―――授業。  
 
それはアヤにとって  
地獄の釜茹で、ゆでられるかのような  
耐え難き拷問のごとき時間。  
 
だが、自分のファンクラブを立ち上げようという目的が  
彼女にやる気をもたせていた。  
ここで無様な姿は見せられない。  
自分のいいところを見せつけてやらねば………と。  
 
しかし、都内屈指の名門校。  
そんな恐ろしい場所に来た時点で  
アヤの不幸は決まっていた。  
 
アヤの心は重かった。  
 
カッ、カッカッ(黒板にチョークで文字を書く音)  
黒板に問題を書く教師。  
(なにコレ…………ぜんぜん…わかんない…)  
アヤが苦戦している問題を前に、  
全員の生徒が余裕の表情を見せている。  
「じゃあ、この問題、  
 誰に解いてもらおうかな?」  
アヤには問題文の意味すらわかっていない。  
無論手など挙げられるはずもない。  
「ハイ、ハーイ」  
クラスの全員が挙手。  
あのエロ猿ですらも挙手しているのは  
アヤに少なからず屈辱を与えていた。  
あげてないのは、いびきをかきながら熟睡中のボーイッシュなシホだけだった。  
「それじゃあ、山田君」  
指された生徒は黒板の前に立つと  
カッ、カカッ(黒板にチョークで文字を書く音)  
それは数十行にもたっするかという長ったらしい文字式の連続。  
何の迷いもなくスラスラと答えを書き続け、  
そして、とうとう最後まで一瞬のスキすらも見せぬまま書き終えるのだった。  
「ふむ。エレガントだ」  
「フッ。こんなの寝てても余裕ですぜ」  
「今時の小学生だって解けますよ」  
「せめて、もう少し難しいものにしてもらわないと授業になりませんよ」  
「ハハハ…こやつめ…ハハハ」  
(な………なに…?  
 こいつら…ひょっとして宇宙人…?)  
 
ありえない未知の会話を前に恐怖するアヤだった。  
 
(ダメ…こんなの私にわかるわけないよぉ…)  
自分の力量の無さが完全にわかると、  
アヤはがっくりうなだれた。  
「………」  
そんな不甲斐ないアヤを見つめながら  
天使の瞳がギラギラと光り輝いていた。  
 
カッ、カカッカカカカカ!  
 
「それじゃあ、次はこの問題だ」  
「また、これは基礎中の基礎ですね…」  
「先生?ひょっとして僕達をバカにしてません?」  
生徒達の言葉にアヤは心が重たくなるのを感じた。  
いくら学業を怠けていたとはいえ  
自分と彼らの間にこれほどまでの差ができてしまっていたなんて。  
 
(まっ。勉強だけが人生じゃないもんね♪)  
人一倍前向きなアヤは  
できないものはできないと素直にあきらめるのだった。  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィィ〜〜〜ン。  
 
「ひゃああ!!!」  
 
人一倍負けず嫌いの天使は  
アヤに落胆ぶりに我慢などできるはずがなかった。  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィィ〜〜〜ン。  
 
天使の方を睨みつけるアヤ。  
(んっ…な…なにすんのよっ…)  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィィ〜〜〜ン。  
 
(手をあげろっていうの…?  
 …だめよっ…  
 だって…わたし、ぜんぜん…わかんないものっ…)  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィィ〜〜〜ン。  
 
何度も何度も振動するバイプ。  
このままでは、またあの恥ずかしい嬌声が漏れてしまう。  
故にアヤは自分の手を挙げることを決意するのだった。  
バッ…(挙手)  
そしてバイプはひとまずその動きを止めるのだった。  
(お………お願い……当てないで…)  
アヤの手は震えている。  
(このクラスの人数は……35人…。  
 故に私に当たる確立は35分の1…  
 いや……でも人の意思が混じっている以上、  
 35分の1には決してならないわ………。  
 私の席は一番後ろ…。そして、こうして先生にバレないように  
 小さく手を挙げておけば…確立はもっと落とせるはず…。  
 ゼロにはならないけど…限りなく0に近づけることはできるはず…)  
「ほぅ…それじゃあ坂之上にやってもらおうかな」  
アヤは断崖絶壁から突き落とされるものを感じたという。  
 
