翌朝。
「風邪だな」
一ノ葉の冷たい声。狐の姿で寝床に座ったまま初馬を眺めている。
初馬は布団に潜ったまま、じっと一ノ葉を見つめ返していた。頭が痛み、喉も痛い。全身
を包む倦怠感。咳も時々出る。さきほど体温を測ってみたら37.7度だった。健康に気を
つけていると言っても、風邪を引く時は引く。
「苦しい……」
「昨日あれほど羽目を外せばそうなるだろう? あの後汗かいた状態でワシを撫でていた
が、身体冷やすのは当然だな。身から出た錆だ、ド阿呆」
昨日はあれからしばらく一ノ葉を撫でていた。後技というものだろうか。しばらく宥めてか
ら式神変化を解いて寝床に寝かせ、初馬も布団に潜って眠った。
どうもその時に身体を冷やしてしまったらしい。
一ノ葉は寝床から出て、右前足を上げた。
「さて、ワシはこれから神社のアルバイトに行くから、早く式神変化で人に化けさせろ。
のんびりしてると遅刻してしまう」
時計は七時を示している。一ノ葉は八時には神社に行っているので、七時半くらいまでに
家を出ないといけないのだ。
初馬は二度咳き込んでから尋ねた。
「ここで俺の看病するとか……そういう考えは?」
「無い」
予想通りの答え。
「早くしろ」
急かす一ノ葉。
初馬は布団の中からのろのろと印を結んでから、一ノ葉に霊力を飛ばす。風邪で衰弱し
た身体には、簡単な術を使うだけでも負担がかかる。
「式神変化」
霊力が一ノ葉の身体を一瞬で組み替える。狐の姿から長い黒髪の少女へと。昨日とほ
ぼ同じコート姿だった。術自体は掛け慣れているので制御の失敗などはない。
一ノ葉はぐるりと自分の身体を確認し、
「よし、ちゃんと変化できているな。さて、たまには早く行くというのもいいだろう。ワシはこれ
から神社に行ってくるが、貴様は大人しく寝てろよ」
玄関へと歩きながら、一ノ葉が投げやりに行ってくる。
力の入らない右手を持ち上げながら、初馬は声を掛けた。
「少しは労いの言葉が欲しい――」
「大丈夫だ。貴様はしぶといから、風邪くらいでは死なぬ」
自信満々に断言してくる。
確かに退魔師という仕事柄身体は鍛えている。あまり体調を崩すこともないし、風邪など
を引いても回復は早い。だが、それでもぞんざいに扱われると寂しい。
ふっと吐息して、一ノ葉が冷たい眼差しを向けてくる。
「どうせただの風邪だ。貴様の体力なら一日寝ていれば治るだろう。電気毛布は夕方にで
も自分で買ってこい。ワシは仕事があるんでな。それに、昨日のことはワシも結構腹が立っ
てるので、貴様の体調の手助けはしない」
そう言いながら、靴を履き、玄関の扉を開けた。
冷たい風が部屋に流れ込んでくる。
アパートを出る前に振り返り、一ノ葉がきっぱりと言ってきた。
「ま、コレに懲りたら二度とするな」
「ひどい……」
初馬は空笑いのまま、閉じるドアを見送った。