部屋の空気は冷たい。  
 初馬は布団に潜り込んだまま、壊れた暖房を眺めていた。普段ならば、普通に暖気を吐  
き出して部屋を暖めているのだが、今は沈黙を保っている。  
 壊れているので当然だった。  
 
「寒い……」  
 
 単純な感想を口にする初馬。  
 気温も表示されるデジタル時計には、室内温度十度と出ていた。普段は暖房を付けてい  
るので、十八度くらいはある。それに比べて八度も低い。鍛錬を終えて、風呂に入った後、  
暖まった身体が冷えると、余計に部屋の寒さが身に染みていた。  
 時間は午後九時過ぎ。ドキュメンタリー番組がテレビから流れている。  
 
「辛そうだな」  
「お前は暖かそうだな……」  
 
 呻きながら、初馬は一ノ葉を見つめた。  
 寝床用の大きなバスケットで丸まっている一ノ葉。身体の下に電子マットを引いて上には  
高級タオルケットを乗せていた。タオルケットの端から出た尻尾が、ゆっくりと左右に揺れ  
ている。見るからに心地よさそうだった。  
 
「暖かいぞ、ここは。入れて欲しいと言っても絶対に入れぬが」  
 
 得意げに狐耳を動かしながら、一ノ葉が愉悦の眼差しを向けてくる。冬用装備と言って過  
言ではないだろう。幸せそうな顔で温泉に浸かる猿が頭に浮かんだ。  
 布団から顔を出したまま、初馬は呻く。  
 
「あいにく俺はそこには入れないんでね。人間だし……」  
 
 皮肉なのか本気で言っているのかは、自分でもよく分からない。  
 一ノ葉は卓袱台を眺めた。  
 
「コタツでもあれば、そこで眠れるだろうが。あいにくここにコタツはない。バイト仲間の兄は  
一人暮らし先で、いつもコタツで寝ていると話していた。コタツムリ状態だとか。ワシとして  
はそれはどうかと思うがな――」  
 
 絨毯の上に置かれた卓袱台。春先からその場所に変化はない。冬を迎えるにあたって、  
一人用のコタツを買おうと思ったことは何度かあった。  
 
「金があったら、コタツ買ってたんだけどね」  
 
 初馬は言い訳じみたことを口にする。  
 一ノ葉は気持ちよさそうに目を細めたまま、  
 
「なら電気毛布でも買えばいいのではないか? あれがあれば、暖房無しでもかなり暖か  
いらしいし、そんなに値も張らないだろ。高くても五千円程度だそうだ」  
「そうだな。明日辺り買いに行ってみるか」  
 
 初馬は近所にあるホームセンターを思い浮かべた。さすがに電気毛布を買う程度の金  
はある。寒さが凌げるのなら、それも致し方ない出費だろう。  
 前足でヒゲを撫でながら、一ノ葉が言ってくる。  
 
「というわけだ。今日はこの寒い中頑張って眠れ。ワシは暖か〜い寝床の中からしっかり  
眺めててやる。せいぜい凍えているがいい」  
 
「ケンカ売ってるのかお前は……」  
 
 呆れたように、初馬は一ノ葉を眺める。自然とため息が漏れていた。暖かい寝床と冷た  
い布団という格差を、見せつけるような態度。  
 一ノ葉はつんと鼻先を持ち上げ、  
 
「貴様の言葉を借りるならば、やるなと言われるほどやりたくなる、というヤツだ」  
「なるほど。そのケンカ買った」  
 
 無感情に答えてから、初馬は布団の中で印を結んだ。印とともに組まれる術式。  
 一ノ葉もそれを感じ取ったのだろう。  
 
「ん……。何するつもりだ?」  
「式神変化……」  
 
 囁くように呟く。  
 一ノ葉が目を見開いた。  
 術が発動し、一ノ葉の身体を組み替える。  
 一瞬の時間で狐から人間の少女へと姿を変えた。  
 
「ふぐ!」  
 
 身体のサイズが代わり、寝床のバスケットから外へと落ちる一ノ葉。幸いバスケットは壊  
れていない。そのまま両手を突いてその場に立ち上がる。  
 
「予想通りの事をするか、このド阿呆は……」  
 
 気の強そうな少女。いつも通りの変化だった。狐耳と尻尾を生やし、長い狐色の髪を背  
中に流している。前髪を払いながら、心底呆れたように自分の姿を見下ろしていた。  
 服装は清潔そうな白衣に朱色の行灯袴である。いわゆる巫女装束だ。足には白い足袋  
を穿いている。一ノ葉のアルバイトを頼む時、神主に頼んで本物をじっくりと見せて貰った  
ので、細部まで詳細に作ることができた。  
 
