「ゆうくん、今日は人が多いね」
「え? ああ、そりゃ……日曜日だし」
とある休日の昼下がり。
僕は姉の買い物に付き合って、電車で4駅の繁華街に来ていた。
高校生にもなって姉弟で買い物に出かけるなんて……正直、僕は無しだと思う。
もしクラスの連中に見られでもしたら、碌なことにはならないだろう。
それでも、僕には、姉について行かなきゃならない理由があった。
それは……。
「ゆうくん、ゆうくん」
「……なに? ねえちゃん」
ドキッとした。
瞬間的に、脳裏に嫌な予感が走る。
どうにかそれを顔に出さないように応えた僕の目の前で、並んで歩く姉は実に朗らかな笑顔でこう言い放ったのだった。
「こんなに暑くて、こんなに人が多いとさぁ、つい脱ぎたくなるよね」
「ならないよっ!」
「えー、そうかなぁ」
とぼけた顔で姉は言う。
「だってさ、凄いよきっと。こう……男の人はみんな獣みたいな目であたしの体中、おっぱいとかあそことかおしりとか、もう目で突き刺すみたいに
見ちゃうよ? 女の人は汚らしいもの見るみたいな、ものすごい軽蔑の目できゃーって叫ばれてさ、それで写メもいっぱい 撮られちゃって、
なにあれ変態? みたいに言われちゃって、ちっちゃな子供には、はだかだーって指差されてさ、ああもう考えるだけでわたし」
「はいストップそこまで!」
そのまま遥か彼方の世界に行ってしまいそうだった姉の手を、がしっと掴んで引き止めた。
「勘弁してよ、姉ちゃん……」
「脱いじゃだめ?」
「だめ!」
言って、ふぅ、と溜息をつく。
この人のこの性癖は、どうにかならないのだろうか?
……ならないのだろうなあ。
子供のころからそうだった。
記憶の奥にある……幼いころの姉の、一番古いイメージと言えば、ぱんつ一丁で、外を思い切り走り回る姿なのだから。
とにかく、僕のこの、3つ上の姉は――
一言で言ってしまうと“生まれついての脱ぎたがり”なのだ。
帰ってくるなり僕がテレビ見てるのもお構いなしに、居間で着替え始めたり。
夏は、暑いと言うだけの理由でノーブラノーパン。
風呂上り、素っ裸のまんまでテレビ見てるとかも最近当たり前になってきた。
だから僕は、家に友達を呼んだことがない。
小学校も中学校も、高校生になった今も。
……呼べるわけが無い。
そして、これだ。最近特にひどい。
これさえなければ、と何度も思った。
弟の僕が言うのもなんだけど、美人だと思う。
背も高いし、腰まで届きそうな長い黒髪もすごくきれいだ。
スタイルもいい。締まるとこはきゅっと締まってるし、出るとこも……この何年かで、ものすごく成長した。
嫌と言うほど、見せ付けられた。
頭もいい。
家から通ってる大学は、日本人なら誰でも一度は名前を聞いたことがある名門だ。
なのになんで、この人は……。
「ねぇ、ゆうくん」
と、唐突な姉の呼びかけに思考が遮られた。
「……今度は何?」
「はいこれ」
「へ?」
なんだこれ。
ぽん、とおもむろに姉が手渡したもの。
紐の付いた、縞々で、布製の、しかもあったかい――
「ぱっ……!!」
思わず叫びそうになるのを、すんでのところでこらえた。
大慌てでポケットにしまいこむと、周りで誰か見ていなかったか、視線を走らす。
とりあえずは――大丈夫だったらしい。
「あはは、顔真っ赤にしちゃって……かわいいんだから♪」
「ていうか姉ちゃん、いつ!? どうやって脱いだのさ!?」
歩きながら、あくまで小声で僕は叫んだ。
こんな人通りの多い街中だ。
目を離してたのって、多分5秒くらいしかないのに、いったいどうやって!?
「ひもパンってこういうとき便利だよね」
がくっとくる。
その一言で大体理解した。
なんでこんなものがこの世に存在するんだ。
そんなことのためにそういう造りになっているわけじゃないのだろうけど、
僕はひもパンと言うやつの発明者に心の中で訴状を叩き付けた。
「んん、あついときはやっぱりノーパンに限るなぁ」
「だっ……そういうことを口に出さないでっていつも言ってるじゃん!」
今日は割りと丈の長いスカートだから、まだ危険度は低いほうだけど……それでも怖い。
バレやしないかと、こっちがびくびくしてしまう。
「ふー……脱いでもまだあついなぁ。風、吹いてくれないかなぁ」
お願いです。
神様、どうか風を起こさないで下さい。
僕を、助けて下さい。
能天気な笑顔の横で、必死に祈る。
……その願いが通じたのだろうか、さっきまで少しあった風が、ほとんど無くなった。
だが、ほっとしたのも束の間だった。
「ねぇ、ゆうくん」
「……次は何?」
「しよ」
僕の上着の袖をくいと引っ張りながら、無邪気な笑顔で言い放つ。
その意味するところに、数秒、僕の体は固まった。
脳裏に、嫌な思い出が蘇る。
「まさかとは思うけど……今?」
「うん。したくなっちゃった」
「だめ! 絶対だめだからね!」
「えー、いいじゃない、減るもんじゃないし」
……だめだこの姉ちゃん、早く何とかしないと――
「今まで何回警察に捕まりそうになったと思ってんのさ!? 嫌だよ、もう絶対やらないからね、僕は!」
「むー」
笑顔から一転、姉は文字通りの、むすっとした顔をする。
けど、これでよかったんだ。
いい加減、どこかでビシッと言っておかないと、どんどん増長して――あれ?
姉ちゃん?
なんで服脱ごうとしてるわけ?
「ちょっ……姉ちゃん!? なにしてんの!?」
「やっぱり脱ぎたくなっちゃった」
「やめてとめて、それだけは!!」
「じゃあ、して」
「出来ないよ、そんな……!」
「じゃあ脱ぐ。じゅう、きゅう、はち、なな……」
何!?
何勝手にカウントとか始めちゃってんのこの人!?
「よーん、さーん」
「わかった! する! 姉ちゃん、するからっ!」
スカートの留め金に手を掛けようとしたところで――僕はギブアップしてしまった。
姉の暴走を止めるためについてきたはずなのに、なんでこう、いつも結局は加担するようなことになってしまうのだろう……。
あまりにも情けない。
(僕はもう一生、まともな恋愛なんて出来ないんだろうな……)
実に楽しげな笑顔の姉に引っ張られて、僕は路地裏へと入っていく。
そのくらいの分別は付けてくれているということにほっとしてしまう僕も、もうおかしいのかもしれない。
姉はきっと病気だ。
……けど。
そんな姉ちゃんから離れられない僕も……病気なんだ。きっと。