『メイド・小雪 3』  
 
三条家から、正式に披露宴の招待状が届いた。  
 
三男のことであり、事業的にメリットのある婚姻でもないので、式と披露宴はほとんど身内で行うという。  
「どうしても、好きな娘と結婚したいと言いましてね。末っ子には甘くなりました」  
三条の当主はそう苦笑いしたものの、メイド出身の初音の人柄は相当気に入っているようだった、と兄が教えてくれた。  
初音なら、きっと三条家に見合う家柄出身の兄嫁たちともうまくやれるだろう。  
 
初音の主家とはいえ、小規模な披露宴でもあり、うちを代表して出席するのは父ではなく兄、ということになった。  
ぼくは少し複雑な気分で、それを聞いた。  
初音の晴れ姿は見たいけれど、市武さんと並んでいるのは見たくない。  
 
学生時代はスポーツマンだったという市武さんは、背が高く体格もがっしりしており、夏はヨットに冬はスキーと、いつも日に焼けている。  
以前、交流会で一泊のキャンプに行ったときは、水辺で魚を釣り、ピッタリしたTシャツで逆三角形の見事な上半身を見せ、女の子たちを騒がせていた。  
その胸に抱きしめられた初音を想像すると、胸の奥がぎゅうっと痛くなる。  
三条家から持ちかけられた縁談を父が受けた形とはいえ、一緒に暮らせばきっと初音は市武さんを好きになる。  
ぼくだけが見ていた笑顔を市武さんに向け、ぼくだけが口付けていた唇で市武さんにキスをし、僕だけが抱いていた身体を市武さんが抱く。  
そしてそのうち、二人の間にはとてもかわいらしい子どもが産まれるだろう。  
 
「あの、まちがっておりましたでしょうか」  
おずおずと小雪が言い、ぼくはぼんやりしていたことに気づく。  
買っておいてくれと頼んでいた買い物を小雪に渡されたところだった。  
「ああ、いや。これでいいんだよ」  
渡してもらった万年筆の換えインクを、机の引き出しにしまう。  
「ありがとう。よく見つけてくれたね」  
「はい、直之さまにお教えいただいた書店で注文いたしました」  
ほっとしたように、小雪が笑う。  
ま、小雪は小雪でなかなかがんばっている。  
かわいくないこともない。  
ぼくは、立ち上がるとぼくの胸までしかない小雪の頭に、手のひらを乗せた。  
「ごほうびに、カッパにしてやろうか」  
ぼくが小雪の小さいのをおもしろがって、いつも頭を撫でるものだから、小雪はそこだけ髪が薄くなるんじゃないかと心配しているのだ。  
ところが、いつも困った顔をするだけの小雪が、今日はぷくっと頬を膨らませた。  
「かまいません。直之さまが小雪をカッパになさりたいのでしたら、小雪はカッパになりますっ」  
お。  
珍しく、反抗的。  
撫で撫で。  
「でっ、でも、小雪がカッパになりましたら、きっとみんながどうしたのか聞きます。旦那さまも奥さまも、きっとお尋ねくださいます。そうなりましたら、直之さまは、メイドをカッパにしたことがみなさまに知られてしまいますからっ」  
撫で撫で。  
「それは困るな。メイドをカッパにするのはあまり誉められたことではない」  
撫で撫で。  
「そ、そうでございましょう、ですから」  
「小雪には、いいカツラを誂えてあげるからね」  
ふぇぇん、と小雪が泣き顔になった。  
 
まったく、まったく小雪はおもしろい。  
 
ぼくはソファに座ると、小雪を自分の前に立たせ、まだぷっくりふくれたままの頬を指先でつついた。  
「どうした?不機嫌じゃないか。誰かにいじめられたか?」  
主人に担当メイドとして仕えられる特別コースを卒業したからといって、そのメイドたちがみんな担当メイドとして働けるわけではない。  
月々の余分な手当てと、自分だけの主人を持っているというステイタスをうらやまれることもあるのだ、と千里が教えてくれたことがある。  
それは、次の担当メイドになる初音への気遣いを教えてくれたときの言葉だけど、きっと千里の体験でもあっただろう。  
 