とりあえず黒板の前にでるアヤ。  
当然わかるはずもない。  
「将来の学者になるっていってるんだから、  
 さぞかし素晴らしい答えなんだろうなぁ」  
その期待がアヤにはつらかった。  
アヤは手短に応えた。  
「ごめんなさい………わかりません」  
「…はっ?」  
アヤの言葉に教師は、あまりの衝撃に呆然と立ち尽くした。  
「そんな馬鹿な?」  
この問題を出したとき、  
教師はまさか解けない者がいようなど思ってもいなかった。  
しかも、この問題の解き方というかヒントは  
授業の前半にさんざん説明した後なのである。  
それでもわからないというアヤの言葉は  
教師生活30年で培われてきた彼の自信を大きく揺るがすものだった。  
放心状態の教師。  
生徒達がざわめき始める。  
「なにあの子?」  
「バッカじゃない」  
「あんな問題もわからないの?」  
「わからないのに手を上げてたの?」  
「きっといいカッコしたかっただけなのね。プッ。クスクス」  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィ〜〜ン。  
 
天使も怒りのスイッチをONにしていた。  
今回だけはアヤもそれを甘んじて受けた。  
その振動よりも、生徒達の罵声の方が何倍も痛かったからだった。  
 
生徒達の罵声はやむことなく続いていく。  
当然のことながら、  
それは先ほど自分達のアイドルであった笹山ミナヨを突き飛ばした  
アヤの態度への報復も混じっている。  
だからアヤに対しての情けなど一片もない。  
罵声の中にはアヤの人格そのものを否定するような言葉も混じっていた。  
(…アイドルのおきて……第一条…  
 ……人前で……決して…涙をながす…べからず…)  
心を強くして耐えるも、アヤは泣きたくなってきた。  
 
その時、  
「いいかげんにしろおまえらっ!」  
バンッと机を叩いて一人の少女が立ち上がる。  
それの驚き一瞬で静まり返る教室内。  
シホであった。  
(シホさんっ?)  
「先生!そんな難しい問題アヤにあてるなんて酷いぜ!」  
「え…?…………でもこれ…基礎………」  
シホは乱暴ながらも、さらに言葉を続けていく。  
それも全てアヤを助けるためだった。  
「そうよっ!みんな!」  
そして今度は笹山ミナヨが立ち上がって抗議するのだった。  
 
「みんなはどうなの?  
 わからない問題がでてきたときには  
 いつも当てられないように目をそらしてるじゃない。  
 でも、坂之上さんは逃げなかった。  
 諦めずに挑戦したのよ!  
 私はそんな坂之上さんはすごいと思う」  
(笹山さん……)  
アヤはこの時、目の奥に熱いものを感じずにはいられなかった。  
「がんばって!坂之上さんっ!私も応援するからっ!」  
「笹山さん…」  
「坂之上さんでも分かるように、私一生懸命ヒントだすから。  
 がんばってこの問題を解きましょうっ!」  
「………………………………………………はい?」  
それはアヤにとって予想外の一言。  
アヤの気持ちは間違いなく机に向かっていた。  
しかしミナヨの気迫に負け、教卓前に止められるのであった。  
教師が横から声をだす。  
「は…はぁ…でも…時間が押してるし…………」  
対してシホが怒鳴りつける。  
「先生っ!ひどいぜっ!  
 分からない生徒を見捨てて先に行こうなんてっ!  
 この鬼っ!悪魔っ!!!  
 オマエに人間としての情けってもんはないのかよっ!」  
「…………はぁ…」  
北御門シホと笹山ミナヨ。  
学園内の二大アイドルと称される彼女達に逆うものは  
最早この教室に誰もいなかった。  
 
しかし………  
アヤの気持ちだけは、とっくに降参に向かっていた。  
 
(二人には悪いんだけど…  
 頭の悪いわたしなんかじゃ  
 こんな問題…一晩考えてもわかんないよぉ…  
 …どういったらわかってもらえるかなぁ…  
 …そうだっ!  
 『で、…でも………やっぱり悪いよ…  
 私一人が足ひっぱって…みんなのお勉強の邪魔をするなんて…』  
 って言おう…よしっ)  
 
いかにも感謝してますという顔をしながら。  
「で…でも…」  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィ〜〜〜ン。  
 
「………ひゃあっ!あっ!んッ…い、いやぁっ!」  
アヤの声は、突然アヤの股間を襲った振動によってかき消されるのだった。  
それは黒板の問題を解けという、  
天使からのメッセージであった。  
 
「みんなも応援してあげてよっ!」  
「やれやれ…」  
「ミナヨちゃんがいうならしょうがねぇな…」  
「…がんばれ」  
「……坂の上さん…がんばって」  
クラスのみんなが応援しはじめる。  
冷や汗を流すアヤ。  
もはや撤退不能にまで追い込まれ、  
そうしてアヤにとって地獄の拷問が始まりだった。  
それは、問題が解けるまで  
バイプの振動が永遠に続くという地獄であった。  
 
