一ノ葉は初馬と赤い帯を交互に見つめてから、低い声音で呟いた。  
 
「どう見ても首輪だが?」  
「チョーカーだと言っている」  
 
 初馬は再び告げる。自身に満ちた口調で。  
 知り合いの術具職人に頼んで作ってもらったチョーカー。頑丈な鞣革とチタンのバック  
ルで作られた特注品。さらに防御用術式まで組み込んだ強固な代物である。値段は七万円  
もしたが、よい買い物をしたと思う。  
 今度は無言のまま考え込む一ノ葉。五秒ほどだろう。一人納得したように頷いてから、  
無造作にチョーカーをゴミ箱へと放り投げた。紙くずでも捨てるように。  
 
「………!」  
 
 痛みを無視して飛び上がる初馬。空中でチョーカーを掴み止め、受け身も取れず床に落  
下する。重いものの落ちる音が室内に響いた。  
 傷の痛みに数秒歯を噛み締めてから、勢いよく起き上がる。  
 
「人のプレゼントを無造作に捨てるな!」  
「首輪などいらん。ワシは飼い犬ではないのだぞ」  
 
 初馬を指差し、一ノ葉が呻いた。  
 まるで首輪のような赤いチョーカー。実際首輪をイメージしてデザインしたのだから当然  
である。しかし、あくまでも赤い革製のチョーカーであり、首輪ではない。  
 チョーカーを前に出しながら、初馬は言い切った。  
 
「大丈夫だ、安心しろ。絶対に似合う」  
「その首輪が似合うことは簡単に予想できるわ。だからこそ絶対に嫌だと言っている。何  
でワシが首輪など付けなければいけないのだ!」  
 
 犬歯を見せて吠える一ノ葉。普通は怒るだろう。  
 デザインを考えている時から、一ノ葉には怖いくらい似合う予想していた。実物と並べ  
て見れば、絶対に似合うという確信がある。  
 
「お前が俺の式神である証明」  
 
 初馬はこともなげに告げた。  
 
「俺が勝ったら俺を主人と認める約束だ。だけど、お前のことだから本心では従っていな  
いかもしれない。だから、これは俺に従う証明。約束は守って貰うぞ? 使役者と式神の  
上下関係、これだけは式神使いとして絶対に譲れない」  
「くっ……」  
 
 奥歯を噛み締め、一ノ葉が呻く。  
 やはり他人を主と認めるのは嫌なのだろう。だが、式神とは実戦で共に命のやり取りも  
行う相棒なのだ。上下関係はきっちりと教え込まなければならない。優しさや甘さで、命  
を落とすことは絶対に避けなければならない。  
 初馬はベッドに座った一ノ葉に歩み寄り、  
 
「覚悟はできた?」  
「………」  
 
 視線を横に逸らしたまま、返事はない。  
 まがりなりにも式神、使役者と式神との関係は知っているはずだ。それが理解できない  
ほど愚かでもない。抜けた所はあるものの、一ノ葉は非常に頭がいい。  
 沈黙を肯定と解釈し、初馬は一ノ葉の首にチョーカーを持った右手を回した。  
 一ノ葉は明後日の方向を見つめたまま、身じろぎもしない。表情も変えず、狐耳も尻尾  
も動かさない。注射される瞬間のような反応である。  
 反対側から左手を回してチョーカーを掴み、赤い帯を首に巻き付けた。滑らかな髪の毛  
が手の甲を撫でる。そのまま首の正面でバックルを止めた。  
 カチ、という微かな金属音。  
 一度だけ狐耳と尻尾が動いた。  
 
「これで、オッケイ」  
 
 初馬は二歩後ろに下がり、満足げに頷く。首元に巻かれた赤いチョーカー。紺色のメイ  
ド服と合わせて、不気味とも言える調和を生み出していた。  
 一ノ葉は怖々と首元に手をやり、チョーカーを撫でる。これが夢ではなく現実であるこ  
とを確認するような仕草。狐耳を力無く垂らした。  
 
「ふふ……。これでワシも人間の下僕なのか……」  
 
 自虐的に微笑んでいる。  
 今まで式神とは思えない強さを以て、人間に従うことを拒んできた。資料にはそう書い  
てある。もっとも、一ノ葉を作った一族はかなり強いので、力で従わせることは出来ただ  
ろう。だが、それはしなかったらしい。  
 初馬は時計を見やった。  
 
「と、まだ七時半にもなってないのか」  
 
 普段なら修行などに時間を割かれてしまうのだが、今の状態では筋トレすらできない。  
面倒くさいと考えている修行も、無いと寂しいものだった。  
 テレビはほとんど見ない。ネットに繋ぐ気にもなれない。あまり本は読まない。寝るに  
は早すぎる。時間を潰す方法がない。そして、退屈は嫌いだった。  
 初馬は部屋の中央でぐるりと回ってから、ベッドに向き直る。  
 