担当メイドに選ばれるだけあって、小雪は新人のわりによく気がついて細々と働くメイドではあるけど、たくさんいるメイドの中には、自分の方が担当メイドにふさわしいと考える子がいることもある。  
小雪の頬がしぼんだ。  
「そのようなことはございません」  
「でも、今日の小雪はちょっと違うよ。ぼくは小雪の主人だからね。お見通しなんだ」  
「……」  
「こら。主人が何か言ったら、必ず返事をしなさい」  
「…はい」  
「で?どうして今日の小雪はそんなにご機嫌斜めなんだ?」  
「そのようなことは、ございません」  
おお、やっぱり反抗的。  
「ふうん、そう来るんだ」  
小雪が、ちょっと不安そうな顔をする。  
ぼくは自分の膝を叩いた。  
「ここに来なさい」  
「…はい」  
小雪は素直に後ろを向いて、ぼくの膝にお尻を乗せる。  
うん、いい躾が出来ている。  
 
ぼくは小雪の腰に手を回し、膝の裏にもう片方の腕を入れて横向きにした。  
ソファに座ったままお姫様抱っこをする形になり、小雪は目を白黒させた。  
「ひぁっ、な、直之さま?」  
ひっくり返りそうになって、とっさにぼくの首にしがみつく。  
はっと気づいてあわてて離したところを、背中に腕を回して引き寄せた。  
体格差で、小雪はぼくの胸に顔を押し付けられて呼吸困難になった。  
「む、きゅぅっ」  
「ほら、言いなさい。でないと、カッパになる前に窒息するよ」  
小雪の足が、ぼくの脇でパタパタする。  
「お、お許しくださいませ、むきゅっ」  
「言うかい?」  
「申し上げます、申し上げますから、きゅぅぅ」  
「よし」  
少しだけ腕を緩めると、小雪は呼吸できるようになり、それでも身動きできない程度に抱きしめられたままで、もじもじする。  
 
「あ、あの」  
「これくらいなら話はできるだろう。さ、言いなさい。今日の小雪は、なにをそんなに拗ねてるんだ?」  
「拗ねているわけではございませんけれども…」  
顔を覗き込まれるのが恥ずかしいのか、小雪は自分からぼくに顔を押し付けるようにうつむく。  
「…今日、お昼を頂くときに、他のメイドたちと一緒に使用人の食堂に参りましたのですけれど」  
「うん」  
「そこで、遙さんが、あの、先だってお辞めになりました初音さんのお式がお決まりになったというお話をなさいました」  
まあ、メイドというものは噂好きと決まっている。  
初音の結婚はメイドたちにとっても憧れの玉の輿だし、式が決まったのは事実なのだから話題にもなるだろう。  
「でも、あの。初音さんは、あの。こ、小雪などはあまりお話することもございませんでしたので、あの、ほんとに存じませんのですけれども」  
「うん」  
「あの、あくまでも遙さんのおっしゃることで、ほんとうかどうかというのは、あの、直之さまのお耳に入れるようなことではないと存じますけれども、あの」  
「……うん?」  
「ですからその、は、初音さんは、三条さまのお宅に参られましても、その、あちら様のお気に召さないのではないか、ということを」  
「…なんだって?」  
 
遙というのは、うちの中堅メイドの一人だ。  
年齢も初音に近い。  
ただ、主人家族の誰かの担当、というのではなく、一般的に全体的な仕事をこなすメイドのはず。  
同僚として初音のことも良く知っているだろうが、それなら尚のこと、初音が三条家に気に入られないなどと噂するなどと。  
ぼくが少しムッとしたのに気づいたのか、小雪が縮こまる。  
 