「いつだったか獣姿のまま抱いて寝たら、布団が抜け毛だらけになって掃除が大変だった  
から。その時の反省はしている。寒いときは一肌で暖め合うに限る」  
「そうか……」  
 
 初馬の感想に、一ノ葉が目元を引きつらせた。右足を前に踏み出し、初馬の寝ているベ  
ッドに近づくと、おもむろに布団の縁を掴んだ。  
 
「では、ワシはその布団で寝るから、貴様はワシの寝床で寝ろ。ワシは貴様と一緒に寝る  
気は微塵も無いんでな。貴様を入れるのは気が進まぬが、特別に一晩だけ貸してやる。な  
に――人間頑張れば何とかなるものだ」  
「それは無理」  
 
 一ノ葉の腕を掴み返しながら、初馬は答える。  
 無理矢理布団を引っぺがすと思ったのだが、一ノ葉は毛布から手を放した。おもむろに、  
二歩下がる。狐色の髪が揺れていた。諦めたわけではない。両腕を振って腰を落とす。  
跳び上がる予備動作。  
 
「ならば、叩き出すまで――」  
「式操りの術・改」  
 
 続けて術を発動させる。  
 
「ぐ……」  
 
 一ノ葉が動きを止めた。今まで何度か使われているので、術の効果は理解しているだろ  
う。式神を自分の意志通りに操る式操りの術。式神使いの基本術だが、使われることは滅  
多にないものだ。  
 
「またコレか? いちいち必要もない術を使って、貴様は」  
 
 一ノ葉が顔を歪める。  
 初馬が使ったのは、本来の術の形とは違い、自己流に改造した術式である。一ノ葉の身  
体の支配権を掌握し、なおかつある程度感覚も還元させる特殊なもの。さらに、中継の印  
も不要になっている。  
 
「この術はお前を使役するに当たって必要な術だよ。普通の式神なら必要ないけど、お前  
はかなり特殊な式神だし、何より強い。だから、それ相応の運用戦術が必要になる。この  
式操りの術はそのために必要なんだ」  
 
 天井の灯りを見上げながら、初馬は答えた。布団に潜ったまま、  
 
「何を訳の分からぬことを……」  
 
 歯を軋らせ、一ノ葉が呻く。  
 一ノ葉の実力。技術や知略では初馬に分があるが、単純な火力だけならば初馬を越え  
ているのだ。その力を自分の一部のように使う。それが初馬の考え方。それには、式操り  
の術は不可欠だった。もっとも、まだ術式としては調整中である。  
 
「納得したなら、一緒に寝よう」  
「ぐぅ……」  
 
 初馬の指示に従い、一ノ葉が近づいてくる。不服そうな表情であるが、術式の効果のせ  
いで自分で身体を動かすことができない。布団を持ち上げて、ベッドの中へと身体を滑り込  
ませる。巫女装束のままだが、気にしない。両足を伸ばしてから、初馬の右腕に頭を乗せ  
た。無論、初馬が一ノ葉をそう動かしている。  
 布団を下ろし、初馬は左手を一ノ葉の背中に回して抱き締めた。  
 
「暖か――く、ないな?」  
 
 思いの外冷たい身体。さきほどまで電気マットで暖まっていたのだが、部屋の空気に触  
れたせいかもしれない。待っていれば暖かくなるだろう。  
 初馬は右腕を曲げて肩を抱き締め、左手で丁寧に頭を撫でる。指の間をすり抜けていく、  
滑らかな狐色の髪の毛。当たり前であるが、一ノ葉は気に入らないようだった。初馬を睨  
んだまま、犬歯を見せている。  
 
「こんなことして楽しいのか、貴様は……」  
「俺が寒さに凍えてる中、慰めの一言も掛けてこないばかりか、あまつさえケンカまで売っ  
てくる始末。これは主として黙っておけないよね。今夜一晩、俺のおもちゃの刑」  
 
 ふにふにと頬を指でつつきつつ、初馬は笑った。柔らかな頬の感触が伝わってくる。同時、  
頬を触られている一ノ葉の感覚も伝わってきていた。かなり無味乾燥な感覚だが。  
 
「貴様はつくづくアホだな……」  
 
 悪態を一ノ葉。  
 初馬は左腕を動かしながら、  
 
「前々から言っていると思うけど」  
「ひぅ!」  
 
 毛並みのよい尻尾を捕まえた。茶色い瞳を見開き、びくりと跳ねる一ノ葉。ふさふさの毛  
の感触が、心地よい痺れとなって手の平から腕を駆け抜ける。さらに、尻尾を掴まれたと  
いう感触も伝わってきた。  
 初馬はもふもふと優しく左手を動かしながら、  
 