「なあ、一ノ葉?」  
 
 ベッドに座ったまま、落ち込んだように尻尾を弄っている一ノ葉。心持ちやつれたよう  
に見える。他人に従属することは、一種の自己の崩壊なのだろう。  
 やや遅れから顔を上げた。  
 
「……何だ?」  
「夜のご奉仕を頼みたい」  
 
 初馬の言葉にしばし考え込み、  
 
「ご奉仕?」  
 
 訝しげに訊き返してくる。虚を突かれたような表情からするに、単純に意味が分からな  
かったのだろう。考えるように狐耳を動かしていた。  
 初馬は一ノ葉の隣に腰を下ろし、人差し指を立てた。  
 
「古い言葉では夜伽と言うらしい」  
「意味は分かった……」  
 
 目蓋を落として呻く。  
 
「貴様は相変わらずアホだな」  
「病院じゃ九時就寝だったから九時になれば寝られるとは思うけど、まだ七時半くらいだ  
し。今から寝るのはさすがに無理だ。だから、エッチなことして時間を潰そうと思って。  
幸い隣の人は午後十時くらいまで帰ってこないようだし」  
 
「その論理展開が理解できない」  
 
 真顔で言い切る初馬に、一ノ葉は冷めた口調で言い返した。  
 自分でも奇妙なことを言っていると思うが、それは適当に無視する。  
 初馬は一ノ葉の肩に右手を置いて、  
 
「お約束とかそういうもので納得してくれ。返事は?」  
「断る」  
 
 そっぽを向いて即答する一ノ葉。これは予想通りの反応。  
 しかし、それは顔に出さず初馬は尋ねた。  
 
「しばらく俺の言うことは何でも聞くという約束じゃない?」  
「それとこれとは話が別だ」  
 
 視線を外したまま一ノ葉が答える。  
 初馬は表情には出さずに不敵に微笑んだ。口元がひくりと動くものの、笑みは表情に出  
さない。ここまでは予想通りでである。  
 
「それならこっちにも考えがある」  
 
 そう言うなり、初馬は右手で一ノ葉の頭を押さえ、自分へと顔を向けさせた。その顔に浮か  
ぶ戸惑い。何をされるのか悟ったわけではないだろう。  
 
「待て――」  
 
 言い切るよりも前に、初馬は自分の口で一ノ葉の口を塞いだ。  
 
「んっ」  
 
 唇に伝わってくる暖かく柔らかな感触。脈絡のない口付けに、焦げ茶色の目が見開かれ  
る。驚きにぴんと立つ狐耳と尻尾。身体も硬直して、動くこともできない。  
 伸ばされた尻尾がベッドに落ちるのを見てから、初馬は口を離した。  
 
「……な、にを?」  
 
 訊いてくる一ノ葉に、さきほどまでの元気はない。  
 初馬は左手を一ノ葉の背中に両腕を回し、優しく抱き締める。恋人同士がするような抱  
擁。手の平に振れるエプロンの留め紐。  
 何か言おうと開け着かけた唇を、再び口付けで塞いだ。  
 
「ん……」  
 
 再び目を見開き、身体を強張らせ、狐耳と尻尾を立てる。  
 しかし、それも数秒。そのまま目蓋を少し落とし、身体から力も抜き、尻尾もベッドへと  
落としていた。緊張してた身体から力が抜けていく。  
 唇の感触をしばらく楽しんでから、初馬は一ノ葉の口に舌を差し入れた。  
 
「ぅん……」  
 
 一ノ葉の喉から漏れる小さな声。  
 初馬が軽く舌を差し入れると、怖々と舐め返してくる。意識的に行っているものではなく、  
反射的なものなのだろう。最初はただ舌先を触れ合わせるだけのものが、次第に大胆な  
動きへと変わっていた。  
 
「くんっ、ふぅ……」  
 
 口の中へと伸びてきた舌を、初馬の舌が絡め取る。一ノ葉は恍惚とした表情で、目蓋を  
落としていた。光の消えた瞳。思考はまともに働いていないだろう。  
 そのまま、お互いに舌を絡め合う。脳へと直接響いてくるような唾液の音。  
 
「ぅんん……ん……」  
 
 一ノ葉が肩に両腕を回してきた。  
 初馬は空いていた右手を一ノ葉の腰へと伸ばす。口付けと舌技は止めない。紺色のワン  
ピースを透過している尻尾。ぱたぱたと元気に動き回る尻尾を、無造作に掴んだ。  
 
「!」  
 
 全身が硬直し、目を見開く一ノ葉。舌の動きも止まる。  
 初馬は右手を動かし尻尾を攻め始めた。尻尾の根本を緩く握り締めて上下に扱く。狐色  
の毛が手の平を撫で、痺れるような感触が腕を駆け上がっていた。  
 
