得ていく。  
 
「放してって!!」  
女はなおもそう言って、胸を撫で回す平野の手を振り払おうとしている。  
しかし、元々腕力差があるうえに、後ろから腕を交差させて抱きしめられては  
反撃のしようがなかった。  
 
平野の舌が首筋を這うと、女は「ひいいぃぃッ」と悲鳴をあげた。  
毛虫が首筋に落ちてきたような感覚なのだろう。  
そこには怒りや恐怖すら混ざっていない、混じりっ気のない生理的嫌悪がある。  
鳥肌がざあっと皮膚に立っていくのが平野にも分かった。  
 
「何十万、何百万の男が、君に触りたいって思ってるんだ……。  
 上から87、55、89だっけ? 88だったかな?」  
女の耳朶を湿らせるような距離で、囁いた。  
 
女は身をよじる。  
肩を上下させ、腰を左右に振り、脚をくねらせる。  
堅くなった性器をこすられて、平野は「ふぅ」と悦混じりの声を出す。  
 
「ふざけないでよ……ちょ……っと!!」  
大声と共に、女は身をひねった。平野の拘束から彼女の体が外れる。  
飛びのくように女は距離を取った。  
 
「いい加減にして!! キモすぎるんだけど!!  
 そんなに溜まってるならグラビア見て独りでしごいてればいいじゃん!!」  
美しい顔が憤怒に歪んでいる。  
 
不思議と、平野の心には怒りは生まれなかった。  
彼女の罵倒を、むしろ穏やかに受け止めていた。  
自分の優位さを良く知っていたからである。  
 
むしろ罵られれば罵られるほどに、劣情の炎は煽られた。  
キモいキモいと散々軽蔑した男の性器を身体の中に押し込まれたら、  
彼女はどんな反応をするだろうか、と。  
 
「さすが、窃盗女は言うことが違う。盗人猛々しい、って言葉を久しぶりに思い出した。  
 別に……構わないよ。さっき言ったとおり、嫌ならこのまま手ぶらで帰ればいい」  
 
自分の言葉に余裕が生まれている、と平野は自覚する。  
搦め手から攻めることでこんなに優位になるものかと。  
案の定、平野の言葉に女は一瞬表情を変えた。  
 
「例えば、サイトを作ったとする」  
人差し指を立てて、男が唐突に語りだした。  
 
「そこには動画が無料で公開されていて、某アイドルが窃盗行為を、  
 しかも常習的にしている姿を誰でも見ることができる」  
 
両掌を天井に向けて、男は続ける。  
 
「その姿は、今まで見たこともないほどに醜い。欲望を思う存分発散している人間のかくも醜悪なことか。  
 挙動どころか表情まではっきりその動画には映っていて、フェイクでないのは誰の目にも明らか。  
 掲示板等を介在し、噂はあっというまに広がる。それはもう、一週間も必要ないくらいに」  
 
一拍間を空けて、男はあずさを見た。  
異論でもあるかな? といわんばかりの小憎らしい表情だ。  
 
「ネットをやるものなら知らぬものは居ない、という位に話が広がり、  
 検索エンジンのトップページにニュースとして出てくるくらいになった頃、  
 直接被害を受けた男性がマスコミに名乗りでる。  
 そこで君はノーコメントを貫いてもいいし、自白してもいいだろう。  
 いずれにしても、話は収束には向かわない」  
 
「物的証拠があり、被害者が告訴すると、どうなると思う?」  
 
あずさが答えを持っていないと確信している口調だった。  
確かに、何も言い返す言葉が思いつかない。  
丸五秒間ほど考えて、ようやく彼女は唇を開いた。  
   
「じっ、時効とかあるでしょ……」  
 
勝気に言い切ろうとしたが、語尾が疑問系になってしまう。  
はは、と男が口先だけで笑った。  
 
「時効であっても、世間への影響は大きいと思うけれどね。  
 それに、法律は犯罪者を助けるためにあるわけじゃない。  
 君の時効はまだ数年残ってるよ。窃盗は七年だ」  
 
男の言葉が真実なのか嘘なのか、それを判別する方法があずさには無い。  
鵜呑みにするわけにはいかないが、どちらにしても彼の言うとおり  
あずさのキャリアが無傷で済む方法は思いつかなかった。  
 
男の手が、再びゆっくりあずさの方に伸びてきた。  
 
「窃盗は七年だ」という言葉には、ほとんど根拠は無かった。  
確かそうだった気がする、という程度の知識である。  
要は、女を不安にさせられればいい、というだけのギミックだ。  
具体的に年数を挙げたほうが、よりストレートに響くだろう。  
 