「遙は初音のことを良く知っているだろうに、そんな陰口をいうのはいただけないね」  
ここで遙を責めると、小雪が言いつけたような形になるので、ぼくは控えめに、それでもはっきりと不快感を表した。  
「は、はい。あの、でも」  
「遙はあとで叱っておく。もちろん、小雪から聞いたとは言わないから安心おし」  
「いえっ、そういうことではございませんっ」  
小雪が急に頭を上げたので、ぼくの顎にごつんとぶつかる。  
「きゃあっ、申し訳ございません、どうしましょう!」  
別に、小雪の頭がちょっとぶつかったくらいでは痛くもなんともない。  
小雪を抱いた手を緩めなかったので、また小雪は手足をぼくの膝の上でパタパタするだけだ。  
 
「大丈夫、痛くないよ。なにがそうではないんだ?」  
「…はい、あの」  
小雪はほっとしたような顔をしたものの、心配そうに身体をよじってぼくの顎をそっと指先で触れる。  
「よかった、赤くなったりしておりません」  
「うん」  
ぼくは脚をゆすって、小雪に話の先を催促した。  
「…ですから、あの。…三条さまは、あの、初音さんを奥さまになさったら、そのことにお気づきになるでしょうからと」  
「そのこと?」  
小雪はまたぼくの胸に顔を押し付けた。  
「…直之さまの……お手つきだからと」  
 
ふう。  
 
吐いた息で、小雪の髪がふわりと揺れた。  
言いにくいことを、小さな小さな声で言って、小雪はまた小さくなる。  
「それで?それを聞いて、小雪は不機嫌になったのかい」  
「ふっ、不機嫌だなどということはございませんけれど、でも、あの」  
小雪を抱きしめたまま、カッパにならないように頭の後ろを撫でる。  
「初音さんは素晴らしいメイドだったと聞いておりますし、小雪も初音さんのようになりたいと思いますし、直之さまの担当メイドだった初音さんが、三条さまでお気に召していただけないなんて、それはまるでなにか直之さまがいけないと言われているように思いまして、それで」  
「うん。それで」  
「小雪はただ…悲しかったのでございます」  
 
まったく。  
まったく、小雪はかわいい。  
 
ぼくは、小雪をぎゅっと抱きしめた。  
胸の中で小雪がまた小さく、むきゅっ、と鳴いた。  
「あのね。小雪」  
「ひゃい」  
くぐもった声で返事が返ってくる。  
「こういう家柄では、別にうちだけではなくて、三条さんのところでも同じだけどね」  
「ひゃい」  
「主人がメイドに手をつけるなんて、珍しくもなんともないんだよ」  
「ふぇえ?!」  
「だから、ぼくが…、ぼくが初音となにをどうしていたかなんて、誰も問題にしないし、三条さんだって初めからご存知なんだ」  
「ふぇ…」  
「三条さんは、それでもお父さまに、初音をくださいとおっしゃったんだよ。初音はそのくらいすばらしい女性なんだ。必ず、気に入ってもらえるさ」  
「……」  
「小雪?」  
「れも…」  
小雪がパタパタしたので、ちょっとだけ腕を緩めてやる。  
 
「で、でも、あの」  
「うん?」  
「こっ、小雪は、小雪は、あの、な、直之さまのお手が付いておりませんがっ」  
思わず、笑みがこぼれた。  
抱いていてもわかるほど、小雪の身体が火照っている。  
顔は隠しているからわからないけれど、耳とうなじが真っ赤だ。  
「うーん。そうだね」  
「あの、あの、そ、それはやっぱり、こ、小雪がいたらないからなのでしょうかっ」  
「ん?なに?小雪はぼくのお手つきになりたいわけ?」  
「そ、そ、そっ!」  
このまま虐め続けると、小雪がパンクしてしまうかもしれない。  
ぼくはこみ上げる笑いがこらえきれなくなった。  
「わかったわかった。小雪が初音のことを心配していることも、ぼくのことが大好きだってこともね」  
「…うう、お笑いにならないで下さいませ…」  
笑うぼくの膝の上で、居場所がないように小雪が真っ赤になった顔を両手で覆う。  
その小雪の顔に唇を寄せて、もう少しだけぼくは意地悪をした。  
「小雪がいい子にしてたら、そのうち手をつけてあげるよ?」  
小雪の頭が、ぼんっと音を立てたような気がした。  
恥ずかしさの限界を超えた小雪が、へなへなと崩れる。  
その芯のなくなった小さな身体を抱きかかえて、ぼくは頭を撫でてやった。  
 
