霊力が一ノ葉の身体を貫き、一瞬で構成を書き換える。  
 狐から――人間の少女へと。  
 
「おし、成功!」  
 
 小さくガッツポーズ。  
 見た目は十六歳ほどで、身長は百六十センチ弱。概ね高校生くらいだろう。腰上辺りま  
で伸びた狐色の直毛と、意志の強さを見せる焦茶の瞳。凛々しさを漂わせる整った顔立ち  
に、筋肉質の引き締まった体躯。絵に描いたような美少女だった。  
 狐耳と尻尾はあえて残してある。服は着ていない。  
 術の拘束は、変化の影響で半分ほど壊れている。  
 
「何を、した?」  
「自分で見れば分かる」  
 
 初馬は用意していた鏡を、一ノ葉に向けた。  
 鏡に映った少女。うつ伏せに倒れている恰好。一ノ葉は鏡に映った自分の姿をまじまじ  
と見つめてから、三秒後に自分だと認識する。  
 
「何だと……!」  
 
 慌てて両手を目の前まで持ってきた。  
 狐の前足ではなく、人間の手。わきわきと両手を動かしてから、自分の顔を触る。今ま  
での狐ではなく、人間の顔。体毛もない滑らかな肌。引きつった表情で自分の身体を見下  
ろすが、四つ足の獣ではなく二足歩行の人間。元々裸だったので、服を着ていないことは  
気にしていないようだった。  
 
「貴様、ふざけているのか!」  
 
 叫びながら飛びかかろうとして――  
 一ノ葉は前のめりに倒れた。顔面から床に激突する。大術符の上に突っ伏したまま、じ  
たばたと手足を動かした。しかし、立ち上がれない。  
 
「うがぁ!」  
 
 叫んでみるも、顔を上げることしかできない。  
 人間に変化したこともない狐。二本脚の身体の動かし方を知らないのだ。術の拘束が中  
途半端に残っていることもあるのだが。  
 初馬は鏡を置いてから、得意げに説明した。  
 
「式神変化。使役する式神を別の姿に変える術だ。本来なら自分の式神を変化させるもの  
だだが、応用で他人の式を変化させることも出来る。今みたいにな」  
「何のためにだ……! まさか女の裸が見たいとかつまらぬ理由でワシを変化させたので  
はあるまい? とにかく、さっさと術を解け」  
 
 殺意立った眼を向けてくる一ノ葉。  
 立ち上がることは諦めたらしく、床に突っ伏したまま見上げてくる。口元から除く牙の  
ような犬歯。術が使えないので自力で元に戻ることはできない。  
 
 初馬は人差し指で頬を掻きながら、  
 
「俺にズーフィリアの趣味はないんでねー」  
「ズゥィ……? 貴様、何を企んでいる?」  
 
 その呟きに、不穏な気配を感じ取る一ノ葉。  
 それには答えず、初馬は別のことを言った。  
 
「ファミリアーって知ってるか?」  
「西洋魔術の遣い魔か。それがどうした?」  
 
 一ノ葉が唸る。その辺りの知識はしっかりしているようだった。  
 魔術によって作られる遣い魔。大抵は小動物や鳥などを魔術で操るという方法が採られ  
るが、上級術者ならば大型の生物の使役も可能。本当に高度なものになれば、人間や精霊  
などを遣い魔にすることもできるらしい。  
 
「その応用だな。式を契約で縛るってのが、俺が考えたお前を支配する方法。で、色々と  
契約方法調べてたら、性交渉で契約を結ぶ方法を見つけたから、これに決定」  
 
 ぐっと拳を握り、大きく頷く。  
 
「というわけで、お前を人間の少女に変化させたわけだ。俺は動物性愛趣味なんてないし、  
抱くなら可愛い女の子がいい。魔術の本場じゃ相手が獣だろうとヤっちゃう連中も多い  
らしいけどな……」  
「貴様、ただのドスケベだろ!」  
「男がエロくて何が悪い――!」  
 
 全身全霊を以ての断言に、思わず怯む一ノ葉。  
 初馬は一ノ葉の前にしゃがみ込み、その頭を右手で撫でた。手の平に感じる柔らかな髪  
の毛。露骨に嫌そうな顔をしているが、気にせず撫で続ける。  
 
「さて、一ノ葉。現在貞操の危機だけど、何か言いたいことはある? 痛くしないように  
は気をつけるが、どう贔屓目に見ても逃げられないぜ?」  
「………」  
 
 沈黙を返す一ノ葉。  
 ようやく自分の置かれた危機的状況を理解したらしい。頬に冷や汗が一筋流れる。ごく  
りと喉を鳴らしながら、ゆっくりと視線を泳がせた。不安げに動く尻尾。それでも気丈に  
睨み返すだけの根性は残っている。  
 吐き捨てるように呻いた。  
 