ヴィ〜〜ン。ヴィ〜〜ン。  
 
問題を解いている途中もバイプは振動を続けたままだ。  
天使は、問題を解けるまではバイプを解放する気はないらしい。  
こうして文字通り必死になって黒板の問題と向かうことになってしまったアヤ。  
そして、股間からせりあがってくる感覚に何度も悲鳴を上げそうになるのだった。  
 
「んっ…くふっ…」  
口からは小さな淫声が漏れている。  
それに耐えながら、  
ミナヨの助言だけを頼りに問題へと向かうアヤ。  
 
振動は続いていく。  
しかも振動のレベルはアップしており、  
レベル3へと近づきだしていた。  
早くこの問題を解かなければ、  
いずれアヤの身は振動に耐えられる限界を超えてしまうのだ。  
 
アヤの足は早くも立てる限界を超えようとしてた。  
それでも立っているのはアイドルとしての意地だった。  
「んっ…あっ…ふっ…んんっ…いやっ…あっ…あっ…あっ…んあっ」  
淫声も回数を増やし、次第に大きくなっていた。  
 
アヤにとって救いは  
1、教卓が影となり、足の振えは生徒達にはバレていない  
2、黒板の方を向いているせいで頬が赤いのがバレていない  
3、淫声は声援で掻き消されている  
ことだった。  
 
「で、それで角Aと角Bの値がわかるから  
 そこで正弦定理を使うのよっ」  
今までずっとアイドルとしての威厳だけで耐えてきたアヤであったが  
さすがにもう限界だった。  
瞳は潤み、顔をみただけでも発情していているとわかるほどだ。  
「ハァハァ…あっ…んっ!…はっ…はぁはぁ!  
 …あっ…んふぅ!…やぁぁぁ!…あー!だめぇ…んっ!!」  
(も…もうだめ…考えれば考えるほどわかんないし  
 頭もなんだかぼんやりしてきたヨぉ…  
 正弦定理っていったい何なの…?)  
「a sinA = b sinB = c sinC になるから  
 三角形の外接円の半径を R とすると,正弦定理は………」  
(も…もうだめ……い…意識が…  
 ……………だめよっ…あきらめちゃ…  
 ………………。  
 ふふっ…数学の……問題…を解きながら…発情する…少女か………  
 みんなに………知ったら……どう思うかなぁ……  
 ………ヘンタイ…だと………おもわれる…だろうなぁ…  
 ………ふっ…  
 ……………あはは………  
 も……もういいか…  
 もう疲れちゃった……  
 ………倒れよう………  
 ………あぁ……  
 ……アイドル………なりたかったなぁ…  
 …………)  
だんだんと暗い井戸の底へ落ちて行く意識。  
「やったわ。解けたのよ坂之上さんっ!!!」  
(えっ!!?)  
そんな意識を繋ぎとめたのはミナヨの一言だった。  
 
「よくやったな!アヤ」  
それはシホの声。  
黒板にはいつの間にか数式がギッシリと並んでいた。  
そしてそれらは全てアヤの文字だった。  
「こ…こ…これ…私が……といたの…?」  
「そうだよっ。坂之上さんがやったのよっ!!」  
クラス中の生徒達が歓声をあげ  
拍手をしていた。  
「私が…私が……」  
喜びに打ち震えるアヤ。  
とうてい分からないはずの問題を解けたのだ。  
そして、それは自分の力だけではない。  
間違いなく応援してくれたみんなのおかげなのだ。  
アヤはこのときほど仲間の素晴らしさを感じ取ったことはなかった。  
「笹……山さん」  
アヤの席の前ではミナヨがアヤの迎え入れる準備をして待っている。  
お互いに協力して、一つの強大な敵を倒した。  
それだけで心が通じ合うのは十分だった。  
もう二人の間には何の障害も隔たりもない。  
 
………はずだった。  
 
ダッ!  
「あ……」  
「あ……」  
「あ……」  
 
なんと…アヤは不自然なカニ歩きで  
教室から飛び出していったのだった。  
 
キーンコーンカーンコーン  
 
「………」  
「………」  
「………」  
 
鳴り響くチャイム。  
それが終わってなお沈黙したままの教室。  
アヤの行動はそれほどまでにありえなかった。  
一人の生徒が口を開く。  
 
「礼の一つもいわずに行きやがった」  
「ナニ?………あの態度」  
「せっかく、応援してあげたのにっ」  
「なんだかすごくムカツクな」  
 
よく燃える重油に、松明はくべられた。  
 
「………」  
 
凡人には到底理解できないアヤの行動であったが  
ただ一人  
 
「あの女……あの動き……まさかっっっ!!!」  
 
エロ猿と呼ばれる男だけは  
アヤの異変の正体に気づきつつあった………。  
 

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