小雪がカッパになる日は、そう遠いことではないかもしれない。  
 
 
 
――三条市武さんと初音の結婚式の日は、空が高く青く晴れ渡っていた。  
 
式はお昼で、午後からガーデンパーティ形式での披露宴が行われるらしい。  
晴れてよかった。  
 
ぼくは庭に出て車を洗っていた。  
いつもは運転手が洗ってくれるが、できるときはご自分でなさいませね、と初音が言っていたのを思い出したのだ。  
シャワーの付いたホースで愛車に水をかけていると、洗剤を溶かした水の入ったバケツを持った小雪にも水がかかる。  
きゃあきゃあ言いながら逃げ惑う小雪に、わざとホースを向ける。  
バケツを持ったまま転びそうになるのを、片手で抱きとめる。  
もう、メイド服がかなり水をかぶっていた。  
ぼくらは、年長のメイドや執事が見たら眉をひそめるほどはしゃいで車を洗った。  
髪まで濡らされた小雪など、メイドとしてあるまじき行為ながら、いつまでも悪ふざけをやめないぼくを軽くぶつ真似までしたものだ。  
それでもぼくは、なにかに気を紛らわさずにはいられなかったのかもしれない。  
小雪もぼくもずぶぬれになって、車はぴかぴかになった。  
顔が映るほどきれいにワックス掛けされた車を、小雪がまぶしそうに眺めた。  
 
よし。  
 
「小雪。今日は、これから仕事を抜けられるかい?」  
小雪は目を丸くして、ちょっと首をかしげた。  
「できるかと存じますが」  
「じゃあ、制服じゃなくて私服に着替えておいで。せっかくきれいに洗車したんだ、ドライブでもしてこよう」  
小雪が驚いた顔になる。  
「は、はいっ、かしこまりました!」  
返事をして、これ以上ないというくらいの笑顔になった。  
まずは直之さまのお着替えを、と言う小雪に、自分で出来るからと部屋に帰し、着替えてロータリーに車を回して小雪を待つ。  
小雪の私服を見るのは初めてかもしれない。  
 
さほど待たないうちに、家の中から小雪が駆け出してきた。  
髪をほどいて、肩にたらしている。  
花模様の赤いキャミソールに、白い透ける生地のブラウスを重ねて、クリーム色のミニスカート。  
足もとは白いぺたんこ靴。  
「もっ、申し訳ございません、お待たせしてしまいました!」  
ぼくは、まじまじと小雪を見ていた。  
 
どこから見ても、その辺にいる17歳の女の子。  
いや、その辺になどいない。  
とびきり可愛い女の子だ。  
 
「あ、あの、直之さま?」  
なにか気に入られなかったのだろうかというように、自分の服装を見下ろす。  
ぼくは、助手席のドアを開けた。  
「さ、お乗り」  
助手席に乗った、初音以外の初めての女の子。  
ぼくはエンジンをかけてから、嬉しそうにシートベルトを締める小雪に言った。  
「小雪、かわいいよ」  
小雪がまた、ぼんっと音を立てて赤くなったような気がした。  
 
さて、どこへ行こう。  
とりあえず、景色の良さそうなところへ向けて走ろうか。  
目的地なんかなくてもいい。  
きっと兄はガーデンパーティーで参列者に気を使いながら、なにか美味しいものを食べてくるだろうけど、ぼくらはどこかで気軽にハンバーガーでも買おう。  
そして、ソフトクリームを食べよう。  
初音はきっとなにかを食べるどころではないだろうけど、そんな心配は市武さんがすればいいことだ。  
 
今日は、小雪のことだけ考えよう。  
 
街を抜けると、目の前に広い景色が見え始めた。  
ねえ小雪。  
ソフトクリームは、バニラとミックスとどっちが好きだい?  
 
小雪が、首をかしげた。  
「あの、あの。ストロベリーは、ございませんのでしょうか?」  
 
 
――――了――――  
 

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