「っあぁ!」  
 
 初馬の唇から口を離し、一ノ葉が甘い声をこぼす。虚ろな瞳のまま、背中を反らして舌を  
突き出した。左手で押さえていなければ、後ろに倒れていただろう。  
 しかし、尻尾を攻めるのは止めない。  
 
「あ、尻尾は……駄目、やめて……」  
 
 初馬を抱き締める腕に力を込めて、一ノ葉が懇願してくる。尻尾は敏感な器官。キスとは  
比べものにならない感度だろう。  
 初馬は素直に右手の動きを止めた。  
 それで、糸が切れたように脱力する一ノ葉。前に倒れて、初馬の肩に身体を預ける。耳元  
で聞こえる荒い息遣い。肺の収縮に合わせて、肩が上下していた。  
 
「よしよし」  
 
 初馬は左手で一ノ葉の背中を抱え、右手で満足げに頭を撫でる。人間とは少し髪質の違  
う狐色の髪の毛。並の女性よりも艶やかだろう。  
 
「口では文句を言っていても身体は正直だな」  
 
 お約束めいた台詞を口にする。  
 
「貴様はぁ……」  
 
 恨みがましげに一ノ葉が唸っていた。しかし、腰が抜け手足が震えているせいで、身体  
に力が入らない。初馬に抱きついたまま動けないでいる。  
 初馬の右手が右の狐耳を摘んだ。  
 
「ッ!」  
 
 一ノ葉の肩が跳ねる。尻尾と同じく、狐耳も敏感な器官。人間の耳とも比べものになら  
ないほどに。親指と人差し指で優しくさすった。  
 
「もう一度訊くけど、夜のご奉仕をお願いしたい。返事は?」  
 
 初馬に抱きついたまま、嫌々をするように首を左右に動かす一ノ葉。しかし、逃げるこ  
ともできず、耳攻めを甘受している。  
 
「返事は?」  
「断っても、無理矢理押し倒す気、だろうが……!」  
 
 必死に虚勢を張り声を荒げる。しかし、拒否することはできなかった。拒否すれば素直  
に引くつもりだった。それでは、一ノ葉の疼きは収まらないだろう。  
 
「そうなんだどね」  
 
 初馬は言い訳すらしない。  
 両手で一ノ葉の肩を掴み後ろへと引き離す。  
 ほんのり赤く染まった頬、上気した呼吸、どこか泣き出しそうな潤んだ瞳。思わず無茶  
苦茶に撫で回したくなるような扇情的な姿だった。  
 
「どうする……気だ?」  
 
 不安げな一ノ葉の呟き。  
 初馬はそっと顔を近づけていった。  
 
「あぁっ。また、キスは……駄目……っ」  
 
 二人の唇が触れ合い、一ノ葉の声が途切れる。  
 開かれていた焦げ茶の瞳に、淡い抵抗の光が灯った。しかし、それも一秒ほど。抵抗の  
光は消え、甘い陶酔の色が浮かんでくる。  
 唾液の味を確かめるように、初馬の口を舐める一ノ葉。  
 初馬は一ノ葉の背中に両腕を回して、優しく抱き締めた。それだけで、安心したように肩  
の力が抜ける。子供が飴を舐めるように、一ノ葉は両目を閉じて初馬の唇を一心に味わっ  
ていた。  
 
「んんん……」  
 
 喉から漏れる切なげな声音。  
 初馬は一ノ葉を引き離した。  
 
「ふ、あぁ……」  
 
 泣きそうな瞳で、初馬を見つめる一ノ葉。緩く口を開けて、じっと初馬の唇を見つめてい  
る。目元に滲む涙。大事なお菓子を取り上げられた子供のような表情だった。  
 
「卑怯者、この卑怯者が……」  
「もう断ったりしないだろ?」  
 
 そう告げるなり、初馬は一ノ葉を抱え上げてベッドに寝かせた。仰向けではなくうつ伏せ。  
まな板の鯉よろしく、抵抗もなく初馬のなすがままにされている。  
 
「どうする、気だ……?」  
「ふふン」  
 
 初馬は不敵な微笑を浮かべ、そっと右手で尻尾の先端部を握り締めた。  
 背筋を強張らせる一ノ葉。だが、逃げることもできない。  
 
「まだまだ前哨戦だ。バテるなよ?」  
 
 初馬は右手を上へと移動させる。それに従い、足へと投げ出されていた尻尾が、真上へ  
と持ち上げる。狐色の毛に覆われたふさふさの尻尾。先端部の毛色はきれいな純白。初馬  
が握っているのは、色の境目あたりだった。  
 
「何をする気だ……?」  
 
 不安げな一ノ葉の瞳。  
 初馬は左手を不気味に蠢かせながら、冷酷に告げる。  
 
「まずは、じっくりと嬲るような尻尾攻め」  
「貴様……ッ」  
 
 一ノ葉の顔に恐怖が浮かんだ。  
 

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