その効果はあったようだ。  
さっきまであった強い拒絶の意思が女の表情から消えている。  
恐怖と不安から逃れるための「強気」が崩れてきている。  
 
平野は、本当なら力ずくで押し倒したいという衝動を押し殺して、  
わざとゆっくりと女に手を伸ばした。肩に手を置くようにゆっくりと。  
 
「続きを始めていいかな?」  
 
「いいわけないじゃない」と女は唇を尖らせた。  
だが、彼女は平野と目線を合わせようとしない。  
拒絶、というより子供が駄々を捏ねているのに近い。  
 
「警察に捕まるのは嫌、マスコミにバレるのも嫌。  
 それで、俺に触られるのも嫌?」  
 
平野の手が、女の二の腕をつまんだ。  
反射的に女が腕を振り上げて、逃げようとする。  
 
その瞬間、平野は再び、女の背後に回る。  
きゃあ、という悲鳴が上がるのと同時に、平野は彼女の体を後ろから抱いた。  
 
そして「これが最後。どっちがいい?」と耳元で呟いた。  
 
「どっちって……?」  
女は、今まで聴いたことのない弱い声でそう問い返す。  
 
「まだ嫌だって言うなら、もう俺も結構。  
 そこまで嫌なら仕方が無い。諦める。このまま帰ってくれ」  
 
三秒間ほどの沈黙。  
 
「逆に、俺に触られるのより、警察やマスコミにバレる方が怖いなら  
 俺に“なんでもやりますからお願いします”って謝るんだ」  
 
平静は失っていたものの、それなりにあずさは思考を巡らせた。  
 
どうすればこの局面を逃れられるのか。  
最悪の場合、どういう状況に陥るのか。  
このまま帰ったらどうなってしまうのか。  
男の要求に応えればどうなるのか。  
 
一個一個選択肢を思い浮かべ、それがどういった結末に繋がるか想像する。  
 
男を灰皿で殴りつけ、その隙にテープを奪い取る、という選択肢すら  
一瞬頭に浮かんだ。もちろん、すぐに却下されたが。  
 
テープを持って帰らなければ、確実に自分の人生は変わってしまうことだろう。  
こんな男に、自分の積み上げてきた全てのキャリアを崩されるのだ。  
こんな、何も積み重ねてきていないような男に。  
 
でも、だからといって。  
彼女は逡巡する。  
この男は約束を守るだろうか。仮に彼の欲望を叶えたとしても。  
 
「君が誠意を込めて謝罪するなら、必ずテープは返却するし  
 今後この件を公には絶対にしないよ」  
 
まるで見透かしたように、男が優しく言った。  
 
「……絶対、テープ返してくれるんでしょうね」  
 
女がそう言ったので、平野は少し慌てて  
「あ、ああ、ああ、もちろん」と答えた。  
感情が表に出ないようにと、意図的に制御していたが  
それでも口の端が持ち上がってしまいそうになる。  
 
「好きにすれば」  
 
吐き捨てるように女が言ったので、平野は訂正を要求した。  
 
「さっき言った通り、お願いするんだ。俺が許可を求めてるわけじゃない。  
 そんな態度をとるなら、ナシにしたっていいんだ」  
 
女は一つ溜め息をついて、  
「なんでもします」と、恐らく彼女の出せる一番低い声で言った。  
 
「お願いします、も付けて、もう一回」  
 
「なんでもしますからお願いします」  
 
「声が小さいよ、もう一回」  
 
「なんでもしますからッ! お願いしますッ!!」  
怒りと共に、腹の底から声を出した。  
 
あずさが言い終わると同時に、カットソーの生地の上を  
まるで蜘蛛のように男の指が蠢きだした。  
乳房をふよふよとつまむ。  
 
あずさは全身に力を入れて、抵抗しないようにする。  
 
耳の裏に熱を感じて、彼女は悲鳴を上げそうになる。  
食いしばった歯の隙間から「ぅ、っぐ……ぃひ」と呻きが漏れた。  
 
なめくじのような舌が、あずさの耳の裏でぬめっていた。  
耳朶から少しずつうなじへと降りていく。  
 
「ディズニーランドなら5800円だけど、  
 一人の女の子のフリーパス、まして、君のをオークションにかけたら、  
 何百万、何千万の金額がつくだろうね」  
 
うなじのうぶ毛を舐めながら、男は独り言のように言う。  
言いながら、興奮が高まってきたのか、胸をまさぐる手に力が入ってくる。  
 
「トップグラビアアイドルに……飲ませるも、吸わせるも、しゃぶるも、出すも、自由」  
 

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