時は幕末――。  
ニッポン中が攘夷だ、佐幕だ、勤皇だと騒いでいた頃、このお話の主人公たる若者は、アメリカ西部の荒野の真っ只中でぽっつーーんと途方に暮れておりました。  
この若者の名は西部銃蔵保守(にしべ じゅうぞう やすもり)と申しまして、江浪波路(えろぱろ)藩のアメリカ派遣使節なのでございます。  
江浪波路藩と申しますのは、とある海沿いの小さな小さな藩でございますが、「江」に「浪」に「波」に「路」なんて字の示しますように、海上輸送の中継地としてそこそこ豊かな藩でございます。  
フロンティアスピリッツが勢い余って海を越えてきましたようなペリーの黒船騒動以来、攘夷とか開国とか騒がれる中で江浪波路藩のお殿様は考えました。  
「江浪波路藩は藩祖の昔より、海上輸送で潤ってまいった。メリケンという国も海の向こうには違いない。今のうちに誼を通じておけば、将来の交易で藩庫もますます豊かになろう」  
なかなか開明的といえなくもないお殿様。家臣には西部という蘭学者で英語も少しは使える人材もいたのですから、なんとご都合主義なことでしょう。  
かくして、その西部の息子で幼少より神童の名を馳せた銃蔵保守が幕府の船に乗せてもらって、アメリカへと旅立ったのでありました。  
 
ところで、皆さまに一つ訂正をして、お詫びをせねばなりません。  
この物語の主人公は西部銃蔵保守とご紹介いたしましたが、実はそうではございません。  
この西部の荒野に取り残された主人公、実は『本物の銃蔵保守』の双子の妹で名を星由(ほしゆ)と申す娘なのでございます。  
なぜ、そんなややこしいことになっているのかと申しますと、本物の銃蔵保守はとんでもない馬鹿息子なのでございます。  
それに比べて、双子の妹の星由の才気煥発、剣術達者、眉目秀麗なること、女に産んだことが悔やまれるばかりの優秀な娘でございました。  
息子が馬鹿では蘭学者の自分の体面に関わる。思い悩んだ父親はいつの頃からか、星由に銃蔵保守の替え玉を務めさせたのでございます。  
元々双子ですので、顔はそっくりでございます。入れ替えるのにさほどの苦労はなかったそうな。  
 
あっとご安心ください。主人公が男装の麗人とはいえ、時代劇のサムライのように月代チョンマゲ姿では勃つものも勃たぬというもの。  
蘭学者の息子という名目でありますから、総髪の頭・・・ぶっちゃけポニーテールってことにしておきましょう。  
 
さて、その銃蔵保守ならぬ星由が西部の荒野で途方に暮れているかと申しますれば、大陸を横断する鉄道で汽車が給水の為に停車したことから始まります。  
周囲には女とばれてはならない星由、トイレに行く機会を得るのが中々に難しくければ、その停車中にあの遠くに見える茂みの中で用を足そうと考えました。  
ところが長い時間、無理をして用を足さずに過ごしていると、出したい時にも出せなくなるのが困り者。  
星由が茂みでうんうん唸っているうちに、ああ無常にも汽車は汽笛を鳴らして出発してしまったのでありました。  
途方に暮れながらも、何はともあれ線路に沿って歩き始める星由。不幸中の幸いか、旅装束をしたままで、手荷物と僅かならに食料と水も持っております。  
 
しかし、恐ろしいことに、この辺りにはならず者が一団が巣食っていたのでございます。  
その頭目は、誰が呼んだか『荒野の種馬 早撃ちピンキー』!  
「銃も早撃ち、ベッドの中でも早撃ちピンキー」  
娼婦にそう揶揄されて以来、女性すべてに復讐するかのように、強姦を繰り返してきた極悪非情の男であります。  
 
ああ危うし、我らが主人公、西部銃蔵保守、あらため星由嬢。  
その貞操の行方は如何にや?  
 
 
 
 アメリカ西部の大平原で一人取り残された、西部銃蔵保守こと星由。  
 男装したポニーテールの女侍でございます。  
 線路に沿って歩いていけば、どうにかなるだろうとてくてくと歩いておりました。  
 と、遠くに馬の嘶きを聞きました。見れば、遠くに見える土煙が。どうやら騎馬の一団  
であるようです。  
「Hey! Help! Help me!」  
 星由は英語で助けを求めます。かつて神童の名を欲しいままにした秀才でありますから、  
渡航中にアメリカ人船員との交流のうちに星由の英語の能力はかなり向上しておりました。  
 その覚えた英語で力いっぱい叫びます星由。  
(気づけ、気づいていくれ!)  
 右も左もわからない異邦の地に一人取り残されては、気丈な女侍といえども心細いこと  
には違いありません。必死に念じた想いが通じたのか、やがて騎馬の一団は方向を変えて  
星由に向かって駆けてきます。  
「天の助けだ。これでひとまず安心だ」  
 ほっと胸を撫で下ろした星由でありましたが、これこそが受難の始まりであったのです。  
 