「俺はかなり性格が悪い。あそこまでコケにされて黙っているほど甘くはないよ」  
 
 初馬の右手が一ノ葉のキツネ耳を摘んでいる。堅いながらも適度な弾力を兼ね備えた三  
角形の耳。親指と中指で軽く揉みながら、人差し指で縁をなぞった。  
 一ノ葉から流れ込んでくる痺れに、胸の奥が熱くなる。  
 
「貴様は、ッ……!」  
 
 唇を震わせながら睨み付けてきた。  
 尻尾と狐耳を同時に弄られ、身体は否応なく反応している。肩や手が小さく痙攣するよう  
に跳ねていた。やはり人の姿になると敏感になるらしい。  
 
「クリスマスに過ごす相手がお前ってのも寂しい話だけど、まあそれも一興。もう半分くらい  
スイッチ入ってるんじゃないか?」  
 
 意地悪げに、初馬は一ノ葉を見つめる。  
 目元に涙が浮かび、頬が赤く染まっていた。少し弄っただけで、身体が反応している。開  
発されてしまったと表現するべきだろうか。  
 
「うるさい……」  
 
 言い返してくるが、その言葉に説得力はない。  
 
「このままキスしたら、完全にスイッチ入るかな?」  
 
 聞こえよがしにそんなことを口にしてみた。右腕で頭を固定しつつ、顔を自分い向けさせ  
る。逃げることもできないし、抵抗もできないでいる。  
 初馬の唇を迎えるように、一ノ葉の唇も前へと出てくる。  
 一ノ葉は目を見開いて、声を絞り出した。  
 
「待て、ま――ん」  
 
 言い切る前に、初馬の唇が一ノ葉の口を塞ぐ。  
 
「むっ……ぅっ……」  
 
 柔らかな唇の感触を味わいながら、一ノ葉の瞳を見つめた。耳に届く塗れた音。無論、  
尻尾と狐耳を弄る手は止めない。茶色の瞳に写った抵抗の意志が、見る間に消えていく。  
一ノ葉が快楽に崩れていく様子が、文字通り手に取るように感じられた。  
 
「ふぁ」  
 
 初馬が唇を離すと、一ノ葉は擦れた呼吸を繰り返すだけになった。身体から力が抜け、  
目の焦点も合っていない。今まで冷たかった身体が熱を帯びている。  
 初馬は右手を狐耳から放し、丁寧に頭を撫でた。柔らかな狐色の髪の毛。  
 
「どうだ? これで完全にスイッチ入っただろ?」  
「やかまし、い……」  
 
 無理矢理威嚇の表情を作りがら、一ノ葉が言い返してくる。まだ反抗する気力は残って  
いるようだった。しかし、もう手遅れだろう。  
 
「お前は人間の姿になると急に淫乱になるよな。式神変化にそういう効果はないし、式操り  
の術にそういう効果があるわけでもない。俺も術式とかにそういう細工しているわけじゃな  
いんだけど。やっぱり――素質かな?」  
 
 尻尾をこねながら、初馬はそんな疑問を口にした。  
 人に化けた一ノ葉は、不自然なほど脆い。もしかしたら、一ノ葉を式神にした時に用いた  
遣い魔用の契約にそういう効果があるのかもしれない。  
 
「黙れ……、ヘンタイ――。一度地獄に堕ちろ……!」  
「この状況で言い返す度胸あるのは、お前らしいよ」  
 
 初馬は左手を尻尾から放した。  
 一ノ葉が初馬の首に右腕を回し、自分の身体を固定する。本人の意志ではなく、初馬が  
そう身体を動かしているのだが。次に起こることを悟り、慌てていた。  
 しかし、本人の意志を無視して勝手に動く身体。  
 
「ま、待て、やめ――んんッ!」  
 
 半ば抱きつくように強引な口付けをしてくる。無論、初馬がそう身体を動かしているのだ  
が。むしゃぶりつくように初馬の唇に自分の唇を重ね、薄い舌を咥内に差し入れてくる。初  
馬もそれに応じるように、自分の舌を絡ませた。  
 
「んっ、ふっ……あぅ……」  
 
 一ノ葉の目に涙が浮かぶ。  
 お互いに唾液を交換するような濃厚なキスを行いながら、初馬は一ノ葉の理性が削り取  
られていくのを感じていた。  
 

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