「下衆だな……貴様」  
「ゲスで悪いか、何とでも言え」  
 
 開き直りながら、初馬はポケットに手を入れ、小道具を取り出した。二十センチほどの  
ミシン糸でぶら下げた五十円玉。何の変哲もない、糸付き五十円である。  
 一ノ葉の目の前で左右に揺らしながら、催眠術よろしく小声で囁きかけた。  
 
「ほーれ、だんだんとエッチな気分になってくるー」  
 
「アホか……」  
 
 呆れる一ノ葉。  
 
 パン。  
 
 と両手を叩く音に、肩が跳ねた。訝ってから、顔を顰める。  
 
「これは……ワシに幻術を掛けたのか?」  
「どうだろうな? でも、細かいことは気にするなって。せっかく気持ちよくしてやろう  
と思ったのに。初めてが痛いのは嫌だろうし、人の好意は受け取るもんだぞ」  
 
 ぽんぽんと一ノ葉を頭を叩きながら、初馬は笑いかけた。  
 
「そう……かいッ!」  
 
 風斬り音ともに、視界が揺れる。  
 初馬の頭のすぐ右側を、一ノ葉の左足が撃ち抜いた。強烈な後回し蹴り。咄嗟に避けて  
いなけれれば、顔面に一撃食らっていただろう。脚の位置から考えるに、顎を割られてい  
た可能性もある。  
 
「油断できん……」  
 
 呻きながらも、初馬は蹴り脚を掴んでいた。  
 きれいな脚線から産毛もない陰部まで丸見えになっている。だが、悠長に見入ってる暇  
はない。無理に蹴りを放ったせいで、バランスを崩す一ノ葉。  
 その動きに合わせて脚を捻り、初馬は一ノ葉をひっくり返した。うつ伏せに倒れたとこ  
ろで、背中に馬乗りになって動きを封じる。  
 
「離れろ! この、外道野郎が!」  
「俺の蹴りを真似たってわけか。さすがただの式神じゃないな。でも、諦めろ」  
 
 初馬は取り出したナイフで、右手の人差し指の先を切った。痛みに眉をひそめつつ、一  
ノ葉の首筋に血で印を書き込む。契約術式の接続点となる、特殊な血印。  
 治癒の術で傷を塞いでから、初馬は両手で印を結んだ。一ノ葉の背中に触れ、  
 
「金縛り」  
「っ、く……」  
 
 脊髄から全身の神経を拘束され、再び動けなくなる。  
 初馬は一ノ葉から降り、お腹に右手を差し入れ大術符の中央に移動させた。  
 この大術符は、遣い魔を制作する魔術式を参考にして作ったもの。無論、西洋魔術と日  
本の術は形式が違うので、色々と改造、調整してある。  
 もぞもぞと動いて必死に逃げようとしている一ノ葉を眺めながら、初馬は再び紋様に霊  
力を流し込んだ。普段使わないような大術を使っているせいで、消耗が激しい。  
 
「式神一ノ葉を我が忠実な下僕とする……! 強制契約の式――発動」  
「ぅ、あくっ!」  
 
 術式に心身ともに拘束され、苦悶の声を漏らす一ノ葉。無形の契約が、見る間に刻み込  
まれていく。対象を従わせる契約を強制的に成立させる術。西洋魔術の知識と、白砂家の  
秘伝を組み合わせて初めて可能な術だった。  
 十秒ほどで術の効果が終り、一ノ葉はぐったりと脱力する。  
 右手を床に付き、振り返ってきた。金縛りの術はまた壊れている。しかし、契約術式に  
よってまともに動くことも出来ない。既に仮契約が結ばれた状態。  
 
「貴様……。本気でワシを犯すつもりなのか……?」  
「本気だ。ただ、その前に三十秒待て」  
 
 初馬は近くにの小型クーラーボックスから瓶を取り出した。栄養ドリンクのような瓶。  
活霊薬と呼ばれる霊力回復の薬である。昼過ぎから術の連発で、霊力切れ寸前だった。疲  
労もかなり酷い。  
 何度か振ってから蓋を開け、腰に手を当てて一気呑み。  
 
「うぁー。不味い」  
 
 例えるなら生薬系風邪薬だろう。中身は霊力回復の生薬と栄養剤。即効性の薬のため、  
十数秒で全身の疲労感が消える。さすが月雲製薬。  
 
「お待たせ」  
 
 涼しげに言いながら、初馬は一ノ葉に向き直った。  
 一ノ葉は必死に逃げようとしている。しかし、人間経験がないため歩くことはできず、  
契約術式の影響でまともに動くこともできない。  
 あっさりと追いついてから、初馬は一ノ葉の肩を掴んだ。  
 びくりと全身を跳ねさせ、引きつった表情で振り向いてくる。追い詰められた獣のよう  
な、焦燥と絶望の混じった表情。そこには四割ほどの諦めも含まれていた。  
 初馬は宥めるように微笑みかける。  
 
「大丈夫だ。優しくするから」  
「そういう問題ではないわ!」  
 
 一ノ葉は唾を飛ばして叫んだ。  
 
 

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