「どおー、どおー! なんだ? インディアンか?」  
 一団の先頭を走っていた騎馬の男が星由を見下ろして怪訝な顔をした。  
「こんな格好のインディアン、見たことねえぜ」  
 十騎の騎馬の男達が下馬もせずに、騎乗から星由を見下ろしている。  
「助けてもらう身なれば、あまり大きなことも言える立場にはないが、言わせて貰いたい。 
その方ら、馬の上から人を見下すとはいささか無礼ではあるまいか?」  
 星由は男達の不作法にむっとした心持になり、毅然として抗議します。  
「生意気なインディアンだぜ。俺達に馬から降りろってさ」  
 明らかな嘲りを含む男の言葉で、男達は一斉に笑い声をあげた。  
「拙者はインディアンではない。海の向こうからやってきた」  
 星由は左手を腰の刀に添える。いつでも抜刀できるようにである。それほどに彼女は憤  
っている。  
「ああ、チャイニーズか。なんにしたって、俺達に偉そうな口をきける立場じゃねえなぁ」  
「拙者は日本の侍だ。本来ならば助けてもらう立場。頭の一つも下げるべきところである  
が、相手が人間の礼儀を心得ないとあらば、こちらも相応の態度で臨まねばなるまい!」  
 星由は力のこもった眼力で男達をじろりと威圧する。相手も西部の荒くれ者なれば、視  
線に込められた殺気に気付かないはずがありません。  
「てめえ。インディアンもどきが人間のつもりかよっ!」  
(短筒っ!)  
 先頭にいた男が怒声とともに腰にさしたるリボルバー銃を抜き撃ちに星由を狙った。星  
由も剣術の達人でありますから、これをさっ、さっと華麗な足裁きで避けてみせる。  
「藩命を奉じてやってきた異国の地で、余計な騒動を起こすのは不忠であろうが、鉄砲ま  
で向けられては是非もなし!」  
「まぐれで避けたくらいで偉そうに、舐めんなっ」  
 男がさらに星由に向けて発砲しようとする。  
 星由はさっと刀の鞘につけられた小柄を抜き取り、男が引き金を引くより早く投げつけ  
た。  
「ぐあっ」  
 手の甲は押さえたが、銃はぽろりと手の中らから零れ落ちた。  
「てめえっ! 舐めた真似をっ!」  
 他の男達も次々に銃を抜いた。  
「むんっ!」  
 だが、星由の抜き打ちに斬り上げた刀が近くにいた男の脚をとらえ、痛みでバランスを  
崩した男は落馬する。  
 騎馬の男達はあざやかなサムライの業にたじたじとなってしまう。  
 星由は左手で被っていた陣笠を外すと男の一人に投げつける。視線をふさいだそのうち  
に、別の方向へ駆けて飛び上がると別の男を肩を斬りつける。  
「うぐぅ」  
 うめき声を発して、また一人が落馬する。  
 星由、縦横無人に人馬の合間を駆け巡り、弾の降るのも何のその。瞬く間に十人中の六  
人までもを戦闘不能にしてみせた。  
「畜生! なんだ、こいつ強いじゃないかっ!」  
 怖気づいた男達は星由から遠巻きにならざるをえません。  
 
「てめえら、みっともねえ姿晒してんじゃねえ」  
 騎馬の一行の一番後ろにいた男が怯みきっている部下を怒鳴りつけた。  
「ピ、ピンキーの兄ぃ」  
「ほう、おぬしが兄貴分か。随分迷惑させられたが、これ以上関わり合いになるのも面倒  
だ。早々に立ち去れっ」  
 星由はピンキーと呼ばれた男に言う。  
「馬鹿でマヌケな部下でも、このピンキー様の子分を名乗らせている連中だ。こいつらの  
恥は俺の恥になるんだ」  
 ピンキーはひらりと馬から飛び降りると、星由の前に仁王立ちとなった。  
「てめえは簡単には殺さねえ」  
「……」  
 星由は八双に構えるとピンキーと対峙する。  
(相手はまだ短筒を抜いておらぬ。抜かせてはならぬ)  
 じりじりと摺り足で少しずつ擦り寄っていく星由。一足一刀の間合いに入るまでに、必  
殺の気合を己のうちに蓄えんとする。  
 じりじりと近寄っていく。拳銃の有効射程には既に入り込んでいるはずである。  
 が、ピンキーはまだ撃たない。  
「……」  
 距離はどんどん縮まっていくが、それでも落ち着いているピンキーの様子に、星由の額  
に汗が浮かぶ。  
「……っ! いやあああぁっ!!」  
 そして、一足一刀の間合いを超えたとき、気合一閃、袈裟懸けに斬りかかる。  
ダダダァン!  
 振り下ろされる刀よりも早く、三発の銃声が轟いた。  
 ピンキーの撃った弾丸は、狙い違わず星由の脚をかすめ、利き腕をかすめ、耳をかすめ  
た。  
 脚の痛みに膝をつき、腕の痛みに刀を取りこぼし、耳に残る弾丸の通過音に頭がくらく  
らとしてしまう。  
「取り押さえろ!」  
 ピンキーが部下に命じ、星由は取り押さえられてしまいました。  
 
(続く)  
 

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